【サウナコメディ短編小説】サウナ・パラダイス・パニック!(約9,500字)
藍埜佑(あいのたすく)
【サウナコメディ短編小説】サウナ・パラダイス・パニック!(約9,500字)
第1章:サウナにはまる真帆
真夏の陽光が、高層ビルのガラス壁を灼きつくように照りつけていた。オフィスの空調は効きすぎるほど冷たく、その温度差は人々の心まで凍らせそうだった。
深沢真帆は、画面に映る数字の群れを、ため息まじりに見つめていた。投資信託部門のチーフアナリストという肩書は、彼女の両肩に重くのしかかっていた。
「深沢さん、例の新規ファンドのプレゼン資料、できました?」
後輩の声に、真帆は思わず肩をすくめた。
「ええ、今の午後には必ず……」
言葉の最後は呑み込んだまま、真帆は画面に向き直る。数字たちは、まるで彼女を嘲笑うように踊っていた。
その日の退社は午後9時を回っていた。地下鉄の階段を上がると、むわっとした熱気が真帆を包み込む。汗が噴き出してくるのを感じながら、ふと目に入った看板。
『女性専用サウナ&スパ 天空の雫(しずく)』
なんとなく惹かれるネーミング。真帆は立ち止まった。
「まあ、たまには……」
自分に言い訳するように呟いて、真帆は入り口に足を向けた。
受付で会員登録を済ませ、更衣室でスーツを脱ぐ。窮屈なパンプスから解放された足指が、気持ちよさそうに伸びをする。
サウナルームのドアを開けると、一瞬息が詰まるような熱気が押し寄せてきた。96度。案内に書かれた温度に、真帆は少し躊躇したが、すでに引き返すわけにもいかない。
中に入ると、3人ほどの女性が黙々と汗を流していた。真帆は一番下段の椅子に腰を下ろす。乾いた熱気が肺の中まで浸透していく。
しかし、不思議なことに、その熱は決して不快ではなかった。むしろ、日中のストレスや緊張が、その熱とともに溶けていくような感覚。真帆は目を閉じた。
体の芯から汗が噴き出してくる。それは、まるで毒を吐き出すような心地よさだった。
「あの、失礼ですが……」
ふと、隣から声がかかった。目を開けると、30代半ばくらいの、優しげな表情の女性が微笑んでいる。
「初めてですよね? その姿勢だと、熱がうまく回りませんよ。もう少し背筋を伸ばして、こんな感じに……」
女性は実際に姿勢を示してみせた。真帆は言われた通りに背筋を伸ばす。確かに、熱の感じ方が変わった。
「私、月城といいます。よかったら、サウナのコツ、いくつか教えましょうか?」
月城さやか。その名は、真帆のサウナ・ライフを大きく変えることになる、運命の出会いだった。
その日から、真帆は週に2回、必ず「天空の雫」に通うようになった。月城から教わったサウナの作法。熱気の浴び方、水風呂の入り方、ととのいの感覚。それは単なる入浴の手順ではなく、まるで瞑想のような精神性を持っていた。
「サウナは、心と体を整えるリセットボタンなのよ」
月城はよくそう言った。その言葉の意味を、真帆は徐々に理解していった。
サウナで汗を流し、水風呂で体を引き締め、外気浴で深いリラックスを得る。その単純な行為の繰り返しが、不思議なほど心を癒やしてくれた。仕事のストレスも、人間関係の軋轢も、96度の熱気の中で溶けていく。
真帆は他のサウナ仲間とも親しくなっていった。普段は弁護士として活躍する村瀬董子(むらせ とうこ)、フリーランスのイラストレーター・綾小路みのり、そして大学院で建築を学ぶ学生の朝倉ユカリ。
年齢も職業も違う彼女たちだが、サウナという空間では皆平等だった。湯上がりのドリンクを片手に、仕事の愚痴を言い合ったり、恋愛相談をしたり。そんな何気ない会話が、心地よい疲労感とともに心に染みわたった。
「深沢さん、最近いい感じですね」
ある日、部長にそう言われた。確かに、サウナを始めてから、仕事の効率も上がっていた。心にゆとりができると、物事の優先順位がはっきり見えてくる。
しかし、それは同時に新たな欲求も生んでいった。
「やっぱり、家でも味わいたいな、このととのい感……」
