神秘の森に魔女ありて・・・
月羽
魔女と闇の話
今では無い時、ここでは無い世界、三国に囲まれたる神秘の森あり。
欲と力の支配を拒む森の奥深く、赤い鱗屋根の一軒家あり。
屋敷と呼ぶに小さく、小屋と言うに大きい。身の丈程に暮らすに丁度良い大きさ。
煙突からはぽこぽこと白い煙が登り。正面から見れば、木製鉄枠の扉と眼鏡に見える木枠の窓が二つ。
窓の一方、カーテンを開いた奥。机にまで本が山脈を成す部屋、黒髪黒衣の魔女が居た
物語はこの場所、この魔女から始まるのであった。
「ふむふむ、なるほど…これは興味深いわ……」
魔女は整った声で呟くとページを捲り、紅の瞳を文字に走らせる。
彼女の手の中にあるのは、古今のありふれた知識を記した黄昏色の書物。
ありふれた知識、されどありふれた中にこそ宝石の輝き放つ知識は在る。だから魔女は読み漁り知識を探求する。
さらに数ページ読み進めると魔女は垂れた髪を指で直し、その手を机に置かれたカップへと伸ばした。
すると宙から白いティーポットが湧き現れ、カップに赤橙色の茶が注がれた。
不可思議現象な一場面。しかし魔女は驚く事なく、それを当然とカップを口へと運ぶ。
小さな音と共に茶を啜れば魔女の渇いた喉は温まり、香りが喉から鼻へと抜けて行く。
身と心が温まる一杯。
「良い香りだ…」
魔女が短く言うと、鈴音の声と共に空間から姿が浮かび上がった。
白い給仕服の白絹の様な少女、家事妖精だ。
古き家に憑き良き主に仕え家事する事を喜びとする妖精。
その家事妖精はたおやかな笑みを浮かべるとスカートを摘まみ、ついっと頭を垂れた。
しかし魔女は家事妖精を一瞥し頷くだけで、直ぐに書物へと戻ってしまう。
家事する事を喜びとする妖精だが、やはりこの素気無さに拗ねたのか。
主の肩越しに書物を覗き込んだ。
「主様、何を読んでいるのですか……これは蛇ですね…?」
書物に描かれていたのは文字と蛇の図案。魔女と蛇、他に蝙蝠や蜥蜴等の生き物は魔術的に縁深いとされる。しかし、それはあくまで人々の作った
だとするなら、蛇の何が主の興味を惹いたのだろう?
家事妖精は覗き込んだまま小さく首を傾げ、その疑問には魔女自身が答えを返す。
「蛇は熱を見る事が出来るんだ、面白いだろう?」
「熱を見るんですか…?」
喜びで語る魔女に家事妖精は白い髪を揺らし、ぽかんと呆けた表情を浮かべた。
熱は感じる物。日を浴びれば暖かいし、氷に触れれば冷たい。見る事にどんな意味があるのだろう?
