第4話

「風間君、お疲れ様!ねえ、明日とか仕事終わりに夜空いてたりする?」


作業報告会議後、明日の仕事の引き継ぎの為にパソコンを起動した瞬間、佐藤さんが俺の顔を覗き込む。


「あ、明日ですか…?何も無いですけど…。」


「本当?じゃあ飲みにでも行かない?最近新しい飲み屋開拓してさあ、美味しい焼き鳥屋さん見つけたんだよね。」


「焼き鳥屋、美味そうですね。」


「でしょ?塩ダレが堪らないのよ。」


他の職員は既に仕事や翌日の引き継ぎ準備を終えて居るのだろう。

俺と佐藤さん以外、早々にタイムカードを押して事業所から出て行く。


それもそのはずだ。

社長からの違和感を感じた日から、俺はことある事に残業や作業の負担が増え、事業所に1人で残ることが増えた。


偶然なのか、意図的なのか。

俺と作業を一緒に行う利用者の障害が重く、指示が上手く伝わらない人達で、その日の納品を回さなければいけないなど、細々とした違和感を上げればキリがない。


職員と利用者の配置作業をしているのは勿論、社長だ。


「そういえば最近、風間君、指示が入りにくい利用者さんと納品回ってるよね~。」


「佐藤さんから見ても、そう思います?」


「思うよ。社長、風間君に当たり強くない?ってさ。」


他の職員からも察する事が出来るほど、社長の俺への接し方が違うのか。

"やっぱりな"と改めて納得した途端、何とも言えない違和感に喉が詰まる。


「初めはさ、社長も風間君に対して私達と同じ様に気さくに話し掛けに言ってたし、利用者メンバーとか、1人に負担大きくならない様に均等に配置振り分けてたけど、」


「まあ、そうでしたね…。」


「今は風間君に負担が大きくなるように偏ってるような…私の気にし過ぎなら良いんだけれどさ!」


俺の隣でスマホを弄りながら、時折俺をチラチラと見る。

優しくて可愛いい女性の先輩が、こうして俺の事を気に掛けてくれるだなんて、以前の俺だったら舞い上がっていただろう。

けれど、俺は目の前の残業を片付けて、さっさと愛おしいチコの待つ部屋に帰りたいと苛立っていた。


「……それに、最近の風間君、少し痩せてるというか、やつれてる感じで心配で…。」


「えっ?すいません。俺納品数打つのに必死で、もう一度お願いします。」


「い、いや!何でもない!っていうか、本当に明日空いてるなら飲みに行かない?」


「でも俺…明日も残業するかもしれなくて、遅くなって迷惑掛けるかもしれませ、」


「私が手伝うから!今日だって私手伝うつもりで今居るんだからね。…よし、半分打ち込むから!」


佐藤さんが俺の肩に軽く小突く。

小さい手だなと思いながら、佐藤さんの顔を見ると少し頬が赤い。


「ありがとうございます。明日、飲みに行きましょうね。」


「やった!勿論風間君の奢りね!」

「割り勘です。」

「生意気な後輩だな。」


こういうやり取りは本当に久々だな。

思わず笑みが零れる。

気付けば、この佐藤さんの面倒見の良さに先程の喉の違和感も消え去ってしまった。


久々に湧き上がる、楽しさという感情の余韻に浸る反面、俺はあの部屋で待っているチコに会いたいと強く思っていた。



「ただいまチコ!今日も遅くなってごめんな!」


『おかえり楓。大丈夫。ご飯あるから。」


急いで居間に入ると、チコはお菓子の箱からチョコレートを食べていた。

口も髭も、チョコで少し汚れている。


「もう~、お前は本当に可愛いやつだなあ。」

ソファに座るチコの口元をティッシュで拭う。

チコは目を瞑りながら口元をモゴモゴ動かしている。

このチコの一挙一動がたまらなく愛おしい。


「そういえば、ご飯あるってどういうこと?」


『冷蔵庫見れば分かるよ。』


不思議に思いつつ、冷蔵庫を開ける。

すると、昨日までビール缶数本、玉ねぎと惣菜の残りしか入ってなかった筈が、見覚えのないタッパーが3つ程入っている。


中身は全て、煮物やカレー、卵焼き、肉じゃがなど手作りみたいだ。



一瞬にして思考が止まる。

一人暮らしを初めて以降、このような経験は初めてで、体温が急激に冷える感覚を覚えた。


「ち、チコ…これ、何で?誰かが家に入って来たのか…?」


『分からない、私寝てたから…。』


それもそうだ。猫なのだから。だが普通の猫じゃない。死んでも尚、猫の習性はそのままなのか?

意味の無い疑問を振り払い、冷静になろうと思考を巡らせる。


俺の家を知っているのは、幼なじみの上野と俺の家族だけ。

友達はこっちには居ないし、職場の人に俺の家話す事もな……


「もしかして、いや、違う。違うな。」


社長達の事はちゃんと終わらせた。

終わらせたけれど…もしかしたら。

握り締める拳に力が入る。


『楓、怖いよ顔。』


はっとして振り向くと、やや下にチコが俺を心配そうに見つめている。

表情は分からない。ただいつもの真っ黒い目が俺を移しているだけかもしれないけれど。


「…ごめん、チコ。大丈夫だよ。チコご飯食べたなら一緒にTVでも観ようか?」


『うん、あんまりよく分からないけれど、楓と一緒なら何でも楽しい。』


チコは鍵しっぽを揺らしながらソファに座る。

食欲旺盛だからか、また少し成長したチコの存在感に安堵しながら、隣に腰掛ける。


俺の唯一の癒しのこの部屋だけは、絶対に壊したくない。


『甘い匂いがするね。臭いね。』

小さく呟くチコの言葉は、その時の俺には何も聞こえなかった。

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