【カクヨムコンテスト10】僕とメイドさん。

豆ははこ

僕と、あなた。あなたと、わたし。

「なのさん、牛乳をください」

「博士、牛乳の飲みすぎはいけませんよ、召し上がるなら、豆乳にしてください。そもそも、博士はよくご存知ですよね。牛乳からはカルシウムを摂取できるけれど、必ずしも身長が伸びるわけではないということは」

「もちろん。カルシウムの吸収率が高いので、骨密度は上がる可能性が高い。が、身長は……でしょう」

「左様にございます」

 そんなことは、知っている。けれど。


「博士は賢くてかわいらしいのですから、よろしいのですよ」

 こんなふうに言われたくないから、牛乳を摂取したいのに。


 十よりは、きっと、たくさん。もしかしたら、二十くらい、離れているかも知れない。

 時は戻せないのだから、年齢は、どうしようもないけれど。

 なのさんよりも、背が高くなったら、もしかしたら。僕のメイドさんは、僕の……。

 そんなふうに考えていることなんて。


 なのさんは、分かってはくれないのだ。


 戦争中の某国。

 この国のちびっ子博士は、天才少年。

 なのさんは、天才少年のメイドさん。

 孤児院出身の博士は、五歳、十歳、十五歳、二十歳と、国の全員が五年ごとに必ず受験することが義務付けられている知能テストで五歳にして満点を叩き出した伝説の神童だ。


 今、博士は六歳。

 国の機関に属することを了承する代わりに、孤児院への永続的な寄付と国の後見を。

 それから、自分のためにはお世話をしてくれる人を。お料理の腕が確かで優しいメイドさんを希望したのだ。

 そうしたら、お料理とお菓子作りと編みものとお掃除が得意で優しくて、しかもたいへんに美人なメイドさんが配属になってしまったのである。

 

 それが、なのさん。

 身長が高くて、きれいで、優しくて。

 お裁縫も上手で、大きな魚も丸ごとさばける。

 おかげで、博士は身長を伸ばしたいという目標を持ってしまった。

 

 依頼された研究を百個こなしたら、自由になれる。


 一応は自分の意思のもと、という形でこの研究施設に閉じ込められた初日に、国の偉い人の使者はこう言っていた。

 研究を百。そんな、根拠のない数よりも、130センチになりそうでならない身長のほうが、目標値としては確かなモノだ。


「召し上がるのなら、こちらになさってくださいね」

 蜂蜜と生姜入りの、ホット豆乳。

 身長は伸びないかも知れない。でも……美味しい。


「……僕が百個の研究を終えて自由になれたら、外国に亡命したいのです。一緒に来てくれますか」

「どこへなりとも、お供いたします」

 博士は、マグカップをぎゅっ、と握りしめた。



 それからも、博士は、いくつもの研究成果を上げた。

 博士の評価は、さらに上がった。


「こんなもの、開発したくない」

 ついに、百個目の研究になった。

 博士は、十歳。身長は、130センチを超えていた。


「博士、どうなさいましたか」

「なのさん、これはね……新しい兵器の設計図だ。僕には分かる。これまでだって、的確に相手の位置を測る機械、高濃度の燃料を運べる容器や、高粘性流体こうねんせいりゅうたいの解析。色々なものを作らされて、解析させられてきた。それでも、今までは、直接誰かの命を奪うものではなかった。だけど、これは……爆弾だ。小さくて、見つけた人が、なんだろうと見ている間に割れて、そして……」


