伝染りゆく人の性

@hauzajen

第1話

自然の力は偉大であるとつくづく思う。時に人に牙を向き、時には恵を齎す人智の超えた卓越した人の手には負えぬ命さえ左右する存在と我々は共存している。恵といえば大自然が作りだす美しい景色も、その一端と言えるだろう。

私は常々人々に長年愛されてきた光景の中には、その美しさに魔力などの人を狂わせる力が宿っていると思っている。いつの時代にも自由で強大な力を前に盲信し狂気的に魅了される者はいるのだから。

こんな話をするのもつい最近そんな大自然の魔力に当てられ、生み出された濃密で毒々しい磨りかけの墨汁の様な狂気を描く男を目の当たりにしたからである。

ウユニ塩湖、空を湖面に映し出す「天空の鏡」と呼ばれる神秘的な絶景。完成されたその美は計算され尽くした一枚の絵画の様だった。否、様なではないアレは絵画だ一人の男の描いた一枚の絵画だ。

鏡ばりの景色に映る己も、筆を繊細に動かす塩湖の中心にいた男の姿も、全て覚えている。正直、思い出すたびにあの記憶が夢でなければ自分の頭がトチ狂ったのではないかという疑念に頭を悩まされる。その位には非現実的だった、私は彼が描いた絵画に招かれたのだ。額縁を境界線にして水膜を破り足を一歩一歩踏み出せば、男の描いた塩湖の中にいた。

あの劇薬の如く色彩を放つ記憶が、夢や幻などの一時の自ら作り出した妄想であったとは到底思えないのだ。あれは常人の見れる世界ではなかった。

夢とは輪郭が伴わぬボンヤリとして水中の様にうまく動けないものであるのに、鏡ばりの景色に映る己や反転した世界、塩湖の温度、五感で感じる情報全てが生々しく鮮明に記憶の中で今でも渦巻いている。私が実際に塩湖に行ったとしてここまでは記憶に残っていないだろう。

男の塩湖は美しさを保ちながらもどこかギラつき油断していれば心を侵食しかれなかった、多分アレは男の心なのだ。男の描いた塩湖は、作品である事を忘れる程実物に近く禍々しい情景だった。そう、思わず無意識的に手を伸ばしてしまうほどに。

あの時の自分を側から見れば、本能で熱さすら判らずに朱色の光に飛び込んでいく羽虫も同然だっただろう。あの日、私は友人から譲り受けたチケットを片手に美術館へ向かっていた。絵の鑑賞は趣味に近いものであったし、何より噂では風景画で名を馳せた画家の新作が展示されるというのだ。

元々興味があったために年甲斐も無く浮かれながら、これから出会う作品に思いを馳せて電車に揺られていた。二時間ほど淋しい森を単調な機械の音を響かせ走り抜ければ、目的の地に到着した。

肌に纏わりつく蒸し暑さに私は思わず顔を顰める、空を見上げれば黒雲が一面を覆っており墨汁が垂らされ濁った水の様だった。雲の高度が低いのか風に吹かれ形を崩しながら移動する。曖昧に揺れ動く形が酷く不気味で、浮かれた内心に砂利の混じる泥水でもかけられた気になる。

髪の生え際から滴る汗が心底不愉快で顔を顰めながら十分ほど歩けば、年季の入った赤茶色の煉瓦造りの洋館が視界に入ってきた。今思えば天気も相まって酷く不気味だったが、単純な私はそれだけで最初の浮かれた思考に引き戻された。側から見たら年甲斐もなくお気に入りの玩具を与えられた子供の様に浮かれる様は気味が悪く映っただろう。

地に足つかぬ夢の中にいる様な気分で木製の扉を開けると、空りした涼やかな冷気が火照った身体を冷やす。

 

遂に私は今日一番の目当てである風景画の展示場所へ辿り着いた。噂で聞いていた通りの、成人男性の平均的な身長程ある大きな風景画であった。余りの生々しさに驚愕した事をよく覚えている、上手く言語化出来ぬ程に本能に訴えかける物があった様に思う。

胸の底からブワリと熱い物が込み上げ全身の体温が上がる喜色、驚嘆、歓喜とも取れるごちゃ混ぜになった感情を上手く処理出来ず、気付かぬうちに涙を流していた。出来が素晴らしい風景画が写真の様だと称される事は良くあるが、コレは本当に絵なのだろうか? とそんな分かりきった事実に対するボケた疑問が湧き上がってくる程に見事な作品であった。

塩湖の景色そのものを物語の世界から抜け出した魔術師か何かが鋏で切り抜き、絵と偽り美術館に寄贈したと言われた方がまだ信憑性がある、驚嘆の余り緩くなった思考の中ではそう思えてならなかった。青々とした空の色が分かる程度に散らばった雲を、柔らかな朝日が照らしている。雲は鏡張りの景色に反射しておりー、塩湖にぷかぷかと質量のある物質の様に浮かび上がっているのだと錯覚してしまう。楽園とは、天国とはこの様な外観なのだろう。

神が住んでいると言われても納得出来る程に繊細で暖かい楽園の景色であった。もし仮にこの景色が実在していたら、自分は素晴らしき功績を作り出した生を全うし終えた聖人であり、死後に鏡張りの楽園に招かれたのだと。存在しない記憶でも作り出してしまいそうである。

中央にはキャンパスに向かい、筆を巧みに動かす男が描かれていた。男が座っている木製の年季の入り、色落ちした椅子からは軋む幻聴すら聞こえてくる様だった。

髪は本物であるとでも言われても疑えぬほどに一本一本が丁寧に描写されている。肌は虫眼鏡で除けば、毛穴や産毛すら丹念に描かれているかと思われるほどである。精巧という言葉がよく似合っていた。

前屈みになっているため分かりにくいが顔に掛かった白髪の隙間から窺える顔は緩み切り喜色を全面にだし、深く刻まれた皺をさらに目立たせていた。ただそれと対称に歪んだ口元と妖しい輝きを放つ瞳の焦点は何処か虚で、絵が動く筈もないのにどういうわけかゆらゆらと不規則に揺れている様に見えた。絵を描く事に夢中になっているからか中身が溢れんばかりに開かれ血走り酷く充血している。

男の息遣いすら感じさせる生々しさに戦慄する。先程とは違う体を底冷えさせる汗が、頬を伝った。近付いてみると感じさせる思い切りのよい力強いタッチで重ねられた油絵の具、真にソレは唯の絵であった。要所要所に散りばめられた執着が感じられる、人間の恐ろしさが詰まった絵だと感じた。始め見た時は繊細な、触れれば壊れてしまいそうな硝子細工の様だと思った。しかし、中を覗き込めば蜘蛛糸の如く粘着質な執着と自然の作り出した美しさという魔力が何重にも重ねられている、そんな矛盾が人を惹きつけてやまないのだろう。とんだ劇薬もあった物である。

その事実に底が見えぬ作者の執着と狂気が垣間見てしまった、怖いもの見たさもあるのだろう。短い時間で私はすっかりこの絵が放つ魔力と画家の執着心に囚われてしまった。

ボンヤリと作品の前に棒立ちし、己の拙い語彙力を総動員し脳内で届くわけもない称賛の言葉を叫び、塩湖の美しさに浸っていた。段々と私はこの絵の中に本当に小世界であれど塩湖が広がっている、そうに違いないと思い始めた。今思えばこの段階で既に、この劇物の毒牙にかかっていたのだろう。

光に反射し煌びやかに輝く鏡張りの水面は私を手招いている、薄らとした本能が感じた違和感と警告音にこの時の私は気づいていなかった。意識を持って私に此方へ来なさいと言語ではない何かで直前脳内に語りかけられている様であった。ボンヤリとした深い霧で不透明になった思考のせいで思わず手を、伸ばしてしまったのだ。

次の瞬間手にあったのは硝子の無機質な冷たさではなく、液状の冷んやりとした弾力のある薄い水膜を破った様な何とも形容し難い感覚であった。声を上げる暇もなく体全体、特に腕辺りに姿形の無い何かに巻き付かれた感覚があり、そこに意識を向けた瞬間そのままその何かに強い力で引き込まれた。