外気浴チェアに横たわりながら、真帆はぼんやりとつぶやいた。
「えっ!? 自宅サウナですか!?」
隣のチェアで休んでいた朝倉が、目を輝かせて飛び起きる。
「いや、まだ考えただけよ。でも……」
「いいじゃないですか! 私、建築学科で住環境のデザインを研究してるんです。サウナの設計とか、すっごく興味あります!」
朝倉の目は本気だった。真帆は少し困ったように笑う。
「でも、賃貸マンションだし……」
「大丈夫です! 最近は賃貸でも設置できるサウナがたくさんあるんですよ。可動式のやつとか。私、調べておきます!」
朝倉の情熱は、真帆の心の奥にあった「もしかしたら……」という思いに火をつけた。
「ほんと? じゃあ、ちょっと考えてみようかな……」
その何気ない一言が、思いもよらない騒動の始まりだった。真帆はまだ知らない。この決断が、彼女の人生を大きく変えることになるとは。
## 第2章:自宅サウナ計画始動
深沢真帆の自宅は、東京郊外の閑静な住宅街にある11階建てマンションの8階。72平米の2LDK。一人暮らしには十分すぎる広さだ。
「ここなら、テントサウナを置けそうですね」
朝倉ユカリは、リビングの一角を真剣な眼差しで見つめていた。パソコンには、すでにいくつものサウナメーカーのカタログが開かれている。
「テントサウナ? なんだかキャンプみたいね」
真帆は少し懐疑的だった。彼女が思い描いていたのは、もう少し本格的なものだった。
「いえいえ、最近のテントサウナはすごいんですよ! 耐熱性も断熱性も抜群で、組み立ても簡単。しかも、使わない時は畳んでしまえます」
朝倉は熱心に説明する。確かに、賃貸物件での設置を考えると、可動式のテントサウナは理にかなっているかもしれない。
「でも、電気は大丈夫なの?」
「ええ、一般的な家庭用コンセントでOKな機種を選べば問題ありません。ただ、念のため管理会社に確認は必要ですけど」
その言葉を聞いて、真帆は現実に引き戻された。そうだ、管理会社。入居時の契約書には、大型の電化製品の設置には許可が必要だと書いてあった気がする。
「じゃあ、まずはそこからね」
真帆は溜息まじりに言った。しかし、朝倉の情熱は衰えない。
「私が資料作りますよ! 安全性とか、電気使用量とか、きちんとデータを示せば大丈夫なはずです!」
その熱意に押される形で、自宅サウナ計画は動き出した。
管理会社との交渉は、意外にもスムーズだった。朝倉が用意した詳細な資料と、真帆の礼儀正しい対応が功を奏したのかもしれない。
「防火・防水対策がしっかりしていれば、特に問題はありませんね」
管理人の山岸さんはそう言って、許可書にハンコを押してくれた。
しかし、これは序章に過ぎなかった。
「さて、次は機種選定ね」
休日、真帆のリビングには、サウナ仲間が集まっていた。
「やっぱり、ストーブは重要よね」
月城さやかが、カタログを真剣な表情で眺めながら言う。
「予算はどのくらい考えてるの?」
村瀬董子は、実務的な質問を投げかけた。
「うーん、50万くらいかな……」
「50万!?」
全員が驚きの声を上げる。
「だって、毎日使うものだし。ケチりたくないのよ」
真帆は少し照れくさそうに言った。
「でも、そうなるとテントサウナじゃなくて、据え置き型も視野に入れられますよ!」
朝倉の目が輝く。
「ただし、据え置き型だと、設置工事が必要になるわね」
月城が慎重に指摘する。
「工事ねぇ……」
真帆は頭を抱えた。工事となると、また新たな許可が必要になる。しかも、騒音の問題も。
「あ! いいアイデアがあります!」
綾小路みのりが突然声を上げた。
「私の知り合いに、DIYの達人がいるんです。プロの大工さんなんですけど、休日にDIYのワークショップとかやってて。その人に相談してみません?」
その提案は、意外な展開を呼び込むことになる。
翌週末。真帆のリビングに、一人の男性が訪れた。
「初めまして。阿部(あべ)と申します」
がっしりとした体格で、優しい笑顔の持ち主だった。
「へぇ、自宅サウナですか。面白そうですね」
