第9話 暗躍はそこかしこで

「それで?ルスニクス、考えを聞かせて」

 気を取り直して世界樹を汚染する具体的な方法を尋ねた私に、ルスニクスは笑みを引っ込めると顎をしゃくった。どうやら背後を見てほしいらしい。道中何かあったっけと呑気に考えながら振り返り、危うく上げかけた悲鳴を飲み込む。

 いつのまにか、魔物がいた。全長凡そ三メートルほどだろうか。赤銅色の雄大な翼に天鵞絨の如き艶やかな毛皮が美しい其れの名を、シャルディナはもちろん、私も知識として知っている。

「グリフォン」

 聖書にも登場する、伝承の生き物。

 驚き過ぎて感情の欠落した声が、其れの名を無意識に紡ぐ。その音に反応して、ギロリと魔物が見下ろしてきた。存外可愛らしい鳴き声が、鋭利な嘴から漏れ聞こえる。

 地球上には存在しなかった生命体を前に、心臓が早鐘を打った。どくどくと血のめぐる音が鼓膜に響く。

 身の内から湧き上がる高揚感と好奇心に突き動かされて、一歩、二歩と近づいてみる。後ろから腕を掴まれた。呆れた様子でルスニクスが首を振る。

「近づくな」

「……どうして?」

「本能で生きる魔物があんたの役割を理解しているはずがないからさ。怪我をしたって責任がとれない」

 そう言い募りながら私の腕を掴むルスニクスの手に力が込められる。痣になるのではと思うほどの痛みに好奇心が萎んだ。

「わかった。わかったから、放して」

 痛いんだと軽く振って意思表示する。もうグリフォンに近づかないと判断したのか、存外あっさりと放してくれた。

 萌葱の瞳がグリフォンを映す。微かに和んだように見えたのは気のせいではないだろう。キニアに向けるのと同じ眼差しをグリフォンに向けたルスニクスが言葉を探すように瞳を伏せた。

「ボクは、彼らの言葉がわかる」

 唐突すぎる告白だった。あまりに唐突すぎて、ふぅんと興味なさそうな返事が溢れてしまう。意外そうにルスニクスが腕を組んで私をしげしげと見据える。

「驚かないんだ?」

「まあ、定番の設定かなーと思って」

 知る必要はないとルスニクスは切り捨てたし私としても本人の口からきちんと詳細を知りたくはあるため懇願紛いのことをしたばかりだが、ある程度知識があれば彼らの境遇は想像するのは容易いことだった。

 捨てられた子どもを人間以外の生き物が拾って育てるのは、物語にも現実にも少なからずある話だからである。

 実話として有名なのは狼を親に持つ少年や少女の話。或いは猿に育てられた娘。昔すぎて真偽の程はわからないが、彼らの多くは異種族に育てられたが為に人間社会に戻った後適応することができなかったと記録されている。

「定番?」

「うん。私より年下っぽい二人が、そう言う格好で森で暮らして長そうって時点で、ある程度は、ね」

 この世界に生息する魔物の種類は、優に万を超える。それら全てが獰猛なわけではないが、人が使役するには知性があり過ぎたし、野生的過ぎた。

 しかし、だからと言って彼らに心がないわけではない。たとえ種の保存に従って子孫を成しているのだとしても、相手を選ぶだけの心や理性がある。その観点で考えるなら、捨てられた子どもを魔物が拾い養う可能性は十分過ぎるほどあった。

「驚いてほしかった?」

「…………別に」

 図星を刺された顔をしてルスニクスがそっぽを向く。稚い仕草についつい頬が弛んでしまった。

「この子はご両親?」

「…………兄だよ。父も母も、とっくの昔に殺された。知ってるだろ。十年前の、歴史の教科書にも記される掃討戦」

「アルフレドリア陛下が指揮を執った……」

「そう。あの一方的で無慈悲な虐殺が、ボクらを育ててくれた魔物たちの多くを奪っていった」

 それは、人類の勝利とも語られる出来事だ。

 十年前。当時まだ玉座について間もなかったアルフレドリア陛下が城の兵を一ヶ所に集め、国の周辺に巣食う魔を殲滅しようと言い出した。無論、言うだけなら誰でもできる。過去に彼と似たようなことを言い、立ち上がった王はそれこそ無数にいた。だから今回もそれか、と。兵たちはさして驚くこともなかったのである。