体全体に先程腕を突っ込んだ時と変わらぬ、弾力のある水膜を破る奇妙な感触が一瞬で過ぎ去る。湿気の孕んだ空気が私を包み込むと、そのままゴム鉄砲で弾かれた石の如く勢い良く外に弾き飛ばされた。

地面が濡れている様で服が水を吸収してしまい、少し重くなった布が肌にピタリ張りいた。恐る恐る起き上がり目を開けて見れば先程まで眺めていた鏡張りの景色が広がっていた。足元に驚愕し目を開く自分の顔が映る。ゆっくりと立ち上がり全体の景色を目に焼き付けた、今思えばこの状況に何の疑問も抱いていなかった事に底冷えするほどの恐ろしさを感じる。

自然の、強大な魔力は知らず知らずのうちに私の心を侵食していたのだ、美しい楽園なんてとんでもない!この小世界は蜘蛛の巣に近しい恐ろしい性質を持っている。

遠方に一尺程の胡麻粒の様な人影が鎮座していた。私は直ぐにソレがキャンパスに一心不乱に筆を走らせる不気味な男だと確信する、深い霧に包まれた思考はただ薄く塩湖の美しさを讃えていた。

妙に意識だけはハッキリとしており上空から己を見つめている様な奇妙な心地だった。ふわふわと脳内が浮き沈み、水をとぷりとぷりと注がれながら薄らいだ思考に明確な目的が設定される。触覚の取れ平衡感覚を失った蟻の頼りない足取りで、塩湖を水音をたてながら男の元へ向かった。

段々と男の姿が明瞭になっていく、近づけば近づく程に周りの空気が酷く重く感じた。男は真っ白に染まった蓬髪を肩程まで垂らし、腕のみを器用に激しく動かしている。腕以外は死体の如く、ピクリとも動く様子はない。体全体が脱力しており、絵に描かれていた時よりも下を向いているため分かるのは口元のみで表情はよく見えない。

作業を止めてまで声を掛けるべきか迷っていると、男の枯れ木の様な皺が深く刻まれた腕が突然静止した。死体かと疑える程に少しも動く気配がないため何事かと焦り驚いていると、男の口元が動いた気がした。

「お前さん、どうやって此処に?」

目の前の男から発せられたとは思えない、張りのある艶やかな声が聞こえた。男の声が聞こえた瞬間ブワリと突風が吹き荒れ、頭の中を占めていた深い霧が晴れ思考が明瞭となる。視覚からくる情報と、声の若さが余りにも一致しておらずちぐはぐとした印象に脳が混乱した。

男を見て一度も老人だとは思わなかった事を思い出す、この男は何者なのか、考えても解明出来るはずのない疑問が湧き上がってきた。頭がごちゃごちゃと錯乱してきたため一度落ち着くために大きく息を吐く。取り敢えず一度男の質問に答えた方がいいだろうと思い男に視線を向けた。

「  先生の風景画を見ていて、あまりの美しさに思わず手を伸ばしたら絵に手が飲み込まれて…気付いたら此処にいたのです」

思考が纏まらない割に上手く答えられたと安堵しながら様子を伺う。男は脱力した体を勢い良く起き上がらせる、妙に体が柔らかく少々人間離れしており軟体動物が起き上がりこぶしの振りをしている様だと私は思った。

男は充血した、光すら飲み込む深い黒曜の瞳を更にかっ開き何が楽しいのか、張り裂けんばかりに口を大きく開けて肩を震わしながらしばらく笑っていた。数分程笑い続け最終的に椅子から転げ落ちた男は限界だとでもいう様に大の字で塩湖に寝っ転がった。陽光の光を手で遮りながら、笑いの余韻を残したか細い空気に溶ける様な声量で何かを呟いた。