阿部は部屋を見回しながら、次々とアイデアを出していく。
「ここの壁に断熱材を入れて、こうすれば……ああ、でも賃貸か。うーん、そうですね……」
彼の専門家としての意見は、計画に新たな視点をもたらした。
「実は、最近こんな商品も出てるんですよ」
阿部が見せてくれたのは、プレハブ式のサウナユニットのカタログだった。
「組み立て式で、工事もミニマムで済む。断熱性能も申し分ない。ただし……」
「ただし?」
「値段がちょっと……」
カタログの価格を見て、真帆は絶句した。98万円。予算の倍近い。
「でも、これなら将来引っ越す時も持っていけます。長期的に見れば、決して高くはないと思いますよ」
阿部の言葉に、真帆は深く考え込んだ。確かに、テントサウナは使い捨てに近い。その点、プレハブ式なら資産として残る。
「ねぇ、みんなでカンパしない?」
突然、綾小路が言い出した。
「えっ?」
「だって、完成したら私たちも使わせてもらうんでしょ? だったら、最初から出資者になっておいた方が……」
「ちょっと、それはさすがに……」
真帆は慌てて否定しようとしたが、他のメンバーが次々と賛同の声を上げる。
「いいじゃない。サウナ・シェアハウスよ」
月城が微笑む。
「会員制にして、維持費も割り勘にできるわ」
村瀬が実務的な提案を加える。
「私、内装のデザインやりたい!」
朝倉は早くも図面を描き始めていた。
真帆は圧倒されていた。こんなことになるなんて。でも、友人たちの目は真剣そのものだった。
「でも、本当にいいの?」
「いいのよ。これは投資なの」
月城の言葉には、いつもの優しさの中に強い意志が感じられた。
「そうよ。これからはシェアリング・エコノミーの時代だもの」
村瀬が補足する。
「というわけで、株式会社サウナ・パラダイスの設立総会を始めます!」
綾小路が冗談めかして言うと、全員が笑った。しかし、その笑いの中には、何か新しいことが始まるような高揚感が漂っていた。
## 第3章:予期せぬ困難
工事は順調に始まった。阿部の指揮の下、プレハブユニットの組み立ては休日を利用して進められた。
「ねえ、これって違法建築にならない?」
ある日、真帆は不安な声で月城に訊ねた。
「大丈夫よ。可動式の設備だから。それに、管理会社の許可も取ってるでしょ」
月城は落ち着いた声で答える。しかし、その言葉も長くは効力を保てなかった。
「深沢さん、ちょっといいですか?」
それは工事開始から2週間後のことだった。管理人の山岸さんが、珍しく厳しい表情で真帆の部屋を訪れた。
「実は、他の住人から苦情が……」
上階の住人が、断続的な物音を不審に思ったという。説明を受けた時の許可と、実際の工事の規模が違うという指摘もあった。
「工事を一時中断していただけますか? 管理組合で改めて協議させていただきたいのですが」
その言葉は、真帆の心に重くのしかかった。
「どうしよう……」
その夜、サウナ仲間が緊急集合した。
「まずは、近隣住民への説明会を開きましょう」
村瀬が提案する。弁護士としての経験が、こんなところで役立つとは。
「私たちの"熱い"思いを伝えればきっと分かってもらえるはず!」
朝倉が意気込む。その言葉に、全員が苦笑した。
説明会は、マンションの集会室で開かれることになった。真帆は緊張で胃が痛かった。しかし、事態は予想外の方向に展開する。
「実は、私もサウナが好きでして……」
最も激しく反対していたはずの上階の住人、藤堂(とうどう)さんが切り出した。
「ええっ!?」
「ただ、安全面が心配で。でも、今日の説明を聞いて、かなり納得できました」
村瀬の用意した資料と、朝倉の情熱的なプレゼンが効果的だった。
「それより、完成したら使わせてもらえます?」
藤堂さんの言葉に、会場が和やかな空気に包まれた。
「もちろんです! むしろ、定期的な品質管理係として、ご協力いただけませんか?」
月城が機転を利かせる。
そうして、予想外の形で、マンション内にサウナ・コミュニティが形成されていった。
