世界の理
収穫祭のほとぼりが冷めきらぬままに宿屋に戻った僕は、正体を失うまでべろんべろんになったローランをベッドに下ろす。
すやすやと寝ていると思ったら、突然「ふがっ!」と鼻息を立てるもんだから、僕は思わず吹き出してしまった。
もう少し眺めていたいけれど――たぶん時間がない。
「おやすみ」とだけ残して隣の部屋へと戻る。一泊銅貨8枚の安宿だけど、かれこれ一年半も利用しているから自分の家のような安心感があった。
上着を脱いでベッドに横たわろうとして――しかし、結局、腰かける。
――来る。
根拠もなく確信だけがあったそのとき、誰かがドアをノックした。
「どうぞ。鍵は開いています」
部屋に入ってきたのはまさに闇。あのときと1ミリも変わらない長髪に、丸眼鏡。存在そのものが固定されているような気配に、見ているだけで不安になってしまう。
「おや。たくましくなりましたね」
賢者さまはその外見とは裏腹な気さくさで部屋に入ってくると、かすかにほほ笑んだ。
「賢者さまはお変わりないですね。とりあえず座ってください」
スツールに腰かけた賢者さまは首をかしげる。
「突然の訪問だったのですが、驚かないのですね」
なんとなくだけど、賢者さまはどこにでもいた気がした。床の傷にも、照明の上にも、森の梢の影にも。だから突然に姿を見せても、僕は驚かなかったのだ。
僕が静かにしていると、賢者さまは深くうなずいた。
「実はあなたの演説を聞いていたのです。立派でしたよ。これから町は一つにまとまりそうだ」
僕は相槌を打った直後、ポケットの中のフォークを握る。そして思い切り賢者さまの腕に突き刺した。
賢者さまのローブには傷一つない。
何も感触がなかったのに、先が曲がったフォークが床を転がる。からんからんと、空しく音が響いた。
「やっぱりだ。あなたは人間かどうかも怪しい。――いったい何者なんですか?」
蚊の鳴くような声でたずねると、賢者さまは薄い笑顔のまま首を傾げた。
「私は私です」
「……魔術師ギルドに問い合わせたんです。でも、ライ・レッドワードという名前の賢者はいませんでした。『真っ赤な嘘』というわけです」
「なるほど。それは奇妙な話だ」
賢者さまは床に落ちていたフォークを懐から取り出して、曲がっていた先端をまっすぐにした。
「上等なフォークだ。大切にしなさい」
ぞっとしつつも受け取った僕は、賢者さまの瞳をのぞきこむ。虚無を宿した瞳に、僕の顔だけが映っている……。
「あなたが来てから世界が変わった。比喩じゃなくて、変わったんです。僕がこの町に来たとき、教会には――孤児院なんてなかった……!」
僕はあのあたりの家を買おうと思っていたんだ。何度も下見したし、教会の前も何度も通った。だけど、そのときは子供の声なんてしなかった……。
「ふむ……」
賢者さまが面白そうに眉を持ち上げると、僕は言葉を吐き出す。
「賢者さまと会ってからです。世界が急に牙を剥き始めたのは……。スタンピードに、リリィさんとの衝突やアルベルトさんからの疑惑。賢者さまが僕に何かしたんじゃないかって思うのは当然です」
賢者さまは三日月にした口に手を当てる。
「ふ、ふふふ、ふふ……ふふふっ!」
含み笑いが決壊したとたん、賢者さまの表情が変わった。
「ははっ。なかなか鋭いな! 及第点だ!」
僕は転がるように後ろに飛びのき、壁に立てかけてあった槍を構えた。
「――お前は誰だっ!?」
何者かは眼鏡をくいっと上げると、ちょいちょいと手招きをする。
「まぁ座れ。ゆっくり話をしよう」
槍がぐにゃりと変質して、ロープのように僕の体に巻き付く。
「なっ……!?」
「話をするだけだ。落ち着け」
目を白黒させつつも僕が息を整えると、何者かは唇の端を少し持ち上げた。
「俺は『異端審問官』。神のしもべだ。……いや、世界の安全装置といったほうが正確か」
「神……?」
「そうだ。お前をこの世界につれてきた神だ」
喋ったことも顔を見たこともないけれど、やっぱりそういう上位存在がいるのか。
「か、神は僕の望みをかなえるために僕をこの世界に連れてきたんじゃないのか。それなのにどうして試練を与えるんだ」
異端審問官の体がスツールからふわりと浮いて、僕を見下ろすようになる。
「それを説明するためには、幸福と不幸について話さなければならない」
握っていた手を開くと、そこには丸いキャンディが3つ。
「この飴を2人の子供に与えたらどうなる。1つしかもらえなかった子供は不公平をなげき、2つもらえた子供は優越感を覚えるだろう」
僕は男の言わんとしていることを理解する。
「幸福と不幸は相対的なもの……ってこと?」
