第二話 弟子志願・前編
ヒノモト国のコミヤ藩。無能で放蕩三昧だった前藩主から代替わりして、財政が持ち直していると世間では言われていた。
そのコミヤ藩には、静けさを湛えた瑞平寺という廃寺があり、城下町のひっそりと佇む。普段は誰も訪れず、ただ風と木々のざわめきだけが響く場所だったが、この日は異なっていた。
廃寺の境内で、武家の子弟と思われる数人の少年たちが、一人の少年を囲み小突き回していた。
「何をするっ!?」
「何をする、じゃねぇよ。この女もどきが!」
罵声を浴びせる一人が、肩を押す。少女と見紛うほど整った顔立ちの少年は、一歩後ろによろめきながら、唇を噛みしめた。
その容姿をからかうのが彼らの目的らしく、嘲笑は次第に悪意を増していく。
「いつも窓から道場を覗いてやがって気持ち悪いんだよ!お前みたいなのがうろついてると、モチベーションが下がるんだ」
「そうだそうだ!道場に入れる金もないくせにな!」
「だいたい薄汚い浪人の子なんて、道場に上がれるわけないだろ!」
少年たちの侮辱の矛先は少年本人だけでなく、彼の父親へも向けられた。これには少年も黙っていられなかった。
「黙れ!僕はともかく、父上への侮辱は許さんぞ!」
「おおっ、こいつ怒ったぞ!で、どうするってんだ?」
挑発を受けた少年は、唇を震わせながらも拳を握りしめた。そして、怒りに任せて殴りかかる。
「このっ!」
「うおっ!?」
最初の一発は見事に相手の頬に命中した。
だが、次の瞬間には少年たちの数の力に押され、簡単に取り押さえられてしまった。両腕を左右から二人がかりで掴まれ、動きを封じられる。
「くそっ、離せ!」
「おいおい、やりやがったな。鼻血まで出ちまったぞ!」
「生意気な真似しやがって……礼をしてやる必要があるな」
乱暴に後ろで括られた髪を掴まれ、少年は痛みに顔を歪めた。
「ふんっ、本当に女みてぇな顔しやがって」
「もしかして本当は女なんじゃねぇの?」
「だ、だまれ!僕は男だ!」
強がる声とは裏腹に、少年の瞳には悔しさがにじんでいる。しかし少年たちの悪ふざけは、さらにエスカレートしていく。
「どうだかね。よし、裸に剥いて確かめてみようぜ」
「いいな、それで町に放り出してやろう!」
あまりに非道な提案に場の空気が張り詰めた。しかし、少年たちの間にあるのは罪悪感ではなく、集団心理による高揚だった。
「やめろ!」
「うるせえっ、人に聞かれたらどうするんだよ」
一人が手ぬぐいを取り出し、少年の口を無理やり塞ぐ。
「んむっ……!」
声を奪われた少年は、悔しさのあまり涙を浮かべた。
「おおっ、泣いてるぞ!」
「泣いたって許さないからな!」
(くっ……情け無い!…僕にもっと力があれば…!)
少年の袴に手がかけられようとしたその瞬間、本堂から鋭い声が響いた。
「やめろ!何をやっている糞餓鬼ども!」
全員が驚き、本堂の方を振り返る。そこに立っていたのは、刀を差し男装をした女侍──オキモト・カスミだった。
ゆっくりと一歩ずつ廃寺の本堂から姿を現す。怒気をはらんだその声と無言の圧力に、少年たちは言葉を息をのんだ。
「た、誰だよ……!」
「こんなところに人が……」
「童同士の喧嘩と思っていれば……寄ってたかって一人を虐めるだけで飽き足らず、挙句に服を脱がせようだと?恥を知れ!」
カスミの声は怒りで低く震え、その言葉は冷たい刃のように少年たちを刺した。
「聞けば、お主らは道場に通っているとか。何を学んでいる?何を鍛えている?武士の心得か、それとも卑劣な乱暴狼藉のやり方か!」
鋭い叱責に、少年たちはたじろぎ、一瞬その場が静まり返った。
「な、なんだ……女の侍……?」
一人の少年がかすれた声で呟く。
「しかも、ずっと目を瞑っている……もしかして、目が見えない侍?」
小藩のコミヤにおいて、女の侍も、盲目の侍も聞いたことがない。少年たちは驚きと困惑が入り混じった顔で互いに目を見合わせた。
「そうだ。あたしは目が見えない」
カスミはそう言い切ると、瞼を閉じたまま、悠然と一歩前へ進み出た。その一歩ごとに、少年たちの背筋が凍りついていくのが分かる。
「だがな……お主らの根性の薄汚さは、目を開けずともはっきりと見えるぞ」
その言葉に、少年たちは息を飲んだ。視線を逸らし、地面を見つめる者もいる。
「それに加えあたしは女でもある」
そう言うと、カスミは本堂から完全に境内に降りたった。
どんと着地の音が起こる。その音が静寂の中で響くと、少年たちの顔は青ざめる。
「そこの小童を女、女と馬鹿にしていたようだが……本物の女がここにいるぞ?どうだ、そんなに女が嫌いなら、数を頼んであたしも裸にしてみるか?」
