第6話

どうして、どうして早く切り上げなかったんだ!

1人で寂しく、暗い部屋で待っているチコを想像すると、猛烈な後悔で顔を歪める。

先程までに心地良いと感じていた冷気は、顔面に突き刺さる程の寒さに変わってしまった。


こんな夜遅くに、しかも部屋を訪れる人なんてほぼ居ない。

一瞬、孝平の顔が頭に浮かぶが、確か孝平が配属されている職場は今日は飲み会の予定が入っていると、小耳に聞いている。

大学の時だって、孝平は飲み会があれば三次会まで顔を出していた。


そんな奴がこの時間、俺の部屋に訪れるなんて考えにくい。

生存確認という名目の宅飲みだって、2ヶ月前。



いや、今はそれよりチコの安全が大事だ!

初めてだ、外出してチコの声が聞こえるだなんて。

しかも、その初めてが、チコのあんな悲痛な怯えている声だなんて。


あの角を曲がれば、俺の住んでる木造アパートが見える。

「っ、…俺の部屋の前は誰もいな、いないか…。」

念の為、周りな誰もいない事を確信し、息を乱しながら、部屋の前に立つ。


急いでポケットにある鍵を取り出そうとするが、こういう時程手こずってスムーズに鍵をポケット内から取り出せない。


「くそっ!何なんだよ……っ!チコ、チコごめん!!」


扉を開けると同時に、チコの名前を呼び、電気のスイッチをONにする。



「チコ……?大丈夫か……?」



普段なら、俺の目の前でツヤツヤな黒い毛並みを揺らしながら、お帰りと行って出迎えてくれる。

けれど、目の前には何もない。

ドンドンと部屋を叩く音に怯えて、何処かに隠れているのか?

生前も、チコはとても臆病な猫だったのだ。

驚いても怒っても、全く鳴かない大人しい猫だったのだから。


チコの名前を呼び、全部屋の明かりを付ける。

「……チコ……?」


『……う……う……。』


ソファの角の隙間に、黒い塊が小刻みに震え、壁に頭をくっ付け、俺に背を向けていた。

黒い鍵尻尾が、フルフルと揺れている。


「チコ、ごめん。帰りいつもより遅くなって、寂しい気持ちにさせてしまって。ごめんな。」


『……う……う……。』


霊体の筈だから、勿論触れられない。

物体が見えるギリギリの場所に俺は手を当てて、撫でる仕草をする。


『佐藤さんと飲みに行って、楽しかったの?』

「えっ?」


どのくらい時間が経ったのか。

未だ背を向けているチコの声が頭に響く。


『同情の言葉で泣きそうになる程、疲れてるんだね。』

「チコ?何で知っ、」


『私にだけ心を許していれば、1人にはなっても独りにはらないのに。』


-------


「----っ!はあっ!…はぁ…。あれ…。」


目の前にはいつもの天井。

どれ程寝ていたのだろうか、閉め切ったカーテンが太陽の光で白色に染まっている。


暫く天井を見つめていると、唐突にズキンと頭に鈍痛が走る。

「いってえ…。飲み過ぎたか…。」

帰宅したままの作業着で寝てしまったのか、シャツの皺が酷い。


昨日、佐藤さんと楽しく飲んでいて…、焼き鳥美味しくて…そしたら、チコの声が頭に響いてきて、

「チコ!あっ、ちょ、チコ!どこ!?」

少しずつ、鮮明になってくる思考力。

最後ら辺の記憶は曖昧だが、チコの為に慌てて帰って来た所までは辛うじて思い出せた。



慌てて部屋の中を見回す。

その間も鈍痛が走る頭を抑えながら、重い体を

起こし、台所に向かう。


『うむい!うむい!』


冷蔵庫の前で、黒い物体が鍵尻尾を上下に揺らしながら、ビニール袋の中身を漁っていた。


「チコ…!良かった、無事だったんだなあ!」

『楓、おはよう。玉ねぎ美味しいよ。』


ビニール袋には、チコ用に買い溜めしていた玉ねぎと、お菓子のチョコレートが入っている。

玉ねぎに至っては、チコは生でも加熱してあっても食べれるみたいだから。



冷蔵庫から91円の1.5L緑茶に直接口を付ける。

少々脱水気味だったからか、いつもより美味しく感じられた。


「チコ、俺家に帰って来て、そのままどうしたんだっけ?」


『私の事心配してくれた。けど、疲れてたみたいで直ぐ寝ちゃってたよ。』


「はは、そっか……。やらかしちゃったな、俺。」

痒くもない頭を掻きながら、ぼんやりと昨日の記憶を再度思い返す。



「なあ、チコ。俺外に出てる時に初めてチコの声聞こえたんだけれど……。何でなんだ?」

『知らなーい。』


口の周りの食べカスを器用に舐め取りながら、間髪入れずにチコは応える。


まあ、そりゃあそうだよな。

チコは動物霊なのだから。

チコの気持ちが何故か俺の頭に言語化として響いてくるだけで、その原因とをチコに聞いても分からないか。


まあ別に……、そんな事気にしても何も変わらないよな。

何で俺の前に現れたんだって疑問に思っていたけれど、現れた事で何も俺自体の生活が悪くなっかと言われれば全くそんな事は無い。


変化があるとしたら、帰宅すると懐かしい愛猫が玄関前にちょこんと座り、出迎えてくれる事。

寧ろそれは癒されているし、最高だ。


そういえば…………。


『楓~、今日お休みだよね。TVでも観よう。』

気付けば、食事を終えたチコがソファに座り、俺を呼ぶ。

冷蔵庫の前は、玉ねぎの皮が散らばっており、チョコレート菓子の袋も散らかし放題。

「たっく、今行くから待ってろー。」

散らかったゴミを片付けながら、ふと、


そういえば、チコの声が聞こえた時期は、俺が不倫云々で揉めて大変な時期の後だったか。

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