1話 意気地なしのスローライファー

草取りのマルク①

 アーシュライトという町に来て、ちょうど1年になる日のことだった。


 その日も僕は町の冒険者ギルドに顔を出して、いつもの依頼票を手に取った。ポーションの材料になる薬草を採取する依頼だ。


 森で薬草を探し出すのは骨が折れるけれど、僕なら午前中で20本は採れる。金額にすれば銀貨1枚だ。換算すれば5千円くらいの金額だから、なかなかのコスパだった。


 よし、ささっと終わらせて、それから……!


 軽い足取りで受付に行くと、顔なじみのギルド職員さんが僕を見て表情を明るくした。


「おはよう、マルクくん。今日はなんだかご機嫌だね?」


 ゆるく波打ったブロンドに、青い瞳が印象的な彼女はリリィさん。かなりの美人さんだけれど、気取ったところは全然なくて、その人懐っこい笑顔は愛嬌たっぷりだ。


「おはようございます、リリィさん。……そんなに顔に出ていましたか?」


「うん。何かいいことがあったの?」


 よくぞ聞いてくれましたとばかりに僕は答える。


「みんなには内緒でお願いしますね。――実は目標金額までお金が貯まったんです」


「ついに……! おめでとう。この1年、こつこつ頑張ってたもんね」


 彼女の言う通り、ひたすら薬草採りに励んだ1年間だった。けれどそれも今日でおしまいだ。


 リリィさんは保育園の先生みたいにぱちぱちと拍手しながらたずねる。


「それで、どの家を買うの?」


「町のはずれの教会の近くのやつです。森まで近いし、畑もあるのが決め手でした」


 家があれば宿屋代が浮き、仕事量も減らせる。憧れの異世界スローライフが始まるんだ……!


 悠々自適な生活に想いをはせていると、リリィさんは辺りを見回してからこっそりとたずねてきた。


「ほんとマルクくんってすごいよね。あっという間に、しかも高品質な薬草ばっかり! ……森の妖精さんが手伝ってくれてたりして?」


 僕はぎくりとしながら、適当な理由をでっちあげる。


「た、たまたま見つけた群生地があるんです。秘密にしてくださいね」


 リリィさんは怪訝そうにうなずいた。


「冒険者の飯のタネを強引に聞くわけにもいかないか……。仕方ない、そういうことにしておいてあげる!」


 僕は内心ではびくびくとしながら、どうにか愛想笑いを浮かべる。


 ――もちろん群生地を知っているなんていうのは嘘だ。


 僕には、『鑑定』という特別なスキルがある。目に映るものへ意識を集中すれば、その名前、用途、品質……隠された情報がすべて頭の中に浮かび上がるのだ。


 便利すぎるくらいの能力だけれど、誰にも話せない。うわさになれば悪い連中に狙われてしまうかもしれないからだ。


 でもリリィさんには嘘は言いたくないな……。いつか話せることができたらいいんだけど。


 そう思っていると、ニヒルな笑みを浮かべた背の高い冒険者が僕に近づいてきた


「よう、マルク。今日も森で薬草探しか?」


 銀色の短髪に赤銅色の肌。いつもしかめっ面をしていて、人相はお世辞にもいいとは言えないけれど、その鳶色の瞳には穏やかな光が宿っていた。


「こんにちは、アルベルトさん。午前中はそのつもりです」


 アルベルトさんは腕利きと名高い一流の冒険者だ。その弓矢は鋭く、この辺りのモンスターなら一撃で倒してしまうほど。


「いつもポーションが品薄で困っている。しっかり探してくれ」


 たまに他の冒険者から『草取り』のマルクだなんて笑われることもあるけれど、彼は違う。僕の薬草採りをきちんと評価してくれる、数少ない人物だ。


「任せてください! 明日には店頭に出ますよ」


 力強く言うと、アルベルトさんは満足そうにうなずいてから、まじまじと僕の全身を見た。


「しかし、この町に来て1年になるっていうのに、本当にお前は変わらないな。会ったときから女みたいなツラだと思っていたが、本当に女じゃないのか?」


「そんなわけないじゃないですか」


 確かに僕は中性的な顔つきだけど、正真正銘の男だ。


「そうじゃない、ヒョロヒョロってことだ。……いまのレベルは?」


 う、そこを突かれると弱い……。僕は安全なところで薬草採りばかりしているから、モンスターと戦うことが全くない。経験値が入ることもないから、レベルはほとんど上がっていなかった。