疑問が解けぬまま家事妖精が首を傾げていると、魔女は待っていたとばかりに言葉を続ける。
「狩りの役立つ。大抵の獣は熱を持っている…つまり温かい。だから叢に潜もうと夜の闇に紛れようと、熱を見て獲物を捕らえる。興味深い」
「はぁ、魔法も使わずに出来るのなら凄いですねぇ」
やっと納得が行ったのか、家事妖精はこくこくと何度も頷く。それに気を良くしたのか、魔女は興奮し言葉を続ける。
「見ると言う行為も奥が深い!夜目の魔法や透視の魔法は既にあるけど……、他の力を見る魔法を作るのもおもしろそうだ」
「夜目に…透視…!!」
魔女が頷きながら家事妖精の方を見ると、家事妖精は慌てて胸元を隠した
「何?その反応……、待て待て? 私がそんな事をする様に見えるのか…?」
「…主様は好奇心で物事をなさる方ですから……」
「えー……」
家事妖精の反応に気付くと、魔女は両手を振りながら窓の方へと瞳をやった。
(確かに……) 出会った当初を思い出すと、自身の所業を反省。同時に妖精と言う存在を考察。
(物に由来する妖精は性質が人に似ると言うけど…その通りなのかもしなれない)
魔女が考えていると、窓硝子の向こう空の彼方に光点が輝いた。
「来訪者?…なるほど」
呟き、魔女が指を弾くと窓が大きく開かれ、一呼吸置いて突風が通りに抜けて行った。
「魔女様ぁー!ぬあ!」
突風は悲鳴にも似た声を残し壁に衝突。しかし魔女にとって些事なのか日常なのか、その壁には柔らかなクッションの山。大事にはならず、声の主はクッションに弾かれ床にちょこんっとアヒル座りで着地。
「風の妖精、出来る事なら玄関から入って欲しいのだが?」
「そろそろ名前覚えてよー、風の妖精もたくさんいるんだからぁーうーあー…そうじゃなくて、大変!大変なのー!」
魔女が溜め息すると、青緑の髪の幼い少女は跳ねる様に立ち上がる。そして魔女へと詰め寄ると翅と両手を上下にバタバタと振り回す。
「何が大変なのかな?」
「だから大変なのー!」
言葉のやり取りを繰り返すも風妖精は大変と言うばかり。だんだんと魔女は眩暈を覚え始め、額を指で押さえた。
(はぁ、同じ妖精でもこんなにも違うのだな……)
思い家事妖精を見やれば、白い少女は愛らしく首を傾げる。
人近くにある『物』由来の家事妖精と異なり、自然由来である妖精達には幼い気質の者が多い。
なんにしても、このままでは話が全く進まない。かと言って、幼子の扱いに魔女は
不慣れであった。
これは森へやって来た当初からの悩みの一つ。小さく溜め息すると、助けを求めるべく家事妖精に額から指を離し振った。すると家事妖精は頷き、即座に動いた。
すると家事妖精はこくりと頷き、風妖精に銀の盆に乗せたカップを差し出した。
「温かいお茶をどうぞ、落ち着きますよ?」
この準備の良さ、既に助け船を出すつもりだったのだろう。
魔女はいったん引くと、後は流れを任せる事にする。
「お茶?」
家事妖精にたおやかな声、風妖精は一瞬呆けた表情になるが。
カップを取ると一気に飲み干した。
「あ…熱いですよ…?」
「!!」
しかし言葉は遅く、屋内から外へと飛び抜ける悲鳴が響いた。
---
魔法の箒に腰かけ空を行けば、風妖精の告げる異常事態は直ぐに見えた。
むしろここに異常事態があるぞと言う存在感を持ち
真黒の巨大なドーム状の何かが森のど真ん中に鎮座している。
風妖精が落ち着くのを待ち事情を聞くと、魔女は即座に身支度を整える。紫黒色の
最後に「行ってくる」と一声すると、家事妖精に見送られ魔法の箒で出発。
魔女的に些事をいちいち解決してやる理由は無いが、静かな日常が脅かされる事は好ましくない。
それに予感もあった。風妖精が大袈裟に言う事は日常茶飯事だが、稀に大事件もある。足を運べば、かくして的中。
「あれは確かに異常……」
穏やかな森の景色に不似合い存在を見るや、魔女は眉を強く顰める。
「え?あれぇー!?」
すると、先を進んでいた風妖精が素っ頓狂な声を上げた。
風妖精は魔女が「何?」と問うよりも早く振り向くと、これまた素早く寄って来る。
「さっきよりも大きくなってるのー!!」
「大きく?」
問えば、魔女の家を訪ねる前見た時の、倍以上の大きさがあると返す。
それが事実だとするなら、僅か十分程度の間に拡大したと言う事になる。
風妖精が大袈裟に言ってる事を加味しても、ドームの拡大速度は早い。
この森が広大だとしても、数日のうちに大半が飲み込まれてしまう。
ドームに近付くにつれ、周囲には大勢の少女達が集っているのが見えてくる。
大小様々な妖精に多種多様な少女姿の獣、姿豊かな者達。全てこの森に暮らす住人。
「あ!魔女様が来たー!」「魔女ちゃんだ」「おーい」
はしゃぎ騒ぐ少女達に軽く手を振り返すと、魔女はドーム間近に箒と共に降りた。
知った顔もあるが今は話している時ではない。
この異常な事態の調査と解決が先と、魔女は早速調査を始めた。
それを好奇心と共にっ見詰め見守る妖精魔獣の少女達。むしろ観覧されている?
