中編
メヌーが再びコルシカに戻ってきたのは、一年後だった。
二ヵ月前に母親がチェリの名前を呼びながら亡くなった。メヌーは残っていた牛を売ったが、家はそのまま残した。
今度は時間はたっぷりとあるし、お金も少々ある。どんなことをしても妹を探し出すつもりだ。メヌーが今度ジェノヴァに帰る時は、妹とふたり。それまでは、帰らない。
メヌーは港に着くと、すぐにアシオを訪ねた。
ビクトリオ侯爵の屋敷で働きたいから、働き口はないかと訊いた。どんな仕事でも、かまわない。糸口をつかむとしたら、あそこしかない。
侯爵家はジェノヴァから来た者を避けているが、メヌーには考えがあった。ピサ共和国から来たソフィだと紹介してほしいと頼んだ。母はもともとピサの出身だったから、嘘ではない。アシオは、その話に乗ってくれた。
メヌーはビクトリオ家のメイドとして採用された。その家族はファーレ侯爵、ディーナ夫人、それにベニートとアルミロの兄弟がいた。
二十二歳の長男ベニートはローマで枢機卿見習いをしており、弟のアルミロは二十歳で、ピサの大学で法学を学んでいた。
侯爵は長男のいるローマに滞在していることが多く、その間ディーナ夫人が屋敷をひとりで守っていた。侯爵は長男を枢機卿に選んでもらおうと、いろいろと運動しているのである。
屋敷には執事ひとり、メイドが三人と庭師ふたりがいた。メイドのひとりは夫人の世話、もうひとりが主に料理、メヌーは掃除の担当である。
執事が屋敷内を案内して、二階の角にあるアルミロ様の部屋にだけは入るなと命令した。
*
メヌーがビクトリオ家に来てから三ヶ月がたち、長雨がやんで、過ごしやすい夏になった。
夫人は寡黙なやさしい人で、部屋で刺繍をし、よく手紙を書いていた。
古参のメイドから、妹がこの一家からどれほど愛されていたのかを聞かされた。特に、次男のアルミロとは仲がよかったという。
彼の部屋は二階にあったが、執事からはいるなと言われていた。
ある日、夫人が執事と外出することになった。メヌーはこの日しかチャンスがないと思い、アルミロの部屋を探ることにした。鍵のありかはすでに調べずみである。
ドアをあけると、部屋の中には勉強机があり、本が並び、寝台があり、特に変わったところはなかった。
しかし、部屋にはもうひとつドアがあり、そこには鍵がかかっていた。
鍵穴から覗くと、イーゼルに絵が立てられていて、そこには白い布がかかっていた。その時、その布がするりと落ちて、油絵のキャンバスが見えた。
チェリ!
描かれていたのは、なんと妹の姿だった。
*
メヌーはそのドアをあけようと固いドアノブを回すが、これがびくともしない。
その時、肩を叩く手があった。
きゃっ。
振り向くと、険しい表情の青年が立っていた。
「何をしているのですか。ぼくの部屋で」
「すみません。掃除しようとして」
青年は首を少し傾げて、メヌーを見つめていた。
「きみはビサから来たメイドのソフィかい」
「は、はい」
「ぼくはピサの大学に行っているアルミロだ。ビサではメルビラ通りに住んでいる。知っているかい、有名な白鳥の噴水がある」
「はい。白鳥の噴水のことはよく知っています」
「ソフィ、きみはうそをついているね」
「えっ」
「通りには白鳥の噴水なんて、ない」
メヌーは青くなった。これで追い出さてしまうことだろう。
「きみは、もしかして、チェリのお姉さんのメヌーさんじゃないかい」
「そうですけど」
「やっぱり。目がよく似ている。ぼくはアルミロだよ。知らないのかい」
「いいえ。教えてください。チェリはどこにいるんですか。何があったのですか」
「知りたいのは、ぼくも同じだよ」
*
チェリが毎日のように故郷に手紙を書いていたのをアルミロは知っていた。でも、それが届いていないとわかったのは最近のことだった。母がローマの父に何度手紙を出しても届かないので、調べてみたら、下働きの少年が、郵便局へ持っていかず、切手代をくすねていたのだった。