「よ、ようやく4になりました……」


 ぶはっと噴き出すアルベルトさん。


「おいおい、嘘だろ? なんなら俺がレベリングに連れていってやろうか」


 僕は別に強い冒険者になりたいわけじゃない。のんびりと薬草を採って穏やかに暮らせるだけで十分なのだ。


 いつものように曖昧な笑顔で聞き流そうとしたとき、頬を膨らませたリリィさんが割って入ってきた。


「マルクくんが困っているじゃない。アルベルトさんは本当に脳筋なんだから!」


「な、なんだリリィ。もしマルクが森でモンスターに襲われたらどうするんだ?」


僕を守るように腕を回しながら言い返すリリィさん。


「モンスターの駆除はアルベルトさんの役目でしょ。もしマルクくんに何かあったら、アルベルトさんのせいですからね!」


 リリィさんのジト目に一歩後退しつつも、アルベルトさんも食い下がる。


「なっ!? 無茶をいいやがる……! というかだな、マルクの装備を見てみろ。ずっと同じ安物だ。俺はマルクのこれからを心配してだな……!」


 ぐいっと引き寄せられて、ほとんどリリィさんに抱きすくめられるようになってしまった。慌てて離れようとするけれど、ものすごい馬鹿力だ。


あ、あのリリィさん……? 僕の腕に妙に柔らかい感触があるんですが……。


 なんとか抜け出そうとしたとき、リリィさんの腕が急に離れた。


「あのローブは……!?」


 ギルドの入口に黒い影が差し込む。銀糸の刺繍が入った黒いローブをまとった長髪の男が静かに建っている。


 丸眼鏡の奥から放たれる眼差しは、まるで深淵を覗くよう。アルベルトさんですら一歩も動けず、ただつぶやくだけだ。


「け、賢者か……!?」


 その言葉に僕は耳を疑う。賢者の称号を持つ者なんて国に数名しかいない。


 ……けれど、目の前の彼は、賢者というよりも――もっと異質なものに感じた。大げさに言ってもいいなら、人から離れているような。


 僕はおそるおそる彼に焦点を当てて、意識を鋭くした。


 ――鑑定!


 名前:ライ・レッドワード

 職業:賢者

 レベル:999

 HP:1824

 MP:4078


 賢者さまのステータスを見た瞬間、息が止まった。こんな数字、見たことがない……。人間でこんなレベルに到達できるなんて、本当にあり得るんだろうか?


 ごくりとつばを飲み込んだとき、誰かの声が頭の中に響いた。


「君は――転移者ですね?」


 頭に響く低い声に、僕は思わずあたりを見回す。しかし、ギルドのざわめきに紛れて、この声が他の誰かに届いている様子はなかった。


 いまのは賢者さまが……? そう思った矢先、また同じ声が届く。


「大丈夫。他の人には聞こえていません。警戒しなくとも大丈夫です。――実は、私も転移者なのです」


 こくりとうなずいて、丸眼鏡を持ち上げる賢者さま。レンズの奥の瞳は優しく、少しだけいたずらっぽく輝いていた。


「町の広場で待っています。マルク……いえ、西村恭司くん」


 賢者さまはそうとだけ言い残すと、くるりと踵を返してしまった。


 隣のリリィさんが「はぁ~っ」とため息を吐き出す。


「すごい迫力だったね……! でも、なんの用事だったんだろう……」


 僕は曖昧にうなずきつつ、賢者さまの消えた入口を見つめていた。胸の奥で得体の知れないざわめきが広がって、足が思うように動かなかったのだ。





 西村恭司。それが1年前までの僕の名前だった。


 ――思えば、敷かれたレールの上をただ進むだけの人生だった。親に言われるままに進学校に入学し、いい大学を卒業して、みんなが知っている企業に就職した。


 でもその会社はとんでもない激務だった。「30代で家が建ち、40代で墓が立つ」と揶揄されるほどだったんだ。それでも僕にも意地がある。必死に頑張った。けれど上には上がいる。優秀な同僚と比べられて叱責され続けた僕は、その差を少しでも埋めるために長時間の残業を続けた。


