草取りのマルク②

 町の広場を出た僕は、これからどうするかを必死に考えていた。


 この町――アーシュライトを救う方法は2つ。スタンピードに備えて守りを固めるか、住民全員で避難するかだ。しかし、どちらにも大きな課題があった。


 僕一人では到底できない。町の人々の協力が必要だが、どう説得すればいいのか――それがわからない。


『星落ちる湖』の底にダンジョンがあって、200年前にスタンピードがあっただなんて話は聞いたことがない。僕が突然にそんなことを言ったって、誰も信じてくれないだろうし……。


 そうだ。過去のスタンピードの情報が文献として残されてないだろうか。


 となるとギルドだ。ギルドの歴史は深いから、裏付けになるような書類があるかもしれない。


 閑散としたギルドに駆け込むと、リリィさんがカウンターであくびをしているのが目に入った。この町のギルドは小規模で、朝と夕の依頼が多い時間以外は手持ち無沙汰らしい。いまならちょうど話せそうだ。


「あの、お話が……!」


 僕の様子にただならぬものを感じたのだろう。リリィさんは即座に応じて、奥の個室へ案内してくれた。


 彼女はブロンドを軽く耳にかけながら、ソファに腰掛ける。その洗練された動作はどこか都会的で、この田舎町には似つかわしくないくらい洗練されていた。


 つい見惚れつつも、僕は彼女のことをあんまり知らないことに思い当たる。僕がこの世界に来る少しまえに、この町にやってきたらしいけれど。


 焦る気持ちを落ち着かせるためにも、リリィさんにたずねてみる。


「……リリィさんって、字もきれいだし、仕草もすごく洗練されていますよね。この町に来る前はどんな仕事をしていたんですか?」


 リリィさんはきょとんしてから半笑いになってしまった。


「大事な話って、もしかして私のことを聞きたかったの?」


「あっ、い、いえ。ちゃんとほかに聞きたいことはあるんですけれど……」


 ぺろっと意地悪く舌を出すリリィさん。


「なーんだ。別に私に興味があったわけじゃないんだ」


「そ、そういうわけでもなくて……!」


 しどろもどろになる僕。いいように遊ばれてる自覚はあったけれど、手のひらの上で転がされるしかない。


「ふふっ、嘘だよ、嘘」


 リリィさんは何かを思い出すように斜め上を見ながら続けて言った。


「褒めてくれてありがとう。家が商家だったから、読み書きはしっかり教わったの」


「商家っていうと、お店屋さんとかですか?」


「そうだよ。装飾品店だった。ネックレスとか、指輪とかを扱ってた」


 僕は豊かな胸元で輝くペンダントを見る。シンプルな六芒星のそれは魔除けとしても効果がありそうだ。僕の視線に気づいたのか、リリィさんはペンダントを握って困ったような顔をした。けれどそれは一瞬のことで、すぐにいつもの柔和な表情で続ける。


