第10話 8月10日 その2
馬術競技会場までは陽菜が方向を指示し、友梨佳が車いすを押してきた。
陽菜が友梨佳の目になり、友梨佳が陽菜の足になったかのような道中は楽しかった。
途中、友梨佳があれは何のキッチンカーかと逐一聞いてくるのにはまいった。おかげで、馬術競技会場に着く頃にはすべてのキッチンカーの位置と代表的なメニューを記憶してしまった。
しかし、友梨佳が無邪気にはしゃいでいるのを見ると怒る気にはならなかった。
馬術競技会場の馬場は大小2面あった。
おそらくここでエキシビションを行うのだろう。隣接している小さい馬場にはテントとタープが設置され、タープの下には長机が置かれ、ノートパソコンやマイクが置かれていた。タープのそばには馬が3頭つながれている。そのタープの前には何人か人が集まっていた。
「友梨佳さん、あそこにテントあるの分かる? 人がいるみたいだから行ってみよ」
「うん、大丈夫。わかるよ」
友梨佳が車いすを押す姿が、いつの間にか板に付いていた。その姿は介護する側される側の関係ではなく、お互いの弱点を補い合うパートナーの様であった。
タープに近づくと、椅子に座った1人の小柄な女性を囲むように3人の男女が立っているのがわかった。椅子に座っている女性は、「すみません。すみません」と涙声でしきりに謝っていた。
右足だけ乗馬ブーツを脱ぎ、氷嚢を当てているところみると、落馬でもして足を捻ったのだろうか。
「どうしよう、友梨佳さん。取り込み中かも」
ふたりが声を掛けるか悩んでいると、ひとりの女性が気づいて近づいた。
歳は30歳前後で身長は友梨佳より少し低いくらい。ダークブラウンの髪の毛は肩までかかっていた。凛とした雰囲気は、いわゆる大人の女性を感じさせた。
そして何よりスラッとしている。馬に携わる女の人は皆スタイルがいいのかと陽菜は思った。
「ごめんなさいね。イベントは午後からなのよ」
「あ、遥さん! 久しぶり、友梨佳だよ!」
雰囲気と声でわかったのだろう。友梨佳が声をかけた。
「あら! 友梨佳ちゃん、久しぶり! 元気だった? 相変わらず綺麗ね」
えへへと友梨佳が笑う。
「忙しくて全然会えなくて。泰造さんも変わりない?」
「うん。変わらないよ。スノーベルも」
「そう。よかった。今度時間見つけて遊びに行くわ。スノーベル私のこと覚えてるかしら?」
「大丈夫だと思うけどどうだろ? 最近は陽菜が良く乗ってるから」
友梨佳は陽菜を見る。
「陽菜さん?」
陽菜はペコリと会釈する。
「主取陽菜です。夏休みの間、横浜から来てます」
「はじめまして。青山遥です。イルネージュファームの代表をしてます。友梨佳ちゃんがお友達連れてくるなんて久しぶり。仲良くしてあげてね」
「はい」
「遥さんとはずっとお隣り同士で、あたしが小さい頃から良く遊んでもらってたんだよ。あたしの乗馬の先生っていうのは前に話したよね」
「何もさ。馬に乗るくらいしか出来る事なかったからね」
「あのね、陽菜も乗馬のセンスが良いんだよ」
「友梨佳ちゃんが教えているの? じゃあ間違いないわね」
「お話し中すみません」
若い男性スタッフが割って入る。
「代表。加耶がどうしても乗るって聞かないんです」
遥と男性スタッフがテントの前で座っている女性の方を見る。
加耶という女性は遥を見て頭を下げる。
「気持ちは分かるけどダメよ。万一、骨折していたらどうするの。いいわ、私から話す」
「イベントには俺が乗りましょうか? ドレッサージュは出来ませんけど、適当に速足や駈足をするならできます」
「ドレッサージュは、馬場馬術のこと。馬を決められた動作で正確に動かすの。見た目以上に難しいんだよ」
