人生でいちばん長い1年間③
「来て」
そうとだけ言ってリリィさんが僕を連れていったのは、広場の片隅で開催されていた何かの競技だった。
人だかりを割って中に入ってみると、力自慢の男たちが金剛力士のような顔つきで大きな袋をいくつも背負っている。
「これで180㎏! そろそろ厳しいでしょうか!?」
黄金の麦の穂をマイクがわりに声を張り上げているのは、教会のシスターだ。
「もうひとついってみましょう!」
男たちの背中にさらに小麦袋が乗ると、ついに何人かが尻もちをついた。その派手な転び方に、どっと人々が沸く。
どうやら小麦袋をいくつ背負えるかの力比べらしい。シスターが取り仕切っているところをみると、神に奉納するための神事という側面もあるのだろう。
そんなことを考察していると、シスターが僕たちに気づいて小走りに寄ってくる。
「マルクさん! もしかしてマルクさんも『黄金の担ぎ手』に参加されるのですか?」
僕は隣のリリィさんをちらりと見る。また猫耳フードをすっぽりとかぶっていた彼女は、重々しくうなずき、無言のまま自分と僕を指さした。
そんなリリィさんを見て、シスターは「おやまあ」と目を丸くする。
「豊穣神さまもお喜びになられます……! ささ、こちらに!」
言われるままに会場の横に設置されたタープテントに入ると、教会の子供たちがわっと集まってきて、あっというまに僕の背中に背負子を取り付けてしまった。
「にぃちゃ! 頑張ってね!」
子供たちが僕の背をポンと叩いてわぁっと走り去っていくと、僕は苦笑いしながら頭をぽりぽりと掻いた。どうやらいつのまにか『黄金の担い手』に参加することになってしまったようだ。
いったいリリィさんはどういうつもりなのだろうか。隣の椅子に座って出番を待つリリィさんをちらちらと見ていると、彼女はほんのすこしだけフードを上げて青い瞳で僕を見る。
「――もし、私がマルクくんよりたくさん背負えたら、一つだけお願いを聞いてほしい」
いったいどんなお願いだろう。気になったけれど、僕からしたらリリィさんと仲直りするチャンスだ。
「はい。でも、もし僕が勝ったら、リリィさんも僕のお願いを聞いてくれますか?」
もちろんお願いの内容は、「仲直りしてほしい」……ううん、違う。「君のことをぜんぶ教えてほしい」。
リリィさんはしばらくの逡巡のあと、こくりとうなずいて不敵に言った。
「でも私、負けないよ?」
ふんっ! と力こぶを作って見せるリリィさん。たしかに彼女は力持ちだけれど、その細腕ではレベルアップした僕に勝つことはできない。負けないぞと言い返そうとしたとき、会場にシスターの声が響いた。
「さあみなさま! なんと飛び入り参加の『担い手』が2名もいます。お一人目は――期待の若き冒険者、『新風の槍』マルクさん!」
人々の口笛や拍手に照れながらもテントから出ると、シスターはリリィさんへと麦の穂を向けた。
「二人目は、なんと! 去年のチャンピオン『沈黙タイガー』さんです!」
なんですかその名前。呆れそうになったけれど、それよりも……チャンピオン? リリィさんが?
僕が耳を疑っていると、隣に立ったリリィさんがぽつりと言った。
「私、『金剛力』のスキルがあるの」
「へ!? ま、待ってください、ズルくないですか!?」
無条件で筋力を5倍にするという最上位のスキルだ。もし仮にリリィさんが平均的な筋力だったとしても、とても太刀打ちできない。
「いいぞタイガー! 今年もお前の怪力を見せてくれー!」
酔っ払いたちが声援を送るなかで、僕は口元に手を当ててごくりと唾を呑み込んだ。大丈夫、僕にも策はある……!
観客たちが静まるのを待って、シスターは白髪頭を振り回すようにして叫んだ。
「ではいってみましょう! まずは100kg」
町の若者たちが大きな小麦袋を僕たちの背負子に載せる。さすがにこれくらいなら重さを感じないレベルだ。
「これぐらいでは肩慣らしにもなりませんね。では次! 200kgです」
ずん、ともう一袋。たしか重量挙げの選手が背負える重さが200kgくらいと聞いたことがある。僕は自分のレベルアップを感じつつ、にやりと笑った。
隣のタイガーも煙突の上に立つヒーローのように直立不動だ。まだまだその底は見えない……!
シスターは感心したようにうなずいて、親指を立てる。
「これはすごい! では300㎏!」
うっ……!? こ、これはなかなかっ……!
たしか大きなヒグマの体重と同じくらいのはずだ。人間の限界を超えている自分の筋力に驚きつつ、僕は隣のタイガーを見る。まだ余裕そうだけれど、足を開いているところを見ると彼女にも限界はあるようだ。
「さすが『新風の槍』! さすが『沈黙タイガー』! また100㎏、いってしまいましょうっ! ――400㎏!」
追加の袋が乗ると、シスターのはっちゃけぶりに笑う余裕もなくなる。膝ががくがくとして、いますぐ座ってしまいたい気分だ。
どうにか首を動かして隣のタイガーを見ると、盛りに盛られた小麦袋のせいでカタツムリのようになってしまっている。
――って、それは僕も同じだけど……!