これで手紙が届いていないわけがわかった。
「チェリはどこに」
「それがわからない」
アルミロはチェリがいなくなった日のことを語った。
「あの日、ぼく達は婚約するところだったんだよ」
えっ。
この家にはメイドとして来たチェリだったが、ある日、勉強をしていたアルミロを見て言った。
「将来は教師になりたいのです。お暇な時に、勉強を教えてくださいますか」
「いいですよ。チェリさんに時間ができたら、いつでも来てください。その時がぼくの暇な時です」
勉強を見てあげているうちに、ふたりは親しくなってたのだった。彼は彼女が大好きだったから、肖像画を描いたりもした。
アルミロが大学を出て弁護士になったら結婚して、チェリは学校に通うという約束をした。両親もかわいくて性格のよいチェリを気に入り、アルミロが大学に戻る前日、急遽、内輪で婚約式をしようということになった。
その日、チェリはお祝いの花を摘みに行くと出かけて、そのまま帰って来なかった。
「いくら探して見つからなかったけど、その日、不審なことがひとつあった。病院を当たっていた時のことだ。少し前に、ベルサー家のグロスが運ばれてきて大騒ぎだったと聞いた。その後、彼はロンドンに去ってしまった。ぼくは、グロスがこの失踪に関係があるかもしれないと思っている」
グロスから話を聞きたいのだけれど、彼は島には帰っては来ない。
だから、アルミロはロンドンへも行ってみた。けれど、グロスは強固なまでに会ってくれようとはしないのだった。
「私、ロンドンに行ってきます」
妹のことがわかるのなら、地の果てにだって行くつもりである。
「わかりました。ぼくはここにいて、グロスをこの島に帰させるために、別のところから手を伸ばしてみます。必ず、彼をここに戻して、真実を聞き出しましょう」
*
ロンドンに着いたメヌーは、高級洋服店というところに行き、三枚のドレスを購入した。次に美容院というところに行って、髪を今風に結ってもらった。
メヌーは、グロスが毎日、午後にグリーン公園を散歩することをつきとめた。
ある日、彼らしい人物が歩いてきたので、「ご機嫌よろしゅう」とイタリア語で声をかけた。
彼は驚いて立ち止まった。
「お嬢さん、どうしてイタリア人だとわかるのですか」
メヌーはその時、グロスの片方の目が変形していることに気がついた。
「私達はイギリス人とは違いますわ。そうでしょ」
メヌーはそう微笑んで、立ち去った。
次に会った時には、「ソフィ」という名前を教えた。
「ピサから来たソフィよ」
三度目に会った時には、ティールームでのお茶に誘われた。
その日から、ふたりはアフタヌーンティをともにするようになった。
「ロンドンはとても蒸し暑いですわね。私、我慢ができませんことよ」
メヌーはフリルのついた絹の扇子をひらひらさせた。
「本当に、今年の夏は特別に蒸します」
「私、来週から、コルシカ島に参りますのよ。あの美しいビーチで、日光浴をしようと思いますわ」
コルシカと聞いて、グロスの顔が固くなった。
「あら、コルシカがお嫌いですか」
「いいや、そんなことはないです。実は、あそこには家もあります」
「あら、奇遇ですわね。祖父の屋敷も、まだあそこにありますのよ」
「ぼくには屋敷の始末などやっかいなことが残っておりましてね。でも、一度は行かなければならないと思っています」
「私の好きなビーチはサレシア・ビーチ。白い砂浜、ターコイズブルーの海。あのすばらしいビーチでお会いできるでしょうか。あちらでもっとお近づきになれたらうれしいのですが、お会いできなければそれも運命ですわ。どうぞ楽しい人生を」
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