その言葉は迫力を帯びており、まるで鋭利な刃を突きつけられたようだった。
「……う、うるさいんだよ!誰だよお前は!余計なおせっかいを焼くんじゃねえ!」
一人の少年が、震えを隠しきれない声でカスミに反論した。その手には、いつの間にか拾ったのか、拳大の石が握られている。
「お前、よそ者だろ?うざってえ口出ししねえで、とっとと出ていけ!」
少年は言葉を吐き捨てるように叫びながら、一歩踏み出した。その表情には恐怖が混じっていたが、それ以上に、彼を突き動かすのは蛮勇――追い詰められた末のどこか狂気じみた反発だった。
そして次の瞬間、その手に握られた石を力任せにカスミへと投げつけた。
「お、おい、やめろよ……!」
「あっ……!」
少年たちの誰もが息を呑む。石はカスミの顔面へ向けて一直線に飛来した――だが。
「……むっ」
カスミは微動だにせず、その石を片手で掴み取った。まるで石そのものが彼女の手のひらへと吸い寄せられたかのような、自然かつ完璧な動作だった。
「う、うそだ……!」
「目が見えないって言ってたのに……どうして……?」
驚愕する少年たち。彼らの目の前で起こった信じがたい光景に、言葉を失った者もいた。
カスミは掴んだ石をじっと見つめるように触りながら、小さくため息を漏らした。
「……いきなりの石つぶてか」
彼女は石を掌の中でゆっくりと握り直し、そのまま無造作に地面へと投げ捨てた。
「兵法としては悪くない手だな。ただし――卑劣さは否めんが」
そのカスミの言葉が合図だったかのように、少年たちは雲の子を散らすように廃寺から逃げ出していく。
「こ、怖いよっ!」
「もしかして『陸おぼれ』もあいつの仕業なんじゃねーか?」
勝手な事を言いながら去っていく少年たち。
そして一人残された女顔の少年は、口を覆っていた手拭いを外した。
「ぷはっ……」
「大丈夫か小童」
カスミが声をかけると少年は喘ぎながら答えた。
「…ありがとうございました……しかし僕の名前は小童ではないです、ヨシカワ・ジュンヤと申します」
にじんだ涙を拭って、少年は凛とした声でカスミにそう名乗った。
「おお、それは失礼したな、ジュンヤ殿。あたしはオキモト・カスミだ」
カスミは軽く肩をすくめながら、うっかりしていたと言わんばかりの表情で自分の名を名乗る。その仕草はどこか人懐っこさを感じさせた。
「……オキモト様、ジュンヤでいいです」
ジュンヤは少し気恥ずかしそうに視線を逸らしながらそう言った。
「そうか。それなら、あたしもカスミでいい。敬語なんかいらんよ」
カスミはそう言って笑みを浮かべるが、すぐに表情を険しく戻す。
「しかし、なんだあの餓鬼どもは。一体どこの道場だ?まったく嘆かわしい……」
その問いに、ジュンヤは思い出すそぶりをしながらも答えた。
「…確か、クガ流のテラワキ道場の子たちだったかと……」
その言葉を聞いた途端、カスミの体から一気に力が抜けたように見えた。肩を落とし、手で顔を覆って嘆く。
「本当か……?おお、もう……あいつら、同門かよ……」
ジュンヤが驚くほどの落胆ぶりだ。
「ああっ……クガ流も落ちたものだ……まったく、どうしてこうなった……」
カスミは頭を抱えたまま何かをぶつぶつと呟いている。ジュンヤはそんな彼女を不思議そうに見つめながらも、少しだけ安堵した表情を浮かべた。
どうやら彼の恩人は、ただの怖い侍ではなく、どこか親しみやすい人柄でもあるらしい。
「カスミさんはクガ流をお使いになるのですか?」
「……正確に言うと、クガ流を収めた父に仕込まれたというべきだな。その後はナカタニ先生に師事し、ナカタニ流も教わったよ」
落ち込んだままカスミはそうジュンヤに告げた。
(すごい――まだお若いのに)
ジュンヤからみてもカスミは精々十八か十九。しかも女性で盲目。
それなのに複数の剣術を収め、投げつけられた石をいとも簡単に掴んだ実力。
父が浪人。しかも病中とあっては、現実には剣術を習うことは難しい。
カスミはそんな敵わぬ憧れを、具現化したような存在に感じられた。
その時、彼の心の奥でくすぶっていた思いが、不意に火を灯される。
「……カスミさん、いえ、カスミ師匠!お願いがあります」
「し、師匠!?」
いきなりジュンヤから師匠と呼ばれ、戸惑うカスミだったが目の前の少年は深々と頭を下げて続ける。
「僕の剣の師になっていただけないでしょうか?僕は剣の道に進みたいのです!」
「おいおい、あたしは女だし目が見えん。そんな者が弟子を取るなど聞いたことがないぞ」
困ったという表情のカスミ。反比例するようにジュンヤの顔は熱意に満ちている。
「いえ、そんな事は関係ありません。あなたほどの人はおりませんし、テラワキ道場なんてクソ食らえです!」
