Side-R④ 乙女心は甘く痺れて

 悪魔的に冷たくて美しい、青の騎士に乙女心をかき乱されっぱなしの流風るかだったけれど、すぐにそれどころではなくなった。

 水色も白も、青い背中も青い腕も、今は完全に頭から吹き飛んでいた。


 だって、なぜなら。


 流風とキリーは今、毛むくじゃらのクモの大群に襲われていた。

 小道の向こう側、青い背中の向こうで、三匹のクモが行く手を阻むように立ちふさがっている。

 三匹は大群ではないという意見もあるかもしれないが、流風には十分大群だった。

 だって、毛むくじゃらで、猫ぐらいはありそうなクモが三匹もいるのだ。こんな大きなクモは、今まで見たことがない。しかも、毛むくじゃら。

 この毛むくじゃらというのが、一番よくない。大群ポイントに、しなくてもいい貢献を多大にしている。流風は、芋虫は割と平気なのだが、毛虫は大の苦手なのだ。

 それに、確か。こんな数の数え方があったはずだ。


『いち、に、いっぱい!』


 そうすると、やっぱり三匹というのは十分大群なのだ。

 流風的には、今。今が、人生最大級の大ピンチだった。

 毛むくじゃらで、このサイズはヤバい。

 へっぴり腰で両手に持った小枝を前に突き出す流風。そんな流風を守るように剣を構えるキリー。

 剣の先にいるのが毛むくじゃらでなければ、騎士に守られる伝承の乙女の構図に、うっかりときめいてしまっているところだった。

 でも今は、本当にそれどころではない。

 甘酸っぱさとは無縁の方向で、心臓は激しく活動している。小枝を握りしめる両手はじっとりと汗ばんでいるのに、背中はゾクゾクと寒気が走っている。

 盾のようにキリーが前に立っていてくれるから、流風も、へっぴり腰ながらもなんとかへたり込まずにいられるけれど。流風一人だったらきっと、しゃがみ込んで、小枝を握りしめたまま頭を抱え丸く縮こまっているしかできなかっただろう。毛むくじゃらからしたら、襲いたい放題の状況だ。

 もしもそうだった場合の未来予想図を、流風は脳内火炎放射器で焼き払った。毛むくじゃらの大群にいいように蹂躙される自分の姿なんて、想像するだけで発狂できる。

 一分一秒でも早く、毛むくじゃらの大群を薙ぎ払ってほしいのに、キリーは剣を構えたまま、なかなか動こうとはしなかった。

 大群の出方を探っているところなのか、流風が完全なるお荷物の足手まといだということを察知して慎重になっているからのか。

 実際、お荷物の足手まといだという自覚はあった。

 キリーをすり抜けて毛むくじゃらが襲い掛かってきたら、流風は戦うどころか逃げることすら出来ず、その場でしりもちをついていいようにされるくらいしかできないだろう。

 本音を言えば、もう少し毛むくじゃらから離れたいと思っていた。なのに、それをしないのは、なけなしの勇気を総動員して天の乙女としての使命を果たそうとしているわけではなく、ただ単に、体が言うことを聞いてくれないからだった。脳から手足に繋がっている配線が、どこかで切れてしまっているようだった。

 せめて、あの毛むくじゃら成分だけでもなくなってくれれば、小枝を振り回すくらいは出来そうなのにと、毛むくじゃらをツルツルにする脱毛の魔法をかけてほしいと小枝にお願いをし続けているのだが、小枝は流風の願いに全く答えてくれない。

 物理的にも魔法的にも、流風は役立たずだった。

 そのことに、焦りを感じる余裕もない。

 ただひたすら、毛むくじゃらのツルツル化を願い続ける。

 毛むくじゃらを恐怖するあまり、追い払ったり、倒したりする魔法なら使えるんじゃないかという発想には至らない。


 緊張と恐怖で、流風の方が先にツルツルになりそうだったが、ついに事態が動いた。

 中央の毛むくじゃらが、プシューと糸を吐き出してきたのだ。投網のように広がったそれを、キリーは剣で薙ぎ払おうとしたのだが、それを待ち構えていたかのように、糸は剣に纏わりついた。その隙を狙ったかのように、左の毛むくじゃらも糸を吐き出した。剣のみならず、青の騎士本体も白い糸でおくるみ状態にされてしまう。

