Side-R② ゼリービーンズの契約

 異世界の森。

 神秘的な緑のドーム。

 そのドーム中央には、ゼリービーンズの生る不思議な木。

 しかも、そのゼリービーンズが、約束の証である水色をしているとなれば。これはもう、期待せざるを得ない。ゼリービーンズの約束を交わした相手であり、流風るかの憧れの人でもある司空しくう綺璃亜きりあ。その綺璃亜と、これから素敵な冒険が始まるのだ。

 そんな風に、期待で胸をいっぱいにして。背後で聞こえた物音に振り向いてみれば、そこにいたのは。


 流風の期待と予想を、斜め上に外したような人物だった。


 顔立ちは、綺璃亜にそっくりだった。

 破滅を予感させる、悪魔めいた冷たい美貌と雰囲気の持ち主。

 けれど、その人は。綺璃亜よりも背が高いし、肩幅もしっかりしている。それに、髪も短い。年齢も、中学三年生の綺璃亜よりもう少し上、高校生か大学生くらいに見えた。

 星蘭せいらん女子の青いセーラー服ではなく、青い騎士の制服に身を包んだ、その人。

 その人は、綺璃亜にそっくりの男の人だった。


 ――――この人、もしかしたら。こっちの世界の綺璃亜先輩、ってことなのかな?


 期待外れのような、そうでもないような。どうしていいか分からないような、不思議な心地。

 駆け出そうとして止まったままの微妙なポーズで、彫像のように固まっていると、綺璃亜のそっくりさんは、ドームの中へ入って来た。ゆっくりと、流風の方へと近づいて来る。

 体は固まったままなのに、心臓だけが破裂しそうに激しく動いていた。

 そもそも、女子中学校に通っているせいで、年頃の男子にはあまり免疫がないのだ。年頃の男子が自分に近づいて来ているというだけでも心臓爆発案件なのに、憧れの先輩のそっくりさんというおまけつきとくれば、もう。もうとっくに、流風の乙女キャパはオーバーしまくっている。

 そっくりさんは、流風の手前で足を止めた。手を伸ばせば、ギリギリ届く距離。

 近すぎる、と流風は思った。

 心臓が爆発して、宇宙の果てまで飛んで行ってしまいそうだった。

 緊張と、ついさっきまで抱いていたのとは違う、ほんのり甘い乙女の期待が胸をよぎる。

 異世界の森。神秘的なドーム。不思議な木。憧れの先輩そっくりの、青い騎士。しかも、年頃の男子。

 綺璃亜への憧れは憧れとして、流風だって健全な女子中学生だ。シチュエーション的に、何某かの期待をしてしまう。女子中学校に通っているし、誰かに見つけてもらえるような美少女というわけでもないし、自分には縁がないものと思ってはいたけれど。でも、男女交際的なあれやそれやに、興味がないわけではないのだ。

 頭はほぼ活動を停止していたけれど、それとは別に。乙女心というものは、勝手に発動されてしまうものらしい。

 自分を見下ろす騎士の口から紡がれる言葉を、流風は仄かなときめきとともに待った。


「俺は、青の王国の騎士、キリーだ。君は……?」

「は、はい! 私立星蘭女子中学校2年3組西野流風です!」


 冷たくてそっけない、やや低めの声は、ほんの少しの甘さを含んでもいるように感じられて、耳に心地よかった。心地よさに耳の奥を痺れさせつつも、元気いっぱいに答える。


 ――――名前まで、綺璃亜先輩に似ている。やっぱり、この人は、こっちの世界の綺璃亜先輩なのかも……。


 なんて。つい、思ってしまう。夢を見てしまう。

 別の世界の綺璃亜(男性)との、恋と冒険の物語。想像するだけで、胸が震えた。日本にいた頃は、ゲームやアニメやマンガや小説を読んで妄想する以外には、流風には縁がないものだった。でも、今は違う。ここは異世界で、その異世界に召喚されたのは、他でもない流風なのだ。

 美少女でも何でもない、全身全霊平均点少女の流風だけれど、でも。

 その流風が特別な何かに選ばれてしまったのだとしか、思えない。

 シチュエーション的に、偶然、流風が選ばれたのだとは思えなかった。だって、召喚された場所には水色のゼリービーンズの木があって、そこで綺璃亜そっくりの騎士と出会ったのだ。

 流風が選ばれたのは。流風が召喚されたのは。

 “運命”なのだとしか、思えなかった。

 きっと、これから、飛び切り素敵な何かが始まるのだ。キラあま系少女マンガの主人公になったみたいな、素敵な何か。元の世界にいた頃の流風には、一生縁がないはずだった、素敵な素敵な何か。

 そんな流風のぽわぽわとした乙女的未来予想を、騎士キリーは冷たくそっけなくあっさりばっさりと切り捨ててきた。


「君の名前はどうでもいい。それよりも、君が天の乙女ということでいいのか?」

「……………………へ?」

「見慣れない服装の少女。その出現と合わせたように解けた氷の封印。状況的に考えると、君が天の乙女なのだろうが、どうなんだ? 君は、伝承の通りの、天の女神より遣わされた乙女なのか? それとも、ただの不審者か?」


 なんだかひどいことを言われた気がするが、乙女らしく傷ついている場合ではなかった。

 天の乙女か、ただの不審者か。

 二つに一つの選択を迫られている。流風はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 騎士は、流風に二つに一つの返答を迫りながら、腰に佩いた剣の柄に手をかけたのだ。流風の返答次第では、容赦はしないということだろうか?

 時代劇の一場面が、脳裏に浮かんだ。素行の悪いお侍さんに、うっかりぶつかってしまったばかりに、あっけなく刀の錆にされてしまった哀れな町娘のシーン。

 思い浮かべて、全身の血液が一気に足元まで下がって、つま先から全部流れ出ていくような感覚に陥った。

 主人公気分に浸って浮かれている場合でない。

 刀の錆ならぬ剣の錆にされるのは、ごめんだった。

 状況的にみて、たぶん恐らく流風が天の乙女なのではないかとは思う。天とは、別の世界=流風のいた世界のことで、氷の封印というのは、流風の背後にあるゼリービーンズの木が氷漬けにされていたことを差すのだろう。氷の封印を解くことが天の乙女の証なら、流風が天の乙女で間違いないはずだ。状況的には。

 けれど、流風のこれまでの脇役人生が、「はい! あたしが天の乙女です!」と自信をもって答えることをためらわせた。そんな大役、美少女でも何でもない平凡の極みである平均点少女の流風にはふさわしくないのでは? そんな自信のなさが、抜け出た血の代わりに足元から這い寄ってくる。

 とはいえ、剣の錆にされるのは、嫌だ。

 迷った末、ありのままの流風の現状をそのまま伝え、後の判断は騎士に丸投げすることにした。

 主人公とかヒロインにはなれなくても、善良なただの一市民であることには自信がある。


「ち、ちちち、違うんです! あ、あたし、不審者じゃありません! 天かどうかは分からないけれど、その、あたし、たぶん、この世界の人間じゃなくて、別の世界から召喚されたっていうか、あ、だから、たぶん、それが天の乙女ってことなんじゃないかなって、思ったりはしてるんですけど、それから、それから、あ、そう! 氷漬けの木は、あたしが触ったら、急に解けたっていうか……氷が光の川になって流れていったっていうか、だから、たぶん、あたしが氷の封印、封印を解いたんだと思います! だから、不審者じゃありません! たぶん、あたしが天の乙女……っていうか、天の乙女じゃなかったとしても、せめて世界をまたいだ迷子って言って下さい!」


 ぎゅっと目を瞑って、とにかく自分は不審者ではないというところだけは強く主張して、必死の説明を試みる。


 ――――う、うう。これが、少女マンガとかだったら、もっと甘い展開になりそうなのに。それとも、あたしから滲み出る平凡臭がいけないの? 平凡すぎて、天の乙女にはとても見えないから、不審者と疑われちゃうの? もしかして、あたしがもっと美少女だったら、激甘ロマンス展開になっていた?……現実は、厳しいな……。うん。でも今、実感したよ。ここは異世界だけど、夢じゃなくて現実なんだって。…………あう。夢でいいから、もっとご都合展開来てほしかったな……。