 そしてそんな生活が2年経ったとき、僕はふらりと――突然に、駅のホームから飛び降りた。ただふらついたのか、死ぬ気だったのかはわからない。


 ただ覚えているのは、誰かの悲鳴と、電車のブレーキ音。それで一巻の終わり――のはずだったのだけれど、気が付けば、僕はこの異世界にいたのだった。


 僕はとても戸惑ったし、元の世界に戻りたいとも思った。けれど、その気持ちはすぐに消えてなくなってしまった。


 この世界は、危険だけれど――とてつもなく優しいのだ。小さな衝突やトラブルがあっても、それは小さな誤解や些細な障害に過ぎず、最後にはいつもハッピーエンドだ。


鑑定なんてスキルもあるし、衣食住に困ることもない。


あまりにも都合のいい世界だったけれど、それは元の世界で頑張ってきた僕へのご褒美だと――そんな甘いことを、僕はこの日まで考えていたんだ。





 アーシュライトの真ん中には広場があって、そこには大きなイチョウの木がある。


その木陰に設置してあるベンチに座っていた賢者さまは、僕の話を聞き終わると興味深そうにうなずいた。


「私と同じような経緯ですね。もっとも、私の場合は事故でしたが……」


 賢者さまは、見た感じでは30を過ぎたくらいの年齢だ。僕より7、8歳しか違わないはずなのに、ずいぶんと落ち着いて見えた。


「でも、僕は本当に幸運でした。この世界にはモンスターがいたり危ないこともいろいろありますけれど、それでものんびりと生活できていますから」


 賢者さまはうんうんとうなずいて、広場の向こうにあるお店を見た。


「あの薬屋の店主さんからマルクくんの活躍を聞きましたよ。『彼の採ってくる薬草から作ったポーションはすばらしい。賢者さまも満足するに違いない』とね。いやぁ、なかなかに商売がうまいお方でした」


 賢者さまはポーションの小瓶を何もない空間から出してみせる。


 レアな収納魔法にも驚いたけれど、自分が関わったアイテムを賢者さまが持っていることが誇らしくて、僕は思わず笑顔になってしまう。


「賢者さまはどうしてこの町に?」


 僕がたずねると、賢者さまは声を小さくする。


「この町の近くにある『星落ちる湖』はご存じですか?」


 森の中にある小さな湖だ。海底に大小さまざまな星型の岩が落ちていて、それが名前の由来になったらしい。


「ええ……。そこが?」


「実は、アカデミー魔法学校の依頼で、その湖の調査にやってきたのです」


「たしかに変な岩が転がっていますけれど、普通の湖と思いますが……」


 賢者さまはあたりを慎重に見回してから、とんでもないことを言った。


「きっかけはアカデミーの古代図書館で見つかった1冊の本でした。その古文書によると、湖の底がダンジョンに繋がっているらしいのです」


「ダ、ダンジョンに……!?」


「――はい。いまは活動を停止しているようなのですが、200年周期で活動期に入るとの記載がありました」


 思わず目を剥いて、賢者さまの顔をまっすぐに見据えた。流麗な瞳は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。


「まさか――スタンピードが起きる……!?」


 生態系や環境が大きく変化したときに、ダンジョンからモンスターがあふれ出る現象がスタンピードだ。特に休止期から活動期になったときに発生することが多いと言われている。