そう思ったとき、リリィさんの唇がわずかに動いた。
「やるじゃない。……だけど、次でおしまい」
タイガーが指を3本立てると、会場のどよめきを代弁するように、最前列で僕たちを見守っていた身なりのいい男が声を上げた。
「いっきに150kgも!? 新記録ですよ……!?」
男にうなずき返したシスターが、僕の顔を心配そうに覗き込んでくる。けれど僕の答えは決まっていた。
「やってください……!」
3つの袋が一つずつ背中に乗ると、観客から賞賛の拍手が起こった。
「すごい……! 550kgだぞ!?」
最後の袋が乗ると、僕はしんと静まっていた会場に向けて拳を突き上げる。まだ行けるぞ――! そう誇示するためだったのだけれど、その瞬間、がくっと力が抜けた。
しまったと思ったときには、僕は派手に尻もちを突いていた。やっぱりまだ生産レベルが低いようだ。直前にこっそり飲んでいた手作りの
タイガー! タイガー! と繰り返される歓声の中で、リリィさんは足をぷるぷるとさせながらも僕に白い手を突き出した。
「――私の勝ち!」
ブイサインの向こう側で、青い瞳が愉快そうに揺れていた。そこに浮かんでいるあの人懐っこい笑顔に、僕はやっぱりどきりとしてしまう。
久しぶりにみたけど、やっぱりリリィさんの笑顔は素敵だ……。
耳の先まで赤くなっていないか心配になったとき、観客たちの声に小さなささやきが混じる。
「約束通り、私のお願いを聞いてくれる?」
もちろん。僕が力強くうなずくと、リリィさんは瞳を激しく揺らしながら、涙を含んだ声で言った。
「私の話を聞いてほしい。――マルクくんと、仲直りしたいんだ」
◆
広場の喧騒から離れて石造りの橋まで来ると、リリィさんは欄干に腰を下ろしてフードを脱いだ。ふわっとした果実のような匂いが漂うと、あれほど考えていた言葉がどこかに消えてしまった。
「マルクくんも座って?」
「は、はい」
言われるままに隣に座ると、リリィさんは空の向こうを見上げながらぽつりぽつりと話はじめた。
「私が20になったころ、父のお店は深刻な経営不振に陥ってたの」
たしか装飾店だったっけ。僕がうなずくと、リリィさんは少し寂しそうに続けた。
「原因はいろいろあるけど、時代の流れについて行けなかったんだと思う。でも、父も母もお店を畳むなんてことはできなかった。老舗だったから、意地があったんだと思う」
「お店が大事だったんですね……」
「そう。多分、自分の娘よりも」
リリィさんは少しだけ目を伏せて、足元を見る。
「両親に頭を下げられて、私はいろんなところから借金をした。けれどお店の経営は良くならずに、借金だけが膨らんだ。そんなとき、私は父の勧めで『あまり良くない人』からお金を借りてしまったの」
「……高利貸しみたいな?」
「うん。……けれど、結局、父のお店はつぶれてしまった。莫大な借金だけが残ってしまった私は、やけっぱちになっていたんだと思う。その良くない人にそそのかされ、深く考えずに『楽な方法』を選んでしまった」
僕は正直いうと、その先を聞きたくなかった。けれど、その幼稚な思いは捨てなければいけない。僕は石ころをひとつ拾って水路に投げると、リリィさんの顔を見た。
「それで、夜のお仕事を始めたんですね」
「君なら2年で返せるって言われて。嫌だったけれど、断れなかった。自暴自棄になっていたし、考えるのにも疲れていて……楽なほうに流れてしまったんだと思う」
僕は思わず顔を上げた。同じだ、僕と……。
リリィさんは物悲しい瞳で僕の顔をのぞきこみながら、すがるようにペンダントを握った。
「これはそのときに娼館の先輩から貰ったの。もう必要ないんだけど、自分の過ちを忘れないために持っておこうと思って」
「そう……ですか……」
うまく言葉が出てこず曖昧にうなずくと、リリィさんはどきっとするようなことを言う。
「私のこと、軽薄だと思った……?」
とっさに否定したくなったけれど、僕は今度は逃げなかった。僕は心の内をすべて吐き出す。
「そう思います。ほかにやりようがあったはずだと思います。――幻滅しました。弱い人なんだなって」
リリィさんは目じりを潤ませて、顔を背けようとする。でも僕はそれを許さなかった。
「でも! 僕と同じで弱い人なのに、『黄金の担い手』に僕を誘って、こうして話す機会を作ってくれた。なんて強い人なんだろうとも、思いました」
リリィさんは深呼吸をひとつして、自分の胸に手を置いた。
「この半年、たくさんの依頼をこなして。Eランクに昇級して、見違えるくらいたくましくなった。……あんなことがあったのに、どうして何度も私に会いに来るんだろうって最初は思ったけど、すぐに分かったよ。行動で示してくれてるんだなって。私と仲直りしたいんだなって。強いのはマルクくんだよ」
リリィさんは目元をぬぐって顔で僕を見つめた。その視線を受け止めて、僕ははっきりと言った。
「お願いします。僕と仲直りしてください。――僕はあなたと仲良くなりたい」
ぽろっと大粒のものがこぼれたけれど、それは冷たいものではなかった。
「――はい。もちろんです」
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