 目を閉じたまま、まな板の上の鯉状態で騎士の判定を待ちながら、流風は自らへの当たりの厳しさに、これが現実であることを強く実感していた。

 流風の内心はともかくとして、その殊勝に見えないこともない様子に、騎士は流風の話に嘘はないと判断してくれたようだった。


「なるほど? 嘘ではなさそうだな。では、さっそく。天の乙女として、伝承の木と契約を結んでもらおうか」

「へ? 契約?」

「そうだ。…………もしかして、何もわかっていないのか? 君は本当に天の乙女なのか?」

「…………え?」


 とりあえず首が繋がったらしきことに安堵して、流風は閉じていた目を開けて、ほーっと全身から力を抜いた。途端に、唐突に何かの契約を求められて、開けたばかりの目を白黒させることになる。

 知ったかぶりをする余裕も能力もなく、異世界初心者ぶりをさらけ出していると、騎士から深いため息が聞こえてきた。

 期待外れだな、という心の声まで聞こえてきた気がした。

 でも、そんなことを言われても、困る。

 そもそも、流風はついさっきこの世界に来たばかりなのだ。

 右も左も分からない。分かるわけがない。

 なんの説明も受けていないのに、いきなりそんなことを言われても、困る。


 ――――うう。これがゲームとかなら、頼んでもいなのに、話を聞くのが面倒くさくなるくらいに詳しい説明が勝手に始まるところなのに。現実は厳しいって、こういうことなのかな……?


 流風は、ゲームもアニメもマンガも、割とたしなむ方だった。

 ゲームのイベントとは違うのだということを突きつけられてすっかり意気消沈しながら騎士を見上げる。

 流風を見下ろす騎士の瞳は、どうしようもなく冷たくて、そっけなかった。どうでもいいものを見るような目。他人なんてどうでもいいと思っている目。赤い血なんて一滴も流れていませんといわんばかりの、悪魔的に冷たい眼差し。

 ああ、この目を知っている、と流風は思った。

 これは、校内で普段見かける時の、絡んでくる生徒を見返す時の、悪魔的な仮面をかぶっている時の綺璃亜と同じ目だ。

 つい最近、仮面の下に隠された綺璃亜の素顔を知ってしまっただけに、綺璃亜そっくりの顔で、その他大勢を相手にするような目で見つめられるのは、辛かった。だって、綺璃亜だったら、そんな目で流風を見たりしない。あの時流風に向けられた綺璃亜の瞳には、茶目っ気が溢れ、奥には優しさが隠れていた。

 どうして、見た目が似ているだけで、名前が似ているというだけで、この騎士がこちらの世界の綺璃亜先輩かもなんて思ってしまったのだろう?

 木にゼリービーンズの実が生っているのを見つけた時の浮かれた気持ちは、萎みきっていた。さっきまでの浮かれていた自分を、むしろ殴りたい気分だった。


 ――――この人は、綺璃亜先輩とは違うんだ。だって、綺璃亜先輩は、本当は優しいもん。綺璃亜先輩は、たとえ知らない子でも、こんな森の中で、一人で困っている女の子に、こんな冷たい態度をとったりしないもん。だって、あたし。言ったよね? 異世界から来たばっかりだって。異世界迷子だって。なのに、こんな、こんな言い方するなんて……。見た目がどうこうとか、仮面をかぶっているとかじゃなくて、本当に悪魔みたい。


 ジワリと涙ぐむ。

 親友の萌流水もなみの顔が、ふと思い浮かんだ。

 

 そっか。そうだ。この人は、萌流水の好きな綺璃亜先輩だ。

 萌流水の理想の綺璃亜先輩。 

 見た目が悪魔的なだけというわけじゃなくて、悪魔的な仮面をかぶっているわけじゃなくて、きっと。心の底まで、悪魔的な人なんだ。

 血も涙もない、本物の悪魔。

 人間の中に交じりこんだ、本物の悪魔。

 萌流水が理想とする、綺璃亜先輩。

 あたしが苦手だと勝手に決めつけていた、あの頃の、綺璃亜先輩。

 でも、綺璃亜先輩が冷めた目で世界を見ているのは、世界が綺璃亜先輩に優しくないからで。それは、綺璃亜先輩の優しい心を守るための仮面であって。綺璃亜先輩は、本当に困っている子には、ちゃんと手を差し伸べてくれる。あたしは、それを知っている。だから、好きになった。

