人生でいちばん長い1年間②

 教会で名もなき英雄たちの武器を発見してから1カ月後。すっかり秋も深まった小春日和の昼下がり、僕は町の広場へ足を運んでいた。


 町のシンボルとなっている大きなイチョウの木は見事な山吹色で、その根元には落ち葉の絨毯が広がっている。広場を駆けまわる子供たちの笑い声を聞いていると、穏やかな気持ちになりそうなものだけれど――


 どうしても、じっとしていると不安が頭をもたげてくる。週に2回は湖を監視しているし、いまのところはスタンピードの予兆もない。けれど時計の針はチクタクと着実に進み、僕を苛み続けていた……。


 賢者さまと出会ってからすでに半年が経っていた。僕は相変わらずレベリングと薬草採り、それからささやかな慈善活動を続けるばかりで、物事はなにも進展していない。


 それにリリィさんとの関係も……。


 おもわずため息をつく。スタンピードのこともそうだけれど、リリィさんの顔ばかりが浮かんでくる。


 今日もギルドで会ったけれど、彼女はそっけない……というか、明らかに僕を避けているようだった。


 リリィさんの笑顔が見たい。そう思ったときだった。


「辛気臭い顔をした女の子がいると思ったら『新風の槍』さんじゃないか。ほら、これでも食べて元気だしなよ」


 いつのまに。少し離れたところで屋台を広げていたお姉さんが、焼きたてのジャガイモを僕に差し出してくる。


「い、いいんですか……?」


「もちろんさ。ほら、熱いうちにお食べ」


 僕は言われるままに齧って、「あちち」となりつつも言った。


「それから僕は男ですから……!」


 お姉さんは「あらそう?」と笑い飛ばし、屋台へと戻っていく。僕はどっかりと乗ったバターを落とさないように気をつけながら心の中でつぶやいた。


 ――なんだか最近、町の人が妙に優しい気がする。どうしてだろう。


 ぼんやりとそんなことを考えていると、誰かが僕の肩を叩いた。


「よぉ。見違えたぞ、『新風の槍』さん」


 銀の短髪に赤銅色の肌。そして怒っているわけでもないのに眉間に寄っているシワ。間違いない、アルベルトさんだ!


「その通り名はやめてください。な、なんかむず痒くて」


 アルベルトさんはいつもみたいに皮肉っぽく笑った。


「いいじゃないか。やっとよそ者じゃなくなったってことだ」


「そんな。僕はただ薬草を集めて、角ウサギを倒していただけです」


「いい仕事ってのは『堅実な作業の積み重ね』なんだ。ふっ、最初はどうなることかと思ったが、化けたな。いい面構えだ」


 僕は実感なく曖昧にうなずいて、本題を切り出した。


「それで、州都はどうだったんですか?」


 州都とはここから片道1週間のところにある大都会だ。行ったことはないけれど、領主さまがお住まいの宮殿や、ものすごい規模の繁華街があるらしい。


 アルベルトさんはニヤっと笑って指を8本立てた。僕は思わず立ち上がって分厚い手を握る。


「さすがです! 80人もだなんて……!」


 彼が州都に出向いていた目的は3つ。ひとつは傭兵ギルドに派遣要請をするためだ。お金はかかるけれど、傭兵はまさに戦闘のプロ。そこらの冒険者よりも粒ぞろいで頼りになる。