しかし、これで問題が全て解決したわけではなかった。むしろ、新たな課題が次々と浮上してきた。
「排水の設計、もう一度見直さないと」
阿部が眉をひそめる。
「断熱材の仕様も、グレードアップした方がいいかも」
朝倉が図面を広げながら言う。
「そうなると、予算が……」
村瀬が計算機を叩く。
当初の見積もりは、どんどん膨らんでいった。工事の規模が大きくなれば、それだけ管理組合との調整も必要になる。
「やっぱり、諦めた方がいいのかな……」
真帆は弱気になっていた。そんな時、思いがけない援軍が現れた。
「これ、面白そうじゃない」
マンションの理事長、浅見(あさみ)竜介が現場を訪れたのだ。
「私も若い頃、フィンランドに留学していてね。サウナの素晴らしさは、身にしみて分かるんですよ」
浅見は、サウナ計画に強い興味を示した。
「これを機に、マンション全体の福利厚生施設として位置づけられないかな。管理組合として、一部費用を負担することも検討できそうだ」
その提案は、計画に新たな展望をもたらした。しかし同時に、新たな責任も意味していた。
「マンションの共有施設か……」
真帆は考え込んだ。これは、もはや個人的な趣味の領域を超えている。
「でも、それって素敵じゃない?」
月城が優しく微笑む。
「コミュニティの核になるのよ。サウナって、そういう力があるの」
確かに。ここ数週間、工事を巡って様々な人々と関わるうちに、真帆は驚くべき発見をしていた。サウナを通じて、これまで挨拶を交わすだけだった住人たちと、急速に距離が縮まっていったのだ。
「じゃあ、このまま進めましょう」
真帆は決意を固めた。迷いを振り切るように、強く頷く。
「よーし! じゃあ私、新しい図面描きます!」
朝倉が張り切る。
「法的な面は、私が確認しておくわ」
村瀬も頼もしい。
「?装のデザイン、任せてください!」
綾小路が手を挙げる。
「工程表、作り直さないとね」
阿部が呟く。
計画は、思いもよらない方向に膨らんでいった。しかし不思議と、真帆の心は晴れやかだった。
## 第4章:地域を巻き込む騒動
噂は、マンションの外にも広がっていった。
「へぇ、サウナを作ってるんですって?」
近所のパン屋のおばちゃんが、興味深そうに訊ねてきた。
「ええ、まあ……」
「すごいわねぇ。うちの店の余ったパンでも、サウナ上がりに食べてもらえたりしない?」
思いがけない提案に、真帆は目を丸くした。
同じように、近所の八百屋さんが「サウナ後の栄養補給に、フルーツはどう?」と持ちかけてきた。コーヒー豆店からは「サウナ専用ブレンド作りませんか?」という話も。
「ねぇ、これって……」
真帆が戸惑いの表情を浮かべると、月城が笑った。
「商店街の活性化にもなるわね」
確かに。この界隈は、大型スーパーの進出で昔ながらの商店街が少し元気をなくしていた。サウナを核とした新しいコミュニティ作りは、思わぬ波及効果を生んでいた。
ある日、地元の商店会長が訪ねてきた。
「いやぁ、面白い試みですねぇ。ウチの商店会でも何かお手伝いできないかと思いまして」
商店会長の高村(たかむら)は、かつて銭湯を経営していたという。
「銭湯が次々と閉まっていく中で、新しい形のコミュニティスペースができるのは、とても嬉しいんです」
その言葉には、深い意味が込められていた。銭湯は単なる入浴施設ではない。地域の交流の場であり、情報交換の場でもあった。その文化が失われつつある中で、新しい形のコミュニティ作りへの期待が高まっていたのだ。
「私たちにできることがありましたら、何なりと」
高村の申し出は、計画に新たな展望をもたらした。
「あの、提案があります!」
朝倉が勢いよく手を挙げる。
「商店街の各店舗とコラボして、"サウナ後の寄り道マップ"とか作れませんか?」
「面白いわね」
月城が相槌を打つ。
「スタンプラリーとかもできそう」
綾小路がアイデアを出す。
「でも、そんな大掛かりなことして大丈夫?」
真帆が心配そうに言う。
「むしろ、これくらいの規模感じゃないと」
村瀬が冷静に分析する。
「個人の趣味の範囲を超えた以上、きちんとしたビジネスモデルを構築しないと」
その通りだった。マンションの共有施設として運営していく以上、収支の計画もしっかりしたものでなければならない。
「よーし、じゃあ私、事業計画書作ります!」
朝倉の情熱は、いつになく実務的な方向に向かっていた。建築を学ぶ学生とは思えない手際の良さで、彼女は計画を形にしていく。
そうこうするうちに、思いがけない来訪者があった。
「お話、聞かせていただけませんか?」
地域情報誌の記者を名乗る女性が、取材を申し込んできたのだ。
「えっ、取材ですか?」
真帆は困惑した。まだ工事の途中なのに。
「住民主導の地域活性化の取り組みとして、とても興味深い事例だと思うんです」
記者の熱心な様子に、真帆は観念したように取材を受けることにした。
その記事は、予想以上の反響を呼んだ。
「深沢さん、テレビ局から取材の依頼が……」
管理人の山岸さんが、困ったような表情で告げる。
「えーっ!?」
事態は、もはや真帆の手に負えない規模に発展しつつあった。
「落ち着いて」
月城が優しく諭す。
「これも、私たちの"熱い"想いが伝わった証よ」
その言葉に、全員が笑った。しかし、その笑いの中には、少しばかりの緊張が混じっていた。
工事は大詰めを迎えていた。しかし、完成を前に、思いもよらない事態が起こる。
ある朝、現場に集まった一同は、愕然とした。
「これは……」
昨日まで順調だった工事現場に、見覚えのない書類が貼られていた。
それは、建築基準法に関する行政からの照会書だった。
## 第5章:危機と転機
行政からの照会書は、建築基準法における防火区画の解釈に関するものだった。
「これは厄介ね……」
村瀬が眉をひそめる。
「でも、私たちはちゃんと許可を取って……」
真帆の声は不安に震えていた。
「問題は、建築物の用途変更に当たるかどうかね」
浅見理事長が静かに言う。
「当初の申請では、"移動可能な設備の設置"という位置づけだった。でも、現状は……」
確かに。商店街との連携や、マンションの共有施設化など、当初の計画からは大きく様変わりしていた。
「一時工事中止は避けられないわね」
村瀬の言葉に、全員が沈黙した。ここまで来て、また振り出しに戻るのか。
しかし、思いがけない援軍が現れた。
「なあに、こんなの簡単よ」
高村商店会長が、意外な人脈を持っていた。
「建築指導課の課長さん、うちの銭湯の常連だったんです」
高村の人脈を頼りに、行政との協議が始まった。
「地域コミュニティの活性化に資する施設として……」
「防火・防災の拠点としても機能し得る……」
様々な観点から、計画の意義が見直されていった。
「むしろ、これを機に、より良い施設にできるんじゃないかしら」
月城の言葉に、皆が頷く。
「私、新しい図面描きます!」
朝倉は、相変わらず前向きだった。
しかし、工事の中断は、別の問題も浮き彫りにしていた。
「このままじゃ、予算が……」
村瀬が計算機を叩きながら呟く。工期が延びれば、それだけコストは上がる。
その時、思いがけない提案が持ち上がった。
「クラウドファンディングはどうかしら?」
綾小路が言い出した。
「サウナ・コミュニティによる地域活性化。これって、すごくいいストーリーになると思うんです」
その提案は、意外な反響を呼んだ。
「面白いわね。私、投資家の知り合いに話を通してみましょうか?」
月城が言う。
「PRの部分なら、私にも協力できます」
情報誌の記者も乗り気だ。
しかし、真帆の心には迷いがあった。
「でも、そんなに大きな話にしていいの? 私、ただサウナが好きで……」
「だからこそよ」
月城が優しく微笑む。
「あなたの"熱い"思いが、みんなの心を動かしたんでしょう?」
その言葉に、真帆は我に返った。そうだ。これは単なる個人的な趣味の問題ではない。多くの人々の思いが交差する場所になっているのだ。
「分かりました。やりましょう」
