第8話 忘却の地

 森の中を先導するように歩きながら自らの名をルスニクスと名乗った少年は、キニアの話に聞くよりずっと風変わりで、二面性があるように思われた。

 話した感じからしても、第一印象の通り年のころはキニアより二、三歳は確実に上だろう。肉付きの悪い体躯は華奢を通り越して不健康そのものだったが、緩やかに波打つようにして輪郭を縁取る濡れ羽色の髪と白い肌のコントラストが美しい。愛らしい萌黄の瞳は言葉の端々に滲む冷たさとは裏腹の柔らかな輝きを秘め、常に穏やかに綻んでいるようにさえ見えた。何よりも、その面差しに浮かぶ邪気のない、一転の曇りもない無垢な微笑みが素晴らしい。見る者の警戒を解く、まっさらな笑顔だ。アリステラが浮かべる笑みよりもはるかに純度の高い純真さを宿している。

 ……それが可愛らしい容貌を彩る仮面だと、いったい何人が気付けるだろう。初手で底冷えのする挨拶をされていなければ、コノエの真偽さえも見抜ける私とて騙されていたかもしれない。

 ルスニクスは大凡見た目から想像できる性格とはかけ離れた、何事にも斜に構えている印象を強く受ける少年だった。

 しかしそのギャップが、少年をより魅力的に、いっそう綺麗に見せた。いや、そんなに生易しいものではない。まさしく、コノエに求めた誘蛾灯の役目を果たしていると表現するに相応しい。お人形さんのように整った容姿を裏切る敵愾心にも似たその危うさに惹きつけられると言うのが適切で、しかし手を伸ばしたが最後、嘲弄の的になるのは想像するに容易かった。

 推測になるが、ルスニクスはキニア以外の人が嫌いなのだろう。それが生い立ちからくるものなのかはわからない。もっとずっと複雑な事情があるのかもしれない。こんな人気のない森の中で暮らしているのだから、嫌いを超えた感情を内包していてもおかしくはない。

 さくさくと草を踏み締める。目的地が近いのか、殿を務めるのをやめて弾むような足取りでルスニクスの横に並びに行ったキニアが微笑ましい。

「仲良く出来そうですか?」

 こっそりと妖精に耳打ちされ、肩が跳ねた。そう言えば、彼もいたのだ。静かすぎて最早存在すら忘れていた。

「キニアとは、まあ。ルスニクスも嫌いじゃないですよ、私は」

 あちらはどうか知らないが、キニアのために役割を背負ったまま運命に牙を立てようという気概は好感が持てる。ただ流されるままに役目を受け入れるのではなく精一杯生きようとする姿はとても人間らしい。

 そういったことをぽつぽつと囁く私に感化されたようで、妖精はルスニクスを凝視する。

「彼が、人間らしい……」

「……?」

「人間らしい方が好みですか?」

 一瞬、何を尋ねられたのかわからなかった。

「見てわかる通り、彼はキニア一筋です。スリルある恋愛に現を抜かして籠絡されるような可愛げも、愚かしさも持っていないでしょう。恋愛を知る相手としては不良物件に思えるのですが……寧ろその方が燃える、のでしょうか?」

「あの、妖精さん?」

「しかし、魔王が配下に醜く嫉妬……絵面的にもアウトなように思えます。それこそ、神子が手を下さずとも勝手に身内間で争って自滅しそうですのでできれば他の方を当たるのが良いかとは思うのですが。ああでも貴女の意思が一番重要です。恋を知る相手、ルスニクスにしますか?」

 虚をつかれている間にもああだこうだと言い募る妖精の口をそっと指で塞ぐ。とんでもなく失礼な言葉が飛び出していた気もするが、いちいち間に受けていたら身がもたない。冗談半分に聞き流して、徐々に話をすり替えていくのが吉だろう。

「あのですね。ルスニクスは全く私の好みではないですよ?」

 とは言え、放置していたらやばそうな誤解は解いておかねばならない。主に私の精神面と命の安全のために。

「恋をしたことがないのに断言していいんですか?」

 頭を振って指から逃れた妖精が胡乱げに問うてくる。

 やはり、と言うべきか、彼は私に恋を教えるために恋愛相手の候補者を探していたようだ。身近なところからなど節操がないとか、安直すぎるとか、諸々苦言は喉元まで迫り上がってきたが、どれも形にはならなかった。

