第11話 8月10日 その3
木々が立ち並ぶ広場にヒルデガーンのキッチンカーが2台横並びで並んでいて、それぞれが小型トラックほどの大きさがあった。
キッチンカーの前にはパラソル付きのテーブルが10個並べられていた。食事もテイクアウトではなく、店舗で使用する食器で提供され、店員がテーブルまで運んでくるのでオープンテラスさながらの雰囲気を醸し出していた。
昼にはまだ早い時間帯だったので、席は簡単に確保できた。
陽菜は一番人気の様々なカットフルーツが散りばめられたヒルデパンケーキを注文した。ホイップが15センチ程あり、陽菜は食べ切れるか心配したが、友梨佳は同じパンケーキにパンケーキとホイップを増量していた。
「友梨佳さん、大丈夫?」
陽菜は友梨佳が後悔してはいないかと声を掛けたが、
「うん、全然平気」
と、まったく意に介してなかった。
それで、そのスタイル。それだけ牧場の仕事でカロリーを消費するのだろう。
そんなことより。と、陽菜には気になることがあった。
このフェスタに来てから、やたらと友梨佳はメイン会場のイベントを気にする。
陽菜はイベントタイムテーブルをチラリと見る。朝は舞別高校の軽音ライブ、午後は中学高校対抗カラオケ大会……。
多分、友梨佳が高校中退したことと関係あるんだろう。知り合いに会うのが気まずい? それともコンプレックスを刺激される?
陽菜は中退の理由を聞いていない。知り合ったばかりで深く詮索するのは気が引けたからだ。
でも、今なら大丈夫かもしれない。それに場合に寄っては、早めにこのフェスタから出ることも出来る。
「ねえ、友梨佳さん。メイン会場をずっと気にしてるけど、友梨佳さんの事と関係ある?」
「え、いや、そんなことある訳……」
陽菜は表情を変えずにじっと友梨佳を見つめている。
友梨佳は視線を落とすと、ナイフとフォークを置いた。
ため息をつき、もう一度陽菜を見ると黙って頷いた。
「元同級生に会うのがちょっと……」
「そうだよね。ごめんね。最初から分かりそうなことなのに。私はしゃいじゃって」
「ううん。陽菜は悪くない。あたしも陽菜と来たかったし、今も凄く楽しいの。ただ……」
友梨佳は再びうつむく。
「ごめん。言えないこともあるよね。早めに会場を出よ。乗馬のイベントも謝ってキャンセルさせてもらおう」
「ありがとう、陽菜。でも遥さんのイベントはちゃんとやる。それが終わったら、陽菜にちゃんと……」
「あれ? 高辻さん?」
若い女性の声に友梨佳は硬直する。その手がかすかに震えていた。
陽菜が振り返ると、同学年くらいの女の子が3人並んで陽菜のすぐ隣に立っていた。
「帽子とサングラスしてるから、一瞬分からなかったけどやっぱりね。高辻さん綺麗だからすぐわかった」
ねえ、と両脇の女子2人に同意を求める。どうやら真ん中の人がリーダー格らしい。
「急に高校辞めちゃったからどうしたのかと思ってたのよ。でも元気そうで良かった。新しい友達もいるみたいで」
ちらっと陽菜を見る。
陽菜は黙って会釈をした。
「ねえ高辻さん、なんで高校辞めちゃったの? 修学旅行も一緒に行きたかったのに」
取り巻きの女子2人も頷く。
「ホントに覚えてないの……?」
友梨佳は感情なく呟く。
「家庭の事情とか? 何かあったら遠慮しないでいつでも連絡してね。じゃあまたね」
3人組は友梨佳に手を振って歩き去って行く。
友梨佳の肩が、ワナワナと震えている。
「覚えてない? 嘘でしょ……」
「友梨佳さん」
「嘘でしょ……」
『男なら誰でもいいらしいよ』『隣のクラスの女子も彼氏取られたって』『男好き』『ヤリマン』『ビッチ』『消えてくれないかな』『顔とか白すぎて無理なんですけど』
