第21話◆一方その頃――公爵家長男の場合①

 その日は早朝から領地の視察に出ていた。


 エレジーア王国の北東部に位置するシャングリエ領の冬は長く、王都に比べれば春も夏も訪れが遅い。

 王都ではそろそろ夏の気配を感じる時期だが、シャングリエ領は今は初夏の爽やかな時期。

 その爽やかな初夏の空気が、ずっと憂鬱だった気分を少しだけ晴らしてくれた。






 憂鬱な気分――その始まりは今年の頭、王立学園の卒業式。


 俺は想いを寄せていた女性の幸せを願い彼女に想いを伝えることを諦め、彼女の恋の成熟を心から祝福し身を引き、その想いの全てを心の中にしまい込むことにした。


 将来この国で最も高貴な女性となることが決まった彼女と、将来この国の頂点に立つことになろうあの方を支え、このお二人とこの国に生涯尽くすと卒業式の日に密かに誓った。


 あの日、俺の想い人フリージア・ドッグウッドはこの国の王太子ティグラート殿下の婚約者となった。


 貴族的に厳しい生い立ちや辛い家庭環境にくじけることなく、明るく優しく気配りのできる彼女には、その地位に選ばれるだけの魅力があると心から思っていた。


 平民暮らしが長かったため、貴族のルールや貴族なら幼い頃から学ぶ事柄にやや疎いところがあるが、スタートが遅かっただけでいずれ彼女は追いついてくるはずで、それまでは周囲で彼女を支えればいい。

 そして当時ティグラート殿下の側近だった俺も、それに全力で協力をするつもりだった。


 しかしそうはならず卒業式後、宰相の地位にあり国の政にかかりきりな父から、正しくは王家からの提案で、俺はティグラート殿下の側近を一時的に解かれ領地に戻り領地運営携わることになった。

 そしてその決定と共に、俺の意思など全くない婚姻が決まった。


 よりにもよって想い人だった彼女の異母姉であり、ティグラート殿下の元婚約者であるマルグリット・ドッグウッドと。


 銀色に波打つ長い髪が印象的な彼女は、まるで美術彫刻のような美しさを持っていた。

 その美しさはまるで最高の美術彫刻のよう。

 幼少の頃から王太子妃になるべく教育を受けていた彼女は、常にその場に合った表情を保ち、感情を乱すことのなくその場にあった振る舞いと言葉を的確に選ぶ。

 それがあまりに完璧すぎてまるで精巧で美しいゴーレムのようも見えた。


 そして有能。

 明らかに恵まれた才能に恵まれた教育を受けた者。常にに頂点に在って当然の存在。

 学園では将来の政に関係ある学科は必須分しか取らず、それもすでに王太子妃教育で学んでいるため授業は免除され定期試験で合格点を取れば単位が貰えるという優遇っぷり。

 授業が免除になり空いた時間で政とは関係のなく、女性が学んでも将来役に立つはずもない魔法や魔法工学系の学科ばかり取得し、平素はそちらの学舎でしか見かけなかった記憶。


 それでいて授業を免除されている試験の成績は常にトップ。

 王太子や俺よりも上の点数を叩きだすというか満点ばかり。

 テストの成績上位者が貼り出される場で彼女の姿を見かけ、目が合いすぐに逸らされれば、あの切れ長の目の印象もあって取るに足らない存在と態度で示された気分になっていた。


 そう、あの目。

 フリージアと同じアメジスト色の目でありながら、優しさが滲み出し感情が溢れるフリージアの目と違い、まるで感情がないかのように冷たさしか感じないマルグリットの目。


 俺はあの目が苦手だった。

 俺だけでない、ティグラート殿下も。

 こちらの方が身分が上のはずなのに、見下されているような気分。

 身分ではどうにもならない、持って生まれて才能故の覆すことのできない能力差。


 そんなはずがないと思いながらも、学園時代の試験の成績で彼女に勝てたことはなかった。

 そこからくる劣等感か、常に彼女に見下されているような気がしていた。


 恵まれた才能を鼻に掛け周りを見下している女――それがあの女に持つ印象だった。


 だから平民生活が長かったフリージアが、他の貴族達より勉学やマナーの面で遅れていることをマルグリットに責められると話していたこともすんなりと納得できた。



 そんな優しさの欠片も感じない女だからマルグリットは将来の国母には相応しくないと、ティグラート殿下が婚約者をフリージアに変更するように国王陛下に掛け合ったという。

 ティグラート殿下とマルグリットは貴族派閥のバランスを考慮した政略的な婚約であったため、同じドッグウッド家の者であれば姉妹で婚約者が変更になっても何も問題はない故に。


 それに何よりティグラート殿下は、感情が全く感じられないマルグリットよりも明るく大らかで優しいフリージアに好意を抱いており、フリージアもまたティグラート殿下に想いを寄せていたのは明らかだった。


 二人のその様子を学園生活中に近くで見ていたからこそ、卒業式の会場で婚約者をマルグリットからフリージアに変更すること来場者に告げる殿下とその横に並ぶフリージアを見ながら、俺は自分の想いに区切りを付け将来この国の頂点に立つ二人を支え続けようと誓ったのに――。