 だけど、この人は違う。顔はそっくりで、名前も似ているけど。それだけ。

 あたしが好きになった優しさを、この人は持っていない。

 仮面をかぶっているわけじゃない。見た目通りの、悪魔的なひとなんだ。


 そう考えたら、今すぐにでも日本に帰りたくなってきた。

 本物の綺璃亜の待つ、日本に。

 騎士とのロマンスの予感は、遠い彼方へ消え去って、もはや余韻すら残っていなかった。


 ――――そうだよ。だって、せっかく仲良くなれそうだったんだもん。顔は覚えてもらえたと思うし。あとは。勇気を出して、誰もいない時を見計らって声をかけて、名前も覚えてもらって、うん。名前を、呼んでもらえるようになりたいな。それで、出来れば連絡先とかも交換し合って、そうしたら。そうしたら、先輩が卒業してからも、お付き合いが出来るのにな。……いや、お付き合いって、そういう意味のお付き合いじゃなくて、普通に先輩と後輩として、節度あるお付き合いを……。


 現実逃避のように、まだその方法も分からないというのに、日本に帰ってからのことに思いを馳せる。

 騎士の方はといえば、そんな流風に気づいているのかいないのか、いや、そもそもどうでもいいと思っているのか。こちらはこちらで、何某かの考えを巡らせ、結論を下したようだった。かなり一方的に。

 

「まあ、何も知らなくても、天の乙女としての役目さえ果たしてもらえれば、問題ないか」

「…………はぁ!?」


 俯いて自分の世界に入り込んでいた流風だったが、血も涙もない騎士のセリフが聞こえてきて、目を丸くして騎士の悪魔的に怜悧な美貌を見上げた。

 もしかして、この人は、流風のことを便利なアイテムか何かなのだと思っているのだろうか。

 女の子扱いどころか、人間扱いすらされていないのではないだろうか。

 やはり、この騎士は魂レベルで悪魔的なのかもしれなかった。

 あまりにもあんまりすぎるセリフに呆気に取られている流風にかまわず、騎士は話を進めていく。


「君の背後にある木を含めて、この森には三本の契約の木がある。君は三本すべてと契約を交わし、俺と一緒に、森の奥に住む、森の王の元まで行けばいい。それが、君の役目だ」

「は? え? も、森の王?」

「森の王は、森の王だ。森神ともいう」

「森の、神様……?」


 森の王とはつまり、ゲームでいうところのラスボスのような存在なのだろうか?

 三つの契約をすれば、天の乙女としての力が覚醒して、ラスボスを倒すための力が手に入るとか、そういうことなんだろうか?

 ゲームになぞらえて考えている内に、流風は一つの嫌な結論に達した。


 ――――あれ? もしかして、あたし。その役目とやらを果たさないと、元の世界に戻れなかったりする……?


 物語のセオリーに習えば。魔王を倒すための切り札として異世界から召喚された少女は、大抵、その役目を果たして元の世界へ帰るのではないだろうか。というか、役目を果たすまで帰れないのが、よくあるパターンで。場合によっては、異世界で一緒に冒険した騎士やら勇者やらと恋に落ちて、元の世界には帰らない選択をするパターンもあるけれど。流風が知っている、流風が好む物語では、大体そんな結末を迎えていたように思う。

 だとすると、もしかして流風は、役目を果たして元の世界に帰るまで、この悪魔的な騎士と二人で冒険をしないといけないのだろうか?

