ベランダで星を指す

四葉くらめ

ベランダで星を指す

 なにをもって冬の訪れを感じるだろうか。それは体が自然と震えたときかもしれないし、吐く息が白くなったらと言う人もいるだろう。気温なんてものは関係なくて、ただ12月からが冬だと答える人もいるかもしれない。

 では、僕の場合はどうかと言えば、空を見上げて星がれいに見えたときに、「ああ、もう冬だな」と感じるのであった。



 職場から一時間ほど離れたアパートに帰ってくる頃には胃袋が悲鳴を上げていて、ブォーンとのんきな音を立てながら庫内を光らせる電子レンジを見ていると、もっと頑張れ、早くしろと、まるで先ほどまで会社で一緒だった上司のようなことを言いたくなる。とはいえ、残念ながらそんな声を掛けたところで電子レンジのスピードが速くなるわけでもない。ちなみに、僕のスピードだってそんなに上がらないので、あまりうるさく言わないでほしいものである。

 電子レンジが働いている間にテレビをける。やっていたバラエティは好みのものではなく、結局、動画配信サービスを立ち上げて、昔見たことのあるアニメを流しはじめた。

 電子レンジが電子音で温め終わったことを教えてくれる。週末に作り置きしておいたおかずなので、新鮮味というものはない。

 会話がなければ食事なんてものは大して時間が掛からないものだ。アニメの前半パートが終わる頃にはもう皿も空になっていて、後半パートを見ることなくテレビを消した。

 そのあとはまだクローゼットにっていなかったコートを着て窓を開ける。冬は食後に星を見るのが習慣になっているのである。

 ベランダに出ると染みるような寒さに混じってツンと鼻を突く臭いがした。煙草たばこにおいだ。好きな臭いでは決してないのに、ここで嗅ぐとちょっとうれしくなる自分がいる。

「お? よう、帰ってきてたのか」

 少し低めの女性の声だ。しかし、声は聞こえるが姿は見えない。当然だ。彼女は隣の部屋のベランダにいるのだから。

「ええ、20分ほど前に」

 欄干に腕を乗せて顔を少し出すと、声の主が欄干に背中を預けているのが見えた。だぼっとしたスウェットで髪もまとめることなくぞうに広がっているのだが、身長が高いからか、姿勢がいいからか、そのたたずまいはやたらと様になっていた。

 煙草たばこを口から離し、ふぅと一息吐き出すとその端正な顔を向けてくる。

「晩飯は? 外で食ってきたのか?」

「いえ、帰ってからです。もう食べ終わりましたよ」

「はえーな……もっとゆっくり食えよ……」

 そう話している間に指に挟んでいた煙草の処理をして、僕と同じように外側に体を向けた。

 別に僕は気にしていないのだが、非喫煙者と一緒のときは吸わない主義なのだという。

「ミユキさんは?」

 彼女の名前は東条とうじょうミユキ。漢字は知らない。

「いつもと同じで会社で食ってきた。アタシはハラ減ると我慢できなくてなー。料理も好きじゃねーし。カナタは結構料理するんだろ? 尊敬するわ」

 ちなみに僕の名前は結城ゆうき奏太かなたである。

 僕も料理が好きというほどではないが、苦痛に感じるタイプではない。ただしいものを楽して食べるにはどうすればいいかというのを考えているというのと、単に無趣味なせいで休日にやることがないだけである。

「まあ慣れてますからね。でもそう言ってもらえるのはうれしいですね。料理してもあんま褒めてもらえるってことないですし」

「あー、自分が食うだけだとなー。アタシさ、自分だけならもうご飯に焼き肉のタレ掛けるだけでいいんじゃね? って思ってしばらくそればっか食ってたことがあってさ」

「体壊しますよ……?」

「いやー、健康診断でも引っかかってさ、医者に『コイツ馬鹿じゃねーの?』って顔で見られてからアタシは自分で料理するのを諦めたね」

 そもそもご飯に焼き肉のタレを掛けている時点で、とっくに諦めているように思えるのだが、ミユキさんとしてはそれはまだギリギリ料理のはんちゅうらしい。なんというか……流石さすがミユキさんである。

「おいテメェ。今アタシのことバカにしただろ?」

「や、ヤダナー、してないですよ」

 なぜバレたのか。ミユキさんはたまに野生のような勘で心を読んでくるので怖い。あと詰め方が完全にヤンキーのそれである。

「そういやよ、カナタは星が好きでこうしてベランダに出てきてるんだよな?」

「まあ……、そうですね」

 最近ではミユキさんと話すのが楽しいというのも若干はあるが、それは恥ずかしいので言えなかった。今だって星を見に来たくせに、空にはほとんど意識が向いていないのだ。

「なんかこの星が好きとかそういうのもあるもんなのか?」

「うーん、どうでしょう。僕も別に詳しいわけじゃないんですけど、カシオペヤ座とかかな……。ここからだと見えないですけど」

「なんで見えないんだ? つーか、カシオペヤ座ってどんなんだっけ? アタシもオリオン座ぐらいは知ってるんだけどよ」

 まあ確かに、星に全然興味がない人からすればその程度かもしれない。マイナーというわけではないのだが、オリオン座に比べれば知名度は一段下がるだろう。

「カシオペヤ座は北側に見える星座なんですよ。このベランダは南側を向いてるんでどうやったって見えないんです。Wの形をしていて北極星を見つけるのに使われたりしますね」

 今となっては北極星を見つけたいことなんて、日常性活ではなかなかないのだが、冬は北斗七星経由よりもカシオペヤ座経由の方が北極星が見つかりやすいらしい。というか北極星はもっと目立てよと思う。シリウスぐらいギラギラしてくれていたらさぞや昔の人も助かったことだろう。

