人生でいちばん長い1年間①

 僕の毎日は劇的に変わった。ぜんぜんスローライフじゃなくて、社畜だったときより忙しいくらいだ。


 優雅に朝ごはんを食べている時間なんてない。まだ日が昇らないうちに起きて、パンをかじりながらギルドに行く。いつもの依頼を受けとったら森で薬草採り……なんだけれど、僕が狙うのは薬草だけじゃなくなっていた。


「――そっちに行きましたわ!」


 森の中を駆ける2匹の角ウサギ。この森に棲むポピュラーなモンスターだけれど、その角の威力は侮れない。まれにクリティカルヒットしてごっそりHPを持っていかれたりするから、『初心者殺し』なんて言われている。


 けれども、苦戦したのは最初だけ。レベル15になった僕の敵ではなかった。


 後ろ脚にぐっと力を溜めるのが突撃の合図だ。動きは速いけれど直線的。予備動作を見ていれば回避は簡単だ。

 

「よっと……!」


 さっと木の陰に隠れてやり過ごすと、がら空きの背中に向けて槍を構える。草食動物らしく、角ウサギの視野はとても広い。斜め後ろからの攻撃もしっかり見えているようだけれど、


 ――もう僕の方が早いっ!


 くり出した槍が角ウサギの首を見事に貫いた。もう一匹が窮鼠猫を噛むとばかりに襲いかかってきたけれど、心配はいらない。今の僕には仲間がいる。


「――『黒影衝Ⅱ』シャドウボルトⅡ!」


 黒い衝撃波が角ウサギをしたたかに打ち付け、木の幹に叩きつけた。キュウと断末魔をあげて角ウサギが地面に落ちると、全身にこれまでにない力がみなぎる。


 よしっ! これでレベル16だ……!


 僕は自分に鑑定スキルを使って能力値を確認する。


 名前:マルク・イーストヴィレッジ

 種族:人間

 職業:冒険者(E級:槍使い)

 レベル:16

 HP:21

 MP:12


 賢者さまと比べたらミジンコのようなステータスだったけれど、それでも大きな進歩だ。槍の適正があったから、早めに初心者ノービスから槍使いランサーにクラスチェンジできたのも心強い。


 角ウサギをマジックバッグにしまっていると、杖を手に持った女の子が笑顔で走ってきた。


「生意気ですわ。この前までお尻に殻がくっついたヒヨコでしたのに……!」


 そういって八重歯をのぞかせる黒髪の彼女はローランさん。この辺りではめったに見ない華国人で、わずか18歳にして東方の陰陽魔法を使いこなす魔法使いだ。


 彼女と出会ったのは1カ月前。浮浪者のようなひどい恰好で倒れているのを、森でたまたま見つけたのだ。なんとか担いで町に連れて帰って以来、「命の恩人ですわ!」と、まるで旧来の友人のように接してくれるようになった。


 彼女は自分のことを話さないけれど、僕はその正体を知っている。彼女が着けているヒスイの指輪。一見するとただの指輪だが、その正体は華国の名門貴族である『楼蘭』ロウラン家に伝わる貴重なマジックアイテムだ。


 彼女はたぶんその楼蘭家のお嬢さまだ。彼女が自称するローランという名前も、楼蘭が由来だと考えれば辻褄があう。でも、ローランは男の名前だ。少し抜けているのがなんとも彼女らしい。


「ローランさんのご指導のおかげです……!」


 ははぁ~と五体投地のふりをすると、ローランさんは「ふふん!」と鼻を鳴らしながらもう一匹の角ウサギを拾い上げた。


「まったく重たいウサギですわね……。早く収納してくださいまし!」


「まかせといて」


 ちいさなポシェットに収納すると、その様子を面白そうに見ていたローランさんが言う。


「大枚を叩いて買っただけあって、なかなかの収納力ですわね。これならすぐにもとが取れそうですわ」


 マジックバッグの中には大量の薬草と20体の角ウサギが入っている。収納しているかぎり腐ることもないし、実に便利だった。


 後処理が終わって一息ついていると、ちょうど雲の切れ目から日差しが差し込んできた。穏やかだった木漏れ日も、いまやまぶしいほどになっている。賢者さまと出会ってからもう三か月が経過し、もうすっかり夏だ。


