後編

葵を吸い込んだ、

小さなブラックホールは、

宙に浮きながら、

皆既月食の闇の漂う道を歩いてくる、

一人の人間の存在に気付いた。


(おっ。

あの人間は美味しそうだな。

今呑み込んだ、

心が美しい人間は、

無味乾燥で、

実に不味まずかった。

だが、

あそこに見えるのは、

心の醜い人間のようだ。

きっと苦みが利いていて、

美味しいに違いない)


小さなブラックホールが

目を付けたその人間こそ、

葵にモラハラする恋人・和田良太わだりょうただった。

良太は、

葵を尾行していたのだ。

そして、

いきなり消えた葵に、

驚いて、

眼を白黒させていた。


小さなブラックホールは、

そんな良太を

遠慮会釈えんりょえしゃく無く、

吸い込んでいった。

良太が声を上げることも出来ないほどの

スピードだった。


(うむうむ。

やはり思った通り。

いや、思った以上だ!

こんなに心の醜い人間を

吸い込んだのは初めてだ!

うまい。

うまい。

苦みだけでなく、

辛みも利いている。

これは病みつきになるな!

ん?

こいつ、

包丁を隠し持っているではないか。

誰かを

殺傷するつもりだったのか。

おお、

その殺意が、

隠し味になって、

ますます

この人間の美味しさに

拍車をかけている!)


良太を吸い込んだ、

小さなブラックホールが、

その美味しさに恍惚こうこつとしていると、

小さなブラックホールは、

不意に便意を感じた。

そして、

ミントの香りに包まれた、

人間のようなものを排泄した。


その人間のようなものが

立ち上がると、

それは、

小さなブラックホールに

吸い込まれる前よりも、

こころなしか、

肌つやの良くなっている、

佐々木葵だった。


(あれ?

もしかして、

私、助かったの?

九死に一生を得たのね)


この世界に無事に戻ってこられた葵が、

この奇跡的な体験に驚いていると、

小さなブラックホールは、

皆既月食を終えて、

世界を再び照らし始めた月光に、

殺菌されるように

収縮して消滅していった。


そして、

以前よりも少し美しくなった葵は、

LINEの返信が来ているのに気付いた。

良太からだった。


「君は誰かに洗脳されているんだ。

1回会って話しをしよう!」


葵は苦笑した。


(洗脳されてるのはあんたでしょ。

モラハラにね!)


さらに葵は思った。


(あんたなんか、

さっき私が体験したように、

ブラックホールにでも

吸い込まれて、

この世界から消えてくれないかしら?)


しかし葵は、

なんだか本当に良太が

ブラックホールに吸い込まれた感覚がして、

晴れ晴れとした気分が

拡がっていくのを感じた。

そして、

言うまでもなく、

良太からの返信には、

既読スルーした。

が、

あのモラハラ男のことだから、

きっと何か言い返してくるに違いないと、

思っていたが、

不思議なことに、

その後、

良太から、

返信も連絡も、

来ることは無かった。


(どうやら、

良太も諦めてくれたようね。

もともと、

いい奴だったもの。

私があいつを

モラハラ男に

育ててしまったのかもしれないわね。

まあいいわ。

とにかく、

これで、

一つの恋が

終わったのよ)


いつもの帰り道で、

再び歩きスマホしながら、

葵は思った。


(そうだ。

明日あすの朝、

職場の美容院の

沙希さき先輩に、

髪をバッサリ切ってもらおうかしら)


皆既月食の終わった満月が、

まるで脱皮したかのように

青白く輝いている、

冬の夜のことだった。



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侵入者 滝口アルファ @971475

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