幕間①

どこかの武家屋敷の庭、そこで父親らしき中年の男と、娘らしきおそらく七・八歳ぐらいの少女が防具を着込みながら竹刀を打ち合っていた。

少女はその齢にしては中々の太刀捌きや、打ち込みの速度を見せていたが、父親には通じない。

繰り出す打突のほとんどを簡単に捌かれ、逆に強烈な打突を受けてしまう。


「遅いっ!」

「あうっ……!」 


父親は手加減をしているようにはとても見えない面打ちを少女にぶつけた。

少女はその衝撃からか、ふらふらと足をもつれさせついにはその場に膝をついてしまった。


「カスミっ!立て!勝負の場において、膝をつくなど殺してくれと言うようなもの!ただでさえお前は女の身でありながら、視力もないのだ。天賦の才に甘えて嘗めたマネはするなっ!」


およそ、その年頃の少女に向ける叱咤ではなかった。

しかしカスミと呼ばれた少女はその叱咤に答えるように、歯を食いしばり、全身に力を込め立ち上がって竹刀を構え直した。


「もういっぽん……おねがいします!」


「よし、それでいい」


父は当然といった様子で頷いた。

鍛錬なのか虐待なのか分からぬ、父娘の竹刀のやりとりはそれからもしばらく続いた。


稽古が済んだ後、カスミは井戸に向かい置かれていた桶の中の水に手ぬぐいを浸した。

そうして打たれた場所を冷やしていると、脇からカスミよりやや歳上の少年が現れた。


「カスミ、大丈夫か?」

「あにうえっ!」


少年の声を聞き、カスミは嬉しそうに顔を上げた。

さながら飼い主を見つけた子犬のような喜び方だった。


「母上から打ち身に効く薬をもらってきた。僕が塗ってあげよう」


「あにうえ、ありがとうございます」


兄はカスミの近くにしゃがみ込み薬の蓋を開けた。


「良いんだ。本当ならこれは僕がやるべき事なんだから…」


薬をカスミの腕に塗りながら兄は悔しげに言った。


「僕がカスミの半分でも剣の才があれば……こんなに痛い思いをさせずに済んだのに…!」 


そう言う兄の瞼には微かに涙が浮かんでいる。 

それは自分の無力さへの憤りか、それとも妹への申し訳なさか、あるいはその両方か。


そんな兄を察したのか、カスミは首を横に振った。


「あにうえ……カスミはじぶんで、ちちうえに剣をならっているのです。やらされているわけではありません」


カスミの声はどこか誇らしげだった。幼いながらも、自分で選び取った道への確固たる意志が込められていた。


「しかし…!」


兄の声にはなおもためらいが混じっていた。目が見えぬ妹が、時に痛みを伴う厳しい稽古に耐える姿を見るのは、兄として耐え難いものだったのだろう。しかし、兄のその躊躇を遮るように、カスミは続けた。


「それにカスミはうれしいのです。剣の場だけはちちうえも、みんなも、カスミを同じに扱ってくれます。目のみえぬことも、おなごであることもかんけいない……それが…それがとても、うれしいのです」


そう言ってにこやかに微笑むカスミ。その微笑みには、どこ成熟した強さを感じさせた。


兄はしばし黙って何かを考えていたが、やがて薬を塗ってやるのを止めて、カスミの白く小さい手を握った。

カスミは兄の手から熱が伝わるのを感じ、少しだけ驚いたような顔をする。


「カスミ、カスミは僕と違って本当に強い子だ……だけど、本当に辛い時…特に父上にも母上にも言えない時は僕に言っておくれ。弱い僕だけど、絶対にカスミを助けるから」


その言葉には少年ながら強い決意と覚悟を感じさせるものだった。

兄は、これだけは譲れないという思いを込めるように、ぎゅっとカスミの手を握り直した。

その圧に込められた愛情を感じたのか、

カスミは兄の言葉を咀嚼するように聞いて、ゆっくりと口を開く。


「……あにうえ、ありがとうございます…カスミは、あにうえのいもうとに生まれてほんとうに良かったです。そのおことばだけでも、カスミはこれからも、剣をがんばれます」


「カスミ…」


「だって今まであにうえは、カスミとの約束をやぶったことがないですから」


その言葉に、兄の目が見開かれる。言葉の裏にある無条件の信頼に胸が熱くなるのを感じた。


「………ああっ、兄は絶対にカスミとの約束を破らない。そうだとも…」


暖かくカスミに笑いかける兄。カスミは見えぬ目にその笑顔が映るような気がしていた。








(──夢……か)

未だに現実感のない中、カスミの意識は覚醒した。

彼女はデーモンを斬った後、夜露を凌ぐために橋のたもとで野宿をしていた。

まだ夜は明けていない。何かの拍子で起きてしまったのだろう。


(兄上の夢を見るとは……ヘイスケのせいかな)


亡き妹の為に命を懸けていた男ヘイスケ。彼と短いながらも触れ合ったことで、自分の兄の事を思い出し夢に見たとカスミは推察していた。


(たとえシノヤマ組が潰れてもシズ殿は戻らない……)


兄を残し愛する男に殺されたシズ。その無念はどれほどだろうか。自然とカスミは両手を合わせ彼女の冥福を祈っていた。

そしていつしかその祈りの対象は、自らの兄へと変わっていた。


(……兄上、誰よりもお優しい兄上……)


カスミはあの時自分の手を握りしめてくれた、兄の手の暖かさは今でも鮮明に覚えている。


(助けを求めにすら行けぬ、この愚妹をどうか…どうかお許しください。しかしこの旅は、あたし自身の手で償わねばならないのです…!カスミは、兄上と義姉上…そして父上と母上のご健勝をいつもお祈りしております)


カスミの思いと祈りは果たして家族に届くのだろうか。朝日が昇るまでにはまだまだ時間がかかりそうだった。

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