第12話 8月10日 その4
馬術競技会場のテントの前で、遥は腕を組みながらソワソワと立っていた。
ヒルデガーデンで車椅子の女の子と色白の女の子が取っ組み合いの喧嘩をしていたとの噂が聞こえてきたからだ。
車椅子とアルビノのコンビなんて世界中探しても陽菜と友梨佳しかいない。
「まったく、あの子たちは……」
喧嘩するのは別にいい。問題は「この子がいるなら、私やれません」などとふて腐れて、イベントに出ないか適当な演技をされることだ。
「秋元康ってすごいわね。私には絶対ムリ」
遥が独りごつしていると、小林が小さい紙袋と衣装ハンガーを持ってきた。
「これで大丈夫ですか?」
小林が衣装ハンガーのファスナーを開けてみせた。
「ええ。これで大丈夫。サイズも合うでしょう」
「こっちは自分のセンスになっちゃいましたが……」
小林は『OAKLEY』と書かれた小さい紙袋を遥に渡した。
遥は中から真新しいメガネケースを取り出し、フタを開けて確認する。
「うん。良いんじゃない。さすがね」
「あざす」
小林は照れくさそうに返事をする。
「それで、キャットファイトした2人は?」
「小林君も知ってるの?」
「総合案内のお姉さんが噂してましたよ。白人の女性と車椅子の女の子が男をめぐって喧嘩して、白人の方を泣かせたって。多分あの子たちですよね?」
「私が知ってるのとちょっと違うけど、多分そうでしょ」
「代表、戻りました」
今度は大岩が加耶を連れて戻ってきた。加耶は大岩の隣で松葉杖をつき、右足を少し上げて立っていた。
「骨には異常ありませんでした。ただ強くひねったみたいで、しばらく安静が必要とのことです。牧場に帰そうかと思ったんですが、本人がどうしても会場にもどるって聞かくて」
「受付でもなんでもやるので、お願いします」
加耶が頭をさげる。
「とりあえず、骨じゃなくて良かった。しばらく仕事も休みね。本来なら帰すとこだけど、人手も必要だし、運営のサポートにまわって」
「ありがとうございます」
加耶は安堵したように顔をほころばせた。
「それはそうと、あの嬢ちゃん達大丈夫ですか?」
「厳さんも聞いたの?」
遥は思わず呆れた声で聞いた。
「なんでも、車椅子の外国人が日本人の女の子を押し倒して迫ったらしいんですよ。押し倒された方は、最初は拒んだみたいですが、そのうち想いが通じたのか2人抱き合ってたって」
加耶が目を輝かせ、顔を赤くしながら何度も頷く。加耶は『百合』漫画が大好物だ。
「多様性ってやつですかね。俺にはまったく分かりませんが」
分からないのはこっちよ。と、遥は思った。
車椅子と白い女性だけが一緒で、ちっとも話が見えてこない。
まあ、これだけ話が違えば、友梨佳がイベントに出ても変な騒ぎにはならないでしょう。遥は腹をくくった。
「遅くなりました!」
遥がやきもきしてるうちと、友梨佳の弾むような声が聞こえた。噂の当の本人たちがにこにこしながら戻ってきた。友梨佳が大きく手を振っている。
「ちょっとあんたたち何やってたの?」
「え、何って?」
ギクッとして友梨佳が答える。
「あんたたち、ヒルデガーデンかどっかで大立ち回りを演じたでしょう。噂になってるわよ」
「うそでしょ……恥ずかしい」
陽菜は耳まで真っ赤にして顔を両手で覆った。
「大丈夫よ。数ある噂話のなかのひとつだから。みんなもう忘れてるわよ。まあ、その様子なら仲直りできたみたいね」
陽菜と友梨佳は顔を見合わせる。
「別に喧嘩してないけど?」
「じゃあ、じゃあ、2人が付き合い出したっていうのはホント?」
加耶が我慢しきれず、片足でぴょんぴょん飛び跳ねながら言った。
「え、誰がですか?」
陽菜がきょとんとして答える。
「えー、違うの。じゃあ2人で何してたの?」
加耶があからさまに残念そうな顔をする。
「何って……」
陽菜が口ごもっているところに、遥が手をパンパンと叩く。
「はいはい、もう終わり。イベント準備に切り替えるわよ」
加耶は渋々引き下がった。
「今回のイベントは2部構成。まずは友梨佳ちゃんのドレッサージュ。その後で体験乗馬の流れよ。ドレッサージュのプログラムは任せるわ。加耶と2人で相談して」
「オッケー」
友梨佳は右手の親指と人差し指で丸をつくる。
「その後の体験乗馬のメインの対象は小学生以下の子供。小林君と厳さんで引馬をして頂戴」
小林と大岩が頷く。
「あの……2つ程いいですか」
陽菜が小さく手を挙げる。
「いいわよ。陽菜さん」
「できればあの白い馬がいいです。友梨佳とスノーベルを初めて見たとき本当に綺麗でした。白い馬の方が映えると思います」
「わかった。他には?」
「体験乗馬のデモンストレーションに私を使っていただけませんか? 私でも乗れることが分かったら、親も安心して子どもを馬に乗せられると思います。それに、会場に障害者施設の方も大勢来ているので、そういった方へのアピールにもなると思うんです」