「でもいろいろあって、私はお店を継がずにギルドに就職したんだ。いい機会だし、せっかくだから遠くに行ってみようかなって。それでこの町の支店に転勤してきたってわけ」


「そういうことだったんですね……」


 リリィさんは小悪魔のような笑みを浮かべて身を乗り出す。


「じゃあ次はマルクくんの番。洗いざらい吐いてもらおうか!」


 おっとそう来たか……! 適当なことを言ってもすぐにばれてしまいそうだし、どうしようか。そう困っていると、リリィさんの白くて柔らかい手が僕の手を包み込んだ。


「――人生、いろいろあるもんね。いいよ、言いたくなかったらそのままで」


 思わぬ言葉に戸惑っていると、リリィさんの手にきゅっと力が入った。


「私はマルクくんのことをとっても高く評価しているから! なんでも相談してね!」


 そのストレートな言葉に胸の中がじんわりと暖かくなる。この1年間の地道な努力が報われた気がして、僕はつい涙目になりつつも言葉を紡いだ。


「実は――」


 僕がすべてを話し終わると、リリィさんはあご先に指を当てながら深くうなずいた。


「確かにあり得ない話じゃないけど、この町をスタンピードが襲っただなんて、私は聞いたことがないよ……」


 予想通りの反応に、僕は用意していた言葉をぶつける。


「ギルドの資料を見させてほしいんです。このギルドは200年以上前からここにある。何か手がかりがあると思うんです」


 リリィさんは申し訳なさそうに目を伏せた。


「私の知る限り、そんな情報は資料にもなかったと思うけど」


 ダメか……。僕が肩を落としたとき、リリィさんは思いがけないことを言った。


「でも、地下書庫になら何かあるかも」


「ほ、本当ですか!? ぜひ僕をそこに……!」


 しかしリリィさんはやんわりと首をふる。


「そうしてあげたいところだけど、私でも簡単には入れないの。自由に閲覧できるのはBランク以上の冒険者だけって決まりになっている」


 100人にひとりの冒険者が、10年の月日をかけてたどり着く境地がBランクだ。20年あったところで僕には無理だろう。


「ほかに方法はありませんか? こう、裏技のような……」


 一縷の可能性にかけてたずねてみると、リリィさんは難問に挑むような顔になる。


「『緊急時の対応に関する特例』というのがあってね。ある条件を冒険者がクリアすれば、ギルドも全面的な協力ができるようになるの」


「な、なんだか物々しいですね。どんな条件なんですか?」


「条件はひとつだけ。町の人々の半分の支持があること。つまり、町のみんながマルクくんの話を信じて必要だと判断すれば、ギルドは協力しなきゃないけない」


 町の人々を納得させる方法か――と考えて、堂々巡りになっていることに気づく。


「スタンピードの証拠を探すために地下書庫に行きたいのに……!」


 歯がゆさに眉を寄せたとき、ふと僕は自分自身に『根拠』があることに気づいた。


 ……他にも考えてみたけれど、やっぱりそれしか方法はないように思える。


「あの――リリィさん」


 僕は覚悟を決めて青い瞳を見据えた。


「な、なに、改まって? デートのお誘いなら今度の日曜日があいてるけど……」


 この人は何を言っているんだろう。僕は思わず笑ってしまった。けれど、そのおかげで緊張せずに真実を話せる。


「僕には『鑑定』のスキルがあるんです」


 ぱちくりと瞬きしてから、「えっ!?」と大げさにのけぞるリリィさん。


「た、たしかにそう考えたら、薬草のことも説明がつくけれど……本当に?」


 半信半疑といった顔のリリィさんに、僕は畳みかけるように言う。


「例えば僕が町のみんなに『鑑定』スキルを使って、僕が知っているはずのないことを話したらどうでしょうか」


 いいアイディアだと思ったけれど、リリィさんは気乗りしない様子で口ごもる。


「それは……やめた方がいいと思うけど……」


 けれど、それが一番手っ取り早い。何かいいものはないかと視線をさ迷わせる。ちょうど目についたのは、リリィさんのペンダントだった。


「そのペンダントの効果を誰かに話したことがありますか?」


「ううん。でもそれがどうかしたの?」


 それならちょうどいい。僕は胸元で輝くペンダントに意識を集中させながら言った。


「いまからそのペンダントを鑑定して、秘められている効果を当てます。そうしたらリリィさんも信じてくれますよね」


 瞬間、はっとしたようにリリィさんがネックレスを握りしめる。


「ま、待って……!」


 必死の形相で僕を止めようとするリリィさん。けれども、僕の鑑定はもう終わってしまっていた。


 名前:耐病のお守り

 効果:感染症耐性 +3

 説明:娼婦のために作られたペンダント。さまざまな病気を払う魔法がエンチャントされている。


 ――な、なんで娼婦用の装備品をリリィさんが?


