第8話
「えっ、孝平?!」
想像していなかった人物の声に、思わず固まる。
チコをあんなにも怯えさせたのは孝平だったのだろうか。
ソファに居るチコの様子を見に行くと、スヤスヤと寝ているようだ。
結構な強さで叩かれた音だったが、チコの様子を見る限り前回の人物は孝平では無いのだろう。
安堵し、胸を撫で下ろす。
「ど、どうしたんだよこんな朝っぱらから…。」
怪訝な表情をしながら、孝平を取り敢えず部屋の中へ通した。
「いやあ、お前やっぱりスマホ見ないよなあ。今どきスマホ常備しない奴楓ぐらいじゃね?」
「まあ…。仕事の時は社用携帯で事足りるし…。」
孝平を見ると、休日の朝っぱらだと言うのに身だしなみも整え、軽く髪もセットしているようだ。
相変わらず顔面が整っていて羨ましい。
「ていうか、何しに来たんだよ。お前も今日休日なんだろ?ゆっくり休んどけよ…。」
「…ああ!そうそう、いやあ今日予定入ってたんだけれど、急遽駄目になっちまってさ。だから何にも予定入って無さそうな楓の家に遊びに来た。」
「お前自分で何言ってるのか分かってる?」
まあまあ、と俺を宥めながら、敷かれていた布団に座っている。
何故傍にあるソファでは無く、先程まで俺が寝ていた布団に座るのだろう。
外着のまま、寝具に乗られるのが好きではない俺は、思わず眉間に皺を寄せてまう。
「今日駄目になった予定がさ映画なんだよね。チケット予約事前にしてたのに、ドタキャンされてる俺可哀想じゃない?」
「はあ…そのチケット代が勿体無いから、俺を連れて映画誘いに来たのか…。」
「ご名答!」
孝平の事だ。女性とのデート予定だったのだろう。
高校時代にも同じ事が数え切れない程あった。
「因みに何の映画だよ。つまんねー恋愛物とかだったら俺行かな、」
「巷で話題のアクションホラー系。」
「……着替えるから待ってろ。」
アクション、ホラー映画という俺の趣向に合ったそのチケットは、ただの薄い紙切れでは無くなった。
「だよな!そういうと思ってたよ!」
歯並びの良い白い歯を見せる笑顔の孝平に、若干不服ながらも、出掛ける支度を始める。
といっても、お洒落な服など持っている筈もなく。毛玉だらけのスウェットから、適当なパーカーに着替えるだけなのだが。
「ううっ、マジで今日寒いわあ。」
肌が外気に数秒でも触れると、突き刺さる冷気を直に感じる。
パーカーも冷たいので、体温を上げようと腕を摩っていると、
「ほら、俺体温高いからこうしてれば少し暖かいだろ。」
不意に孝平が目の前に立ち、両手を俺の両耳に覆い被せてきた。
じんわりとした手の平の体温が、両耳に伝わると共に、音に霧が掛かったかのように聞こえ辛くなる。
「えっ…と、うん…。」
身長が高く、容姿端麗な人間がこんなに近く、整った顔で自分を見つめているのだ。
同性だとか、友達だとか関係なく、一瞬でも鼓動がは止まりそうになるのは、人類共通だと信じている。
これだから、お前は昔から人たらしだったと言われているんだ、
少し気まずくなり、視線を下に移すと俺の足元にチコが座っていた。
『前に家に来た人だね。どうしたの?』
チコの言葉にハッとして、孝平から少し距離を開ける。
「えっと、ありがとう。少し暖かくなったから大丈夫。」
「おっ、そうか?なら良いわ。早く支度済ませて映画観に行くべ。」
俺が初めてチコの存在を唯一打ち明けたのは孝平だ。
冗談交じりに座敷猫とかだ何とか言ったか。
あの時のコイツの反応を思い出すと、今だチコが俺には視えている事を伝えても、気が狂ったのかと心配するに違いない。
「後は顔洗って軽く髭剃るだけだから、お前外で待ってろ。」
「はあ!?外寒いんだけど!外よりこの部屋の方がまだマシだし…、」
「良いから!直ぐ俺も支度するからさ。」
「ちょっ、」
無理矢理孝平の大きい背中を押しながら、何とか部屋から追い出した。
『休日なのに、何処かに出かけるの?』
やや下に視線を下ろしながらチコの頭を撫でる。
勿論触れられないから撫でる仕草だ。
「少しだけ出掛けてくるよ。ご飯は冷蔵庫横のビニール袋に玉ねぎとか入っているから、お昼ご飯はそれ食べてくれるか?」
『分かった。でも、寂しいな。』
顔を下に向けるチコの動作に、途端に罪悪感が俺を襲う。
チコが1番優先されなければいけないし、1番大事なのは百も承知だ。
けれどほんの少しだけ、魅力的な映画の誘いが頭の中を掠めている。
「ご、ごめんな!やっぱり断るか、」
『でも私、一緒に観れるからいいや!お留守番してるね。」
「………えっ?」
『いつも楓と同じ風景見れてるよ。私。だから別に大丈夫。』
「え、えっ?はっ?!」
同じ風景が見れている?
衝撃的なチコの言葉に、思考が停止する。
人は唐突な驚きに、思考力と語彙力が急激に下がるみたいだ。
その言葉の真意を詳しくチコに問いただそうと、口を開いた瞬間、
「楓~!!そろそろ出発しないと映画間に合わないから早くしろよ~!」
再び力強くドアを叩く孝平の声が響く。
「あっ、いや、ちょっ…チコ、その事に関して帰ったら詳しく教えてね?!」
チコの声を聞くより先に、洗面台に急いで向かう。
顔を水洗いし、酷い寝癖を水で軽く湿らせ整える。
髭を軽く剃り、年中ハンガーに干しっぱなしのダウンを羽織る。
「直ぐ帰ってくるからな。チコの好きなチョコレート買ってくるから待っててな。」
『行ってらっしゃい、楓』
チコの甲高い声を頭で感じながら、俺は部屋の扉を開けた。
俺の飼い猫が突然目の前に現れた!可愛い、癒しだ!けど何故現れたの? 賞金首 @qawfgyjjj111
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