第7話 相転写

 アルカヘイブン、人類最古にして現在唯一の国家は、人類史で初めて貧富の格差が生まれた国とも言える。


 その国に、一人の少女がいた。

 少女は盗みの天才だった。

 その初犯はおよそ1年前。

 空腹で死にそうだったとき、彼女は人様の家に勝手に上がり込み、食料を盗んだ。


 驚くほど簡単だった。


 そのうえ恵まれない境遇が、彼女に盗みを正当化させた。困ったら盗みを働くのが当たり前になるのは時間の問題で、少女は度々盗みを働くようになっていった。

 以来1年間、少女はただの一度の敗北も喫さず逃げおおせている。


 いや、一度だけ危ない場面はあった。

 盗みを働いている現場を目撃されたことが。


 しばらくは息をひそめてひっそりと暮らしていたのだが、どうにも警戒されている感が無い。

 どうやら、彼女と同じように盗みに入ったものが捕まり、それで事件は解決となっていたようなのだ。


 その経験もまた、彼女の盗みを正当化する理由になった。


 天は味方してくれている。

 足りないものは盗めと思し召されている。


 少女はますます盗みにのめり込んでいった。

 獲物を見定める選定眼がどんどん向上していく。


 そしてまた今日も、彼女の目に絶好の獲物が映った。


 男の年は20前後だろうか。

 始めて見る顔で、この国に流れ着いたばかりのように見える。

 しかし衣服は上等の代物を使っており、何か金になる代物を持っている匂いがぷんぷんと漂っている。


(決めた、今日の獲物はあなたよ)


 少女は偶然を装って男のそばへと歩み寄り、彼の懐からきめ細かな細工が施された装飾品を盗み取った。

 その手腕は見事の一言で、男は全く気付く気配もなかった。


 だが。


「よし、決めた。お前だ」

「……ぇ?」


 まったく異なる理由で、少女の命運は尽き果てた。


  ◇  ◇  ◇


 俺は久々に故郷であるアルカヘイブンへと帰ってきていた。


 王位簒奪以来近寄らないようにしていたのだが、ハクの協力のもと肉体年齢操作魔法の実証実験が終了し、若返り可能と判明したので、姿を変えれば気づかれないと踏んだのだ。


 いまの俺の肉体年齢はおよそ20代。

 老化が不可逆な現象なことはこの世界でも共通認識なので、もし30年前の俺の顔を覚えているやつがいても生き写しとしか思わないだろう。


 さて、訪問の目的はモルモットの確保だ。


 ハクは英才教育の甲斐あって俺のイエスマンに育ってくれたが、いかんせん潔癖症が目立つ。

 そこで思い立ったのだ。

 そうだ、サブキャラを作ろう、と。

 幸いにして、効率のいい育成方法にも目途がついている。


 意識の転写だ。


 肉体年齢操作魔法のサブルーチンに組み込んである、シナプス網のバックアップ取得。

 あれでハクの意識を別個体に転写すれば、肉体の乗っ取りも可能なのでは、と思った次第である。


 いわゆる、白面金毛九尾の狐が妲己の体を奪った、みたいな神話を作れるのではないかという話だ。


(うーん、試したい内容から逆算するに、ハクとかけ離れた境遇の子だと拒絶反応を起こしそうな気がするんだよな)


 ハクと似た境遇の子がいればそれがいい。

 そう思って町を歩いていると、ボロ布をまとった薄汚い少女が、俺のすぐ隣を横切る。


 俺は素早く彼女の腕を掴んでいた。


「よし、決めた。お前だ」

「……ぇ?」


 少女はひどく驚いた様子だった。

 まあ出会い頭に腕を掴まれれば誰でもそうなるか、と思ったがどうも様子がおかしい。


 あまりにも大人しい。


 この狼狽が身の危険を感じてのことだったのなら、騒ぎ立て、周囲に助けを求めてもいいはずだ。

 事実、彼女は一瞬だけ、そうしようとした。

 だが直前、思いとどまったかのように声を上げるのをやめたのだ。

 そのうえ、この世の終わりと直面でもしたかのように、顔面を蒼白させている。


 何か後ろめたいことでもあるのかと疑い、さらに観察してみると、彼女のもう一方の手に何か小道具が握られているのがわかる。


 俺が換金目的で持ってきた木工細工だった。


(なるほどな、読めたぞ。さてはこいつ、スリだな?)


 驚いた様子も、声を上げるのをやめたのも、青ざめた顔色も、自分の悪事が暴かれたと思ったからだと考えればつじつまが合う。


 都合がいい。

 相手が悪党なら、こっちも心を痛める必要が無い。


「ついてこい。お前に拒否権は無い。いいな」


 少女は観念したように、首肯した。


  ◇  ◇  ◇


 俺たちは、俺がかつて使っていた岩場の仮拠点付近を歩いていた。


「ねえ、どこまで行くの?」


 少女が言う。


 既に国の防衛線を超えている。

 周囲に人気は無く、多少声を上げたところで、誰かがすぐさま駆けつけることはないだろう。


「そうだな、このあたりでいいか」

「え、ここで、ですか?」

「ああ、十分だろう」


 俺が彼女を連れ出した理由。

 それは、人体実験を行うためだ。


 街中で行えば彼女は悲鳴を上げ、駆けつけた住民たちに現場を取り押さえられるかもしれない。


 雑兵の百程度は歯牙にかけるほどではない。

 いまの俺には魔法があり、その差はいかんともしがたいほど絶対だからだ。


 俺の懸念はむしろ、そのような騒ぎが起きたときに居合わせてしまうことそのもの。


 俺は、歴史の節目に陰から糸を引く黒幕を演じたいのであって、そういう事態はノーサンキューなのである。


 そして、少女は観念したように衣服を脱ぎ始めた。


「待て、何故服を脱ぎ始める?」

「え?」


 少女は心底不思議そうにしていたが、疑問が絶えないのはこっちである。


「窃盗犯だと突き出されたくなかったら、体を差し出すんだな、げへへ、的な話でしょう?」


 しない、彼女が思ってるようなことは。

 が、意味は違えど言葉の連なりは合っているので返答に困る。


「とにかく、服は脱がなくていい」

「はぁ」


 俺が彼女に求めるのは人体実験用モルモットとしての肉体提供であって、愛玩動物としての肉体提供ではないのだ。


「あ、あの、お兄さん? その杖は、いったい」


 少女が突然怯えだした。


「わかるだろ、これから君に、魔法を放つ」

「嫌、嫌だ、死にたくない……殺さないで」

「……」


 どうやらこれから、火球で火あぶりにしたり、風の魔法でズタズタに引き裂いたりすると思われているらしい。


「……魔法に対するイメージって、そういう感じなのか。大丈夫、俺が使うのは、全く痛くない、優しい魔法だから」

「ほ、本当ですか?」

「ああ」


 魔法が発動した後、君の意識がこの世に残っている保証しないけどな。


「【相転写シャンヂュアンシエ】」

「……ぁ?」


 少女の瞳がうつろになった。


「あ……がっ、ああぁぁあぁぁぁっ⁉」


 かと思えば、激痛を堪えるように頭を押さえ、悲鳴に喘いでいる。

 少女が恨みがましい目でこちらをにらみつけている。


「……うゾ……ヅ、ギぃ……!」

「そう怒るなよ、いま説明してやるからさ」


 悶絶する彼女に対し見物を決め込む。


「実はこれの前にも一人、心優しい女性が実験に協力してくれていたんだ。異なる魔法だけどな」


 優しい女性というのはハクのことで、異なる魔法というのは肉体年齢操作魔法のことである。


「その時にシナプス網の設計図をコピーしておいたんだが、ふと思ったんだ。このシナプス網を全く別の第三者に転写すればどうなるのだろう、ってね」


 全く異なる肉体に、共通の人格を埋め込むことができるのだろうか。


「君はその栄えある実験体1号だ」


 これが成功すれば、ハクに施した英才教育はそのままに、潔癖症という問題点を解決できる。


「……聞こえちゃいないか」


 少女はその後も、苦悶に声を漏らしていた。




 ようやく呼吸が整い始めたのは、それから体感で3分ほどたったころだろうか。


「ふ、ふふ」


 少女は妙に色っぽい声で、笑い声をこぼした。


「……ハク、だな?」

「ええ」


 少女は立ち上がると、見覚えのある、ハクの仕草で髪をかき上げた。


「全て理解しましたわ、師父よ。新たな肉体を頂けましたこと、心より感謝申し上げます」


 実験は成功したらしい。

 感謝したいのは俺の方だ。

 これでようやく、計画の本題に入れる。


「ではハクよ、改めて命ずる。アルカヘイブンの支配者を篭絡し、散財させ、国を破滅に向かわせろ」

「はい。師父の御心のままに」


  ◇  ◇  ◇


 傾国の美女。

 国の統治者が寵愛にかまけるあまり、国を蔑ろにし、破滅に至らしめるような絶世の美女をこう呼ぶ。


 史実に残る最古の傾国の美女は、人類最古の国家アルカヘイブンに現れたと記されている。


 奇妙なのは、似た逸話はあらゆる時代に散見される点だ。

 悠久の時を生きる白面金毛九尾の狐が姿を変えて現れた同一人物と言う説もあるが、その真相は不明である。

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歴史の節目に陰から糸を引く転生者 一ノ瀬るちあ@『かませ犬転生』書籍化 @Ichinoserti

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