Side-R⑥ 蒔かれた種は毒入りでした。

 茨のドームの手前で、キリーは振り返って流風るかを待っていた。ドームの外で待っているのは、入り口を含めて、すべてが茨で覆われているからだ。

 真新しい十円玉色の金属でできた、茨のドーム。

 中に入るためには、小枝の魔法が必要なのだ。

 流風を見つめるキリーの瞳が、「早くしろ」と言っているような気がして、流風は小走りで、キリーが待つドームの入り口前へと急いだ。

 走り出す前から、流風の顔は熟れたりんごよりも赤く染まり、心臓はフライングで駆け出していた。

 早く辿り着きたいような、ずっと、このどっちつかずのままでいたいような。

 きゅうと締め付けられているのは、お腹の奥なのか、それとも胸の奥なのか。

 ここに来てから。この異世界の森に来てから。こんなに緊張しているのは、たぶんこれが初めてではないかと思う。

 これが最後の契約だから緊張しているわけではない。それを、認めたくはないような。そうでも、ないような。

 ユラユラ揺らぎすぎて、気持ちが体からはみ出してしまっているような気がする。

 それすらも、ちゃんと元通り身の内に収めたいような、そのままにしておきたいような、どっちつかずのふわふわした気持ち。

 それでも。気持ちが定まらないままでも、足を動かしていれば、いつかは辿り着いてしまうわけで。

 流風は一人緊張しながら、小道の先、ドームの手前、本来入り口があるはずの場所に立つ。脇に避けるように立っているキリーからの視線を、どうしても意識してしまう。その視線に、「早くしろ」以外の意味はないのだろうなと思いつつも、それでも意識してしまう。

 ソワソワと落ち着かない気持ちで、小枝をドームに向ける。

 黄色いゼリービーンズが光った。呼びかけに答えるように、ドームもケミカルイエローの光を放つ。目を焼くような強い光ではなくて、ふわっと優しい光。

 優しい光に包まれて、ガチガチの金属製の茨が柔らかくなってしまったのだろうか。

 入り口にあたる部分の、がっちり絡まっていた茨が、蝶々結びのリボンの先を引っ張った時のように、シュルシュルと解けて引っ込んでいく。引っ込んだ茨は、そのままドーム本体に飲まれるのではなくて。

 薔薇の花へと姿を変えた。

 出来上がった出入り口の縁を、真新しい十円玉色をした金属製の薔薇が飾り立てていく。光が収まると、金属製薔薇のアーチが見事に出来上がっていた。

 本物の薔薇のアーチじゃないことを残念に思う一方で、どこか冷たく突き放すような金属製のアーチであることに安堵もしていた。

 だって、本物の薔薇のアーチなんて現れようものなら、本当に本気で勘違いしてしまう。これから、ここを潜り抜ける二人を祝福してくれているような気になって、一人で舞い上がってしまう。森の王も王女様も関係ない。二人の、二人のためだけの神聖な儀式が始まるのではないかと、勘違いしてしまう。

 脳裏を過る薔薇色の妄想を打ち消すために頭を振ろうとしたら、手首を掴まれた。

 キリーだ。

 流風を見下ろす視線はひんやりだったけれど、その手はちゃんと暖かかった。

 キリーに手を引かれ、流風はドームの中に入場する。

 心臓に羽が生えて、今にもどこかへ飛び立って行ってしまいそうだった。さっきから、パタパタと激しく飛び立つ準備をしていてうるさいくらいだ。

 手を繋がれたわけではなく手首を掴まれているおかげで、辛うじて正気を保てていた。二人手と手を取り合っての入場ではなくて、連行されているだけのようにも感じるからだ。

 もしも、手を繋がれていたら。

 間違いなく、心臓は遠いお空の彼方へと飛び立ち、二度と戻っては来なかっただろう。

 破裂する寸前の風船状態になりながら、少し気を落ち着けようと、視線だけで、ドームの中の様子を窺う。

 真新しい十円玉色の茨のドームの中には、メタリックグリーンの芝生が敷き詰められていた。足の裏には、見た目通りの固い感触。そして、中央には、パールピンクの台座があった。入り口から台座までの芝の色は、絨毯を敷いたみたいなパールホワイトだ。

 パールホワイトの上を進み、流風をパールピンクの前まで導くと、キリーは流風から手を放して、絨毯の脇へ避けた。パールホワイトの中に残されたのは、流風一人。

 パールピンクの台座の前には、流風だけが残される。

 儀式は、二人の共同作業ではなく、流風一人で行わなければならないのだ。

 それが、ほんの少し残念だった。

 ほんの少しだけ、と流風は口の中だけで呟く。自分に言い訳するように。自分に言い聞かせるように。

 でも、ここから先は流風の役目だ。契約の木の封印を解いて、契約の実を実らせる。それは、天の乙女である、流風にしかできない役目。

 これから始まる儀式は、流風とキリー、二人の契約の儀式ではない。天の乙女と伝承の木の、神聖な契約の儀式なのだ。

 浮ついている場合ではないと、流風は自分を戒める。


 ――――でも、だけど。その後は……?