 人ではない妖精は、人の心を解さない。妖精の常識を逸脱して寄り添ってくれはしない。

 何を語るにつけてもしたり顔でいるから勘違いしてしまいそうになるが、その言動は共感性に欠けるものが多かった。その証拠に、今に至るまで人外だと感じる場面は多々あって、感情がささくれだったのも記憶に新しい。だけどもそれが誠実さ故にもたらされるものだと二日に満たない短い付き合いでも理解していた。

 そう、妖精は律儀に約束を果たそうとしてくれただけだ。ルスニクスをその対象として見たのは、コノエの時と違って私が彼を嫌いじゃないと言ったせいだろう。一足飛びに恋愛候補にするなど情緒の欠片も考慮していないが、それもこれも妖精なりの善意で気遣いなのである。

「いいのです」

 どっと押し寄せる疲れは無視して、おどけた調子で返す。前をゆくふたりの背は、多幸感溢れるものだ。その間に入る私の姿を想像しようにも、形を成す前に泡沫の泡と弾け解けていく。

「たぶん、だけど。私は誰かを愛する人を見るのが好きみたいで、それを壊したいとは思えません。ブレーキがかかるみたいです」

 恋は知りたいが、その為に誰かの幸せを壊して奪おうとするほどの気概や熱意が生まれてこない。

 さぁっと吹き抜ける風に靡く髪を抑える。妖精が躊躇いがちに口を開いた。

「……これは世間一般の意見と言われるものですが、恋はするものではなく落ちるものだそうですよ。現に略奪愛という言葉もあります。ブレーキが壊れる日もくるかもしれません」

「うん。綺麗事を言った自覚はあります」

 ちろっと舌を出して、苦笑する。

「ごめん、全部言い訳。ルスニクスを異性として見れません」

「そう、ですか。では他に候補を見繕いましょう。愛するだけでなく愛したいと思えるようになるかもしれませんし」

 案を断られても前向きに検討する妖精に頬が引き攣った。

「…………根に持ってる?」

 愛されるのは勘弁だと告げたはずなのだが、何故彼は諦めていないのだろう。

「強がりじゃないですよ?私、本当に愛されなくていいんですけど」

「ええ。貴女の言い分は納得しています。ですが、それでは対価が釣り合わないと思いまして」

 異世界に来て、死ぬために魔王になれと命じられて、その対価として恋を知る。私的にはお釣りが来るぐらい対等な取り引きも、妖精視点では不平等らしい。人外らしく、人如きと天秤が釣り合わないのを笑い飛ばして気に留めなければいいものを。そう言うところがやけに人間味を感じさせて、優しくて、彼を憎ませてくれない。

 深々と息を吐いて、髪で妖精の姿を隠す。キニアとルスニクスに彼を紹介する気でいたが、

 黙々と足を動かす。目的地にはまだ着かない。どうやらキニアはルスニクスと話したくなって前に行っただけらしい。

 あとどれくらいだろうかとじりじり傾く太陽を見上げ、前を向く。

 敢えて妖精には言わなかったが、仮に私がルスニクスに一目惚れをしていたとしても、恋の成就に乗り気になったり狂ったりはしなかったと思う。

 ルスニクスは、例に漏れず私のことも好きではない。キニアとの関係が兄妹のようなものであること、血の繋がりはないこと、役割に関しては承知していること、好きな時に此処へ来てもよいこと、人目につかない道がたくさんあること。そう言ったことは話してくれるが、余計なことは全く口にしない。まるで不必要に言葉を交わすことすら忌避しているように端的に喋る。それでいてキニアが声をかければ柔らかな声音で会話に応じるのだから、私を好いていないと判じるのもおかしな話ではない思う。

 私に対する冷たさや素っ気なさは、運命が始動したことへの苛立ち半分、不愉快さ半分だ。八つ当たりと言ってもいい。私個人が直接何かを仕掛けたわけではないから理不尽さをほんのわずかに覚えたが、キニアと約束を交わしたという彼がその日を待ち望んでいたはずもないのだから甘んじて受けるのが年上の優しさというものだろう。