「……か……私…男………」

辛うじて聞こえた単語を脳で反芻していると、男は晴々とした表情で薄く目を細めて笑った。爽やか、と形容するのに相応しい笑顔の筈だ、少なくとも私の視界はそう捉えていた。ただその瞳のみが執着と硫酸の如く激しい劇薬の狂気を宿している。

表情と瞳に宿る感情のちぐはぐさが何とも言いがたい強烈な不協和音を奏でていた。人の感情を模した様な理解不能の人智を越えた膨大な力が男をその魔力で縛っている、そう理解してしまった。

男のその異様さといったらこのまま路面電車か何かに飛び込んでいきそうな突拍子を孕んでいた。演技じみた、舞台の演者が観客に語りかける様に男はニヒルに笑いながら、爛々とギラついた欲望と狂気を瞳に宿らせ叫ぶ。

ゾクリと冷や汗が流れた、アレは、アレは自分の意志でああなっている。自身の喪失への恐怖心など、最早微塵も感じないのだろう。

感情の昂りか、はたまた過ぎた力を前に完全に呑まれたか、言語ともまた違う獣の咆哮の様であった。否、様ではない、もう男に理性と思考能力があるとは思えなかった、人としての中身を失ったソレは真に獣といえよう。

人としての本能がコレは見てはならないと叫ぶ、人の形をした傀儡と化した男から無理矢理視線を外し塩湖全体を見渡して絶句した。こんなにも異様な程、塩湖は煌めいていただろうか?

男の血を吸い尽くした鏡張りの景色は、生命が与えられたばかりの赤子の如く静かな鼓動と共に妖しく揺らめく。先程までのかの楽園の様に美しいと讃えていた繊細な景色が今では薄っぺらな紙に描かれた空前の虚構に過ぎないと理解してしまう。

人の狂気とも取れる執着心、そこに自然という目に見えぬ人には理解不能のただ存在している超常的な力が共鳴した結果がこの小世界ならば、その根源となる男の死こそ小世界という名の作品の完成の材料だったのだろう。先程までに感じた異常性にも見当がついた、死ぬ事で完成する芸術、最早生贄と何ら変わらぬ人柱に男は自ら望んで向かっていた。生物としての本能を狂気で塗りつぶしている。

先程までとは比べられないほどの濃密な色彩が色付いた小世界は残酷で、それを凌駕する程に酷く、酷く美しかった。徐々に魅せられている。あぁ、恐ろしい。アレを甘露だと感じている私が何よりも恐ろしい。私は、恐らくあの男と同類なのだ。彼は、未来の私の姿そのものだろう。このまま此処にいれば、じきに飲み込まれる。そう解っていても、目を離すことができなかった。

男の咆哮が段々と弱々しくなり遂には途絶えた。男を見てみれば肉体は養分を使い果たし、役目を終えた子葉の様に干からび枯れ果てていた。皮と骨のみになった体には中身どころか臓器すら入っていない様に見える、腹が異様な程窪んでいた。目の血管が破裂し血がこぼれ落ちるのを皮切りに男の身体中が赤く染まって行く。薄く絵の具の香る空間の中に、吐き気を催す濃い、鉄のにおいが広がった。

男の乾ききった薄皮が瞬く間に膨張する、原型を留めぬ程に膨張した人肌色の風船がパンッと軽快な音と共に割れた。地面には伸び切った男の薄皮と生臭い鮮血のみが残っていた。執着と魔力に呑まれた男の最後はあまりにも呆気ない、彼は自分の最期など歯牙にもかけていないのだろうが、そう思わずにはいられなかった。物が熱で溶ける様に小世界の端から融解してゆく。

足元までもが侵食され、先程まで鏡張りの美しい景観を保っていた地面はドロリとした粘着質な液状の底なし沼へと変貌していた。辺りから何処か既視感のある水音が響き始めた、ポチャリポチャリと水面に小さな水滴が垂れる様な、そんな音だ。ただ唯一齟齬があるとすれば音が異様に大きい事だろうか、ゆっくりと自分を鼓舞しながら空へと顔を向ける。