 毛むくじゃらは、毛むくじゃらのくせに連携攻撃が使える様だった。これで、キリーは完全に無力化させられてしまった。“役立たず”は自分だけじゃなかったなんて、ちょっぴり安心している場合ではない。

 キリーを無力化した毛むくじゃらたちの次のターゲットは、流風なのだ。


「小枝の乙女! 小枝の魔法を使え!」

「え? ふぇ!? こ、小枝の魔法!?」


 糸で簀巻き状態にされたキリーから、声が飛んでくる。

 けれど、魔法といわれても流風も困る。

 さっきから、小枝には脱毛の魔法をずっとお願いしているのに、小枝は流風を無視し続けているのだ。

 本当に、魔法なんて使えるのかと、不安と苦情の入り混じった気持ちが滲み出てくるが、やるしかない。

 流風がやるしかないのだ。

 やるしかないのだが、相手は流風が苦手な毛むくじゃらだ。

 しかも、いっぱいいる。一、二、いっぱい。毛むくじゃらの大群だ。

 隙間から鮮やかな青がチラ見える白いミノムシの脇をすり抜けてこようとする毛むくじゃら軍。


「いや! 来ないで!!」


 ツルツルの魔法の時よりも、ずっとずっと強く願って、流風は小枝を思い切り前に突き出した。

 ぎゅっと閉じたまぶたの向こうで、水色の光が弾ける。何かが砕け散るような、透き通った音が聞こえた気がした。

 一体、何が起こったのか。

 確かめたいけれど、怖くて目が開けられない。そのままのポーズで固まったまま、各流派入り混じった自己流の念仏を唱えていると、誰かに肩を揺すられた。


「ひいぃっ!」

「!」


 甲高い悲鳴と共に後ろに飛び退ってから、恐る恐る目を開けてみると、軽く腕を組んだキリーが冷たいあきれ顔で流風を見ていた。

 さっきまで、騎士でありながら囚われのヒロインポジションにいたというのに、いつの間に糸の緊縛から抜け出したのだろう?

 毛むくじゃらたちはどうなったのか、と前方の小道の上を見てみると、猫よりも一回り大きいサイズの氷の塊らしきものが転がっていた。白く濁ってはいるが、何となく、中に毛むくじゃらっぽいものが見える。

 水色の契約の木は、最初、氷漬けになっていた。水色の実は、氷の魔法を司っているのかもしれないと流風は思った。


「え、と? 一体、何が? 毛むくじゃらたちが氷漬けになっているのは、小枝の魔法が発動したってことなんだよね? それは、なんか分かるけど、キリーはどうやって糸から抜け出したの? あいつらをやっつけたから、糸が自動的になくなったとか?」

「いや。小枝の魔法で糸だけ凍り付いたと思ったら、そのまま砕け散った。どうやら、冷気に弱いようだな」

「あ。あのなんか砕けたみたいな音は、糸が砕けた音だったんだ……」

「一時はどうなることかと思ったが、無事に魔法が使えてよかった。先へ進むためには、乙女の魔法が必要になるはずだからな。まあ、なんにせよ、よくやった」

「~~~~~~!!!!!」


 珍しく流風を褒めると、キリーは流風に近づいて来た。大きな手が流風の頭に伸びてくる。ポンと流風の頭に置かれた手は、軽く撫でるようにしてから去っていった。

 褒めている割には、声も表情も冷たいままだったけれど、流風の体温は急上昇した。

 こんなの、綺璃亜きりあにだってしてもらったことがないというのに。

 せっかく収まっていた乙女の暴走が、また始まってしまいそうだった。

 すっかり茹で上がった流風に気づいているのかいないのか。いや、それとも。気づいたからこそ、なのか。


「先を急ぐぞ、小枝の乙女。たぶん、次の契約のドームまで、そんなにはかからないはずだ」

「っっっ!!!!!!」


 言いたいことだけを言うと、流風の返事を待たずに、あっさり前を向いてまた歩き出してしまう。

 知らない人みたいにどんどん先へ行ってしまう背中に向かって、「小枝の乙女じゃなくて、あたしの名前は流風だから!」と叫ぼうと、両手を振り上げたけれど。結局流風は、何も言わずに手を降ろすと、恐々と毛むくじゃら入りアイスブロックの脇をすり抜けて、キリーの背中を追いかける。