もし本当にスタンピードが発生したら、この町にもモンスターが押し寄せることになる……。


「いまのところは予兆らしきものは見当たりませんでした。前回の活動期がいつだったのか……」


 賢者さまが取り出したのは、ずいぶんと古びた、触っただけでぼろぼろと崩れるほどに風化した牙だった。


「これは……モンスターの牙?」


「湖の底から拾ってきたものです。ですが、この辺りに生息するモンスターの物ではありません」


 たしかに、こんな凶悪な牙を持つモンスターは見たことがない。


何か手掛かりがないかとその牙をじっと見つめていると、思わず「あっ」と声が漏れた。


「そうだ! ――僕の鑑定なら……!」


 賢者さまは眼鏡の奥の瞳を見開いた。


「マルクくんには鑑定のスキルがあるのですか……!? この骨の年代がわかれば、いつ活動期に入るのかわかるかもしれない……!」


「任せてください……!」


 ――鑑定っ!


 名前:ランぺージタイガーの牙

 種類:素材

 用途:防具材料・武具材料(ランクⅤ)

 品質:きわめて悪い


 普段はこれだけのことが分かれば十分だけれど、僕の鑑定にはさらなる力がある……!


 討伐者:流星のジグラッド


 よし、いいぞ! ……討伐年は!?


 ――鑑定結果が表示された瞬間、胸がドクンと鳴って血の気が引いていくのを感じた。。


「け、賢者さま……。この骨は199年前に討伐されたモンスターのものです……!」


 賢者さまは口元を厳しくしてうなずいた。


「長くてもあと1年の猶予ということですか……」


 あふれ出した巨大な虎のモンスターがこの町を襲う姿がありありと浮かんだ。このアーシュライトは僕の第二の故郷だ。


何としてでも守りたい……!


 僕は土下座する勢いで頭を下げた。


「賢者さまなら、スタンピードにも対抗できるのではないでしょうか!? どうかお力をお貸しください……!」


 あの牙のモンスターのレベルは76。逆立ちしたって僕には勝てないけれど、賢者さまからすればネズミのようなもの。100匹同時に襲いかかってきたとしても、簡単にあしらえるはず……!


 ところが賢者さまは申し訳なさそうにかぶりを振った。


「――それはできません」


 頭をがつんとやられたような衝撃だった。同じ転移者同士、無条件で助けてくれると思っていたのに……!


「な、なんでですかっ!?」


僕がつい拳を握りしめると、賢者さまはやんわりと首をふった。


「モンスターに襲われ町が滅びるのも、この世界の理の一つと言えるのではないでしょうか」


 詰め寄るような僕の態度にも賢者さまは冷静で、それがさらに僕を苛つかせる。


「わ、わからなくはないです。でもそれを退ける人間もまた、世界の一部なのでは……?」


「私はこの世界からすれば異物。いわば外来種です。安易に手を出せばどんな影響がでるかわかりません」


 賢者さまはそこで顔を上げて、眼鏡の奥の瞳を冷淡に光らせた。


「それに、私がこの町を助けたとき、ほかの町で同じようなことが起こっていたら。私が助けに行かなかったことで、その町が滅んだとしたらどうしますか」


「え……。そ、それは運が悪かったというだけでは……」


 賢者さまは口元だけでにこりと笑った。


「その理屈が正しいなら、この町もまた運が悪かっただけだ、ということになります」


「あっ……!?」


 賢者さまの言う通りだった。特別扱いを求めるということは、他の誰かを冷遇しろということ……!


 言葉を詰まらせていると、賢者さまは少しだけ表情を緩めた。


「ですが、外来種うんぬんは『私』の考えです。――当事者のマルクくんが何をしようとそれは自由だ」


「ぼ、僕が……この町を……?」


「……半年後にまた来ます。君がこの世界で何を選ぶか、その答えを見せてください」


 賢者さまは静かにベンチから立ち上がると、黒いローブを揺らしながら風のように去っていった。


 ――その瞬間、なぜだかわからないけれど、僕はこの世界が急に変質したように感じた。毛布のように優しかったゆりかごのような世界が、急に寒々しく、とげだらけで、リアルなものになったかのような。

 ひとり残された僕は、硬く握りしめた自分の手をじっと見る。


 気楽な異世界生活がずっと続くと思っていた。それが、どうしてこんな事態になってしまったのだろう。

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