 僕の視線に混じった感情を感じ取ったのかもしれない。リリィさんはペンダントを握りしめたまま、顔を伏せて肩を震わせた。


 「み、見たの……?」


 リリィさんはペンダントを握りしめたまま顔を伏せ、小刻みに肩を震わせていた。


 僕は咄嗟に言葉を紡ぐ。


「ご、ごめんなさい! 本当にそんなつもりじゃなくて……!」


 必死に弁解したが、リリィさんの視線は冷たかった。


「……マルクくんまで、そんな目で私を見るんだね」


 その声は震えて確かな怒りをはらんでいた。


「そんなこと……」


 ないと言いたかったけれど、胸の中には痛みと同じくらい失望と暗い怒りが渦巻いていて、気を抜いたら叫んでしまいそうなくらいだ。


 ……僕は彼女のことを勝手に神聖視していたんだ。優しくて、純情で、あこがれていたんだと思う。だからこそ、その過去が許せなかった。


「ぼ、僕は……別に、リリィさんの過去にどんなことがあったとしても、軽蔑したりなんかしない……」


 口をついて出た言葉の薄っぺらさに嫌気がさしたとき、スカートを鷲掴みにする手の上にきらりと光るものが落ちた。


「私だって、好きでそんなことをしていたわけじゃない。――誰も知らないこの町なら、やり直せると思った。なのに……」


 目元を隠しながら、ドアを指さすリリィさん。


「……出て行って」


 僕はただ黙ってうつむき、それに従うしかなかった。


「ごめん。本当に……。しばらく顔を出さないようにしたほうがいいですね」


 そう言い残して部屋から出ようとしたとき、驚いたようにリリィさんが顔を上げた。真ん丸な瞳を見開いて、引き留めるように僕を見る。


「――だ、ダメ!」


 リリィさんが自分の言葉に驚くように口元に手を当てる。大きな声に戸惑っていると、彼女は取り繕うように言葉を並べた。


「ほ、ほら、マルクくんには薬草採りをしてもらわないと……!」


 ただ身を切るような痛みだけが満ちていた空気に、いままでみたいなむず痒い甘さがほんの少しだけ戻った。


 これで終わりにしたくないという気持ちがリリィさんにもあることに安堵しつつも、僕は自分の過ちを心の中で叱責するしかない。


 彼女の過去に土足で踏み込んだことが酷く悔やまれた。これまでみたいに、またリリィさんと笑いあえるようになるには、どう償えばいいんだろう。


「……スタンピードの証拠を見つけたら、また相談に乗ってください」


 僕はかすかな希望にすがるように言葉を残して、そっと部屋を出た。


 鑑定スキルの危険性がわかったのは良かったけれど、町の人たちを説得させる方法なんて……。


 ギルドの前でただ立ち尽くしていると、見知った顔が声をかけてきた。


「なんだそのシケた面は。大好きなスイートロールを角ウサギにでも食べられてしまったか?」


 赤銅色に焼けた肌に、不敵な笑みはアルベルトさんだ。


 僕はかなりまいっていたんだと思う。気が付けば言葉がこぼれていた。


「もし町に危機が迫っているとしたら……アルベルトさんならどうしますか?」


 アルベルトさんは目つきをぐっと鋭くして、僕の肩に手を置いた。


「詳しく聞かせてみろ」


 町をぶらぶらと歩きながら大体のことを話終わると、アルベルトさんは深くうなずいた。


「なるほど……。信じがたいが、筋は通っているな」


「信じてもらえるんですか!?」


 驚いて顔を上げると、アルベルトさんはにやっと笑う。僕をからかうときと同じ顔だったけれど、いまは目が笑っていない。


「いや。俺はこうも考えている。お前はどこかから流れてきた盗賊どものスパイで、この町を襲撃する準備をしている最中なんじゃないかってな」


「え……!?」


「俺たちをだまして町から避難させる。そのあいだに、町に侵入して金目のものをかっさらう……。そんな計画かもしれないだろう」


 そんなことを言われるなんて思ってもいなかった。だって、アルベルトさんは僕のことを「いなくてはならない薬草採り」だって、言ってたじゃないか! 


「ぼ、僕がそんなことをするって、本当に思っているんですか!?」


「可能性の話だ。この1年間、お前はたしかに薬草採りとして町に貢献してきた。けどな、誰もお前の正体を知らないんだ。警戒するのは当たりまえだろう」


「そ、それは……」

 たしかに僕はリリィさんにも、アルベルトさんにも何一つ自分のことを話していなかった。でも、異世界から来たなんて言えないし、仕方ないことだと思っていた。それがこんなふうに裏目に出るなんて……!


 どうしてこんなことになってしまったんだ……? スタンピードのことも、リリィさんのことも。あの賢者さまに出会ってから、なにもかもがうまくいかない。


 この1年のあいだに積み上げてきたものががらがらと崩れていく気配を感じながら、僕は破れかぶれでアルベルトさんの持っている弓を鑑定した。


「――その弓……ランぺージタイガーの骨が使われているんですね」


 アルベルトさんがいつも愛用している、古びているけれど強靭な長弓。その素材を指摘すれば『鑑定』スキルを信じてもらえる。そう思ってのことだったが、アルベルトさんは目の色を変えて僕に詰め寄った。