「ふむふむ…固形物では無く、気体…いや、これは闇そのもの?それに、この魔力の『形』は……」
「おー?」
「ふむ……」
賑やかな中、一通りの調査を終えると魔女は腕を組む。
漆黒のドームに触れ見て、さらに探知と探査の魔法を飛ばす事で魔女はいくつかの情報を得た。そのうち有益な事は僅か。それでも得た答えを語るのなら
この闇に悪意や魔の存在は感じない。術者に生み出された物でも、悪しき魔による浸蝕でも無い。
それ以外の由来により発生した、純粋の闇だ。その答えを得た事で、次の疑問を解決しなくてはならない。
なぜ、ここにあるかだ。
風の妖精が曰く。朝起きて気付いたら、この場所にあった。
この森は守護られている。もし外から異変が来たのなら、魔女にも『知らせ』があるはず。それが無いとするなら、異変の出所は森の内側。
なによりドームを形成し構成している魔力の『形』、そしてぬらりと絡みつく様な感覚。
魔女には覚えがあった。
(これはあの子なの…?)
条件は絞られた、後は一つの確認をするだけ。魔女は
集った少女達へと振り向いた。
「皆!この中に、夜から朝に闇の精霊の姿を見た子はいるかな?」
「見た?」「見てない」「わかんない」
魔女が問えば、少女達は互いの顔を見合わせ首を否定の方向に振った。
この否定により魔女の推測は確定した。『闇の精霊』だ。
だが確定と同時に、魔女は状況が最悪である事を理解する。
(…でも闇の精霊が無意味に…しかも昼の時間に世界を闇に包む事は無いはず……)
この森に暮らす多くの精霊や妖精と同じに、困った部分こそあれ悪意を齎す様な事はない。
魔女は闇の精霊は言っていた言葉を思い出す。
『…星の灯が好き…特にこの森から見る星が好き』
闇の精霊が灯が好きとは奇妙な話だが、その時の笑顔を魔女はよく覚えていた。
ならば夜になれば星浮かぶ空を隠すはずがない。これは闇の精霊が意図せぬ事。
(つまり…) 魔女の出した最終的な結論は、力の暴走。
精霊は世界に寄り添う存在。世界を循環する魔法の力…魔力を己の司る『力』へと変換し、余剰魔力は流れへと還元する。数多の精霊達の営みにより世界の力は循環し回り続ける。
しかし、精霊の力が暴走すれば循環は滞り、環境の崩壊から精霊の消滅へと繋がる。
特に深き森には闇の魔力が集まり易い、闇の精霊の存在無ければ『闇』の循環は滞る。
今回の場合だと最悪、ドームを中心に大きな範囲が闇に飲まれ消える。
それこそ闇の精霊が望む事でないはず。
「聞こえるか闇の精霊?聞こえるのなら返事をしたまえ!」
魔女は拡声魔法を声に重ね、ドームへ呼び掛ける。声は塊となり闇の奥へと駆けて行く
しかし、数分待っても返答は無い。
魔女はこれを危険と判断した。返答がない、つまり闇の精霊は返答が出来ぬ状態にあるのだと。
(急がないと……)
魔女は箒を鞄に押し込むと
「行ってくる……」
「え?この中に入るの?」
問いに頷くと魔女は夜を見通す夜目の魔法を自身の瞳に唱え、真っすぐに闇の中へと入る。そして直ぐに出て来た。
「あれ?あれれ?魔女様どうしたの?」
「見えない……」
風妖精の問いに魔女は短く答えた。そう答えるしかなかった。
いくつかの魔法を試すも、魔女の知る魔法ではこの闇の中を見通す事が出来ない。
この闇は精霊の力で生み出された濃厚な闇の魔力その物。魔力を感知する魔法は意味を成さず、夜目の魔法は意味を成さない。
魔力は大きな魔力に、光は重い闇に潰されてしまう。