 ところがアルベルトさんは気まずそうに視線を反らして、ぼそりとつぶやくように言った。


「8人だ……」


「へ!?」


「二度も言わせるな。予算的には80人でもいけたんだが、期間が長すぎたな。こんな辺境の町に半年も滞在したいやつなんてそうは居ない。これでも多い方だ……」


 僕は少し気落ちしながらも、本命である2つめの目的について聞いてみる。


「領主さまはどうしたか……?」


 領主さまにはアーシュライトの安全を守る義務がある。配下の将軍さまが州軍を引き連れてこの町に来てくれたら、スタンピードなんて恐れるに足らない。


 そう期待していたのだけれど、返ってきたのは重たいため息だった。


「残念だが色よい返事はもらえなかった。……『星落ちる湖』にダンジョンがあるという記録が州都にもないのが原因らしい」


「そんな……。じゃあ、魔術師ギルドの方は……?」


 アルベルトさんはうんざりとした様子で頭を振った。


「最初から期待してなかったが、門前払いだ。『スタンピードが発生したら呼んでください。研究のために視察に参ります』だとよ」


 母体である魔術学校アカデミーがそうであるように、魔術師ギルドは厭世的なスタンスを貫いている。塩対応だとしても仕方なかった。


「賢者さまみたいな積極的な方は稀なのかな……」


 僕がそうつぶやくと、アルベルトさんは眉間のシワを深くして、気味悪そうに言った。


「本当にその賢者はライ・レッドワードと名乗ったのか?」


「は、はい。そうですけど……?」


 鑑定したのだから間違いないはずだ。ところがアルベルトさんから返ってきた返事は、耳を疑うものだった。


「ふと気になってギルドに照会してもらったんだが――そんな賢者はいないと言われたぞ」


「何かの間違いでは……?」


 僕まで眉間にシワを寄せていると、アルベルトさんは腕を組んで首を傾げた。


「ライ・レッドワードって名前なんだが、それをこっちの言葉に訳したら『真っ赤な嘘』だ」


 そんなバカな……! 僕はあの丸眼鏡の賢者さまの顔を思い出す。嘘を言っていたようには思えないし、その実力が本物なのは間違いない。けれど――彼が来てから、この世界が、まるで別世界のように厳しいものになったのも事実。


 何もわからないまま唸っていると、アルベルトさんが肩をすくめた。


「確かに気になるが、考えてもしかたない。スタンピードが大昔にあったのは確実だ」


「そうですね……」


 僕が元気なく返事をすると、アルベルトさんは広場を見ながら明るく言った。


「そういえば明日は『収穫祭』だな。去年は参加したのか?」


「いいえ。この町に来たばかりで、よくわかっていなかったので」


「そうか。ずっとレベリングに明け暮れているそうだな。明日くらい休んだらどうだ? 町長のおごりでただ酒も飲めるぞ」


 どうにか笑顔を作ってうなずいた。


「気が向いたら……」


 僕はどちらかというとコミュ障で、そういう飲み会的なノリは苦手だ。それにたぶん収穫祭にはリリィさんもローランさんも顔を出すだろう。


 最近の二人の関係はなぜか妙に険悪で、顔を合わせただけでバチバチとやり合う始末だった。できれば居合わせたくない。


 けれども――そんな僕の及び腰を、あの天真爛漫にして不遜なローランさんが許してくれるわけもなく。





 収穫祭というからには、神さまに豊穣をお祈りするようなものなのかな……と思っていたのだけれど、その実態はただのどんちゃん騒ぎだった。


 昼から町のあちこちで酒が振舞われ、町の人々はもちろん、行商人や旅の冒険者までもがあちこちで酔いつぶれている。


 けれども、だらしない感じはなくて、底抜けに陽気な雰囲気だ。……とくにローランさんとか。


「マルクもいっぱい飲むアルよ! アルコールを飲むアル!」


 そう言ってワインがなみなみと入ったジョッキを勧めてくるローランさん。


「母国訛りが出ちゃってるよ……」


 僕はローランさんのウザがらみをやんわりと断りつつ、果物や麦の穂、それからモンスターの毛皮などで飾られたイチョウの大木を見上げた。


 さながら異世界のクリスマスツリーのようなその周りには、僕たちが座っているような大きなテーブルと椅子がずらり。その外周にはワインが入った樽や、肉串の香ばしい香りを漂わせる屋台などがぐるりと並んでいた。


 町の人々はここぞとばかりに一張羅を着て、モンスターの毛皮で作った猫耳フードをかぶっている。


 なんでも、猫のような猛獣が群れをなして襲いかかってきたという伝説が残っていて、それを忘れないようにするためらしいけれど……。


 猫……。虎。ランぺージタイガー。ま、まさかね?


 そう思ったとき、「ダンッ!」とジョッキがテーブルを叩いた。そんなことをするのは酔っ払いしかいない。


「マルクさんはぁ、わたくしのことをどう思っていますのぉ?」


 酒臭い生っぽい息が顔にぶわぁっとかかって、さすがの僕も引き気味だ。


「ど、どうって、頼りになる魔法使いだと思ってるよ?」


「そうではありませんわ! トウヘンボク!」


 ナチュラルにディスられて困っていると、ローランさんはヒスイの指輪をいじいじとしながらぽつりと言った。


「初めて会ったとき――見ているはずですわ!」


「な、何をですか」


 思わず丁寧語になる僕。


「そんなの決まっていますわぁ!」


 突然の大声に衆目がさっと集まってしまった。ひそひそとささやき声が聞こえると、僕は顔を赤くしながらあちこちに会釈する。


「も、もう飲みすぎだよ……!」


 やけくそになってワインをぐびりと飲んだときだった。ローランさんは黒曜石みたいな瞳をとろんとさせる。


「見たに決まっていますわ。――私の裸を」


 ワインを噴き出しそうになった。僕はあたりをきょろきょろとしながら声を潜める。


「あ、あれは仕方なかったんだ!」


 森で倒れていたローランさんはそれはもうドロドロで、とてもじゃないけれどそのまま宿屋のベッドに寝かせるわけにはいかなかったのだ。僕は心を無にして服を脱がせたわけだけれど……。


「もうお気づきとは思いますけれどぉ、私はやんごとなき生まれですのよ?」


 自分で言うか?