 たとえ氷漬けにされていても、毛むくじゃらの傍にはいたくない。それに、一人きりの時に、新たな毛むくじゃらに襲われたとしたら、次も上手く魔法を使えるか分からない。

 乙女の事情はさておき、心と体と命を守るためにもキリーの傍から離れすぎないようにしなくてはいけない。

 キリーをすぐに追いかけることにしたのは、毛むくじゃらが理由だったけれど、叫ぶのをやめた理由は、もっと違うものだった。

 だって、名前で呼んでもらうなんて。

 まだ、綺璃亜にもしてもらったことがないのだ。

 今後もし、綺璃亜に名前を呼んでもらえる時が来たとして。名前を呼ばれるたびにキリーの顔がチラついていたのでは、流風は挙動不審な女の子だと思われてしまう。そのせいで、気持ちが悪いから、もう名前を呼ぶのはやめておこうなどと思われたら、目も当てられない。

 それに、キリーが流風の名前を呼ぼうとしないのはもしかしたら、天の乙女はいずれ役目を果たしたら天に帰ってしまうのだからと思ってのことかもしれない。だったら、それに乗っかっておこうと思ったのだ。

 それにしても、出来ればせめて「小枝の乙女」よりは「天の乙女」と呼んでほしいな、とは思っていた。だって、天の乙女の方が神秘的な響きがあるし、小枝の乙女は天の乙女の比べると、少しランクが下がっているような気がするからだ。

 けれど、結局。それすらも流風は頼めなかった。

 頼んでみた結果、天の乙女よりは小枝の乙女の方が君には相応しいだろう、などとキリーに直接言われたら何も言い返せない。

 自ら余計な傷を負うことはないよね、と流風は自分に言い聞かせ、キリーの後を追うことに集中することにした。




 キリーの言った通り、毛むくじゃらの襲撃地点から次のドームまでは、たいしてかからなかった。多少曲がりくねったところはあっても、基本は真っすぐ一本道だったのに、初めて右へ曲がる角が現れた。ほぼ直角の角を曲がってから、一歩も進まない内に流風は足を止めた。

 ドーム……らしきものは、ほんの数メートル先に見える。

 白い糸に覆われた、流風の部屋よりも少し大きいくらいのドーム。

 その手前に、巨大な毛むくじゃらが見える。

 あれが、毛むくじゃらたちのボスなのだろうか。

 象まではいかないが、牛よりは大きいと思われる、巨大な毛むくじゃらのクモがドームの入り口をふさぐように立ちはだかっている。

 それまで先を歩いていたキリーが、流風に道を開けた。


「小枝の乙女。出番だ」

「うえぇええええええええ!?」


 出来ればずっと、その青い背中の後ろに隠れていたかったのに、頼りにしていた青い”ついたて”に勝手に動かれて、身の毛もよだつ巨大な毛むくじゃらと直接対面することになった流風は、錯乱して奇声を上げながら片足を上げたポーズで小枝を振り上げた。ちなみに両手が上がっている。

 なぜそんなポーズになったのかは自分でも分からない。錯乱していたからとしか説明のしようがない。もちろん、小枝から氷の魔法が発動することはない。錯乱していたからというよりも、そもそも魔法を使うつもりでやったことではなかった。

 流風が奇声を上げながら微妙なポーズをとったのは、魔法を使うためでも、気合を入れるためでもなく、そう、錯乱したからなのだ。

 ボス毛むくじゃらと、目が合ったような気がした。

 ところどころ白が交じった黒い毛がびっしりと生えたいくつもある長い足が、流風ににじり寄ろうとするように蠢いた。

 瞬間、考えるより先に、頭上高く振り上げた小枝を、ボス毛むくじゃらに向かって振り下ろしていた。

 特に何かを願ったわけでも、魔法の呪文的なものを唱えたわけでもないのに、流風の深層心理をくみ取ったかのように、ケミカルな水色の光が小枝から放たれ、ボス毛むくじゃらに直撃した。