 しかし、アルフレドリア陛下は驚くべきことに、自らが陣頭に立ってその手を魔物の血で汚した。広大な所有地を半年に渡って遠征し、ついでとばかりに自国に所属する貴族の領地周辺の魔物も殲滅しようとした。

 戦場に立った彼は、兵たちをこう鼓舞したと言う。

『恐れるな。我が力は臣民のもの。貴兄らを必ず故郷に帰し、褒賞を出すと約束しよう』と。

 彼がなぜ徹底的に魔物を根絶しようとするのか訝っていた者たちも、この言葉で堕ちた。そして、誰もが率先して魔物を殺した。成体幼体関係なく、無害だとわかっているような種類すら、ただ殺していった。

 そのおかげで、アルフレドリア陛下治めるグローリア王国は過去類を見ないほどに平和になったのだ。

 その陰に生まれた犠牲を、誰も気に留めずに。

「ボクは人間が嫌いだ。ボクたちを捨て、家族を奪ったあんたたち人間が嫌いなんだよ」

「だから世界を滅ぼす側の役を演じるのにも抵抗がない?」

「そう。人殺しが正当だという大義名分を頂戴できるなら、そのほうが都合がいいからね」

 仮に途中でしくじって逮捕されたとしても、それが自分の役であると主張すれば極刑にはされにくい。裁判官の審議すら、役に従うのが公正であるからだ。

「兄さん。毒を調達するか、扱いに長けたお友達を紹介してほしい」

 グリフォンが鳴いた。知性を宿した瞳がルスニクスから私に向けられる。

 ――推し量られている。

「世界樹を腐らせる毒が欲しいの」

 甘やかな声が、するりと口をついて出た。

「私たち悪役にとって、どうせこの世は泡沫の夢だもの。面白おかしく災厄を振り撒いて、完膚なきまでに壊してしまいましょう」

 まるで私が私ではなくなったみたいだ。するすると紡がれる言葉には現実味が欠片もなくて、ちっとも思ってやしないことばかり。本当みたいに吐き出された無意味なそれに、グリフォンの眼光が強さを増す。

 動物は本能に優れると、昔何処かで聞いた。言葉を操らない彼らは人よりも遙かに感受性が豊かなのだと、そう教えてくれたのは誰だっただろうか。細かいところは覚えていない。覚えてはいないが、その知識は生きている。