 ――悪くない。


 いままでにない充実感に浸っていると、ローランさんがお腹を撫でながら聞いてくる。


「もうすっかりお昼を過ぎてしまいましたわね……。今日も町で『遺跡巡り』ですの?」


「昼食を食べたらそうしようかな……。今日は町のはずれにある古い教会に行ってみようと思う」


「やった! わたくし、おなかがぺこぺこですのよ……!」


 さっそく町へと戻ろうとしたローランさんの足がぴたりと止まる。


「でも先にギルドに行って角ウサギを納品しないといけませんわね。1カ月分の宿泊費を先払いしたから、スカンピンですわ……」


 たしかにローランさんの言う通りだ。けれど……ギルドかぁ……。今日はリリィさんがいる日なんだよなぁ。抵抗はあったけれど、このままじゃいけないのは分かる。


「じゃあ先にギルドに行こう」


 こうして僕たちは町に戻ってくることになったのだけれど、やっぱりリリィさんの態度はぎこちなかった。


「お、おかえりなさいマルク……さん」


 いままで『くん』呼びだったのに。そのぎこちなさに釣られてしまって、僕の態度も固くなる。


「た、ただいま。角ウサギの買い取りをお願いします」


「あ、は、はい」


 用意された台車にどさどさと角ウサギを出していると、リリィさんがローランさんへとちらちらと視線を送っている。いい機会だと思って、僕はリリィさんにローランさんを紹介することにした。


「こちらはローランさん。華国からの旅人で、訳あってパーティを組んでいます」


 リリィさんはローランさんの頭の先からつま先までを一通り見てからぎこちなく会釈する。


「他の職員からお話は聞いています。優秀な魔法使いさんだそうですね。冒険者登録ありがとうございました」


 リリィさんにしては距離感のある挨拶だなと思っていると、ローランさんはなぜか「ふふん?」と、分かったような笑みを浮かべた。


「マルクとは懇意にさせていただいていますのよ! だって命の恩人ですもの。ね、マルク!」


 なぜかいきなり僕を呼び捨てにして、大胆に腕を組んでくる。突然の蛮行に思わず身を固くしていると、リリィさんはせわしくなく視線さまよわせながら何かを言おうとする。


 頬は赤く目はうるんでいて、怒っているようにも泣き出しそうにも思える表情だった。こみあげてきたものをこらえるようなその様子に、僕の心臓がびくんと跳ねる。


 ――な、なんだろう、胸が痛いような、苦しいような、この焦燥感は……?


 けれど結局リリィさんが何も言わずにいると、ローランさんはお金をひったくるように取って僕の腕を引っ張った。


「それでは行きましょう。私、いいお店を見つけていましてよ!」


 僕は最後にリリィさんに何かを言おうとした。けれど結局何もいえないまま、一日、また一日と月日は経っていった……。


 僕は変わらず、ひたすら『実績』を積み上げる毎日を送っていた。薬草をひたすらに集めて、その一部を薬屋さんに安価で卸す。そして森のモンスターを狩って、資金を調達。


 そんな生活が続いて少しずつ朝と夜が涼しくなり始めたころ、僕は町はずれを目指して歩いていた。


 すっかり高くなった秋空と、黄金に輝く麦畑のはざまにひっそりとたたずむ教会は、いつ見てもボロくて、いつ来てもやかましい。


 敷地に入ったとたん、ダース単位で子供たちが押し寄せてくる。


「にいちゃ! 今日はなにを持ってきてくれたの!?」「かっこいい……! その盾見せて!」「あ、あのね、また絵本読んでほしいな……」


「はいはい。とりあえずお肉をシスターに届けてくるから、あとでね」


 ――スタンピードの証拠を探すために訪れて以来、僕は週に1回はこの教会に『支援物資』を届けていた。


 この世界にはモンスターがいるし、医療も進んでいないから、ちょっとした病気で簡単に人が死ぬ。死神の鎌は相手を選んだりしないから、こうやって身寄りのない子供が生まれてしまうのだ。


 町はずれに教会があるとは知っていたけれど、孤児院なんかあったかなぁ? 1年もこの町にいたのに気づかないなんて、いくら能天気な僕でもおかしいよね……。


 自分のうかつさにうんざりしながら大聖堂に入る。そこにシスターの姿はなく、僕を出迎えたのは最奥の聖堂に鎮座している天使像だけだった。


「シスター? いませんかー?」


 大声を出してみたけれど返事はない。どこに行ったのだろうと思いつつ奥に進むと、天使さまと目が合う。


 こうしてちゃんと見るのは初めてだなと思いつつ見上げると、ふと違和感を覚える。等身大の天使さまは胸に黒い本を抱いているのだけれど、そこだけ材質が違うのだ。


 そう気づくと、他にも奇妙な点があった。腕の色合いが浮いている。たぶん、腕だけを後から付け替えたのだろう。


 誰かが天使さまに本を抱かせるために手を加えたのかな。


 なんとなく引っ掛かるものを感じて鑑定スキルを使おうとしたときだった。


 ギィッ……と何かが軋む音。驚いて振り向くと、裏口のドアが風に揺れていた。


 ――シスターは教会の裏かな?


 そう思いながら裏口をくぐると、そこには小さな墓地が広がっていた。簡素な薄い板状の墓石が規則正しく並んでいるのだけれど、その奥に明らかに他とは違う雰囲気の一画があった。


 大理石だろうか? 高価そうな美しい石が4つ、等間隔で並んでいるのだけれど、奇妙なことに何も文字が刻まれていない。墓石なら名前くらいあってもおかしくないのだけれど……。


 少し不気味に思っていると、背後から足音。驚いて振り向くと、そこにいたのは初老のシスターだった。


「な、なんだ……。もう、驚かせないでください」


 僕がため息を吐くと、おちゃめなシスターは「ぺしっ」と自分の頭を叩いた。


「失礼したわね。もしかして、今日も何か持ってきてくれたのかしら」


「もちろん。いつもと同じ角ウサギのお肉と、それからポーションをいくつか。僕が練習で作ったやつなので、ひどい味ですが……」


「まぁ! ポーションまで。ああ神よ、感謝します」


 両手を合わせて祈るように目を閉じるシスター。大げさだなあと思いつつも邪魔しないように墓石を見ていると、ふいにシスターが話しかけてきた。


「その墓石は『名もなき英雄たち』の墓。どこの誰なのかもわからないけれど、先代からは大事に弔えと言われています」


 そういういきさつがあったのか。僕はなるほどと思いながらたずねる。


「英雄と言うからには、何かを成し遂げた人たちなのですね。彼らは何をしたんですか?」


「それがさっぱり。ほとんど何も言い伝えられていないので。ただ、先代が言うには、この墓は記念碑的なものなのだとか。実際に英雄が眠っているわけではないそうです」


 つまりお墓の下はからっぽということか……。シスターにお肉を渡して一人になると、思い切って墓石のひとつにスキルを使った。


 名前:名もなき英雄の墓石

 種類:遺物

 効果:なし

 品質:やや劣化

 説明:『猛き剣』エリス・ラジャーハムの剣が眠る墓。


 英雄が使っていた剣が眠っているということかな……?


 もう一つ鑑定してみても、結果は似たようなものだった。


 説明:『氷床の槍』ウォルフ・ライプニッツの槍が眠る墓。


 ううん……。なんで武器だけが棺に納められているのかさっぱりわからない。英雄の遺体はどこいったのだろう。僕は墓石に手を合わせてから、精度を高めてもう一度だけスキルを使ってみる。


 ――鑑定!


 製作年:199年前


 僕は息を呑んだ。奇妙な符号だけれど偶然とは思えない。このお墓の下に眠っているのは、スタンピードがあったときに戦った英雄たちの武器なんだ……!


 僕はぞくぞくとしながらも確信する。これはスタンピードがあったという何よりの証拠だ。人々を説得するための大きな証拠になるだろう。

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