小林や大岩は感心したように頷き、友梨佳はそれを見て満足そうに笑った。
「そうね、やってみる価値はありそうね。やってみましょう。イベントの大枠は決まりね。それじゃあ、みんな準備よろしく!」
遥がパンと手を叩くと、皆持ち場に違って行った。友梨佳も加耶に促され、着替えのためにテントに入って行った。
陽菜の胸は高鳴り、顔は上気していた。思い切って提案したアイデアが採用され、形になることがこんなに嬉しいと思わなかった。
「陽菜さん。とても良い提案だったわ。ありがとう」
いえ、と陽菜は首を振った。
「それと、何があったかはあえて聞かないけど、友梨佳ちゃんの事もありがとう」
「え?」
「あの子、乗馬をお願いした時はどこか浮かない顔をしてたのに、憑き物が取れたような表情で帰ってきたんだもの。噂話の件も加味して考えると、きっと陽菜さんのおかげでしょ」
「私はただ側にいただけです」
「それが大切なのよ。東京に帰ってもあの子のお友達でいてあげてね」
「はい」
遥は陽菜の両肩をパンパンと微笑みながら叩いた。見た目よりも硬かったが暖かい手のひらだった。
「お待たせしました。ちょっと、これヤバいですよ。モデルデビューできるかもです」
加耶が期待を持たせるようにテントから出てきた。
「正装の乗馬服って始めて着たんだけど、これで大丈夫?」
加耶の後から友梨佳がテントから出てくる。
一同が感嘆の声を上げる。
黒の長靴に白のタイトなキュロットパンツを履き、上半身は淡いベージュのブラウスの上に細いゴールドで縁取りされたネイビーのジャケットを着ていた。レンズが深く湾曲したOAKLEYのスポーツサングラスは友梨佳の顔にぴったりとフィットし、白いロングヘアと白い肌の美しさにアクセントとして力強さを演出している。
「友梨佳すごい。こっち向いて」
陽菜がスマホを向けると、友梨佳はおどけてピースサインをした。
「私のお古で申し訳ないんだけど、サイズは問題ないみたいね」
遥が友梨佳の肩口や袖を触りながら言った。
「うん。胸がちょっと窮屈だけど大丈夫。良い感じだよ」
「あんた今サラッと言ってくれたわね……。 まあいいわ。それより友梨佳ちゃんのその腫れあがった目を何とかしないと。それにメイクもした方がいいわね」
「メイクなんてあたしほとんどしたことないよ。それに馬が匂い気にしない?」
「きつい香水を撒かなきゃ大丈夫よ。落ち着いてる馬を連れてきたから」
遥は、うーんと考えた後、
「うん、借りを返してもらうか。小田川さんを呼ぶわ」
小田川の名前を聞いた瞬間、大岩と小林が露骨に顔をしかめるなか、加耶は顔をほころばせた。
「代表、本気ですか? 苦手なんすよね、ああいうタイプ」
「でも翔さんは小林さんのこと気に入ってるみたいですよ」
加耶がからかうように言った。
「勘弁してよ。出禁にして欲しいくらいですよ」
「お得意さまなんだからダメよ。もちろんセクハラをしてくるなら話は別だけど」
遥はスマホを耳にあてながら言った。
「あ、もしもし。青山です。いいえこちらこそ。それでね、小田川さんにお願いと言うか借りを返してもらおうかと……何言ってるの、このフェスティバルに出てくれただけじゃ足りないわよ」
遥が電話をしている間、陽菜は加耶に小田川翔とは誰かと聞いた。
どうやら日本で指折りのメイクアップアーティストでYouTubeの登録者数は120万人を超えるインフルエンサーでもあるらしい。
彼のプロデュースするコスメは発売と同時に完売するほどの人気らしいが、美容にまるで興味のない陽菜と友梨佳はまったく知らない世界だ。
どうやら小田川は遥に大きな借りがあるようで、このフェスティバルにも遥のお願いでメイクアップ講座のイベントに来てくれたらしい。
また、遥の牧場のお得意さまで、毎年何頭かの仔馬を買ってくれると加耶は教えてくれた。
「あなた、うちの仔馬を『ひとつ勝てたら御の字』とか言って、1000万も買い叩いたじゃない。で、結果はどう? 1勝どころか重賞ふたつも勝ったじゃない。1億以上稼いだでしょ。女の子2人メイクしてくれても罰はあたらないと思わない? ……ええ、約束。もうムチャ振りしないし、良さそうな仔馬は小田川さんに回すから。……さすが天下の小田川翔ね。ありがとう、恩に着るわ。じゃあ今からよろしく。……あら、それはどうも」
遥は通話を切ると、スマホを尻のポケットに入れた。
「女狐だって、失礼しちゃうわね」
遥はクスッと笑った。
陽菜と友梨佳は、遥の勢いに圧倒されて唖然としていた。
次の更新予定
海辺の約束~白馬が導く友情と希望、少女たちの牧場物語~ @tama_kawasaki
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