「なるほどなー。アタシはな、あの星だな」

 そう言って天に向かって指をさす。その指の先を追ってはみるものの、流石さすがにどれを指しているのかは判断つかなかった。

「うーん、なんか目印みたいなのありません?」

「そうだなぁ、あの砂時計みたいなやつあるだろ?」

 たぶんオリオン座のことを言ってる。この人オリオン座を知っているというのは名前を知っているというだけだったらしい。

「で、あの3つ並んでるのからグーンって左の方に行ったところにあるやつ」

 プロキオンか? オリオン座の三つ星から左というには少しズレているが、有名どころだとこいぬ座のプロキオンが方向的には近い。ちなみにオリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、そしてこのこいぬ座のプロキオンを結んだものが冬の大三角形である。

 が、どうにも話を聞いてみるとプロキオンでもなさそうだ。距離が離れているから、いまいち指しているものがどれかわからない。

 ミユキさんが次第に僕の部屋側に近付いてくる。僕もミユキさんの部屋側に近付いていった。

 肩が仕切りに当たる。なんとなく、ミユキさんも反対側で同じような体勢になっているのだと感じた。仕切りのすぐ向こう側にミユキさんの指が見える。それでも、ミユキさんが指している星がどれなのかがわからなくて、それがもどかしくて、この仕切りがすごく邪魔に思えた。この仕切りさえなければもっとミユキさんのことがわかるのに、と。

「なぁ」

「なんです?」

「この仕切りってさー、やっぱ壊したら怒られんのかなー?」

「絶対にやめてくださいね。僕、知らない振りしますからね!?」

「おいおい、冗談だよ本気にすんなって?」

 ホントかよ。

 しかもミユキさんは笑いながらもコンコンと仕切りをたたいており、それが強度を測っているように思えて僕は少し後ろに下がった。この人ならいきなり「オラァ!」とか声を上げながら仕切りを殴っても全然違和感がない。

「ま、アタシだってもう大人なんだ。ガキみてぇにむやみに壊したりはしねーよ」

 まるで子どもの頃は壊したことがあるような言い方である。っていうかこれ一度や二度じゃなさそうなんだが……。

「そうだ。星が好きってことはプラネタリウムとか行ったことあんだろ?」

「ええ、まあ」

 この辺りだと電車で数駅のところにプラネタリウムがあって、何度か行ったことがある。

「じゃあ今度そこに連れてけよ。アタシが好きな星、教えてやるからよ」

 ミユキさんを、プラネタリウムへ。


『おおー、あれだよ! ほら、あそこの星! っていうか星すっげぇな!』

『お客様、お静かにお願いします』


 めっちゃ言われそう……。

「プラネタリウムって静かにしてなきゃいけないんですけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫に決まってんだろ。おめぇアタシのことなんだと思ってんだ」

 元ヤンキー、だとは言うまい。

「いえ、普段の感じからジッとしてるの苦手そうだなって思っただけです」

「それは合ってる」

 だから心配なんだよ。まあでも、こう見えてミユキさんも立派な大人である。なんだかんだ言っても大丈夫だろう。

「それじゃあ今週末にでも行くか。んじゃ、細かいことはまたあとで連絡するわ。そろそろ寒くなってきたし、じゃあな」

 そう言って仕切りの向こうからミユキさんの気配が消える。すぐに向こうの部屋の窓の開閉音がした。

 ミユキさんと、プラネタリウムねぇ。

 ん?

「これって、もしかしてデートか?」

 そう意識した途端、体が熱くなってくる。

 恐らくミユキさんにそんなつもりはないのだろう。ただ、話の延長でそういう流れになったというだけだ。わかっている。頭では理解しているが、一度熱を持ってしまった体はすぐに冷えることはなかった。

 その熱を逃がそうと、僕はもう少しだけ星を眺め続けるのだった。


   おまけ


 いつからが冬かと言われたら、は前まで12月からだと思っていた。1年は12ヶ月で、そのうちの3ヶ月を冬とするならやっぱり12月から2月までだろうという単純な理由だった。

 それが変わっていったのは隣の部屋の住人――カナタと話すようになってからだ。最初に話したのは数年前。たぶん11月だろう。カナタは冬の星空が好きみたいで、それぐらいの時期になるとよくベランダに顔を出すようになる。話をしてみると結構面白いヤツで、いつの間にか、カナタが出てくるようになると「ああ、冬が来たんだな」と感じるようになっていた。

 で、だ。さっきもそうしてカナタと話していたんだが……。

 部屋に戻ってからふと、さっきしていた会話を思い出す。

「ん……? カナタと二人でプラネタリウムって、も、もしかしてこれって……デート、か? いやいやいやいや、デートってアタシが……? いやでも、男女で出掛けるってことは……やっぱデートじゃね?」

 学生時代はダチやセンコーからは散々チャラいと言われてきたアタシだが、恥ずかしいことに男性経験は皆無である。だからこれがデートなのか、それとも男女だろうがこれぐらいは普通なのかがよくわからない。

「うーん、服とか、普段着でいいよな? 別に」

 付き合っているわけでもない男女がちょっと出掛けるだけだ。そんなにめかし込んで行くのも違う気がする。なんか、その……。は、恥ずかしいし……。

「はぁ、仕方ねぇ。こういうときのダチだ」

 幸いアタシには男との関係が二桁に行っているような親友がいる。そいつに相談してみよう。

 その相談で、アタシはまず最初にこう言われたのだった。

『普段着でいいわけねーだろアホ』と。


   〈了〉

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ベランダで星を指す 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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