 契約の木に最後のゼリービーンズの実が生った、その後。


 ――――キリーは、どうするつもりなんだろう? そして、あたしは、どうしたら…………。


 最初のケミカルな水色は、キリーの手によって摘み取られた。

 近づいて来た悪魔的な美貌。流風の耳元をすり抜けていった、逞しくもしなやかな腕。背後で何かをもぎ取る音がして、引き戻されてきた、男の人らしい大きな手。しなやかだけれどしっかりとした印象の長い指先。その指に摘ままれた、水色の一粒。悪魔的な氷の眼差しの持ち主によって、流風の中にもたらされたケミカルな一粒。青い悪魔は、流風の大切な思い出をあっさりと上書きした。

 次の黄色は、再びの乙女への犯行を繰り返そうとしたキリーを制して、流風が自ら摘み上げ口に入れた。これで、流風の乙女心は守られたはずだった。はずだったのに、二度目の「あーん」に失敗したキリーの、残念そうで不満そうで拗ねたような子供っぽい顔にノックアウト。一度目とは別の角度から、流風の乙女心は、激しく揺さぶられる結果となった。

 そして、いよいよ。これが、最後のゼリービーンズ。


 ドームに向かっていた時の、キリーが流風に「あーん」をする理由を聞くという決意は、欠片も残っていなかった。決意をしたことすら、忘れていた。

 今はただ、自分の心臓の音しか聞こえない。

 ホラー映画の効果音ばりに鳴り響く、自分の心臓の音しか、聞こえない。


 ――――どうしよう。もしも、キリーが、また……。そうしたら、あたしは。あた、しは、どう……したら…………?


 次もキリーが乙女への犯行に及んだら、それを止めるべきなのか、それとも……。

 水色と黄色。黄色と水色。

 自分がどうしたいのかも分からないでいると、付き合っていられないとばかりに小枝が光を放った。

 水色と黄色、二色の光。

 光は、目の前に置かれたパールピンクの台座に吸い込まれていった。

 枕くらいの大きさの、お豆腐みたいに四角い台座。色は可愛いけれど、形は味もそっけもない、シンプルな台座。

 パキキッと音がして、台座の中央に小さな割れ目が出来る。そこから、濃いメタリックグリーンの芽がシャキンと顔を出した。その下から、虹色の光を帯びたプラチナホワイトがグリーンを押し上げるようにグングンと背を伸ばしていく。プラチナホワイトは伸びていく途中であちこちへ枝分かれし、葉を茂らせた。ちゃんと葉脈の模様まで刻まれた、メタリックグリーンの葉っぱたちは、硬そうなのに柔らかそうだ。

 虹の輝きを放つプラチナホワイトの幹は、流風の胸元近くまで背を伸ばした。

 その天辺近くに、小さな氷の蕾が出来あがる。

 ひんやりと冷気を放つ、親指サイズの氷の蕾。透明な氷ではなくて、ところどころ、白く濁っていた。

 最後は白いゼリービーンズなのだろうかと見入っていると、根本からバチバチッと静電気が起きた時みたいな音がした。小さな稲光を体に纏わりつかせたケミカルイエローの小さな龍が、幹の周りをクルクル回っている。

 龍の頭が上を向いた。蕾に狙いを定めると、龍は幹の周りを、螺旋を描くようにしながら駆け昇って、蕾に頭から突進していく。

 蕾が壊れてしまうのではと息を呑んだが、龍は自分の体より小さな蕾の中に吸い込まれていった。まるで、魔法のように。

 龍のしっぽの先、体に纏わりついていた電流の切れ端まですっかり飲み込まれると、充電が完了した蕾は、火花を散らしながら一気に開花した。

 白く濁っていた氷の蕾は、赤く揺らめく炎の花となった。

 舞うように揺らめく赤い花びらは、しばらく流風の目を弄んでから、ゆっくりと枯れていく。

 残されたのは、魔性めいた光沢を放つ赤い一粒。


 真っ赤なゼリービーンズ。

 最後の、契約の実。


 触れたら、火傷してしまわないだろうか?