その決断が、事態を大きく動かすことになる。
クラウドファンディングは予想以上の反響を呼んだ。目標額の200万円は、わずか3日で達成。最終的には500万円を超える支援が集まった。
「これは……」
真帆は画面の数字を、半ば呆然と見つめていた。
「すごいですね!」
朝倉が目を輝かせる。
「これだけの人が、私たちの想いに共感してくれたってことよ」
月城の言葉に、真帆は深く頷いた。
支援者の中には、意外な人物も。
「へぇ、まさか藤堂部長が……」
真帆の上司である藤堂部長が、かなりの額の支援をしていた。
「実は、私も昔からサウナ好きでね」
後日、部長は照れくさそうに語った。
「君の頑張りを見ていて、久しぶりに熱くなったよ」
行政との協議も、徐々に前進していった。むしろ、この騒動が、新しい可能性を開くきっかけとなった。
「こういった民間主導の地域活性化施設のモデルケースとして……」
建築指導課の担当者も、前向きな姿勢を示すようになっていた。
そして、ついに――。
「おめでとうございます。確認申請が下りました」
浅見理事長が、晴れやかな表情で告げた。
工事の再開を祝して、商店街では小さな宴会が開かれた。
「これからが本番ね」
月城がグラスを掲げる。
「ええ。でも、もう怖くないわ」
真帆は微笑んだ。周りを見渡せば、たくさんの仲間がいる。もはや、彼女は一人じゃない。
## 第6章:新しいコミュニティの誕生
オープン前日。真帆は完成したサウナルームに一人佇んでいた。
木の香りが漂う空間。大きな窓からは、夕暮れの街並みが見える。
「本当に、作っちゃったんだ……」
感慨深げに呟く真帆に、後ろから声がかかった。
「素敵な空間になったわね」
月城だった。
「ええ。みんなのおかげよ」
振り返る真帆の目に、涙が光っていた。
「私ね、サウナって、ただの趣味だと思ってた。でも違ったの」
真帆は静かに語り始める。
「人と人とを繋ぐ場所。心を開く場所。そして……」
「新しい可能性が生まれる場所」
月城が言葉を継ぐ。
翌日。「コミュニティ・サウナ パラダイス」のオープニングセレモニーが行われた。
テープカットには、マンションの住人代表、商店会長、そして建築指導課の課長も参加。地域のケーブルテレビも取材に訪れていた。
「よーし、準備OK!」
朝倉が元気よく声を上げる。
そして、ついに最初の客を迎え入れる時が来た。
「いらっしゃいませ」
真帆たちが揃って出迎えたその客は――藤堂部長だった。
「やはり一番乗りは、私でないとね」
部長は照れくさそうに笑う。
サウナは、瞬く間に人々で賑わった。
パン屋のおばちゃんの焼きたてパン、八百屋さんの新鮮なフルーツ、コーヒー豆店特製のブレンド。サウナ上がりの至福のひとときを、地域ぐるみでもてなす。
そして何より、ここで生まれる会話の数々。
「このマンションに住んで10年になるけど、こんなに住人同士で話したことなかったわ」
「商店街も、久しぶりに活気づいてきたみたいね」
「若い人たちの新しい発想って、素晴らしいわね」
真帆は、そんな声を聞きながら、しみじみと思う。
サウナとは、ある意味で現代の"井戸端"なのかもしれない。かつて、人々が自然と集まり、語らい、絆を深めていった場所。その現代版が、ここにある。
96度の熱気は、人々の心の壁も溶かしていく。ここでは、肩書も年齢も関係ない。みんな同じ"ととのい"を求める仲間なのだ。
そして、この場所から、また新しい物語が始まっていく。
真帆は、外気浴スペースから見える夕暮れの空を見上げた。
橙色に染まった空に、新しい雲が流れていく。それは、まるで人々の想いが形を変えて昇っていくようで……。
ああ、ととのうわ……。
(了)
【サウナコメディ短編小説】サウナ・パラダイス・パニック!(約9,500字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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