喩えるなら、花畑の中で一輪の花の香りを、大雨の中で一滴を捜す様な物。
ならば別の方法を捜すしかない。魔女が知り使える以外の方法を。
魔女はグルグルとその場を歩き回り考え、蓄えた知識を手繰る。だがそれだけでは足りない、何か切欠が欲しい。
その様子を風妖精は不安そうに見ている。それでも魔女は歩き、そして闇に手を触れる。また歩き回る。
一連の行動を繰り返すうち、ふと気付いた。それは闇に手を触れた時。
「冷たい…そうか、闇の中には太陽の光が届かない……」
歩いた事で身体が温まり、より低い熱を感じやすくなった。だからこその気付き。
ならばもう一つ確認するべき事がある。
魔女はグルリと振り向くと、風妖精へと一気に歩み寄った。
ぺたり。風妖精の頬に手を触れる。一瞬の間。
「ひゃあ?魔女様なにするのー!?」
「ふむ…暖かい。他の子も妖精もそうなのかな?」
「なんなのー?あったかさなんて、みんなそれぞれだよー」
風妖精は頬を膨らませ抗議の声を上げるが魔女は思考を続ける。
普段あまり気にしないが家事妖精にも熱、体温はある。
精霊にも体温があるかはわからないが、周囲とは違う何かしらの変化はあるはず。
魔女はそう結論すると、必要となる魔法を組み立て始める。
宙に魔法文字の呪文を書き記し、それを並べ替え新たな呪文を書き足す。
夜目の魔法を土台にいくつかの要素を追加する。温度、魔力、魔法の
何度も呪文の書き足しと書き換えを繰り返し、試行錯誤と思考を繰り返し。
興味を持った妖精達が見守る中、不意に魔女の手が止まり大きく息を吐いた。
「完成だ」
「完成?何が出来たの?何の魔法なの?」
「見る魔法だよ…さて」
ぴょんぴょん跳ね回る風妖精の声を背に、魔女は再び闇の中へと入って行った。
---
闇がある。真の闇、深淵とはまさにこれを指すのだろう。光を全く感じず、物の輪郭すら全く見えない。自分の存在すらあやふやとなる闇。
「おっと?」
魔女の肩に何かがぶつかった。細くしなやかな物体、木の枝か何かだろう。
この闇の中は歩くだけで危険がやってくる。人が普段どれだけ目の感覚に頼っているのかが良く分かる。
感覚を研ぎ澄ますが限度がある、何より今は先を急ぎたい。
「では試してみようか…『
魔女は指で瞼をなぞると、新たな魔法を刻み込む。
刻み込まれた魔法は目薬の如く瞳へと浸透し、新たな力を与える。
目に力が宿るの感じると、魔女はゆっくり目を開いた。
「見える。見えるが……」
そこには不可思議な光景が広がっていた。
極彩色の風景、眩しいでも眩いでもなく不可思議な色に輝いている。
木々が土が、羽ばたく蛾と蝙蝠が、そして足元を通りすぎる鼠が蜥蜴が。
見える世界の全てが七色の塗料をぶちまけた様な極彩色に染まっている。
「これは機能を欲張りすぎた…か?」
普段見えていない、世に溢れる感覚と力が視覚として捉えているのだ。
温度、音、匂い、その他もろもろ。全てが見え過ぎている。
「頭痛がしてきた…。だが、今はこれで行く」
本来なら試作魔法には調整が必要、だが魔女にその時間は無かった。
肌に強く感じる感覚。先程よりも闇を構成する魔力が濃く強くなっている。
まるで悲鳴の様な魔力が身体に突き刺さる。
もはや猶予は無い。だから、魔女はかまわずに足を踏み出した。
極彩色の木々の合間を通り抜け、枯れ枝を踏み締める音を目に感じ。森の奥の奥、闇の中心へと向かい進む。
進むが、進む程に頭痛が酷くなる。目と肌を通じあらゆる感覚が魔女を苛む。
魔女は青い錠剤を数錠取り出すと口に放り込みバリンと噛み砕く。
頭痛止めの魔法薬。一時しのぎだが、一時保てば良い。今はその一時が惜しい。
こうしている間にも闇が深くなっている事が目に入る感覚でわかる。
魔女は足を速め、さらに闇の奥へ奥へ。そして見つけ出した。
身を丸めた少女が浮かんでいる。
闇色の古風なドレスを纏い。闇色の長い長い髪が身を支える様に垂れている。
極彩色の世界の中、少女だけが自身の色を纏っている。
少女の姿を正しく見るべく瞳の魔法を解けば、この深い闇の中でも少女の姿だけがはっきりと浮かび見える。
「そうか…見つけて欲しかったのだな」
呼び掛けると闇色の少女は僅かに顔を上げ、髪の間から魔女を見た。
黒い瞳が動き、静かに唇が開く。
「…魔女様…なの…?……あ…ああ……」
返事は即座に嗚咽となり、少女の身体から汚泥の様な闇が溢れ出す。どろどろとした闇は触手の様に広がり世界を喰わんとする。
「私だ、私はここにいる」
「来てくれた…でも見ないで…私…おかしくなっちゃった……。闇が止められない……」
悲鳴にも似た嗚咽。闇色の少女が嘆く程に闇は溢れ、ますます濃くなる。
闇が重くなる、大地に足が押し付けられる。
(感情が昂っている。無理もない、こんな状況になったのなら誰だって)
魔女は考える。
考えるまでもない、魔女には最初にすべき事がわかっている。
「私がなんとかする!!」
言葉を言う。方法も手段も見つかってはいない、それでも魔女は言うべきと判断した。
「魔女様…わかった、信じる……」
少女の瞳に仄かな光が灯った。小粒の輝きなれど、魔女には星の輝きと。
魔女は思う。光を消してはいけない、それが出来るのは自分だけ。
「まずは、思い当たる原因はあるかな?」
「…わからない…考え事をしていたら……んんっ!!」
言いかけた闇の精霊の身体から再び闇が噴き出す。それは先程よりも濃厚で、闇の物である彼女自身の姿すら隠さんとする。
彼女の姿を見失ってはいけない、そう思うや魔女は咄嗟の行動に出た。
「落ち着くんだ!」
魔女は少女の身を抱き締めた。女同士でも不躾な行為かもしれないが、反射的に起こせる行動はこれしかなかった。
「ひゃあ!?」
「すまない。やはりいきなりは良く無かった」
「…驚いたけど…大丈夫です……」
腕の中で魔女よりも小さな身体が震えている。自分の身に起こっている事に恐怖しているのだ。この件を誰よりも解決したいのは彼女自身なのだから。
「私…魔女様が来てくれて嬉しかった…だけどだけど…こんな姿……」
「大丈夫、大丈夫だ」
魔女は闇の精霊の背を撫でながら、思考を巡らせる。闇の噴出は収まったが、期限たる時間が僅かに伸びたに過ぎない。
(魔法薬の類でどうにか出来る状態では無いな……)
状況は魔女が思う以上に深刻だ。予想する危機に対応した魔法薬や魔法具は持って来たが。この状況は魔女の予想の外にある。それでも魔女は思考を巡らせる。
(どうにかして、彼女の魔力を制御出来れば……)
彼女自信が魔力を制御出来ないのなら、外部から制御の手伝いをしてやれば良い。
しかし、他者の、特に精霊の魔力を制御する事は難しい。精霊にとって魔力は人間の血と同じ様な物、制御を誤れば存在の消滅を誘発しかねない。
(制御する…外から…私から……)
思考の中で言葉を繰り返す事で、魔女が蓄えた知識から解決策を捜す。時に知識を繋ぎ、分解し、また組み立て。そして魔女は一つの閃き得る
(これだ!…だが……)
魔女にとってそれは、今持つ知識と言う手札の中で最良の手段。しかし、最良であって最善手では無い。
だからこその躊躇い、そしてそれを彼女に使って良いかの躊躇いがあった。
「…魔女様…どうしたの…?」
覗き込む少女の瞳を見詰め返すと、魔女は意を決し告げる。
「闇の精霊よ、仮の契約を交わそう」
「仮の…契約…交わす…?」
闇の精霊は魔女の言葉を区切り区切り噛み締める様に復唱した。
契約。それは精霊や幻獣と魔法的な繋がりを作り、力を借り受ける術。
借りるだけでなく、契約を交わした相手も力が強化される。
双方にメリットの大きい術だが、今回は力を借りるための契約では無い。
「そうだ、契約を交わす事で魔力の繋がりを作り、君の魔力を制御する」
これこそが魔女が閃いた起死回生の策。契約で魔力の繋がりを作れば、自分の魔力を扱うと同然に闇の精霊の魔力を制御する事が出来る。
それに仮契約ならば、解決した後、即座に精霊を解放する事も出来る。
「どうだろうか?」
今度は問う言葉を置く。今は緊急事態と強引に仮契約を交わすべきなのかもしれないが、魔女はそれを由としない。仮の契約でも、双方に理解と信頼が無ければ良き繋がりとならないから。
それに、契約の方法には若干の問題も……
だから魔女は返事を待つ。時間は限られるが、それでも闇の精霊が自身で考え返事をするまで待つ。
だが待つと言うほどの時間はかからず返事はやって来る。
「……する」
消え入りそうな小声、それでも魔女の耳は届いた。魔女は逃さなかった。
「君の勇気に感謝を……、では仮契約をしよう」
魔女は少女に笑みを向けると、右手を左肩から左腰へと円を描く様に巡らせる。
すると、魔女と闇の精霊の周囲い赤と紫に輝く魔法陣が浮かび上がる。魔力を留める結界としての魔法陣。これにより、契約の場を整う。
「遥けき彼方から此方まで。此方から遥けき彼方まで。永久から切り取る一時の縁。我と汝、汝と我…ここに繋がりを作らん」
続いて詠唱。魔女は少女の胸元に指を触れると、緑光の文字を刻む。
契約のための刻印。しかし、今回は仮とするため指に込める魔法の力を抑え浅く刻む。
「ん……」
魔女が指を走らせると闇の精霊は身を小さく捩らせた。
その姿に魔女は一瞬、集中を乱しかけた。
(全く私は…初な少女でもあるまい…集中だ…集中しろ私……)
心で自嘲すると、魔女は集中し契約の過程を再開する。
「汝、我との繋がりを受けとるか…?」
「…受け取ります」
言うと闇の精霊は小さく頷いた。少女の真白な頬が朱に染まる。
「汝の言葉をもって、ここにこれを契約と成さん」
二人の唇を重なる。その瞬間、ドームが弾け闇が霧散する。
後に残るは二人の少女の姿と眩い蒼空。
そして、二人の姿を見て囃し立てる獣耳の少女達が湧き上がった。
---
「魔女様ぁ、結局原因はなんだったの?…痛っ!!」
風妖精は言いながらくるりと宙で回転するが、積まれた本に足の小指をぶつけ悶えた。
その光景に、家事妖精の淹れた茶で一息していた魔女は溜め息し。家事妖精は崩れた本を積み直す
ここは魔女の家。事件を解決し戻ってきたが、なぜか風妖精が付いて来てしまった。
風妖精だけではない、横目で窓を見やれば大勢の少女達が覗き込んでいる。
この状況、魔女が望む平穏安寧とは程遠い。