「着いたよ」

 だいぶ森の奥まで進んだところで、ルスニクスが足を止めた。ほら、と視線で示された先には大きな大木が天高く枝葉を伸ばしている。

「此処は?」

「忘れ去られた神秘の地。大樹フォルトゥナの聖域だよ」

「…………なんだかこう、いるのが場違いなような?」

「正しい認識だね」

 ふっと皮肉げに息を吐きだしたルスニクスが大樹を見上げる。

 大樹。それは遙か昔、世界樹の恩恵をより身近に感じられるようにと願った人々によって各地に植えられた世界樹の葉が成長したものだ。とは言え、大樹自体に特別な力があるわけではない。世界樹の葉から芽吹いたとはいえ、少しばかり他の樹より立派な程度である。しかし、元が世界樹の一部だけあって特別な樹ではあったらしい。世界樹の力の受け皿だといつからか伝わるようになったのだ。元が世界樹の一部であったから直接マナを受け取り還元してくれている、と。言わば世界樹を電波塔として、大樹はアンテナのような役割を果たしていると言うのだ。それ即ち、マナの供給をよりスムーズにできると言うことである。そのため大樹は神聖なるものとして扱われ、歴史書にその名を残した。今でも各地の有権者によって祀りあげられ、大切に保護されている。それが通例だった。

 しかし、と。目の前の大樹を見上げる。

 フォルトゥナ。それはラテン語で運命を意味したはずだ。異国の女神の名前でもある。祀りあげられることもなく、ただの木と同じようにひっそりと根を張る大樹に名付けられる名前としては御大層なものだ。

 なぜこの大樹は、人々から忘れられてしまったのだろう。アンテナの役目を果たせない、出来損ないだったのだろうか。

 だが、忘れ去られた聖域と言う神聖な響きのフレーズがその考えを打ち砕く。

 では時間の経過とともに自然に忘れられたのだろうか。それも考え難い。大樹は歴史書にも載るような重要遺産だ。痕跡一つ残さず人々の記憶から失われるなど不自然すぎる。

 出口のない迷宮に入ったことを知って、私は額を抑えた。

 いずれにせよ、おおよそラスボス的存在の魔王役が初期段階で訪れる場所でないことだけは確かだ。

「なぜ忘れられたの?」

 シャルディナの知識には存在しない大樹の名と聖域の存在に、意識せずとも声は硬くなる。

「信仰が古すぎるんだよ」

 対するルスニクスの声は柔らかい。慈愛すら感じさせる声色は、無知な生徒を導く教師のようだ。

「時の流れは残酷さ。どれだけ自分たちに恩恵を与えてくれるものであっても、それが目に見える形で成されなければ維持するのは難しい。人々は容易く神秘に疑念を抱き、忘却する。その結果の成れの果てさ」

 世界樹から直接放たれるマナと、大樹から供給されるマナ。経由に違いはあっても人々が享受するマナは同一で、どちらも視認することはできない。

 しかし、人々は先人からの知恵で世界樹が命とマナを司ると学んでいる。何不自由なく魔法を行使できるのが世界樹の恩恵であると教育を施されている。何より魔法科学の発展で発明された魔道具により、世界樹に近づくほど大気中のマナ濃度が上がることが周知された。

 一方で、大樹が世界樹の力を直接受け取り世界に供給していると立証できた人は実のところ存在しない。そもそも誰がその説を唱えたかすら後世に伝わっていないのだ。何となく、いつか誰かがそう言い出したと皆が知っていただけだ。大樹そのものに特別な力はないが、アンテナの役割を果たしていて、マナを供給してくれていると。

 大半の人たちはその常識を疑っていない。信じ、崇め、祀っている。しかし、不可視の事象に対して猜疑的になる人が出るのは魔法が存在するこの世界でも同じらしい。そういう人たちがこの地の大樹への信仰心を失わせる要因になっていたとしたら、フォルトゥナの名や聖域が忘れられているのはある意味当然の帰結と言えた。

「まあヤバイのは、王族がそれを先導した、ってことさ。ボクたちにとっては好都合だけど」

 ぼそりと付け足された補足に、最後に残った疑問という名の氷塊が溶けて得心する。

 そう、一般人がいくら声をあげようとも、王侯貴族が権威を持つこの世界で大樹の存在一つ消し去るほどの影響力を持つのは難しい。

 だが、王族が先導者となると話は別だ。教皇という例外はあれど、国において最高権力を保有する者が大樹はただの木であると主張してしまえば、反逆罪に問われたくない者は従うしかない。そもそも反論を唱えようにも、大樹がアンテナの役割を果たしていると証明する術がない。

 結果、この森林地帯にある聖域は大樹の存在ごと意図的に忘れ去られてしまった、と。どうやらそういうことらしい。

 その時代の王族が何を思ってそんな暴挙に出たのか知る術はないが、つくづく愚かな者だと呆れ果てる。同時に、それが彼の役回りだったのだとしたらと考えて、ろくでもない世界だと唇を噛んだ。