「その通りだ。人間は自分だけでは満足を測れない。他者との比較がなければ、幸福も不幸も成立しないんだ」
それは捕らえ方の問題のような気もしたけれど、否定できない考え方だった。僕だって半年前と今を比べて、どっちが良いか悪いかを考えたりするから。
「……それは分かった。でもそれが僕にどう関係する?」
「神はお前を哀れに思ってここに連れてきたわけだが、半年前までのこの世界はどんな世界だった?」
僕はゆっくりと今までのことを思い出す。午前中だけ薬草を採って、リリィさんとおしゃべりして、ときどきアルベルトさんにからかわれて……。暖かで穏やかで、夏の夜に砂浜に座っているかのように心地よかった。
町から一歩出ればそこはモンスターのうごめく危険な世界のはずなのに。
「今思えば、厳しいのは見せかけだけで……まるで楽園のようだった……」
審問官はにやにやと笑いながらうなずく。
「チートなスキルに、お前に好意的なギルドの受付嬢。そして世話焼きの先輩冒険者……。なんて都合のいい世界なんだろうな?」
いまさらながらにその奇形さに気付いて呆然とする。
「僕は……幸福しかない世界にいたのか……?」
「ああ。解決できる問題しか起きない世界だ。やりがいと達成感に満ちた、絶望のない真の楽園にお前はいた」
絶句している僕に、キャンディをぼりぼりと噛みながら言う。
「さて、そこで問題だ。お前はこの世界で幸福だったわけだが、お前の周りの者たちはどうだ?」
薬屋さんの主人、リリィさん、アルベルトさん、それから他の冒険者たち……。
「みんなそれなりに幸せだったと思うけど……」
馬鹿にするように審問官は笑う。
「突然やってきた若い男が、みんなのアイドルだった受付嬢と毎日毎日、いちゃいちゃしてやがる。しかもそいつは、なぜか薬草採りなんていうショボい依頼だけで十分な報酬を手にしているようだ。誰からも一目置かれているハンターも、どうしてかそいつのことを気にかけている……」
たしかにそうだ。もし僕が他の冒険者だったとしたら? 僕はそいつを嫉妬し恨み――自分が不幸だと思うかもしれない。
僕が表情を厳しくすると、異端審問官は満足そうに足を組んだ。
「だが実際にはそんな冒険者はいなかった。……ん? おかしいな……? 不幸はどこにいった?」
「どこって、半年前までこの世界は楽園だったんだ。不幸になる人なんていない世界なんじゃないのか」
「それは無理だ。いくら神でも幸せしかない世界なんて作れないんだよ。神が『幸せになるビーム』を放ったとする。それを浴びた人間は、家が燃え落ちても家族を失ってもただ笑っているだけだ。――それは本当に幸せか?」
わからない。わからないけれど、正しくはない気がする。
「そんなのは……幸せじゃない」
「俺も同感だな。さて、これで幸せと不幸の定義は終わりだ。ここからが本題だぞ」
審問官はふわふわと宙に漂いながらも背筋を伸ばす。
「半年前までこの世界には不幸が存在しなかった。しかし、不幸は消えたわけじゃない。どこか別の世界で溜まっていた――君がいた世界にだ」
「――僕のいた世界?」
審問官は深くうなずいた。
「そこは本来、富と貧困、成功と失敗が適度に交錯し、幸運と不運が等しく巡るはずの世界だった。……ところがだ、いまやヘドロの溜まったプールだ」
僕は故郷の世界を思い浮かべる。たしかに彼の言う通りかもしれない……。SNSを見ても、町を歩いても、幸せを享受している人間はごく一握りだ。みんなが不満や不平をつぶやいていた気がする。
「でも、努力した人間は幸せになれるはずだ。幸福や不幸なんてなくて、持つ者と持たない者に分かれただけなんじゃないのか……?」
審問官はうんざりとしたようにため息をついた。
「敗者の語る自己責任論ほど虚しいものはないな。まるで奴隷の鎖自慢だ」
そしてほんの少し目を優しくして、穏やかに言う。
「――西村恭司。お前は単純に運が悪かったんだ。あとちょっとだけ運がよければ……もっといい仕事に就けていたはずだ」
それはそうかもしれない。考えてもしかたのないことと思っていたけれど。
「僕が……うまく行かなったのは、不幸だったのは、異世界から流れて来る不幸のせいだったのか」
「そういうことだ。神の野郎はやたらと創造物に甘い。自分をあがめてくれる人間が大好きだ。だから西村恭司みたいな可哀そうなやつを見つけたら、つい助けてしまう。幸せしかない異世界を作って、そこにそっと入れてやるんだ」
僕は世界の真実に面食らいつつも、そこに大きな矛盾があることに気づく。じゃあなんでいま僕はスタンピードに怯えているんだ?
