第5話
♢
「かんぱーい!仕事お疲れ様~!」
「お疲れ様です、乾杯。」
カン!とジョッキ同士の軽い衝突音を皮切りに、佐藤さんは待ってましたと言われんばかりに冷えきったビールに喉を鳴らしながら飲み続ける。
その豪快な飲み方に、生唾を飲んでからジョッキに口をつける。
1口目のビールの美味しさと言ったら、格別だ。
「うっまあ!!」
「染み渡ります…!」
ほぼ同時にジョッキをテーブルに起き、喉越しに感じる苦さと冷たさを味わう。
「雰囲気良いでしょう、この店。大衆居酒屋程ガヤガヤはしていないし、席数もそれ程多くないから、1人飲みの人も結構居るし。」
「そうですね、店内も綺麗で良いですしね。」
売りが焼き鳥という事もあって、タレの良い匂いが充満しており、忘れていた空腹感も目を覚ます。
俺達と同じ様な仕事終わりのサラリーマンや、1人飲みで来ている女性、若い大学生など老若男女が皆、焼き鳥を頬張りつつ酒を嗜んでいる。
「お勧めは勿論、秘伝のタレで付けた焼き鳥なんだけれど、私の1押しはそのタレで味付けされたウズラの卵串と、レバ刺しかな!」
「ここの店主に怒鳴られて下さい。」
佐藤さんの冗談を余所に、焼き鳥盛り合わせと、
唐揚げ、つくね串や卵焼きなどを頼む。
…因みに一応、レバ刺しとウズラの卵串も注文した。
「今日もクタクタだったわあ!納品数も然り、利用者が不安定になったりしてさ。」
「ああ、珍しく佐藤さん慌ててましたもんね。
新しく入って来た利用者さん、まだ作業に慣れてない感じですしね。」
「そうなのよー!…って、私の愚痴はともかく。
風間君、何か最近悩んでいる事あるのかなって思って!」
「いや、えっ?別に…無いですよ。」
「嘘だね。だって明らかにここ最近、風間君やつれてるし、配布されたお弁当とかほぼ残してるし…。顔色も悪い!」
「良く見てますね、本当に周りのこと。」
「舐め回すように見てるよ、この観察眼で。」
「たまに感じるねっとりとした視線は佐藤さんでしたか。」
佐藤さんは笑いながら、俺の肩を叩く。
その豪快な笑い声と、笑顔を見ていると自然と口角が上がってしまう。
アルコールが軽く回ってきた影響かもしれない。
美味しい焼き鳥やウズラの卵串などを食べながら談笑していると、佐藤さんがふと真顔になり、意を決した様に口を開く。
「あのさ…、えと、風間君、社長と何かあったの…?
風間君と社長、以前まで普通に雑談とかしてたし…。最近の社長も変って言うか…。」
正直、以前孝平が俺に言って来た噂話。
孝平にまで話が少しでも伝わっているのであれば、今いる事業所にもあの噂話が浸透している筈。
きっと、他の職員が俺に一線引いているのも、この件が原因だろう。
それでも、佐藤さんだけはこうして噂話の本人に真偽を聞きに来てくれているのだ。
佐藤さんには話しても良いのかもしれない。
僅かに残っているビールを一気に飲み干し、
軽く息を吐く。
「佐藤さん、俺、社長に社長の奥さんと不倫しているって誤解されてしま、」
「ブフォッ!!!」
盛大にビールを吐き出し、ゴホゴホとむせる佐藤さんは、さながらドラマでよくある反応で。
慌てて隣に座り、佐藤さんの背中を摩る。
「ゲホッ、カハッ……。ご、ごめんね。ちょっといや結構だいぶ、驚いてしまって。」
「いやいや、大丈夫ですか?水です、これ飲んで下さい。」
「あ、ありがとう…。本当に優しいね、風間君。」
落ち着いた佐藤さんに安堵しつつ、向かいの席に戻り、話を続ける。
「…事業所で俺が社長の奥さんと不倫した云々の噂話、恐らく佐藤さんも聞いた事あると思うんですけれど…。」
「まあ多少は耳にしたかも。」
「勿論、事実無根です。奥さんとは本当に何も無くて。けれど、社長が誤解したみたいで、別室で事務室で結構詰められてしまって…。」
「…うん。」
「不倫の証拠とか全く無いんですけど…。ちゃんと否定して、詳細に予定の食い違いとか、潔白だと必死に伝えて、その時は一応納得はしては貰えたんです。」
社長の奥さんとは本当に不倫関係になんてなっていない。
2人で出掛ける事も無かった。
確かに、久々の新入社員として入り、奥さんが俺を気に掛けて声を掛けて来たのは事実だ。
「後日、ちゃんと奥さんと事実確認をさせて欲しいと伝えたんですが、奥さん側が相当参ってしまったらしくて。
その、本当に相思相愛だと思っていたみたいで。
理由として……佐藤さん?」
視線揚げると、佐藤さんが俯いていた。
だが、ジョッキを握る手に力が入っている様で、僅かに震えている。
「あ、あの、すいません。体調悪いですか?気分悪いのなら、」
「酷い…。風間君何も悪くないじゃない。私、ずっと見て来たから分かるよ、なのに…。」
その言葉を聞いた瞬間、両拳に力が入る。
"悪くない"他人から言われる言葉に視界がほんの少しぼやけた。
「…ま、まあ、社長も奥さんとの関係や、色々あったみたいなので…。
その、俺もそのせいで元気無く見えていたのかもですね!」
重い沈黙を避けようと、声のトーンを上げて佐藤さんに笑いかける。
目を一瞬大きく開きながら、彼女はぎこちない笑顔を見せる。
「目に見えてだったよ。本当に。
まるで土偶の様な顔色のヤバさだったよ。」
「例えがひでえな。」
「で、でも、風間君一切悪くないのだから、堂々としてなきゃだよ!
その噂話で陰口言ってる奴ら、私がぶっ飛ばすから!」
「ははっ、その時は俺も参戦させて下さいね。」
その後も、不倫噂話に関係の無い軽い雑談を俺が始めると、先程の表情と売って代わり、普段より少々明るく話始めた。
ああ、この人だから、佐藤さんだからつい話してしまったのだと実感する。
誰にも言えていなかった事を吐露したからか、気持ちが少し軽くなる。
胸からじんわりと身体中の温度が上がったのは、アルコールのせいだろうか。
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「また起こし下さいませー!」
「はあー!美味しかったねえ!ウズラの卵串!そしてご馳走様!」
「そこは焼き鳥にして下さい。
いやいや、美味しい焼き鳥堪能出来て良かった。ありがとうございます。」
店員さんの覇気のある声を背中に感じつつ、店の扉を閉める。
火照った身体を覚ます外気が心地良い。
久々に感じる満腹感と、アルコールに毒された多幸感に酔いしれる。
「風間くん。」
「えっ?」
ふと、佐藤さんは俺の右手を握る。
手の甲に感じる体温に、思わず佐藤さんを凝視する。
街灯に照らされた頬と耳はほんのり赤く、伏し目がちだと良く分かる長い睫毛の影が綺麗だなとか、握る細い指と手の平が少し湿っているなとか。
「あのさ、私の家此処から近いんだよね。
もっと愚痴とか色々聞きたいし…!うん……。」
俺の右手を自分の胸元近くに引き寄せ、大きな瞳で俺を真っ直ぐと見つめる表情に、俺は目を見開きながら、息を吸う瞬間を見失う。
「えっ……と、あっ-----」
『楓!怖い!!楓!!!』
「!?」
目の前が眩む程に頭に響き渡るチコの声に、思わず佐藤さんにもたれかかる。
「えっ?!か、風間くん…?あの、」
「す、すいません。いや、俺……、」
『扉ドンドン叩いてるよ!怖い、楓!怖い!!』
『どうして帰って来ないの?!どうして!』
チコ、ごめ、いや、外でチコの声聞くなんて初めてだ、いや、違う。そんな事はどうでもいい、
「さっ…佐藤さんすいません、俺、家でチコが、ま、待っててっ。すいません、失礼します!」
「えっ?!ちょ、風間君!!」
言い終えると同時に身体が動く。
鋭利な冷気が顔を掠める。
佐藤さんの動揺した声が遠のくのは一瞬だったと思う。
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