 ボス毛むくじゃらの全身が、激しい光に包まれる。光撃は、一瞬で終わった。光が消えると、そこにはボス毛むくじゃらの氷漬けが出来上がっていた。

 ボス毛むくじゃらがドームへの入り口をふさいでいる状況はそのままだけれど、とりあえずボスの無力化には一発で成功したようだ。

 流風にしては、上出来だった。

 半泣きの顔で、肩で大きく息をしながら、流風は自分を褒めた。

 でも、あれをどかす作業は、キリー一人にお願いしたい。

 そう思って、脇にどいていたキリーをチラリと見ると、キリーは流風が頼む前に氷漬けに向かい始めた。キリー一人であの氷の塊を動かすのは難しいのではと思ったけれど、流風には手伝えそうもない。

 対毛むくじゃら戦において、キリーはほぼ役に立っていなかったし、これくらいはやってもらってもいいよね、と自分に言い聞かせ、流風は後のことをすべてキリーにお任せすることにした。

 直接は手伝えなくても、せめてエールくらいは送るべきだろうかとも思ったが、心配は不要だった。

 氷塊の前に辿り着くと、キリーは剣を振り上げたのだ。

 氷塊をどかすのではなく、叩き割ることにしたのだろうが、あんな大きな氷塊が、剣で叩いたくらいで壊れるものだろうかと、今度は別の心配が湧き上がる。

 結論から言えば、今度も心配は無用だった。

 魔法で出来た氷だからなのだろうか。たいして力を込めたようには見えなかったのに。コツンぐらいの軽い一撃だったのに。氷塊はあっさりと砕け散った。

 砕けた氷のカケラが、ターコイズブルーに輝く空の光をキラキラと不思議に反射しながら、小道の外の茂みへと降り注いでいく。

 うわぁ、と歓声を上げかけて、流風は魔法とは関係なく凍り付いた。

 氷と一緒に砕けたはずのボス毛むくじゃらが生きていたのだ。氷漬けのまま、砕け散ったことは、砕け散った。ただし、生きていたのだ。一応。

 砕け散ったボスは、小さくていっぱいの、今度は本当の意味でいっぱいの、コオロギくらいの大きさの、小さな毛むくじゃらになった。コオロギサイズの無数の毛むくじゃらが、小道の両脇へと、二手に分かれて広がっていく。そして、そのまま、茂みの奥へと、スササササっと逃げ去って行った。

 大きいけれど一匹だけの毛むくじゃらと、小さいめだけれど無数の毛むくじゃら。

 どっちの方がマシとかいう問題ではない。どっちもごめんだった。

 大きいとか小さいとかの問題ではない。

 毛むくじゃら。

 これが一番の問題なのだ。

 

 ――――は、早く王女様を助けて、この森からおさらばしなくては……!


 流風は、決意を新たにした。

 小道に一匹の毛むくじゃらも残っていないことを確認すると、流風は流風とは思えない素早さで、キリーが待つドームへと向かった。

 毛むくじゃら大量発生の場所に近づきたくない気持ちよりも、この森そのものから脱出したい気持ちの方が勝ったのだ。

 キリーは、既にドームの中に入っていた。

 クモの糸でつくられた、真っ白いドーム。

 もしかするとあのクモは、森の王の手下ではなくて、天の乙女の資格があるかどうかを試すための、試練的なイベントのボスだったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、なるべく糸には触れないように、ドームの中に入る。

 ドームの中央には、噴水が湧き上がる小さな泉があった。

 キリーは、入り口のすぐ脇に控えている。

 ここから先は、流風の仕事だからだ。

 気を引き締めて、泉の元へ向かう。

 大きさは、直径一メートルくらいの丸い泉。

 真ん中から、流風の腰のあたりまで、水が吹き上げている。

 何をすればいいのかは、なんとなく分かっていた。

 天の乙女としての直感というよりは、ゲームやアニメを嗜むものとして得た知識からだったが。

 小枝を、噴水に向ける。

 正直、魔法をちゃんと使いこなせている自信はない。流風が小枝の魔法を使っているというよりも、小枝が勝手にやってくれているような気もする。

 でも、だからこそ。

 勝手に何とかなってくれるだろうと、流風は噴水に向けた小枝を、軽く上下に振った。


「えーと? 封印……解除?」


 一応、それっぽい事も言ってみる。

 本当はもっと、いかにも魔法の呪文っぽい感じで格好良く、それでいて天の乙女としての神秘性や、普通に乙女として可愛い感じの呪文を唱えてみたかったけれど、一晩じっくり考えないといい案が浮びそうになかったのであきらめた。