 そう思って見つめていると、肩に手を置かれた。

 左後方に控えていたキリーが、流風の左肩を掴むように手をのせた。逆の手を、炎の種のような赤い一粒へと伸ばしていく。

 肩に置かれたキリーの手は、普通に暖かい。なのに、流風の左肩は、火傷しそうに熱かった。

 さっきまで燃える花だったのに、契約の実は、既にその熱を失っているようだった。キリーは、平然とその実を摘み取った。

 自分へ近づいて来る、毒々しくも艶やかな赤い実。

 流風はただ、赤い一粒を見つめていることしかできない。その訪れを待ち望んでいたかのように、薄っすらと唇を開く。

 この犯行を受け入れたら、もう手遅れになってしまう。

 何とか消火しようという頑張りもむなしく燻り続けていた何かが、完全に燃え上がってしまう。そうなったら、もう流風にはどうにもできない。流風には、もう、その炎を消すことを出来ない。自分にはどうにもならない炎に、焼かれるしかない。


 そうなったら――――。


 ずっと大事にしてきた白も、大切な約束の証である水色も、赤い炎に呑まれて灰にされてしまうだろう。

 そうと分かっているのに、流風はキリーの犯行を、拒むことは出来なかった。

 気になるのは、キリーは今、どんな顔をしているのだろうということだけだった。

 その冷たい瞳の奥に、ほんの一欠けらでもいい。甘さや熱を感じ取ることが出来たなら、それだけで。それだけで、流風はもう――――。

 契約の実が、流風の唇に触れた。誘うように薄く開いた唇の中にそっと押し込まれていくそれが、熱いのか冷たいのかも分からない。

 キリーの指先が、唇に触れた。そのまま、実を押し込めるように、指の先が中に入ってくる。

 たまらなくなって、ぎゅっと目を閉じた。

 すぐに引き抜かれていった指。でも、感触はまだ残っている。

 ほんのり甘くて、暖かい。キリーの指は、甘かった。流風には、そう感じられた。

 なのに、舌の上で転がるゼリービーンズには、甘さは感じなかった。ただ、冷たくて熱いだけ。

 目を開けたら涙がこぼれてしまいそうで、閉じたままゆっくりと噛みしめる。

 冷たくて熱くて、ほんのり苦くて、その後から、蕩けそうな甘さが流風を飲み込んでいく。ゼリービーンズを食べているのは流風なのに、流風の方がゼリービーンズに飲み込まれたみたいだった。

 ドロドロになったゼリービーンズが、喉の奥に落ちていく。

 胃の中に落ちていったはずのゼリービーンズは、なぜか。

 種となって、流風の心臓に根を下ろした。流風の中で燻り続けていた熱を養分に、根はあっという間に張り巡らされる。

 鼓動するたびに、根は流風の心臓を締め付ける。甘い電流が、全身を駆け巡った。

 キリーが流風に食べさせたのは、毒入りのゼリービーンズだったのだ。


 ――――どうして、こんなことするの?


 忘れていた疑問が、再び頭をもたげてきた。

 今更だけど、今だからこそ、でもあった。

 初めて味わうその甘い毒に酔いしれてしまいたいのに、棘のように刺さったその疑問が邪魔をしてくるのだ。

 この毒に浸っていいものかどうか、その答えが欲しい。

 毒の正体に気づかないふりをしながら、でも身の内を駆け巡る熱をどうにかどこかに逃がしたくて、流風は目を開ける。

 小枝を確認するよりも先に、キリーを見上げる。

 流風を見下ろすキリーの瞳は、相変わらず冷たくて素っ気ない。

 見上げる流風は、分かりやすく熱に浮かされた顔をしているはずだ。毒の名前を断定することを故意に避けつつも、流風は自分がバレバレの顔をしていると自覚していた。

 炎の花から出来た実が、そのまま熟したような頬の色。毒に侵され、甘い熱に潤んだ瞳。溢れる思いを言葉に出来ず、わななくばかりの唇。

 流風が何を思っているのかなんて、流風が誰を想っているのかなんて、言葉にするまでもなく分かるだろう。


 ――――ねえ、どうして……?