 背中を嫌な汗が伝い落ちていった。

 ラブロマンスは、もうどうでもいいけれど、苦手なタイプと二人でずっと一緒にいなければならないというのは、ものすごく苦痛だ。たとえ、相手が憧れの先輩そっくりの超のつく美形であってもだ。かといって、こんな知らない森の中で、一人ぼっちにされても、それはそれで困ってしまう。たぶん、絶対、元の世界に帰る前に遭難する自信がある。アウトドアなんてしたことがないのだ。

 塩をかけられる直前のナメクジのような気分で、流風は話の続きを待つことにした。が、騎士は冷たく無感動に流風は見つめ返すばかりで、続きが語られる気配がない。


 ――――え? あれで、終わり? もしかして、単純に口下手なの? それとも、続きはこっちから質問しないと答えてくれない、ゲームの中の人みたいなタイプ?


 このままでは埒が明かなそうなので、流風は一番の懸案事項をこちらから聞いてみることにした。ただし、直球で聞くのは怖いので、少し遠回しにしてみる。


「えーと、その。役目を果たした後、天の乙女は、どうなるん……ですか?」

「敬語はいい。普通に話せ。…………役目を果たした乙女は、天に還る……と伝承にはあるな」

「や、やっぱり……」


 案の定だった。

 役目を果たせば元の世界に帰れると分かったのは朗報だが、そのためにはこの騎士と二人で冒険をしなければならないのかと思うと、憂鬱になる。

 また、しばらく待ってみたけれど、やはり今回も続きが語られる様子はないので、流風は引き続き質問をしてみることにした。


「えーと、キ、キリー……さんは、どうして森の王のところへ行きたいんですか?」

「キリーでいい。森の王に囚われた、青の王女を救いだすためだ」

「王女様を、救うため……!」

「そうだ」


 流風の乙女センサーが急激に反応した。ロマンスの匂いを嗅ぎつけたのだ。

 乙女の栄養分が投入され、冷蔵庫の片隅で発見されたしおしおの青菜状態だった流風の頬に、赤みが差していく。

 青の騎士キリーの目的が王女様を助けることなら、キリーはそんなに悪い人じゃないのかもしれないと単純に考えた。

 展開的に考えて、キリーと王女様は恋人同士、もしくはお付き合いには至っていないけれど、実はお互いに思い合っている両片思い状態であると考えられる。少なくとも、流風的には考えられる。

 つまり、キリーが流風に冷たくあたるのは、王女様を思うが故……。

 王女様を心配するあまり、余裕をなくなってしまっているだけ、という可能性がある。もしくは、王女様以外の女子には優しくしないことにしている……という可能性もある。これだけの美形なのだ。そのつもりはなくても、ちょっと優しくしただけで、勘違いしてのぼせ上がる女子が後を絶たないだろう。それを避けるために、わざと王女様以外の女子には冷たくしている……。だとしたら、そういうのはむしろ、流風の好むところだった。

 優しくされる対象が流風じゃないのは、ヒロイン役が流風じゃないのは、少し残念だけれど。

 冷静になって考えてみると、恋と冒険の物語のヒロイン役なんて、流風にはまだちょっと早いような気もした。実際に、綺璃亜そっくりの年頃の男子であるキリーに優しくされたら、ポンコツがさらにポンコツになって、そもそも天の乙女としての役目を果たせないまま終わってしまう可能性が非常に高い。

 そうしてみると、流風にはキューピッド役が妥当な線なのかもしれない。生涯脇役を約束されたような平均点少女の流風なのだ。それだって、十分、大役だ。


 騎士の話には、いろいろと足りないところがあるのだが、流風的には必要なことは、すべて聞き取ったつもりになっていた。王女が森の王に囚われた背景などは、まるで明らかにされていないのだが、まったく気にしていない。流風が気になっているのは、二人の馴れ初めくらいだった。


 ――――まあ、でも。馴れ初めは、旅の途中で少しずつ聞いて行けばいいよね。キリーは、あんまり話が上手じゃないみたいだし、話題がないと、間が持たないような気がするし。……ふへへ。キリーに協力することで、元の世界に戻った時に、綺璃亜先輩の好感度が上がってたりとか、しないのかな? 上がってたら、いいな! よし! 頑張ろう!