友梨佳は陽菜の耳元でささやいた。
ふうん。と陽菜は頷いた。
「うーん。初めて馬術競技を観る人に、こんなものかと思われたくないの。それにエキシビションである以上、華が欲しいのよ。もちろん小林君の騎乗技術が一流なのは良く分かってる。そこは履き違えないでね」
毅然としつつ、部下へのフォローを忘れない態度に陽菜と友梨佳はため息をついた。
「遥さん、カッコいいね。大人の女性って感じ」
「でしょ」
陽菜と友梨佳はささやきあった。
「大丈夫です、わかってますから。でも、イベントはどうしますか?」
遥は、うーんと考えた後、友梨佳を視界の片隅にとらえるとニコッと笑った。
「友梨佳ちゃん、あなた乗ってちょうだい。ドレッサージュ出来るわよね。私が教えたんだもん」
『え!』
2人揃って声をあげたが、その声のトーンは違っていた。
陽菜が嬉しさと期待を込めた『え!』であったが、友梨佳の『え!』には驚きと戸惑いが込められていた。
「どうだろう……しばらくやってないけど、練習させてもらえれば……」
「じゃあ、お願い。友梨佳みたいに華があって馬に乗れる人はなかなかいないのよ。もちろんお礼はさせてもらうわ」
「私も観たい!」
陽菜が目を輝かせる。
「でも、人前で乗ったことなんてないし……」
「別に競技会じゃないから、多少失敗しても問題ないわ。初めて馬術を観る人にカッコいいな、綺麗だな、自分も乗ってみたいなって思ってもらうのが目的だから」
「うーん。陽菜、プログラム見せて」
友梨佳は陽菜の持っているプログラムを取り、イベントタイムテーブルに顔を近づけた。
「裏は地域別中学高校対抗カラオケ大会か。だったら大丈夫かな……」
友梨佳はプログラムを陽菜に返した。
「遥さん、いいよ。やってみる」
遥と陽菜の表情がパッと明るくなる。
「ありがとう友梨佳ちゃん。そうなると、キュロットとジャケットも必要ね……」
「このままでいいよ」
友梨佳はあっけらかんと言う。
確かにジーンズと長袖シャツのコーデだから、牧場で乗る時と大差ない。
しかし、エキシビションを成功させたい遥としては華がないと困る。
「ダメよ。正装しないと。後サングラスもなんとかしないと」
「えー。面倒くさい」
「こっちで準備するから心配しないで。厳さん、加耶を病院に連れて行って」
遥は加耶の右足に包帯を巻いている短髪で白髪混じりの男性に声をかけた。歳は泰造より少し年上そうだが、体つきは筋肉質でガッシリしている。
「わかりました。代表」
厳さんと呼ばれる男性の本名は大岩厳。イルネージュファームの1番の古株で、皆から親しみを込めて『厳さん』と呼ばれていた。
大岩は加耶に肩を貸して立ち上がらせた。
遥が加耶の側に歩み寄って声をかけた。エキシビションでの騎乗を諦めるように説得したのだろう。加耶は1言「わかりました」と言うと、支えられながらテントから出て行った。
「こっちも、諸々準備があるから、そうね、2時間後にまた来て。よかったらこれで早めにお昼を食べてて」
遥は、イベント関係者用に配布されたのであろう食事券を2枚差し出した。
「本当は万札でも渡したい所だけど、生憎手持ちがなくて」
遥は肩をすくめた。
陽菜と友梨佳は礼を言うと、1枚ずつチケットを受け取った。
「ヒルデガーンで好きなの食べられるね。あそこ高いんだよ」
友梨佳が開けっぴろげに話すので、陽菜は顔を赤くして恐縮しながら遥かに頭を下げた。
遥は大笑いしながら、早く行っておいでと手を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます