第2話

「お前、今……、え?は?」


「だから、座敷猫。怖い話好きだろ?酒の肴にでも聞いてくれよ。」


開いた口が塞がらない上野を見ながら、ぬるくなったビールに口を付ける。

ビールは最初の一口が最高に美味しいと思いながら喉を鳴らす。


「お前から冗談を聞くとは……。学生時代、某子供向けアニメの第2の風間くんと呼ばれた

"風間 楓"とは誰の事だったんだ。」


「お前だけだからな。俺をそうやって弄り続けたのは。」


上野は屈託ない柔らかい表情をしながら俺を見つめる。

柿の種を食べながら、上野の笑顔がどれだけの異性の心を射抜いたか、当時の記憶を思い出す。


「2年前に、俺の飼い猫が死んだ話しただろ?」


「え、ああー…。確かチコちゃんだっけか。残念だったな。」


「そのチコが、1ヶ月前に現れたんだよ。しかもご飯が食べたいって俺に話し掛けてきたんだ。」


「うん、お前精神的にしんどいんだろ。一旦仕事休もう。」


「いや一旦話し聞けって。オカルト話好きだったろお前。」


飲み途中の空き缶を取り上げようとする上野を静止する。

怪訝そうな表情のまま、渋々上野は俺を再び見つめた。


「実はさ、見間違えや勘違いかもしれないんだけれどさ……」


俺はチコらしき黒猫が出現し始めた事を話し出した。

1か月前、チコが出現し、暫くは俺の勘違いや疲れから来る幻覚や幻聴だと思っていた。


しかし、その後もチコは数日置きに出現していた。

『ご飯食べたい。』『お腹空いた。』

この声が頭に響いた時にチコは現れ、ご飯を催促する。


当時俺は勘違いだと思っていたから、猫缶など用意している訳もなく。

俺が食べているご飯の残りを器に移してチコの前に差し出した。


『うむい!うむい!』


飯を頬いっぱいにしながら美味い!と連呼するチコを見て、俺は形容し難い幸福感に見舞われた。

その瞬間、実家で家族と雑談をしながら食卓を囲むのがどれ程幸せな時間だったと思い出した。


そして初めて飯を食べるチコの姿を見た時から、チコは毎日の様に俺の前に現れた。


「某掲示板で見たな、似た様な幽霊と同居する話し。その猫バージョンかあ?馬鹿馬鹿しい。」


小馬鹿にしながら上野は惣菜の唐揚げを頬張る。

無理は無い。本気に捉えて貰おうだなんてはなから考えていない。


「まあ別に良いよ。でもさ、死んだ飼い猫が死んだ後も現れてくれるだなんて、幻覚でも嬉しいんだよ。」


「そりゃあ、そうかもしれないけどさ。」


それに、現れる頻度が毎日なのに加えて、頭に響く声が日に日に人間と話してるかの様に錯覚してきてるんだよな……。


「……まあお前がそんな心霊体験するとは思わなかったけれど、結論、色々疲弊してるかチコちゃんが逢いに来たほっこり話かのどちらかだな!」


俺の虚言めいた話題を終わらせたいのだろう。

上野は俺の頭を乱暴に撫でながら、飲み干した空き缶を片付け出した。


「もう帰るのか?まだ来て1時間程しか経ってないけど。」


「俺は明日休みだけど、お前は仕事だろ。生存確認しに来ただけだから、今日は帰るよ。」


何故俺のシフトを把握しているのだと言及したかったが、上野なりの気遣いだろう。

本当に生存確認がてら、噂話が真実かだけを聞きに来ただけのようだ。


自分の飲んだ酒缶と空の惣菜パックを持参したビニール袋に入れ、そそくさと玄関先に向かう上野の後を追う。


「…ていうかさ、楓。」


「何。」


「俺でないとその場の雰囲気変えようとした適当な話題作り、理解出来ないから止めろよ?

じゃーな。」


再び俺の頭を乱暴に撫で回す上野に悪態を吐きながら、出て行く上野の背中を見送る。





「嘘じゃないんだけれどな……。な、チコ。」

左足にすり寄るチコの姿を愛おしく見つめる。


『あの人帰ったんだね、早くご飯食べたい。』



「今日の納品数多いなあ……。週末は仕方ないか。」


「俺今日調子良いから、納品の籠頑張って運べますよ、風間さん。」


そう元気よく俺の傍に近寄るのは、利用者の佐々木さんだ。


寒い季節だからか、風呂の頻度を怠けているのだろう。

鼻を掠める臭いにたじろぎながら、距離を取りつつ、佐々木さんに愛想笑いを向ける。

恐らく1週間は身体を洗っていないのだろう。

伸びきった白髪混じりの黒髪に、フケがフワフワと浮いている。



「はいはい、佐々木さん。体温測定して仕事着のジャージ羽織って下さいね。」


「体温平熱だった!事業所寒いね!」



仕事着を羽織りつつ、事業所内に設置してあるパソコンで音楽を聴きに向かう佐々木さんをよそ目に、俺は納品予定の空カゴを数える。


上野に紹介して貰った仕事は、世間で言う障害者福祉支援事業の就労支援員だった。

一般企業への就職が困難な人達に向けてのサポートをするのが俺達支援員の仕事である。


……と、定義はされているが、俺の所の事業所は利用者複数人と支援員で、夜のお店や飲食店に必要なおしぼりや割り箸を納品したりするだけ。


利用者も平均年齢が40歳オーバーの人達ばかり。

色んな面で気を遣う場面が多い。



「おはようございまーす。」

「宜しくお願いしまーす。」

「俺今日は○○施設に清掃担当かあ、あそこ臭いんだよなあ!」



事業所に続々と利用者達が集まり、自分達の配置された仕事を見ながら各々悪態を吐く。

一緒に配置された職員は、利用者を宥めつつ、作業準備に取り掛かる。

いつもの光景、いつもの日時だ。




「風間君、今日の納品メンバー、俺がルーキーばかり配置したから、納品しっかり頼むぞ~!」


「あっ…。おはようございます、社長…。」


背後の声に思わずビクリと肩を跳ねさせる。

振り返ると、社長は真顔で俺を見つめていた。


先程の明るいトーンの声と相反する表情に、思わず目を逸らしてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る