「お前……!? どこでそれを知った!?」


「け、賢者さまが湖から拾ってきた骨に似ているなって」


 予想外の反応に適当なことを言ってしまったけれど、アルベルトさんは胸のつかえがとれたような顔で弓を見上げた。


「この弓は俺の家に代々伝わるものなんだ。なんでも、『流星のジグラッド』という祖先が、死闘の末に倒したモンスターから作ったらしい」


 流星の……!? 間違いない、賢者さまが拾った牙の持ち主を倒したハンターの名前だ。


 アルベルトさんは弓に刻まれた傷を触りながら続けた。


「修理のために必要な素材を探していたんだが、どうりで見つからないわけだ。まさかダンジョンから出てきたモンスターだったなんてな……」


 その言葉に僕は思わず顔を上げた。


「じ、じゃあ……?」


 アルベルトさんはニヒルに笑って肩をすくめた。


「証拠があるんだ。とりあえずは信じてやる」


 差し込んだ一筋の光に顔を上げると、ちょうどギルドの前に戻ってきていた。いつのまにか町を一周していたようだ。僕はその入口を見ながら、おずおずとアルベルトさんにたずねた。


「……誰かを深く傷つけてしまったときは、どうしたらいいんでしょう。僕はその人と仲直りしたいんです。信頼を取り戻したい」


 アルベルトさんは「ふん」と鼻で笑った。


「そんなことわかるか。……だが、できることなんてひとつしかない。実績を残すことだ」


「……実績ですか」


「ああ。女みたいなツラをしてるが、お前も男だろう? それなら泣き言を言わずにただ実績を積み上げろ。そうすれば信頼なんていくらでもついてくる」


「で、でもそんなこと、僕には」


 前の世界での苦い経験がよみがえってくる。どんなに残業しても僕の業績は伸びなかった。なのに、実績だなんて。


 アルベルトさんはやれやれと首を肩をすくめる。


「『できない』なんて言う資格はない。お前は、ただ『やっていない』だけだ」


 その辛辣な言葉に、僕は雷に撃たれたかのようになった。


 ……西村恭司だったとき、僕はベストを尽くしていたと思っていた。


 けれど、それは違う。


 心が摩耗してしまう前に転職したり、上司や同僚に相談したり、できることがあったはずだ。


 僕は何も行動を起こさずに流されていただけだ。異世界に来ても、スキルや人々の善意に甘えてスローライフだなんて、なんて怠慢なんだろう。


 けれど、それもおしまいだ。僕は顔をしっかりと上げて、目の前の先輩冒険者を正面から見据えた。


「教えてください、アルベルトさん。僕は何をしたらいんでしょう」


 アルベルトさんは鳶色の目で僕を見つめて、ふっと笑った。


「わかりやすいのはいつだって肩書だ。まずはその万年Fランクをどうにかしろ」


 そのためにはギルドの試験を受けないといけない。しかしいまのままでは無理だ。Eランクの受験資格はレベル10以上となっている。


「わ、わかりました……! 装備を整えて、モンスターの討伐依頼も受けます」


 アルベルトさんは満足そうにうなずいた。


「それがいい。それでいい。だが、薬草採りの依頼も手を抜くなよ。数少ない実績を維持するんだ」


「は、はい……!」


 僕はこれから、自分ができうることすべてに立ち向かわなければならない。できるのだろうか、と自分に自問自答する。


 ――いや、できるかできないかじゃない。やるしかない。誰もが僕を信じたくなるような、実績を積み上げるんだ!


 決意を胸に意気込んだとき、何かを考えるように沈黙していたアルベルトさんが口を開いた。


「しかし、だ。スタンピードが本当に迫っているとして、どうこの町を守るかだ。『流星のジグラッド』ですら手こずるモンスターがわらわらと出てくるわけだろう。ひとたまりもないな……」


 僕はぶるりと震えた。この村で一番のハンターであるアルベルトさんですらレベルは68だ。ダンジョンから出てくるランぺージタイガーのレベルは76。一対一でも勝てるかどうか……。


 避難するしかないかもしれない。町を捨てることになるけれど……とそこまで考えたとき、アルベルトさんが思いがけないことを言った。


「200年前にもスタンピードがあった。――でもこの町はこうやって残っている。『流星のジグラッド』たちはどうやってこの町を防衛したんだ?」


 アルベルトさんの言葉に、僕の中で一筋の希望が灯った。町にはまだ、危機を乗り越えるための手がかりが残されているはずだ。苔むした石畳や年季の入った建物――古い町並みの中に、先人たちの知恵が隠されているのだろうか。


 今日と同じ明日が続くと信じて町を行く人々眺めながら、僕はこれから忙しくなるであろう日々に想いを馳せていた。

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