 博士が設計図を見せるのは、初めてのことだった。

 メイドさんは、知っていた。 


 できることならば、なのさんを巻き込まないように。

 かわいらしくて賢い博士は、とても、とても、優しいのだ。


 小さなカプセルが開くと同時に、爆発する仕組みなんだ、と博士は続けた。

「おそらく、民間人の居住地域にばらまくつもりなんだよ。商業施設とか。最近、外国の報道機関も相手国に入国しているからね」


「博士は、この研究開発をなさりたくはないのですね」

「うん。そもそも、今までの研究も、ほんとうは、したくはなかった」


 なのさんは、博士の頭をそっとなでた。

「博士は、どんなものを、どんなことをなさりたいのですか」

「……皆が、笑顔になるものを、創りたい」


「分かりました。それでは、望まれますことを正直に仰ってください。なんでもかまいませんよ。わたしは、博士のメイドなのですから」

「こんなもの、研究も、開発も、したくない。僕は、優しいものを創りたい。あと、なのさんと一緒に、遠くに行きたい」


「かしこまりました。少しだけお待ちください。決して、外に出てはなりませんよ」


 博士だけでは開錠できない玄関のシステム。それを、なのさんは一人で開けてしまった。


 爆破音のような、轟音。

 なにかが、ひしゃげる音。

 博士は、ただ、待っていた。

 怖い……とは、何故か、思わなかった。


「終了いたしました。すぐに荷物を。ほんとうに大切なものを五つだけ、お願いいたします」

「なのさん以外で?」

「はい、そうです」

 返り血を浴びていても、なのさんは、花のように美しかった。


 マグカップ、白衣、ノートパソコン。あとは鞄と、孤児院の皆からの手紙。博士の大切なものは、すぐに集まった。


「なのさん、強いんだね」

 セキュリティシステムを破壊した玄関から、外に出る。

 もともと、民家などは視界に入らないところにある施設だが、ごくたまに買いものに出かけたとき、いつも家の前を見張っていた兵士たちが道端に転がっていた。

 かれらは、両腕を折られ、気絶させられていた。それでも、確かに、生きてはいた。


 博士、お買いものは、楽しかったですか。


 たくさん美味しいものを召し上がって、大きくなってくださいね。


 そうやって声を掛けてくれたのは、この兵士たちだけだった。

 博士は、それ以外の動かないものたちや横転した軍事車輌などのことは、考えないようにした。

 そして、ひたすらに歩いた。



「わたしは、国に命令されて、博士のもとに参りました。ですが、国のモノではありません。博士の、博士のためだけのメイドさんなのです」

 カーシェアリングの車輌のロックを外して、なのさんは博士を助手席に座らせた。


「僕は、天才なのに。僕のメイドさんがこんなに強いことが、分からなかった。あ、でも、僕が逃げてしまったら、孤児院の皆が」

「大丈夫です。国外の平和視察団に既に照会してございます。すぐに皆さん、国外に出られますよ。ただ……」

「うん、二度と会えないかも知れないんだよね。それは、大丈夫。皆が、元気でいられたら、それで」

「それは、ご安心ください」


 車のドアを閉めながら、美しく礼をするなのさんは、博士のメイドさん。

 そして。

 戦争中の国が、手放したくない天才である、博士。その身柄を一人で守れる存在。

 あたたかくて美味しい、栄養バランスのよい食事、適度な睡眠、運動も与えて。


 そして、ひたすらに強かったのだ。



 空港に備え付けられたテレビ。

 その、大画面の中。

 戦場に、花が舞っていた。そう、ひらひらと。


『戦争中の国に、カプセル型の爆弾ではなく、花が……? どうやら、本物の花に似せた無害の花弁のようですね』

 画面に映る外国の報道関係者は、首をかしげている。


 通路を行く、二人連れ。そこに、銃を背にした兵士が声を掛けた。

「失礼いたします、そこの紳士、失礼ながら、紳士は男性であられますか? 別室にて女性兵士が待機しておりますので、身体検査をお願いしたいのですが」

「その必要はないよ。これで……よろしいかな」 

 美しい青年は、背広の上衣とシャツを脱ぎ、肌を示した。

 その美しい肌は、胸部は。どこからどうみても、男性のそれである。

 ついでに、とパスポートも掲示する。

 美しい二人は、兄妹であった。


 兵士たちは謝意を示した。

「……ありがとうございます、そして、失礼をいたしました。実は……若い女性と男児の二人連れを探しておりまして。国家反逆者の捜索なのです」

「お仕事ですから、気にしませんよ。ですが、そういう理由でしたら、この子の身体検査はよろしいですね」

「もちろんです。お嬢さん、すまなかったね。お兄さんと、よい旅を」

「ありがとうございます」

 かわいらしい少女は、ぺこりと頭を下げる。


 怖かったろう、すまなかったね。こんなものしかなくて、ごめんな。

 未開封の携帯食料のチョコレートバーを差し出してから、兵士たちは遠くに行った。


 あっちか、そっちか。そんな声が聞こえてきた。



「行きましょうか」

「はい」


 そのあとの会話は、手のひらに、指で書いた文字。

「博士が造った合成皮膚は、すごいですね」

「はい、僕は、天才ですから。それにしても、このひらひらしたドレス」

 お気に入りの鞄に、マグカップと、白衣と、ノートパソコン、それから手紙。それを抱えた博士は、瀟洒しょうしゃなレースをふんだんに使用した、愛らしいドレス姿だった。

 どこから見ても、可憐な美少女である。


「お似合いです」

「サイズが、僕にぴったりなんですが」

「ずっと、こんな衣装を着て頂きたいと思っていました。博士は、賢くて、かわいらしいのですから」

「そうですか」


「博士」

「はい」


、二人で」

「はい、二人で」


 手のひらでの会話は終わり、二人は、手と手を取り合った。



 テレビ画面の中では、まだ、花が舞っていた。

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