空が、否天上に一本の亀裂が入っていた。藍色のドロリとした液体が、割れ目からゆっくりと水滴の形に姿を変え泥状に変貌した地面へ直撃する、ポチャリと水音が辺りに響いた。先程の水音の正体はコレかと察する、ぷかりぷかりと空に浮かぶ雲も空と同じく蝋の様に溶け藍色の絵の具に混じってゆく。

液体はおそらく絵の具なのだろう、現実と所々違いがある理由もようやく腑に落ちた気がした。この世界は本当に男以外の全てが描かれた絵の中の産物なのだと、ようやく私は理解できたのだ。水音と共に垂れる等身大程の水滴に飲み込まれる、この小世界に来た時と同様の弾力のある水膜を破る奇妙な感覚が過ぎ去った。浮遊しているような、奇妙な感覚に蝕まれながら、私は理解した。理解してしまった。あぁ、彼はこれを望んでいたのだ。彼の死をもってこの世界は崩壊し、芸術が、一枚の絵が完成する。最後、水滴に飲み込まれる前に見えた、あの世界こそが彼の神髄、心酔の対象なのだ。それは、それは実に雄大だった。大自然が作り出す、人間の手では決して作り出されることのない、神秘の産物。あの景色に、彼は捕らわれたのだ。

ボンヤリと焦点の合わぬ視界のまま二回程瞬きをする、蛍光灯の人工的な光が酷く眩しかった。気付けば私は、小世界に入る直前の体勢のまま美術館に戻っていた様である。目の前には塩湖の風景画、絵に入る直前まで見いていた物と同一の物なのだろう。断定はできなかった。

先程までの絵は、何処か禍々しくも西洋の聖書の様な清らかさを感じさせる物であった。だが今思えばアレは中身は何もない、悍ましい人の性を入れ込むための傀儡に過ぎなかったのだ。男の死によって、執着と魔力に犯された濃密な血液が加わり彩られた極彩色がより一層作品に妖しく毒々しい黒穴の超常じみた麻薬の様な魅力を引き出していた。

コレを劇薬と言わずなんと言うのだろうか、人の死により完成する作品など呪いの様では無いか!否、コレはまさしく呪いの産物である、そうでなければならない。蜘蛛糸に絡められ、目の前で自分と同種の昆虫が食べられている様をまじまじと見せつけられながら、食されるのを待つ事しかできぬ無力な餌にでもなった気分だ。

先程までの見た物全てを、夢だ幻覚だと鼻で笑い一蹴出来ればどんなに良かっただろう。濃厚で毒々しい小世界の崩壊の一連も、劇薬の如く禍々しい色彩で彩られ瞼の裏で鮮明に輝いていた。耳を澄ませば今でも空気を震わせる崩壊の音が生々しく聞こえてくる。

ツンとした油絵の具に独特の匂いが薄く香り藍色の色水がぶち撒けられ重くなった私の衣服が、先程までの出来事が現実であると無情にも証明していた。




天高く聳え立つ山の上、其処は白で埋め尽くされている。ポツリと上層部のみが頭を覗かせているため、遠くから見れば孤島にも見えるだろう。山々の周りを底が見えぬ程埋め尽くし囲うのは雲、海の如く風に揺られ移動するソレ等は正しく天空の海であった。俗にいう雲海と呼ばれる景色である。

風音の中に、小さくされどハッキリと一定の拍子をとる筆音が響いていた。頂上に座り絵を描き続ける男、私は直ぐに先程の風景画に描かれた不気味な男だと理解した。窪んだ眼科に、深い深い一点の光すら届かぬ闇の色を灯した瞳が此方を見た。男は薄く笑うと此方には聞こえぬ声量で何か呟いた。

「あぁ、アレは私か…あの男が狂った様に笑っていた理由がようやく分かった」

聞こえなかったものの、唇の動きからして確かにこう言っていた筈である。言葉を皮切りに男が狂った様に笑い始める。私が男の言葉の意味を理解する時は近い、魔力と人の業とも言える執着は着実に私を蝕んでいるのだから。

蜘蛛の巣とはよく言った物である、この小世界は『私』の執着と自然の強大な魔力が何重にも積み重なって出来ている。

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