説明せねば変わらぬと、魔女は大きく溜め息した後に語り始める。
「風邪…風邪だな、うん」
まず短く一言。しかし当然ながら理解出来ぬと家事妖精と風妖精は首を傾げた。
「精霊も風邪をひくのですか?」
家事妖精が問うが、その問いは当然の事。
精霊は妖精よりも更に魔力その物に近く、風邪をひく事がある様には思えない。
だから魔女は説明の言葉を続ける。
「あー…物の喩えだよ。そうだな、何かしらの澱みが…森に溜まった魔力のゴミの様な物か?それらが闇の妖精に悪い影響を与えたのだろう」
「そうなんだ?」
言うと風の妖精はくるりと宙で逆さになった。明らかに良く分かっていない顔。
魔女はその姿に溜め息すると、身を逸らし思考する。
あの時の状況、あの時に起きた事、それらの記憶を掘り起こし思考する。
実の所、魔女自身も納得が行っていなかった。
確かに闇の精霊と契約を交わしたが、魔女はその魔力を制御していない。
制御するよりも先、キスをした瞬間にドームは弾けたのだから。
(キスで解決?これではまるで御伽噺の……)
そこまで考えて魔女は首を左右に振った。
「それにしても…主様はお人が良すぎますわ」
崩れた本を積み直し終えて、家事妖精が言った。
「ん?…はは、人が良いだって?私はただ静かに暮らしたいだけだよ」
言うと、伸ばした背を戻し魔女は思う。
そう、自分は静かに暮らしたいだけ。魔女が魔女の役目を越える事等あってはならない
この森に留まるためにも、自分の周囲が平穏であるためにも。
(かくあるべきなのだ)
魔女は苦笑と共に返すと、静かな生活に戻るべく積まれ直した本に手を伸ばす。
すると、伸ばした手に本が差し出されたではないか。
家事妖精も風妖精もそこにいる。なぜ?と魔女は一瞬ぎょっとなったが、あるはずの無い闇に気付くと細めた目を闇に凝らし言う。
「…なぜここにいるのかな?」
「恩返し……」
言葉と共に闇から少女が湧き出た。件の闇の精霊だ。
「正式に契約…しよ?」
「は?」
契約と魔法的な主従契約。精霊あるいは幻獣の類と魔力を『繋ぐ』事で、その力を自分の物とする事が出来る。
「その意味をわかって言ってるのかな?」
「…魔女様なら…いいよ…?」
魔女が問えば闇の精霊はコクリと頷いた。迷いの無い頷きと瞳。これは本気だと魔女は理解する。
「まてまて?もっと良く考えるんだ」
契約すれば相手を縛る事になる。すなわちそれは、相手の生涯と命を預かる事に他ならない。だからこそ、あの時は仮契約と言う形をとった。それなのに。
「契約?私もするー!」
言って風の精霊が机に飛び乗り、魔女の顔を覗き込む。
「おまえもか!?」
魔女は思い出す。妖精とはこう言う存在であると言う事を。
それは彼女だけでなく、当然窓の外にいる少女達も同じ。窓の外のざわめきが強くなっていく。
「…先に私としよ…?」
「だから契約はしないと……、だから落ち着け」
魔女は両手で二人を制するが、興奮した二人は自分自分と魔女ににじり寄る。
(これは長時間コースか?)
どうやらこの事件はまだ終わらない様だ。
そんなやり取りを見ながら家事妖精は思う。
(本当に原因は澱みだけだったのでしょうか?)
思いながら、家事妖精は必要になるであろう菓子の用意を始めた。
神秘の森に魔女ありて・・・ 月羽 @tukiha
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