「どう?」

 悠然と笑う私を見るグリフォンの瞳は、鋭利さだけを増していく。

 古びた知識が正しいのならば、きっと、見透かされている。私の真意がそこにはないことが、彼にはわかっていることだろう。

 しかし、その欺瞞の全てが嘘ではないことを、誰より私自身が知っている。

 世界を滅ぼすだけの悪意も、覚悟もあるのか怪しい私だけれど、恋を知るためにやれること全てをやってやるという気概は嘘ではないからだ。

 視線がぶつかり合うこと暫し。グリフォンが高らかに鳴いた。

「嘘なら食い殺してやるって」

「魔王を?魔物が?それはそれで面白い筋書きになりそうだけど、やめておいた方がいいよ。あなたがルスニクスたちの側に居続けたいなら、ね」

 仲間が心を許す存在の中身が入れ替わられては寝覚めが悪い。

 親切心から忠告を囁き、そう言えばとキニアと視線を合わせる。

「ボクは、ってルスニクスは言っていたけど、キニアは彼らの言葉がわからないの?」

「うん。なんとなく、は伝わる。でも、ルス、人の言葉の方がいいって」

 寂しげに言ったキニアが身を翻す。飛びつくように抱きつかれたグリフォンが雛鳥をあやすように頭を寄せた。

「拾った当初は人の世界に帰す予定だったんだよ。だから、わかりそうになったら遠ざけた。その繰り返し。結局ボクより獣らしくなっちゃったけどね」

 ルスニクスがぼそりと弁明を吐く。一人と一羽を見つめる眼差しはどこまでも温かい。

 彼らには彼らの積み重ねた時間がある。それを感じさせる台詞だった。

「毒、手に入りそう?」

 グリフォンからくすぐったそうに離れたキニアが首を傾げた。グリフォンが、くるるるる……っと高い鳴き声を喉の奥で奏でる。ルスニクスが顔を顰めた。

「遅効性か即効性か、どっちがいいかって」

「………………大樹のお膝元に即効性、残りの大多数に遅効性かつ発見されにくい毒とかはできる?」

「環境次第だね。魔物とはいえ、どこでも生息できるわけじゃない。あっちこっちに根を張る人間の方が異常なんだよ」

 一度大きな騒ぎを起こして一点に注意を向かせられたらと思っての提案だったが、そう簡単にはいかないらしい。

 魔物は繊細だと嘯いたルスニクスがグリフォンに近づき、手を伸ばす。

「とはいえ、魔王陛下の頼みだからね。多少は無理してあげるよ」

「貸しひとつ?」

「ふたつだよ」

 飄々とルスニクスは言うが、もうひとつに心当たりがなさすぎて困惑するしかない。彼らが配下役を全うしてくれることを貸しと表したのかとも思ったが、それに関して恩を着せるようなら先に嫌味ったらしく言ってきただろう。

 私がもうひとつの貸しとは何であるかを問うか迷っている間にルスニクスとグリフォンは身を寄せ合って相談をしていた。片や人の言葉で、片や鳴き声で成立しているのは何とも奇妙な光景だったが、ひとりと一羽の間にある強い絆を感じられて感慨深い。

「シャルディナ」

 ぼうと眺めていたら名前を呼ばれた。どうやら話がまとまったらしい。

「一応現地の魔物で毒性を持つ奴らに協力を呼びかけて仕込みをしてくれるってさ。遅効性は即日。即効性を仕込む日はボクが決めるよ」

「そうして。どうなっても責任は私がとるから」

「それは当たり前だね」

 小憎らしくなるほど生意気にルスニクスが鼻で笑った。その横で、恐る恐るキニアが手を挙げる。

「わたし、は?わたし、手伝えるよ」

「そうだねぇ」

 よしよしと頭を撫でながら、さてどうしたものかと首を捻る。

 初っ端からあまり派手に動くつもりはない。あれだけ大口をたたきはしたが、正直な話、世界樹の機能を腐らせるのも陽動が目的であって失敗するならそれはそれで構わないのだ。

 大事なのは、確実に、着実にこの世界に混乱をもたらすこと。最終的にシャルディナこそが世界の敵であると知らしめること。大胆不敵に動きすぎて最初から怪しまれたり相手の警戒を最大にまで引き上げてしまうのは本意ではない。

「キニアは何が得意?」

 視線に攻撃力があったなら刺し殺されていそうなルスニクスのきつい眼光を無視して問いかける。キニアが顔を輝かせた。

「夢!」

「夢?」

「うん。夢、何でもできる!」

 端折られすぎていて全く意味がわからない。

 ここは一番の理解者に聞くべきだと判断した私は通訳を求めてルスニクスに視線を投げた。

「キニアは夢を喰らえる」

 物凄く端的な説明が飛んできた。不親切すぎるものの要点は押さえられているであろうそれを元に脳内に検索をかけて一番近そうな答えを弾き出す。

ばくかな?」

「獏?」

「ああいや何でもない」

 どうやらこの世界にグリフォンは存在しても獏は存在しないらしい。不審そうに尋ねてきたルスニクスに何でもないと手を振って、キニアと視線を合わせる。

「悪夢を食べられるの?」

「ううん。悪夢以外も、食べる」

 それはなんて上位互換。そう言いかけて、思い直す。

 私が知る限り、獏の迷信は吉夢きちむを望む日本の祖先たちが悪夢を退ける存在として生み出した。本来の獏は夢を食べる存在ではなかったが、時代の変遷とともに都合よく脚色を加えていったのだ。