 コテコテにやり過ぎて、キリーに失笑されたら恥ずかしいな、という理性が仕事をしてくれたせいもある。

 結果、あっさりとしたものになったのだが、声に絶妙な加減の自信のなさが現れている。

 もっと、決め台詞っぽく、ビシッと言いきったほうがよかったかもしれない。

 これだから、小枝の乙女とか言われるのかもしれないな、などと脳内反省会が始まりつつあったが、小枝はちゃんと仕事をしてくれた。

 ケミカルな水色の光が、吹き上げる水を包み込む。

 毛むくじゃらを凍らせた時よりも、優しい光に見えた。


 パキパキ。パキン。パキリ。


 小気味よい音を立てて、吹き上げていた水が凍りついていく。

 泉自体には変化はなく、吹き上げていた水だけが、凍っていく。

 音が止むと、泉の真ん中には、氷の木が出来上がっていた。

 水色の時のように、木を氷漬けにしたわけではない。

 全部が氷で出来た、氷の彫刻みたいな木。氷製の木。

 氷の木は、空の色と同じ、ターコイズブルーに輝いていた。

 ドームの中に、ヒヤリと冷気が立ち込める。冷凍庫を開けた時のような冷気ではなくて、神社の鳥居をくぐった時に感じたことがあるような、清らかな冷気。

 木には一つだけ実が生っていた。

 クリスマスツリーの星飾りのように、木の天辺で存在を主張する鮮やかなケミカルイエロー。

 幹も枝も葉も、全部ターコイズブルーの氷で出来ているのに、天辺のケミカルイエローだけが、氷ではなく、本物だった。

 本物の、ゼリービーンズ。

 ケミカルイエローの、ゼリービーンズ。


 ――――食べたら、願いが叶いそうだな。


 そう思いつつも、もったいなくて手が伸ばせないでいた。

 食べてしまったら、この神聖な空気も消えてしまうような気がして、つい躊躇ってしまう。

 もう少しだけ、こうして見つめていたい……と思っていたのに、そんな流風をせかすように、背後で何かが動く気配がした。

 いっぺんで現実へと引き戻された。流風は、ためらうことなく天辺の星のようなケミカルイエローを摘み取り、速攻で口の中に放り込む。

 だって、そうだ。

 これ以上、乙女心をかき乱されてはたまらない。

 口の中に、冷たい甘さが広がった。

 キリーとの甘イベントを避けるためにしたことなのに、ケミカルイエローの冷たい甘さは、綺璃亜ではなくキリーの冷塩顔を連想させる。

 冷塩顔で甘イベントを仕掛けてくるのは、本当に質が悪いと思う。

 流風は冷塩顔を振り払おうと咀嚼もそこそこに冷たい甘さを飲み下した。乙女イベントよりも今は使命と自分に言い聞かせながら、手の中の小枝を確認する。

 すると、枝の真ん中あたり、水色から少しだけ離れた場所で、契約成立を告げるようにケミカルイエローの光が灯った。乙女心的なアレソレは一旦忘れて、小枝を目の前に翳して見つめていると、光は静かに収束していった。

 水色の時と同じだ。

 光が消えた場所には、黄色い一粒が実っている。

 無事に役目を終えたことに満足して、流風は笑顔でキリーを振り返った。そして、硬直した。

 キリーは、流風のすぐ後ろに立っていた。

 とても、不満そうな顔で。

 いつも、流風に対しては冷たく取り澄ました表情を崩したことがない、あのキリーが。

 不満そうな、つまらなそうな、残念そうな顔で、流風と流風が手に持つ小枝を見ている。

 

 ――――え!? なんで!? なんで、そんな顔してるの!?


 硬直したまま、流風は脳内で叫ぶ。

 だって、それでは、まるで。

 キリーが流風に、ゼリービーンズを食べさせたがっていたみたいではないか。


 ――――も、もう! 卑怯だよ!


 胸の奥を、甘く痺れるような電流が駆け巡っていったのは、黄色の契約が成立したせいだ、と流風は自分に言い聞かせた。

 最初の水色は、氷の魔法だった。

 だから、次の黄色はきっと。


 甘い電撃の魔法なのだ。

 そういうことに、しておこう。

 そういうことに…………しておかなければならなかった。

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