 熱に浮かされ滲む瞳で、縋るように青い騎士を見つめる。

 キリーの手が、流風の肩から離れていった。

 それが、キリーの答えなのだろうか――?

 そう思ったら、スッと熱が冷めていった。さっきまで、あんなに熱を持て余していたのに、氷の塊を体の中に埋め込まれたみたいに、全身が冷たくなる。キリーを見上げる、瞳だけが熱い。熱い液体が、瞳の中に溜まっていく。冷え切った体に、それはことさら熱く感じられた。

 流風の想いには気づかないふりで、「行くぞ」と一言素っ気なく言って、また流風を置いて一人で行ってしまうのだろうか。


 ――――王女様の、ところへ……?


 冷たく流風を見下ろすキリーの唇が開いていく。


 ――――嫌だ! 聞きたくない! お願い! 行かないで!


 拒絶するように強く目を瞑り、追い縋るように手を伸ばしてキリーの腕を掴む。

 目を閉じて俯く流風の頭上から降って来た声は冷たく平坦だったけれど、予想とはまるで違う内容だった。


「俺には、妹がいたんだ」

「え?」


 いきなり登場してきた第三者の存在に驚いて、思わず顔を上げてキリーを見つめる。いつもと変わらない、クールなアイスソルトフェイス。でも、どこか寂しそうに見えて、キリーの腕を掴んでいた手から、ほんの少しだけ力を抜く。労わるように、優しく手を添えているぐらいの力加減。

 見上げる先で、キリーは話を続けた。


「妹は、王女と同じ年だった。俺は、妹を助けることが出来なかった。だから、王女のことは助けたい。何としても、王女の命を救いたい」

「……………………」


 思ってもみなかった話に、流風は呆然と騎士を見上げる。ぽつぽつとした、不器用な話ぶりが、かえって流風の胸を打った。

 病気なのか事故なのかは分からないけれど、キリーは妹を失くしていて、助けられなかったことをずっと気に病んでいたのだろう。もしかしたら、そのせいで、感情を失くしたようになってしまったのかもしれない。黄色のゼリービーンズの時に見せた、流風を惑わせたあの顔は、妹を失くす前のキリーの本当の素顔なのではないだろうか。

 だとしたら、だとしたら。

 もしもまた、王女を救うことが出来なかったとしたら、その時キリーは、本当に本物の冷たいだけの悪魔になってしまうかもしれない。


 ――――そんなの、そんなの…………。そんなのは、嫌だ。


「だから、そのために、力を貸してほしい」

「…………うん。分かったよ、キリー。二人で一緒に、王女様を助けよう」


 キリーの瞳を静かに見返しながら、流風は強い思いを込めて頷いた。

 元より、王女を救いだすことに異論はない。だって、そんなのは、当然のことだ。キリーが誰を好きでも、そんなのは関係ない。助ける方法があるのなら、助けてあげるべきだ。

 だから、流風は今。

 王女のためではなく、キリーのために、王女を救いだすことを改めて決意した。

 キリーを本当の悪魔にしてしまわないために。

 黄色ゼリービーンズの時に垣間見せた、普通の少年のようなキリーの素顔を取り戻すために。

 そのためなら、出来ることは何でもしようと、強く心に誓った。

 その思いが通じたのかどうか、流風を見下ろすキリーの瞳がほんの少しだけ柔らかくなったような気がした。

 気のせいかもしれない。

 でも、流風はそう感じた。だから、そう信じることにした。その方が、自分を奮い立たせられるから。

 けれど、もしかしたら本当に、気のせいではないのかも知れなかった。


「ありがとう、ルカ。君の勇気に感謝する」

「………………! うん、うん! 任せて、キリー! 天の乙女として、必ず王女様を助けて見せるから!」


 始めて、キリーに名前を呼ばれた。

 ちゃんと、流風の名前を憶えてくれていたことが、素直に嬉しい。

 間違いなく流風のこれまでの人生で一番の笑顔を浮かべて、流風は答えた。

 満開ではなくて、綻ぶような笑顔で。


 ――――ああ。あたしは、キリーが、キリーのことが……。キリーが王女様のことを好きでも、それでも。もう、関係ない。キリーが誰のことを好きでも、あたしは……。


 流風に目配せをしてから、台座の向こうに現れた出口へと向かうキリー。

 流風は一度目を閉じて深呼吸をしてから、その背中を追いかけた。

 青い背中に向かって、心の中だけで、そっと呟く。


 ――――あたしは、キリーが好き。



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