様々な罵詈雑言が友梨佳の頭にこだまする。
あたしだって普通に高校生活送りたかったのに、修学旅行だって行きたかったのに、友達とたくさん遊びたかったのに……。
あいつらのせいで、あたしの人生狂わされたのに……。あいつらのせいで、あたしの人生めちゃくちゃにされたのに……。あいつらのせいで……。
「ねえ、友梨佳さん。大丈夫? ねえ」
それなのに、あいつらは全部忘れてた。あたしの人生を狂わせておいて。
「友梨佳さん、ねえ返事して」
あいつらにとってあたしの人生なんてそんなもんなの? 酷い……。
友梨佳はユラリと立ち上がった。
「友梨佳さん、ねえ友梨佳!」
酷い、酷い……憎い、憎い、憎い! 殺し……
「友梨佳、やめて!」
その瞬間、腰に強い衝撃が走り、友梨佳は押し倒された。
友梨佳がハッと我に返ると、自分は椅子の脇に仰向けに倒れていて、お腹に覆いかぶさるように陽菜も倒れていた。
陽菜の車椅子が横倒しになり、車輪が空回りしている。陽菜が友梨佳を止めようと体を投げ出したのだった。
テラスに座っていた客達や、キッチンカーの店員達が倒れ込んでいるふたりを驚いた表情で見ている。
「友梨佳」
陽菜が顔をあげる。
「陽菜、あたし……」
友梨佳は上半身を起こすと、自分の右手にナイフが握られている事に気づいた。
「あたし……あたし……」
友梨佳はナイフを離し、左手で震える右手を掴んだ。
「ああ!!」
友梨佳は自分のやろうとしたことに気づき、顔を覆って叫んだ。
陽菜は腕の力で自身の上半身を起こすと、友梨佳の頭を両腕でその胸に包みこんだ。
友梨佳は陽菜の背中を強く抱きしめると、大声で泣き叫んだ。友梨佳の慟哭が陽菜の胸にいつまでも響いていた。
友梨佳が泣き止むのを待ち、ふたりはヒルデガーンを出た。人気のない木陰のベンチに友梨佳が座り、陽菜はその隣で友梨佳の手を握ってからもう30分以上が経っていた。
「さっきの人たち、高一のときの同級生でスクールカーストの一軍の連中だったの」
友梨佳がポツポツと話しだした。
陽菜は黙って友梨佳を見つめる。
「高一の夏までは彼女達ともまあまあ上手くやってた。おかしくなったのは高一の秋から。あたしさ、目が悪いから意識しないうちに相手に顔を近づける癖があるでしょ。それで、色々勘違いさせちゃうみたいで、時々告られて……」
無理もない。友梨佳の美貌と笑顔で顔を近くに寄られて、好きにならない男子などいないだろう。
「告ってきた男子のなかに、さっき来た3人の真ん中にいた柳澤さんの彼がいたの。柳澤さんと別れるから付き合ってほしいって。あたしは彼の事を何とも思っていなかったから断ったんだけど、何故かあたしが彼を誘惑して、その気にさせておいた挙句に振ったかのように伝わって……」
それから友梨佳の学校生活は一変した。クラスメイトからはことごとく無視され、スクールカーストの一軍からはあからさまに陰口を言われ、SNSで男を誘惑していると噂を流された。
ある日、友梨佳が登校すると、机の上に白い牝馬が交尾をしている写真が置かれ、その牝馬の頭には友梨佳の顔写真が貼られていた。
友梨佳はトイレに駆け込むと胃液が出るまで嘔吐した。
その日以降、友梨佳は登校できなくなり、部屋に閉じこもった。
泰造は高校の担任にいじめの首謀者からの謝罪と再発防止を申し入れた。
数回にわたり高校と話し合いを持ったが、高校側は男子生徒との距離が近い友梨佳にも原因があるのでは、と言い放った。
激怒した泰造はそのまま退学手続きをとった。