「う、うん。なんとなく気づいてるよ。それで?」


「我が家には家訓があるのれす。『肌を見せていいのは、親と、結婚相手だけ』と」


 今度はワインが気管に入りそうになった。僕は冷静を取り繕いながら言う。


「そ、それは悪いことをしちゃったね。でも大丈夫。言わなければバレないし!」


 むすっとした顔をぷいと背けて、ローランさんはつぶやくように言った。


「マルクさんは責任を取るべきですわ。もうお嫁にいけませんのよ」


 困って苦笑いをしていると、ローランさんは急に真顔になって、つまらなそうに言う。


「マルクさんは聞いてきませんのね。どうして私が国を出て、あんなところで倒れていたか」


「……みんないろいろ事情があるから」


 僕なんて異世界からの転移者だ。リリィさんにだって……ある。


 ローランさんは「そういうところ、嫌いではありませんわ」と前置きしてからぽつりとつぶやいた。


「……私は『楼蘭』ろうらんという貴族の家に生まれましたの。ただし、妾の子として」


 僕が言葉を失っていると、ローランさんはテーブルのへこみを指先でなぞりながら続けた。


「正妻には子供ができなかったから、私とお母さまはひどくねたまれていましたわ。そんなとき、お父さまが急にお亡くなりになってしまって……」


 僕にも話が見えてきた。


「継承権をめぐってトラブルになって……逃げてきた?」


「そんなところですわね」


 そう軽くうなずくローランさんだけれど、こんな辺鄙な異国の地まで来るってことは相当に追い詰められていたに違いない。それに、彼女の母親はどうなったんだろう……。


「良かった」


 僕の言葉にきょとんとするローランさん。


「あ、ごめん。それでも生きていて良ったって。僕も最近、そう思うから」


 ふっと笑ったかと思うと、ローランさんはテーブルの上で急に僕の手を取った。普通の握り方ではなくて、指を絡めるような、ぞくりとするやつだ。


「私、わかりますのよ。マルクさんは私と同じ」


「な、なにが……?」


 艶のある黒い瞳がじっと僕を見透かしていた。


「ぜんぜんご家族のお話をなさらないもの。私と同じような理由があるに決まっていましてよ」


 思わずうなずきそうになってしまった。そんな反応に気を良くしたのか、ローランさんは真っ赤な唇を蠱惑的に持ち上げて続ける。


「お互いに天涯孤独ですわ。なにも障害はありませんの。だから――さっきの話、ちゃんと考えてくださいまし」


 さっきの話って……。ああ、そうか。


「わかったよ。裸を見てしまった責任だね。今日は僕がぜんぶおごるから、それで我慢してくれるかな」


 スタンピードの件が終わったらまた貯金して家を買い、ローランさんと共同生活をするのも悪くない。


 そんなことを考えたとき、空のジョッキがまた「ダン!」とテーブルを打った。


「トウヘンボク! トウヘンボクですわ! 今日からマルク・トウヘンボクを名乗ってくださまし!」


 なぜかこっぴどく罵られて、首を傾げたときだった。


 誰かが僕の裾をちょんと摘まんで引っ張った。顔を上げると、そこにいたのはどう見ても怪しい人物だ。猫耳フードを目深にかぶって、体をすっぽりと覆うポンチョのような毛皮を纏っている。


「な、なんですか?」


 僕が戸惑ってもお構いなしだ。ものすごい力でぐいぐいと引っ張られて、ついいに僕は立ち上がってしまう。本当に誰なんだろう? 手が細かく震えているところをみると、敵意はなさそうだけれど……。


 何かを察したのか、ローランさんが「ふん」と鼻を鳴らして吐き捨てるように言った。


「のこのことやって来るころだと思っていましたわ。マルクさんをお貸しするのはしゃくですが、不公平はよくありませんわね」


 ローランさんがこんなにとげとげしい言い方をする相手は僕以外にひとりしかいない。


「ま、まさか……」


 僕がそっとフードを持ち上げると、いまにも泣きそうなくらい真っ赤になった――リリィさんがいた。

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