 心の中でガッツポーズを決めて、瞳を煌めかせながらキリーを見上げる。

 一人で百面相をしていた流風を、キリーは相変わらずの絶対零度の眼差しで見下ろしてくるが、今はもう、気にならない。


「分かったよ、キリー! あたし、天の乙女として、頑張るね! 一緒に、王女様を救い出そう! それで、契約ってどうすればいいの?」

「ああ、それなら、簡単だ」


 キリーが、大股の一歩を流風に向かって踏み出した。悪魔めいた美貌が、近づいて来る。悪魔は流風に向かって、腕を伸ばした。突然のことに動けずにいる流風の耳元を、キリーの腕が掠めていく。頭の後ろで、何かをもぎ取るような音がした。引き戻されたキリーの、人差し指と親指の間には、ケミカルな水色の一粒。その水色の向こうに見える、悪魔的な氷の眼差し。

 どこかで、見たことのある光景。

 でも、どこかが違う光景。


 ――――あ。これ。まずい、かも。


 思った時には、遅かった。

 水色は、ぼんやり開いた流風の口の中に押し込まれた。温度の低い指先が、流風の唇に触れる。そっとなぞるようにしてから、離れていく指。こんなのは、綺璃亜にだってされてない。

 ずっと氷漬けにされていたせいか、ゼリービーンズはアイスキャンディーのように冷たかった。

 冷たくて甘い。

 冷たくて甘いのに、ぼんやり咀嚼して飲み下すと、喉の奥でカッと燃えた。

 体は熱いのに、シチュエーションは激烈に甘いのに、流風を見つめるキリーの瞳だけが、すべてを凍りつかせるほどに冷たい。


「無事に契約は終了したようだな」

「ふぇ?」


 キリーの視線が、流風の手元へと降りていく。つられて視線を落としてみると、いつの間にか、右手の中に小枝が握られていた。

 小枝は、ケミカルな水色の光を放っている。

 驚いて右手を持ち上げると、キリーは少し後ろに下がった。

 小枝全体が光っているわけではないようだ。小枝のある一点が、光を放っている。見つめている内に、光は静かに収束していった。

 光が収まった後に現れたのは、ケミカルな水色の一粒。

 背後にあった、伝承の木に生っていたのと同じ、水色のゼリービーンズの実。

 

 ――――ほ、本当に、あたしが天の乙女なんだ……!


 乙女の葛藤も忘れて、流風は手の中の小枝に見入ってしまう……が。

 青の騎士キリーはそっけなかった。


「小枝の乙女の誕生だな。時間がない。行くぞ」

「…………は? え? 小枝の乙……? 何、それ? てゆーか、ええ!? 待って! 待ってよー!」


 余韻に浸る間も与えずに、ここでの用事は済んだとばかりに、キリーはドームの出口へと向かっていく。流風がついて来ているかどうか、確認することすらせずに、ドームの向こうに姿を消してしまう。

 流風は慌てて、後を追いかけた。青い背中が消えていったドームの外へと出る。

 このドームが特別な場所だからなのだろうか。人の気配がないわりには、足元は整備されていた。人気のハイキングコースのように、分かりやすく道になっている。キリーは、もうすでにだいぶ先へと進んでしまっていた。

 とりあえずは一本道なので迷うことはなさそうだが、そういう問題ではない。

 流風は、キリーの背中に向かって叫びながら走り出す。

 そうしないと、追いつけそうにない。


「ちょっと、待ってー! あと、小枝の乙女って何ー!?」

 

 確かに、小枝を持っているし、何か特別なアイテムなのは間違いないけれど、何かものすごく格下げされた気がする。

 天の乙女は神秘的な感じがするけれど、小枝の乙女は商店街のミスナントカみたいな風情がある。

 せっかく、天の乙女に選ばれた実感を味わっていたのに、台無しにされた気分だ。

流風の叫び声が聞こえているはずなのに、キリーはやはり振り返らない。歩く速度を下げることもなく、流風なんて存在していないかのように、一人でどんどん先へと進んで行く。

 王女様のことが心配なのだとしても、その王女様を救い出すのに流風が必要だというのなら、もう少し気遣いがあってもいい気がする。

 この配慮のなさといい、乙女の純情をさらっと弄んだことといい――。


 ――――やっぱり、本物の悪魔かもー!


 素っ気ない背中に向かって、流風は声にならない叫びをぶつけた。

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