「あんな高校に行く必要なんかねえ。友梨佳は馬が好きだべ? 馬に関わる仕事がしたいならじいちゃんが教えてやる。この業界に学歴なんて関係ねえ」
その言葉に友梨佳は救われた。人並みの青春を送れなくなったコンプレックスは残りつつも、ひとまず精神の安定を得ることができた。
「酷い……どうして? 友梨佳は何も悪くないのに」
気がつくと、陽菜はボロボロと泣いていた。
「あたしね、もちろん会いたくはなかったんだけど、もし会っちゃって酷いこと言われても無視できる自信があった。今はあたしのことを分かってくれる人がいるから」
友梨佳は陽菜の手をギュッと握る。
「でもね、まさか忘れられてるなんて、なかったことにされてるなんて思わなかった」
友梨佳の目に再び涙が浮かぶ。
「せめて自分がいじめをして、1人の人間の人生を狂わせた事実を背負って生きて欲しかった。それなのに……」
友梨佳の高校生としての時計は、高一の秋で止まったままだ。しかし、いじめた側は勉強、学園祭、体育祭、恋愛と失恋を繰り返し経験していくなかで、友梨佳へのいじめの事実は風化していった。または、よくある青春の甘酸っぱい思い出としてラベリングされた。
高校時代の2年はそれほど長い。
「あたし、自分の存在が消されたみたいで、悲しくて、悔しくて、憎くて……気がついたら……」
「もう、いいよ」
陽菜は友梨佳の頭を抱き寄せた。
「辛かったね。今までよく頑張ったね」
友梨佳の髪の毛をなでる。
「もう大丈夫だよ。いますぐには無理だろうけど、少しづつ前に進んで行こう。恨むことでいつまでもあの人たちに縛られないで」
友梨佳は涙でグズグズになった顔をあげる。
「それでも復讐したいなら、私も手伝ってあげる。でもそれは相手を傷つけることじゃない。友梨佳が幸せになるの。友梨佳が幸せになることが最大の復讐だと思わない? そのためのお手伝いなら、喜んでやってあげる」
友梨佳は、転んだ子どもが母親に甘えるように陽菜に泣きついた。
「ありがどう陽菜。あだじ幸せになるから、ずっど見守っでで」
「なんか友梨佳、結婚式の花嫁さんみたいな言い方」
「だっで、あだじ馬鹿だから、なんで言えばわがんないんだもん」
ふたりは泣きながら笑いあった。
「友梨佳、この後馬に乗れそう?」
陽菜は友梨佳の涙をハンカチで拭いてあげようと手を伸ばした。
陽菜の指が友梨佳の頬を優しく撫でた瞬間、紅潮が友梨佳の頬を染め、心臓が鼓動を早めた。
「大丈夫。陽菜がいてくれるから……」
友梨佳は陽菜の頬に伸ばそうとした両手をハッとして止めた。
「?」
陽菜が小首をかしげる。
「あ、えっと。そろそろ戻ろうか」
友梨佳は両手を引っ込めて立ち上がると、お尻のホコリをはたいた。
「うん、そうだね」
陽菜が車椅子を動かす。
「ねえ陽菜、待って」
「うん?」
「さっきの言葉にぐっときちゃった。『恨むことでいつまでも』って。聖書の言葉?」
友梨佳は考えが悟られないようにするかのようにおおげさに明るく話した。
「ううん。中島みゆき」
「ええー。陽菜ならそこは聖書でしょ」
「仕方ないじゃない、頭に浮かんだんだもの。でも、いい歌詞でしょ?」
「うん。いい歌詞」
小鳥のさえずりと遠くのイベント会場の喧騒がかすかに聞こえ、木漏れ日がふたりを照らす。穏やかな午後の公園の雰囲気とは裏腹に、友梨佳の顔は上気し、心臓は早鐘のように鳴り響いていた。
さっき、あたし陽菜にキスしようとしてた? そんな訳ないよね。うん、そんな訳ない。
友梨佳は自分の頭に浮かんだ光景を必死に否定していた。
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