「でも、今は違う。賢者さま――いや、審問官。あなたが来てからこの世界は変わった」
「変わったんじゃない。半年前、お前は『公平な異世界』へと転移したんだ。いま俺とお前がいるこの世界は不幸と幸福が等しい公平な世界なんだよ」
すべての違和感が一つになる感覚があった。急に現れた孤児院に、町の人々の態度の変化。そしてとつぜん警戒心をむき出しにしたアルベルトさんに、暗い過去を背負ったリリィさん。みんなが変わったんじゃなくて、僕だけが変わらなかったのか。
僕は呆然としながらもたずねた。
「なんでそんなことを……」
審問官は咳をこぼして「喉が渇いたな」とつぶやくと、どこからともなく湯気の昇るカップを取り出した。
「俺は歯が溶けるくらい甘いやつが好きなんだ。お前もどうだ?」
「僕はいい……」
「ああ、槍で縛られていてそれどころじゃなかったな」
審問官はズレた返事を返すと唇を尖らせ、コーヒーに角砂糖をぼとぼとと入れた。
「――神は今も、お前みたいな転移者や転生者たちに幸せしかない異世界を与え続けている。そこから垂れ流される
コーヒーを半分ほど飲み干すと、異端審問官は僕をまっすぐに見た。
「俺の目的は、西村恭司がいた世界の公平さを守ることだ。そしてそれはこの
話の規模が大きくなりすぎて、まるで濃いコーヒーを飲んだかのように頭がくらくらする。
「僕のいた世界の不幸が増えることが、なんでそんな大きなことになるんだ……!?」
「不幸だけが増え続ければ、人々は神を呪うようになる。そうなれば神の力も弱まり、無数にある世界を維持できなくなる……」
「そうならないように、不幸を垂れ流しにしている僕を『公正な異世界』に移したのか」
「そうだ。少なくともこれでお前はむやみに不幸を生み出さなくなった。三千世界の寿命がわずかばかり伸びたわけだな」
異端審問官の目的は世界の維持……。そう納得しかけたとき、大きな疑問が浮かんだ。彼はこの世界は公正といったけれど、本当に?
「待ってよ、異端審問官。……この世界は僕に厳しすぎる。リリィさんのことだけでもいっぱいいっぱいだったのに、スタンピードだなんて……」
「そりゃそうだ。――お前は神から鑑定というとんでもないスキルと、スローライフを満喫できる異世界を与えられた。この世界は公正なんだから、お前みたいな幸せなやつには容赦しない」
「スタンピードや、リリィさんやアルベルトさんとの衝突が、僕の幸せの対価ってことか……」
「そうだ。お前に押し寄せてきている不幸をすべて受け止め切ったとき、お前はこの公正な世界の一部となる」
審問官は急に表情を明るくして、つまらなそうに肩をすくめた。
「だが、俺は神と対立しているわけじゃない。神がお前に与えた慈悲を否定することはできないんだ。だから俺はあくまでも『公正』なやりかたを選んでいる。――お前には、神の慈悲を享受できるチャンスがまだあるんだ」
「……どういうことだ? スタンピードを乗り越えたらどうなるんだ……?」
「不幸をしのぎ切ったお前には選択肢が与えられる。神から与えられた世界に戻るか、西村恭司に戻るかだ」
軽快な曲を弾くかのように、10本の指を動かす審問官。
「お前が半年前までいた異世界のリリィちゃんは、純粋無垢なままだ。もちろんお前のことが好きで好きでたまらないローランちゃんも、ただの貴族の娘としてアーシュライトにすぐ来る」
審問官は僕に「どうだ?」と顔を寄せてくる。
「ふたりとも娶ればいい。異世界生活にハーレムはつきものだ」
「――黙れ」
僕は今まで感じたことのないような怒りを覚えて、歯を食いしばりながら男を睨みつける。二人は僕の大切な仲間だ。まるで量産品のように扱う口ぶりに我慢ができなかった。
そんな僕に眉を吊り上げてみせると、彼は残っていたコーヒーを一気に飲み干す。白いのどがごくっと動く様子すら不吉に思えて、僕は目を反らしながらたずねた。
「この世界は全部、あなたの思い通りってことなんだね」
「俺は異端審問官だ。お前たちを審問にかけて、神から寵愛されるにふさわしいか見定めるのが俺の仕事。理不尽なことはしない」
「……じゃあ、僕はスタンピードからみんなを守れるの?」
ふと顔を上げるとどこにも姿がない。僕の体を縛っていた槍も元通りになっていて、まるで狐に化かされたかのような気分だ。
悪い夢だったんだろうかと思った直後だった。
審問官が忘れて言ったコーヒーカップから、忍び笑いのような声が漏れる。
「この世界は公正だ。糞ゲーだが、無理ゲーではない。絶妙な難易度で、解法は用意されている。――すべてはお前次第だ」
そしてさらさらと砂のように崩れたかと思うと、一粒も残っていないのだった。
お前の人生がクソなのは転生者どものせいだ。~異端審問官、かく語りき~ 十文子 @nanactan
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