「……クソ、ねえ……」
カスミは小さく呟くと、再び溜め息をついた。その表情には少しの苦笑と、どこか呆れたような温かさが浮かんでいる。
「しかし、あたしは旅の途中でもあるのでな…」
その言葉に、ジュンヤの顔に少し影が刺した。
「えっ……」
先ほどまでの熱意が揺らぎ、現実が彼を冷静に引き戻したのだろう。
ここコミヤには、病を患った父がいる。ジュンヤ自身も父を支えるため、どうしてもこの地を離れるわけにはいかない。それは彼が重々理解している事実だった。
「……な、ならカスミ師匠がここにおられる間だけでも」
その声には、必死さがにじみ出ていた。
(必死だな……)
顔こそ見えないが、ジュンヤの必死さは十二分にカスミに伝わっていた。
その必死さは彼女にとってどこか懐かしい香りがした。
『ちちうえ、どうかカスミに剣をおおしえください。ぜったいになきごとはもうしません』
何歳だったか。父に剣の指南を頼み込んだ幼い自分の姿が、ふと脳裏に蘇った。
まだ小さな手で父の袴を握りしめ、覚悟の代わりに涙をこらえたあの日。
幼き自分の必死さをジュンヤに見るような気がしていた。
「そうさなぁ……まあミヤワキ道場とやらに通うよりは、あたしが基本だけでも仕込んだ方がマシなのかもしれんなぁ…嘆かわしいが」
カスミの口調には優しさが滲んでいた。
「ほ、本当ですか!?」
ジュンヤの声が弾む。彼の顔にはさっきまでの不安が嘘のように消え、明るい笑顔が浮かんでいる。
「ただし、あたしのやり方は厳しいぞ。何せ父もナカタニ先生も、手取り足取り優しくなどとは、一度もしてくれてはいないからな。それでもいいのか?」
カスミの脳裏に浮かぶのは、父と師匠の過酷すぎる稽古――その側から見れば、もはや虐待と呼ばれるような訓練の日々だ。もちろんそれをジュンヤにそのまま課すつもりはない。だが、手心を加えるつもりもなかった。
「構いません!甘えたことは絶対に言いませんから、どうか鍛えてください!」
ジュンヤの力強い返答に、カスミは微かに口元を緩める。
(まるで……誰かと同じことを言うな)
かつての自分の姿が重なり、カスミは密かに苦笑した。
「分かった。なら……ジュンヤ、今日から一時的だが、あたしの弟子だ」
カスミは静かに右手を差し出す。その言葉を聞いた瞬間、ジュンヤの顔は歓喜に輝き、差し出された手を両手でがっしりと握り返した。
「……ありがとうございます!短い間かもしれませんが、全力で学ばせていただきます!」
小さな廃寺の境内で交わされた握手。それは師弟関係の始まりを象徴するものだった。
しばし経ち、二人が手を離した時、カスミが何かを思い出したように呟いた。
「そうだ……ジュンヤよ、あたしに師事するなら、紹介したい者がいる」
「えっ?」
突然の言葉に、ジュンヤは戸惑いの表情を浮かべる。周囲をキョロキョロと見回し、本堂の方まで覗き込むが、誰の姿も見当たらない。
「誰もいない……ですよね?」
不安げな声を漏らすジュンヤに対し、カスミは「当然だ」と言わんばかりの態度で、腰に携えた刀を鞘ごと抜き、ジュンヤの目の前に差し出した。
「……あたしの唯一の友人、サナエだ。よろしくと言っているぞ」
「…………は?」
一瞬、時間が止まったかのようにジュンヤは固まった。そして次の瞬間、顔中に「この人は何を言っているんだ?」という疑問を張り付ける。
「師匠、もしかしてそれは……ギャグという奴ですか?僕を和ませようとして?」
混乱する頭で、なんとか合理的な説明を探ろうとするジュンヤ。その答えが正しいのかどうかは分からないが、少なくとも自分の師匠を笑わせようとしたのだ――しかし。
「……ジュンヤ、いきなり破門されたいか?」
カスミの声が低く、鋭く響いた。その怒りは、先ほど道場の少年たちに説教をした時と同じくらい、いや、それ以上に真剣だった。
ジュンヤは思わず姿勢を正し、カスミの表情を伺う。だが、目が見えないはずのカスミが彼を完全に見透かすような威圧感を漂わせている。
「し、失礼しました!サナエさん、よろしくお願いします!」
慌てて刀に向かって頭を下げるジュンヤ。その様子に、カスミは満足げに頷いた。
「うむ。サナエも喜んでいるようだ。それでいい」
彼からすればどこまでが本気なのか分からない。だが、ジュンヤにとってそれも師匠・カスミという人間の魅力に映っていた。
カスミ、斬る! @ACC4649
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。カスミ、斬る!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます