後編

     

 メヌーはコルシカに帰ると、前に泊めてくれたカロルの古民家にアルミロを案内したが、それがなぜか見つからないのだった。


 アルミロがポケットから四角に折りたたんだ紙を取り出して広げた。そこにはある地図が描かれ、右側のある部分に赤色でXがつけられていた。

「警察に行って手にいれたのだけれど、ここはグロスが事故に遭った場所なんだ。何者かに襲われて、目を刺された場所なんだ」

 

「これを見て」

 書類の右上に、日にちが書かれていた。

「これはチェリがいなくなった日だ。ぼくが学校に帰る前の日で、婚約の日だったから、間違いない」

「妹がいなくなった理由と、グロスの目の怪我と、カロルの家と、何か関係があるのでしょうか」

「グロスがこの島に戻ってきたら、全てがわかると思う」

「彼は帰ってくるでしょうか」

「きっと来る。きみに会いに来るということもあるけど、税金のことで税務署からの呼び出しがかかっている。何度も無視しているから、これ以上放置し続けると、大変なことになる」


 アルミロは、チェリが姉のことをよく話していたと教えてくれた。メヌーはアルミロがどれほど妹を愛していたのかを感じた。こんな人を残していなくなったのだから、チェリがもうこの世にいるとは考えられない。心が押しつぶされた。

 

 あの日、この場所で、何かがあったのだろう。

        

*


 グロスがついに島にやって来た。それは島の税務署職員が召喚状を持って、ロンドンの家を訪ねていったからである。

 グロスは税務署に出向くと、多額の税金を支払うに命令された。それを無視するなら、土地と親の遺産を手放して、すぐに島を出ていけ。さもなくば、投獄すると言われた。


 グロスはむしゃくしゃやしながらビーチにやってきたが、水着姿のメヌーを見ると心が騒いだ。

「ソフィさん、またお会いしましたね」

「あら、グロスさま、ごきげんよう」

 白いパラソルの下でメヌーは微笑んだ。

 

「ここは気持ちがよろしいことよ。さあ、グロス様も着替えて、座ってくださいませ」

「そうしたいところですが、これから銀行を回らなければならないので、今日は失礼します」

「もしかして、お金の問題がおありですか。少々ならお役にたてるかもしれませんから、何でも言ってくださいませね」


 翌日も、グロスはやって来た。

 また税務署に交渉してみたが、なかなかうまくいかないのだという。


「お抱えの弁護士はいませんの」

「いましたが、首にしました。やつらは税務署と組んで、いかにむしり取るかばかり考えるのです」

「私、若くて優秀な弁護士を知っていますわ」

「それは、どなた」

「アルミロ・ビクトリオ氏よ」

「ビクトリオ侯爵家の方ではないですか。あの一家は信望の厚い一家です。ソフィはどうしてご存知で」

「私達、親戚ですのよ」

「それはうれしい。ぜひ、その弁護士に引き合わせてください」

「わかりましたわ。ご懇意にしていただいているグロス様のことですもの、きっと快く引き受けてくれるに違いありませんわ。アルミロは弟みたいな存在なのですから」


             

*



 数日後、グロスが弁護士と会う段取りが整った。メヌーが馬車でグロスのホテルに迎えに行き、面会場所まで案内して行くことになった。


 馬車が森に近づくと、グロスが憤慨した。

「どうして、ここなんですか」

「だって、弁護士がここで待っていると言うのですから」

「ここはいやだ。町に戻りましょう」

「あら、どうして。ほら、あそこ。アルミロが手を振っていますわ」


 グロスがしぶしぶ馬車から下りると、馬が走り去ってしまった。

「どうして馬車がいなくなるんだ」

「戻ってきますよ。グロスさま、何かに怯えていらっしゃるのですか」


 その時、カアカアというけたたましい声が聞こえて空が真っ黒になった。空がカラスの大群が、黒雲のように空を覆っている。

 塊の中から、一羽二羽のカラスが矢のように飛んできた。

「どうしたことだ」

 

 助けてくれ。

 グロスは跪き、目を両手で覆い、尻を高くして、顔を地面につけた。

「大げさですよ。ただのカラスじゃないですか」

 とアルミロが笑った。

「奴らはただのカラスじゃない。悪魔の使いだ。やつらがこの目を突き刺したのだ」

「どうして。カラスがあなたを狙うのですか」

「あれはジェノヴァから来たカラスなんだ。やつらは、おれ達一家を憎んでいる。だから、霊になって、おれ達を追ってくる。カラスまでも」

 

 あの日もそうだったとグロスは思った。

 以前、家でメイドとして働いていたチェリという若い娘がいた。気にいってやさしくしてやったのに、不愛想だった。ちょっとちょっかいを出すと、怒ってやめてしまった。


 それから一年半ほどたったある日、馬車で森の横の道を走っていると、あの子が見えた。前より美しくなり、はなやいでいた。おれは御者に馬車を止めさせ、森に入って行った。

 

 ところが彼女はおれを見ると汚いものを見るような目をして逃げたから、おれは追いかけた。追いついて捕まえたら、もみ合いになった。向こうがひっかいたから、かっとなって殴った。すると彼女は倒れて木の切り株に頭をぶつけて血を流した。

  

 おれがこわくなって逃げようとしたら、カラスの大群が襲ってきて、一羽がおれの目に突入した。

 目に暴れるカラスの嘴がはいったままのおれを、御者が病院に連れていった。あまりのグロテスクな姿に、病院中がざわめいた。


 チェリがどうなったのかは、知らない。その夜、カラスが黒雲のようになって、北のほうへ飛んでいくのを見たと村人が言っていた。


             *


「ここで、何があったんだ」

 とアルミロが詰め寄った。

「そんなこと、知るか」

 グロスがそう言った時、数えきれない数のカラスがけたたましい声で叫んだ。

 グロスがちょっと顔を上げた時、カラスの大群が遅いかかり、嘘みたいに、彼を空に運んでいった。


 メヌーもアルミロは、目の前のことが現実とは思われず、ただ茫然と立っているだけだった。

 


           *


  アルミロは下働きの少年の部屋から二百通の手紙の束を発見した。彼は金がほしくて郵便代をくすねていたのだが、一度チェリの手紙を読んでみたら興味が湧いて、次が読みたかったこともある。


 そこには、十六歳になったばかりの少女の恋心が、素直に書かれていた。

 アルミロとの出会い、はじめて会話ができたうれしい日のこと。だめだと思った悲しい日のこと。ふたりで出かけた日の楽しさ。婚約できた喜び、未来への希望。


 少年によって封が切られていたが、手紙はようやく姉のところに届いたのだ。メヌーは手紙の束を抱きしめた。

 チェリ、よい人に愛されてよかったね。

 さあ、一緒に帰ろうね、故郷の家に。


 

                *


 メヌーは手紙とともに、ポワチ村の家に帰ってきた。

 家の横に、可憐な白百合がひとつ咲いていた。

 白百合は妹が好きだった花だ。でも、ここに植えた覚えはないけれど、どこから種が飛んできたのだろうか。


 冬が来て、春になり、夏がやってきた。

 大学の休みでコルシカに帰る途中、アルミロがジェノヴァに寄るというので、ナヌーは港まで迎えに行った。


 その日、町では広場に白骨死体がころがっていたという話題で持ちきりだった。若い男性の白骨で、服は身につけていなかったが、指に印章指輪をはめていたという。指輪には、かつてジェノヴァの市民を虐殺したベルサー家の紋章が刻まれていたという。



                了

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ジェノヴァのカラスの復讐 九月ソナタ @sepstar

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