人生でいちばん長い1年間④

 日がとっぷり暮れる頃、長い収穫祭はついにクライマックスを迎えようとしていた。


 満を持して広場に現れたのは町の楽団。きらびやかなリュート弦楽器の旋律にシャルメイ木管が華やかさを添え、タンバリンが陽気にリズムを刻むと、人々は自然と手を取り合い始めた。


 広場で焚かれた炎を囲んで、人々が輪舞を繰り広げる。踊りと祈りを捧げて、豊穣神に来年の豊作を乞うのだ。


 炎に誰かが麦の穂を投げ込んだようだ。牧歌的で懐かしい香りが漂う中……僕のいるテーブルは地獄のようなありさまだった。


「マルクさんにふさわしいのはあなたのような年増ではなくてよ! さ、行きますわよマルクさん。秋の思い出を締めくくりましてよ!」


 左から僕を引っぱるのはローランさん。


「と、年増……!? マルクくんみたいな男の子は、どこぞの言葉遣いがおかしいお子ちゃまより大人の女がいいよね。……いこ、マルクくん。踊りは私が教えてあげるから!」


 右から僕を引っぱるのはリリィさん。


 可愛らしい黒と美しい金に挟まれてありがたいのですが、このままだと死の危険が……。


「おいおい。マルクが2人になってしまうぞ。それぐらいでやめておけ」


 ジョッキを片手に現れた救世主が酒臭いため息をつくと、2人はしぶしぶながらに諦めてくれたようだ。僕も踊りたいところだけど、これからしなければならないことがある。


「ありがとうございます、アルベルトさん。町の人たちはどうですか?」


 アルベルトさんがあごをしゃくって見せると、冒険者たちに先導された町の人たちが広場に流れ込んでいる。


 首尾は順調だ。あとは踊りが終わるのを待つだけでいい。そう思ったとき、小太りの男が肩を弾ませながら走ってきた。仕立てのいい服を着たその中年の男には見覚えがある。


 たしか『黄金の担い手』のときに、最前列で僕たちを応援していたあの男だ。僕が会釈をすると、男はこちらを一瞥してからアルベルトさんに詰め寄った。


「い、いったいこれは何ですか!?」


 アルベルトさんはテーブルに置いてあった僕の串を勝手に食べながら適当に答える。


「なにってそりゃ、町の人たちを集めたんだ。いまから大事な話があるからな」


「困りますよ……! そういうのを勝手にされちゃあ……!」


「それなら問題ないな。いまから説明する。……おい、そこの優男!」


 どうやらアルベルトさんが指したのは僕のことらしい。青や黒の視線を浴びながらうなずくと、アルベルトさんは僕の肩に手を置いて男に言った。


「この『新風の槍』から町のみんなに少しばかし大事な話があるんだ。なぁに、町長さんの手を煩わすことはなにもない。黙ってうんうんとうなずいていればいい」


 僕は驚きながらその男を見つめた。この人が町長だったなんて。州都にいる領主さまからこの町の管理を任されていると聞いていたから、もう少し貴族的な人かと思っていた。


「だ、大事な話とは……?」


「聞けばわかるさ。――よし、そろそろ音楽が終わるな。いくぞ」


 不安そうな町長さんの肩をばしんと叩いて焚き火へ向かうアルベルトさんの背中を追う。


 演説台代わりのお化けかぼちゃの上に立つと、ちょうど楽団の演奏に一区切りがついた。


 ぱちぱちとはじける焚き火の音に、踊り終えた人々のざわめきが混じる。


「あれは『新風の槍』か。町長とアルベルトもいるみたいだ」「何が始まるんだ?」「私は何も聞いてないけれど」


 無数の視線が集まる中で、僕はマジックバッグから4つの武器を出す。教会の墓から持ち出した『名もなき英雄たち』の武器だ。


 最後に『氷床の槍』ウォルフ・ライプニッツの槍を足元のかぼちゃに突き刺すと、僕は息を吸い込んだ。


「――200年前! この町をモンスターの群れが襲いました。この武器は、その危機に立ち向かった英雄たちのものです!」


 しんと静まり返った人々を見渡して、僕は大きな牙を取り出す。丸1日をかけて湖の底から探し出した頭蓋骨だ。


「町を襲ったモンスターの名前は『ランページタイガー』。――そう、皆さんがいまかぶっている、そのフードのモチーフとなった猛獣です」


 自分のフードを触って笑い声を漏らす子供たちとは対照的に、大人たちは怪訝そうに顔を合わせている。


「そしていま、またその猛獣たちがダンジョンからあふれようとしています。このアーシュライトのすぐ隣、『星落ちる湖』の底から!」


 どよめきの中、みんなの疑問を代弁するように男が声を張り上げた。


「なぜ言い伝えが残ってないんだ? そんな英雄たちがいたのなら、きちんと祀られているはずだ。武器しか残っていないのはなぜだ?」


 想定していた質問だったけれど、明確な答えは返せない。


「根拠はあります!――ただ、直接お見せできるものはありません」


 人々の顔に不安と猜疑が浮かび上がるなかで、若い女が手を上げた。


「あの……『根拠』なんですか? 証拠ではなくて?」


 思わず声が漏れそうになった。痛いところをついてくる……!


「し、証拠はありません。僕の推測にもとづく根拠です」


 ざわめきが大きくなり、否定的なヤジが飛び交い始める。


「聞いたことがあるぞ。スタンピードを騙って、町に押し入る強盗団の話を……」「なんで町長は黙ってるんだ?」「アルベルトはともかく、あいつはEランクの冒険者だろ?」

 

 けれどここで焦ってはだめだ。僕は汗ばんだ拳をより強く握って、人々に問いかけた。


「ギルドの地下書庫には、必ず真実があります! でも、僕には権限がなく、どうしても見ることができません。――どうか力を貸してください!」


 この半年を思い出しながら、僕は肺の空気を出し切る。


「僕に協力してもいいという方は手をあげてください。――お願いします!」


 股関節が脱臼しそうになるくらい頭を下げた。人々のささやきが静かになるのを待って、ゆっくりと顔を上げたときだった。


「ぼ、僕は『新風の槍』を支持する!」


 ひとりだけ手を上げている人がいた。毎日僕に依頼を出してくれた、薬屋の店主さんだ……! 最近はあんまり薬草を卸せてなかったのに、僕の顔を見上げて力強くうなずいてくれた。


 それに続くようにぱらぱらと人々が手を上げると、僕にジャガイモをくれた屋台のお姉さんが大きな声を張り上げた。


「あたしは『新風の槍』のお嬢ちゃんの味方だよ!」


 だから僕は男ですってば。苦笑いしたときだった。


「教会を代表して!」


 シスターと子供たちが一斉に手を上げた。


「にいちゃ! いつもお肉ありがとお!」


 ちびたち……! 眼がしらに熱いものがにじむ。シスターがそう言うならと、人々がさらに手を上げる。あと少しで過半数だ。


 これならいける! そう思ったとき、誰かがぱんぱんと手を叩いた。……町長だ。


「何かと思えば。その話はね、もう終わったんですよ」


 人々の視線を浴びると、町長は一歩前に出て咳ばらいをする。


「領主さまから通達があったのです。アーシュライトの冒険者が問い合わせた件については、私が対処しろと」


 町長はハンカチで額の汗を拭い、うんざりした顔で僕を見上げた。


「仮に君の言うことが正しかったとします。町は総出でスタンピードに備えることになるでしょう。城壁修繕や薬品の備蓄、武具の整備を急ピッチで進めないといけません」


「は、はい。……そうしていただけると助かります」


 僕がそう返事をすると、町長は馬鹿にするように嗤った。


「領主さまの命令で、すべての費用は私たちが負担するのです! こんな小さな町に、それだけの余裕があると思いますか?」


 町長は人々を見渡して、真剣な目でうなずいた。


「決して少なくない金額です。みなさんに重くのしかかることでしょう」


 ひとり、ふたりと手が下がると、僕はそれにあらがうように声を荒げた。


「待ってください……! 何よりも大切なのは、皆さんの命です!」


 町長は睨むように僕を見て、首を振った。


「それで、もしスタンピードが起きなかったらどうするのですか。町の人々の生活が苦しくなった責任は、誰がとるのですか?」


 確かにその通りだ。口では何とでもいえるが、僕には責任を取ることなんてできない。


 あと少しで過半数なのに、どうすれば……!


 そのとき、新緑を思わせる光が瞬いた。楼蘭家の指輪だ。


「そのときは私が援助しますわ」


 衆目が集まるなか、ローランさんは高慢に腕を組んでふんと顔を反らす。


「――私は『楼蘭 瑤華ろうらん ようか』。華国に名高い伯爵家、楼蘭家の一人娘ですのよ。国に戻れば、この町の修繕費なんてはした金ですわ」


「なにを出たらめを」と誰かがつぶやいたが、人々もうすうす感じるところがあったようだ。ローランさんのとなりにいた女が、その指輪の輝きにごくりと喉をならした。


 僕は改めて人々を見渡す。――過半数を超えた。僅差ながら、手をあげている人の方が多い。


 視線を送ると、静かに経緯を見守っていたリリィさんが力強くうなずいた。……これで、ギルドの地下書庫に入れる!


 みんなに感謝の言葉を述べようとしたとき、またもや町長が手を叩いた。厳しくを僕を睨みつけながら怒鳴る。


「――いい加減になさい! 領主さまは私に一任するとおっしゃったのです。すなわち私の言葉は領主さまの言葉。決定権は私にあるのです!」


「お、おい、おちつけよ、町長……。らしくないぞ」


 アルベルトさんがなだめても、町長は取り付く島もない。青筋を立ててがなり立てる。


「この町の自治権が揺れているのですよ!? いち冒険者ごときが町を掌握しようとするなど反逆に等しい! 領主さまにはきちんと報告させていただきます!」


 僕を支持していた男が「俺も反逆に加担したってことか……?」とつぶやくと、気温が一気に下がった気がした。盛り上がりを見せていた人々は意気消沈し、僕を擁立する人々は過半数を下回ってしまう。


「と、とんだ意気地なしどもですわ……! 男気を見せてくださいませ!」


 悪態をつきながらおろおろと視線をさまよわせるローランさんを見ながら、僕はがっくりとうなだれた。


 せっかく頑張ってくれたけど、あきらめるしかない……。僕だけならいいけれど、ローランさんやシスターたちが巻き込まれてしまう。


 もうだめだと諦めかけたとき、いままで遠巻きに僕たちを見ているだけだった冒険者たちが手を挙げた。


「と、投票権のないあなたたちが手を上げたところで……」


 そう言いながらも動揺を隠せない町長に、リリィさんが詰め寄る。その笑顔は一見すると普段と変わらないものだったけれど、青い目に宿った光はとんでもなく好戦的だ。


ギルドマスター支店長が不在のため、その代理として通告します。さきほど過半数の表を得ため、ギルドはマルクくんの申請を受理し、『緊急時の対応に関する特例』を認可しました。これよりマルクくんはBランク相当の冒険者となります。ギルド規則に従い、アーシュライト支店は全力で彼を援護します」


「リリィさん……!」


 僕が思わず掠れた声を出すと、彼女は僕にぱちりとウィンクしてから町長へと向き直る。


「ギルドはこの町とこれからも友好的な関係を続けていきたいと思っております。――町長さまも同じ気持ちでおられると嬉しいのですが」


「わ、私を脅迫するつもりですか……!?」


「とんでもない。冒険者ギルドがこの町から撤退するようなことがないよう、努めていく所存です」


 町長が唇を震わせると、アルベルトさんが肩に手を乗せた。


「ここはマルクとギルドにまかせようじゃないか。スタンピードが起きなかったら、そのときは笑い話にでもすればいい」


「まったく……これだから冒険者は……」


 町長は脂ぎった首筋をぬぐうと、ため息をついてから僕の顔をしっかりと見た。


「――いまを持って、この問題に関する権限を、『新風の槍』に譲渡します。町のために全力で取り組むように」


 わっと歓声があがると、町長の肩を軽くたたいたアルベルトさんが皮肉っぽい笑顔を僕に向けた。


 大丈夫です、アルベルトさん。町長さんも立場あってのことだって、分かってますから。


 視線を彼に返すと、僕はみんなに向かって拳を振り上げた。


「みなさん、本当にありがとうございます。一緒に、スタンピードを乗り越えましょう!」


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