 卒業式が終わった数日後、俺に伝えられたのはティグラート殿下の側近から外れ領地に戻りその運営に就くことと、マルグリットとの婚姻という王家からの命令だった。


 それは明らかに厄介払いだとすぐに理解した。

 俺が……いや、殿下の周囲にいた者達のほとんどが、フリージアに想いを寄せていたのはティグラート殿下も気付いていた。

 だからこそのこの処遇。


 俺だけではない。

 学園卒業後は王都の騎士団に入隊し、いずれはティグラート殿下の守護騎士になる予定だった者は実家の領地に戻り、家門の騎士団に入ることになった。

 また膨大な魔力と魔法の才能に恵まれ学園卒業語は魔法省に入省する予定だった者は魔法省ではなく激務で有名な魔法研究施設へ。

 厚い信仰心と聖属性に高い適性を持ち将来は高位の司祭の座が約束されていた者は煩悩を払うため険しい山の頂上にある神殿へ修行に向かうことに。


 それら全てが王家からの命令であった。

 王家からの命令――そうとは言われなかったが、おそらくそれはティグラート殿下の指示があったのだろう。


 俺を含め彼らに共通することは、学園時代フリージアと交流のあった男達の中でも特に親しかった者達。

 そして全員がフリージアに想いを寄せており、将来はエリート街道が約束されていた者達だった。


 フリージアと特に親しかった男性の中で唯一何ごともなかったのが、ティグラート殿下の弟である第二王子のガッティート殿下。

 ガッティート殿下はティグラート殿下とフリージアを巡り特に激しく牽制し合っていたが、王族であることに加え俺達の一学年下であと一年は貴族学園での学生生活が続くためのこの処遇なのだろう。

 しかし将来ティグラート殿下が王位を継承すれば、ガッティート殿下もまた王都から離れた場所に左遷される可能性は高い。


 このことを知った時、一度誓ったことが大きく揺らぎ国……いや、ティグラート殿下に対する不信感が芽生えた。

 俺は二人を祝福し、生涯支え続けるつもりだったのに。


 もちろんそんな想いを口にすることはできず、俺は命令に従い王都から遠く離れたシャングリエ公爵領に向かうことになった。


 だが、案外それでよかったのかもしれない。

 ティグラート殿下に対する不信感は、忘れようとしていたフリージアに対する想いを煽った。

 故に手の届く場所にいれば、この想いを胸に押し込めておくことができず衝動的な行動をしてしまうかもしれないから。


 それが年明け直後に行われる王立学園の卒業式と卒業パーティー後の出来事。

 一年で最も寒い時期。

 久しぶりに戻ったシャングリエ公爵領の真っ白な雪景色と厳しい寒さは、まるで俺の心の冷え込みを表しているかのようだった。



 領地に帰った俺はフリージアへの想いを振り切るために、ひたすら与えられた仕事に打ち込んだ。

 しかし彼女を忘れることなどできず心の中にはずっとモヤモヤとイライラが残り続け、気付けばシャングリエ公爵領に遅い春が訪れ初夏の足音が聞こえる頃、マルグリットがシャングリエ公爵領にやってきた。



 王家の命での婚姻だとは思えぬ程の質素な結婚式。

 王都から遠く離れた地であるため賓客も少なく、もちろんフリージアや友人達が来ることはなかった。

 いや、来なくてよかった。

 彼女を虐げていたという女と結婚の誓いを立てる場面など見られたくない。


 俺の両親とフリージアの両親は姿を見せたが、どちらも式が終わるとすぐに王都へ戻っていった。

 公爵家の跡取りの結婚式とは思えない質素だが、望まぬ結婚の式などこれでいい。

 マルグリットも淡々と事務的に式をこなし、その表情からは相変わらず何の感情も読み取れず、まるで人形を相手にしているかのように思えた。


 そして迎えた初夜、俺は彼女を妻として認める気はなく、もちろん夫婦の義務を果たす気もなかった。

 違う女と結婚をしてしまったとしても、フリージアを裏切ることはできなかった俺は、マグリットを徹底的に突き放した。

 卒業式以降ずっと抱えていたモヤモヤとイライラの鬱憤を晴らすかのごとく。



「王家の命令により君と婚姻関係を結ぶことになったが、俺が君を愛することはない。君を妻だと思うこともなければ、君に夫人としての役割と果たしてもらう必要もないと思っている」



 マルグリットに虐げられていたというフリージアの仇を討つような気分で告げた。


 そこでマルグリットが屈辱の表情でも浮かべれば、胸の中で燻るモヤモヤとイライラが晴れていたのだろうか?


 だがマルグリットは怒りを露わにすることも、泣きわめくこともなく、いつものように感情の読み取れぬ冷たい目でこちらをまっすぐと見ていた。


 そのことで更に苛立ちを覚え夫婦のために用意された寝室を出たが、時間が過ぎ冷静になればなるほど、自分だけ感情を表したことに敗北感と劣等感を覚え、胸で燻るモヤモヤとイライラが増していた。



 無理だ。


 あの目を見ると見下されているような気がしてしまう。


 きっと学園の試験で一度も彼女より上の成績を取れなかった俺を、フリージアに想いを伝えられず恋に破れた俺を、約束されたエリートコースから外れ敗北者をなった俺を嘲笑っている。


 そんな奴が自分の夫だと、俺を見下している。


 あの目を見るとそう思えてくる。


 俺はあの目が――あの女が嫌いだ。


 嫌いすぎて、俺が暮らす本邸から遠く離れた別邸にあの女を追いやった。


 俺の許可なく本邸に近付くなと言って。


 当然一生そんな許可を出すつもりもなく――。


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初夜にお前を愛することはないと言った夫が今さら機嫌を取りにきて超うざい【連載版】 えりまし圭多 @youguy

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