 そう、彼らは悪夢だけを食べる存在を求めた。初夢の概念が根付いていたからかもしれないが、叶ってほしくない夢を無くす存在として今日の獏を作り上げたのだ。

 その観点から考えるのであれば、吉夢まで食べるのは悪夢を見ることよりも恐ろしいのではないだろうか。

「夢を食べられた相手は、どうなるの?」

 生唾を飲み込んで問いを重ねる。キニアが得意げに胸を張った。

「死んじゃう!」

 さらりと放たれたとんでもない断言に息を呑む。

「死ぬ……?」

「ちょっと、勘違いされても困るから先に言っとくけど、さすがに一度じゃ無理だよ。三回ぐらい繰り返せばってぐらいだ」

「いやそれでもなかなかに凶悪ですよ……?」

 ルスニクス曰く、キニアはマナの力を用いて人に夢を見せ、その夢に干渉できるとのことだ。喰われた側は著しく精神エネルギーを消耗して衰弱し、やがて死に至る。一方キニアはと言えば夢を喰えば喰うほど彼女自身は精神エネルギーが満たされるらしく、健康的に過ごせるらしい。喰われた方の代償があまりに重すぎる力だ。えげつなさすぎて笑えない。

「ええと、うーん、そうだなぁ」

 とはいえこれを有効活用しない手はない。死人をぽんぽん出されても困るが、同じ人を立て続けにターゲットに選ばなければそこは問題がない。

 眠らずの街。夢に見放された土地。そういう場所を作ってアリステラの関心を引くのはどうだろうか。RPGお決まりの村人から解決を依頼される展開に持ち込めるのではないだろうか。

 思いつきの発想だったが、彼女に世界を救う存在としての経験を積ませるのにももってこいだと微笑む。

「じゃあ、少しだけ考えさせて。ちょうどいい場所を探すから」

「うん!」

 できるだけ安全圏にいてほしいであろうルスニクスの心を知らず、キニアが元気よく気持ちのいい返事をした。その頭をもう一度だけ撫でて、傾き始めた陽を見上げる。そろそろ頃合いだ。長居をしすぎては、迎えにくるであろう御者に心配をかける。それだけならまだいいが、アリステラたちに報告をされてはかなわない。

「連絡手段は」

「これを使うよ」

 端的に聞いてきたルスニクスに首元からかけたペンダントを見せる。繊細な鎖には、コノエから貰った指輪がぶら下がっている。結局そのまま嵌めるのは難易度が高かったのでペンダントヘッド代わりにしてみたのだが、人目がある所ではドレスの下に隠せるのでなかなかどうして勝手がいい。

 指輪型の転移魔法装置を見たルスニクスとキニアが顔を見合わせた。そして同時に首を傾げる。

「え、何?その反応?」

 どう見ても何かわかりませんとは違う反応に私は嫌な予感を覚えた。

 どうか外れてくれと切に願うが、世界は非情である。

「それ、ユリアナの指輪アーティファクト

「…………うそでしょ」

「嘘をつく意味がないね」

 嫌な予感ほどよく当たるとはいったもので、またしても出てきた名前に頭を抱える。

 ユリアナ。この名前の主がいったいどういう人物なのかはわからないが、魔王役であるシャルディナよりも早く四天王役に接触しているということは絶対に何かしら思惑があってのことだ。そうでなければさすがにおかしすぎるぐらい暗躍されている。

「………………どういう人か、聞いてもいい?」

「優しい」

「胡散臭い」

「いやどっちなの?」

 間髪入れず返ってきた真逆の感想に空を仰ぐ。妖精が耳元で忍び笑いを漏らした。

「本人に直接会ったほうがいいですよ」

「………………そーですね」

 それが気軽にできたら苦労しないと、ユリアナの事前情報を思い出して苦虫を噛み潰す。

 グリフォンの鳴き声が、蒼穹高らかに響き渡った。

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