「あんたも知ってるだろ。全ての大樹は世界樹ユグドラシルにつながってる。各地に育つ大樹は、世界樹から送られるマナを大気中に解き放つ役目を負い、滞りなく生命が暮らせるようにするのさ。この世界を循環させる礎を作り出していると言ってもいい」

 私の様子など些かも気に留めず、立て板に水を流すような流暢さでルスニクスが話し終える。次いで、にたりと口元を歪めた。

「おあつらえ向きだと思わないかい?」

 主語のない、悪意が多分に籠った問いかけに私は口ごもった。

 急に水を向けられても正直困る。話の流れから魔王活動の一環としてすべきことを遠回しに進言されているのだとは察せられるが、具体的に大樹を利用する方法が何一つ思い浮かばない。シャルディナの記憶を探って方策を打ち出そうにも、アリステラのために精進していた彼女の知識に悪知恵に活かせそうなものはとんと見当たらなかった。

 だからと言ってお手上げですと素直に告白したら、ルスニクスに失望されるのは火を見るより明らかだ。

「おあつらえ向きね」

 ゆっくり復唱して、氷のように冷え切った萌葱を真っ向から受け止める。値踏みするような目だ。この世の全てを打算する者の目だ。到底少年と思しき年齢の子どもがする目ではない。

「ルスニクス。同じ考えが頭に浮かんでいるか、確認してもいい?」

「どうぞ」

「毒を以て毒を制するつもりでしょう」

 ルスニクスの目が嗤う。背筋がゾッとするほど酷薄な笑みに怯みそうになるのを堪え、負けじと睨め付ける。

「大樹と世界樹はつながっている。マナの流れは一方通行みたいだけど、逆流させられないとは証明されてない」

「……それで?」

「私なら、大樹から世界樹に働きかけて、世界樹の機能を腐らせる。そうしたらマナ供給を断てるし、この世界の根本を揺らがせられるでしょう?」

 フレンデリカの生活は、マナありきと言ってもいい。魔法科学の発展に伴って無機物にもマナを収容できる器が取り付けられるようになった現在、生活の利便性を高める家具に始り生産ラインを支える動力源にもマナが採用されている。地球では電気や石油などが支えていたような物にまで、マナがエネルギーとして使われているのだ。

 仮にマナを生み出す世界樹に異変が生じ、供給が失われたら人々の生活は遠からず崩壊する。

 言わば、マナこそ人が暮らしていく上で欠かせない生活必需品なのだ。

「私は魔王シャルディナ。その覇道の一歩に行う非道として、かなり相応しいのでなくて?」

 芝居がかった口調で言い切り、自信満々に胸を張る。背を伝った冷や汗は気にしない。余裕綽々の笑みを讃え、ルスニクスの反応を窺う。

「ボクの考えと一致しているか、だったね」

 たっぷりと嫌味を含ませた声でルスニクスがせせら笑う。だが、内心もそう面白がっているとは到底思えなかった。

 今彼の頭にあるのは、目の前にいる魔王役がキニアに有用であるか否かそれだけだろう。果たして、彼のお眼鏡に適っただろうか。

 無論、ビジネスライクな関係も嫌いではない。彼の求める基準に達せず腹の中を打ち明けられるような関係を築けなくとも、さして傷つくことなく付き合っていける自信はあった。

 とは言え、私も人だ。感情があって、心がある。失望されたくないと訴える一人前の自尊心を持っている。

 大親友になりたいだとか大それた希望は抱かない。せめて、最低限の信頼を得ておきたかった。

 しばしの間をおいて、ルスニクスが笑みを深めた。

「合格だよ。頭の回転は悪くないみたいだね」

 それっぽいことを言っただけだったが、どうやら満足してくれたらしい。

 身軽に大樹に登り出したキニアを気遣わしげにみつつ、ルスニクスが肩から力を抜く。可愛らしい顔立ちに似合わない保護者めいた雰囲気に思わず吹き出してしまった。きっと目つき悪く睨まれるが、そう凄まれても怖くない。声を立てて笑い出した私にルスニクスが疎ましげに息を吐き出した。

「ちょっと、気分悪いんだけど」

「ふふっ、そう言われても、可愛くって」

「かわっ……?」

 絶句するルスニクスを一瞥してから、目を丸くして成り行きを見下ろしているキニアに手を振る。ひらひらと遠慮がちに振り返された。

「だって、本当にキニアが好きなんだなって」

 色恋の話ではなかった。親愛の話でもなかった。肉欲を超えた穏やかな情愛への賛辞だった。

 しかしルスニクスには皮肉に取られたようだ。

「知った被らないでくれるかな」

 鋭く舌打ちをしたかと思えば、キニアに聞こえない程度の声量で毒づかれる。大樹の話をする前ならいざ知らず、それ以降のキニアに対する細やかな心配りを目撃している今、人慣れしていない野良猫が威嚇しているようにしか感じられない。

 彼はキニアを妹のようなものだと言ったけれど、どう見てもその枠を超えて愛している。恋人よりも深く、妻よりも激しく、見返りを求めない愛を向けている。

 彼が彼女に願うものがあるとしたら、それは生きていること。笑っていることだろう。その為になら艱難辛苦を乗り越えて、自分の持つ全てを擲てる。

 恋と言うには重すぎて、愛と言うには言葉が軽すぎる。

 魔王役を演じながら、恋を知るために彼らを見守るのも一興だ。

「………………ちっ」

 ルスニクスがもう一度舌打ちした。先ほどよりも鋭く響く音にキニアが枝から飛び降りる。

「ルス?どうしたの?」

「何でもないよ」

 ルスニクスが瞬時に柔らかな微笑みを浮かべ、敬虔な信徒の如き清廉さで不安げなキニアを宥めた。ほっと胸を撫で下ろす姿に私も微笑む。

「仲良しだね」

「うん。ルス、一番好き」

 即答だった。真っ直ぐに放たれた好意に此方が照れてしまいそうだ。

「ルスと離れたこと、ないよ。それぐらい好き」

「そっかぁ……素朴な疑問なんだけど、どれくらい」

 一緒にいるの、とは聞けなかった。ルスニクスが横からキニアの口を塞ぎ、人一人殺せそうな目で見上げてきたからだ。

「キミが知る必要のないことだよ」

 完璧な拒絶だった。有無を言わせない迫力に言葉が詰まる。

「うん。……うん。でも、いつか教えてくれたら嬉しい」

 かろうじて転がり出てきた言葉と声は、頼りない。

 しかし端々に滲んだ真剣さはルスニクスにも届いたらしい。目つきがほんの僅かに和らぎ、強固だった拒絶の輝きが揺らぐ。

「これは、私のわがままで、意地で、義務なの」

 どうして森林で暮らしているのか。いつから此処にいるのか。彼らの過去を知りたい。知って、彼らの抱える幸福や孤寂を掬い上げたい。魂の輪郭に触れて、仲間になりたい。同じ時を分かち合って、満たされたまま終幕を迎えたい。

 エゴと使命感の狭間にあるこの感情の名を何と名づけるべきか迷いつつ、そんなことはおくびにも出さず手を伸ばす。一瞬身構えられたが、ルスニクスは大人しく頭を撫でさせてくれた。キニアが間にいたせいだとは思うが、懐かない猫が少しだけデレてくれたみたいでむしょうに嬉しくなる。

「先に言っておく。私は、道連れを望まない」

「……………………」

 物言いたげにルスニクスの目が伏せられた。唇が戦慄いている。

「……………………無理だね。高望みだ」

「知ってる。配役に逆らえないのは歴史が証明してるし……それに、少し前に会ったコノエは死んでも構わないみたいだったから」

 道連れゼロはその時点で達成不可能な目標だ。

 笑えるでしょ?と私は自嘲気味に肩を竦め、二人の顔を彩る困惑に動きを止める。

「コノエ?って、誰?ユリアナ、じゃないの?」

「…………………………え?」

「ユリアナだよ。会ったんだろう、キミの熱心な信奉者さ」

 不思議そうに、怪訝そうに見上げてくる二対の双眸に耐えられなくなった私は空を仰いだ。

 ユリアナ。その名を今日だけで何度聞いただろう。顔も知らない、リボンの贈り主。存在だけをちらつかせる意味深な人。

 募る関心には目を瞑りつつ、そろそろと視線を落として二人に合わせる。

「私が言っているのはコノエだよ。今度また紹介するね」

 動揺から上擦った声に、察したらしいルスニクスが心底おかしげに嘲笑を浮かべた。自体を飲み込めずにいるキニアだけが、癒しだった。

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