第7話 本当の自分

 リディオ様はまっすぐこちらに歩み寄ってくる。

 彼は伯爵の手を不快そうに振り払う。そして、私の肩を優しく抱いた。


「レナに……俺の妻に何をしている?」


 伯爵は一瞬たじろいだが、すぐに取り繕う。


「これは――誤解なのです、リディオ様! 彼女にはこれまで、娘の代理役を努めてもらっておりました」

「代理だと……?」


 リディオ様の声が一段と低くなる。


「騙そうというつもりは、これっぽっちもございません! これには、致し方ない事情があったのです。娘は幼い頃より病弱でして……結婚式当日も、ベッドから起き上がることが困難な有様で……。せめて、式の間だけでも一時的に従者を代理にと判断したのです。しかし、それ以降も、娘はなかなか体調が戻らず、この日まで代理を立て続けることとなってしまいました」


 リディオ様は何も言わない。

 黙って、伯爵の言い分を聞いていた。


「ご説明が遅れてしまったこと、お詫び申し上げます。しかし、娘は今ではこの通り、回復いたしました」


 伯爵の言葉に、レルナディア様は得意げに胸を張る。


「ええ、そうです。もう十分、元気になりましたので。これ以降は、本物の私――レルナディアが、リディオ様の妻として、ここで過ごさせていただきます」


 リディオ様は静かにレルナディア様の顔を見る。すると、レルナディア様はうっとりとした様子で彼を見つめた。


「同じ顔をしているな。元より、この2人は似ているのか?」

「いいえ、リディオ様。その者――レナは実は魔女でして」

「魔女……!?」

「レナ、いつまで娘のつもりでいるつもりだ。いい加減、その不気味な変装は解きなさい」


 伯爵が冷たい声で言う。

 私は肩を震わせて……リディオ様から目を逸らした。


 本当の姿を、この人に見られたくない……。レルナディア様みたいに可愛くないから、きっと幻滅されちゃう。


 でも、伯爵の命令には従うしかなかった。

 小さな声で呪文を唱える。


 すると、綺麗な金髪は暗いベージュ色に変わった。顔立ちはパッとしない、地味な女。それが本当の私。

 身に着けていたドレスはそのままだから……せっかくリディオ様が贈ってくれた素敵なドレスだったのに。私の元の姿だと、着負けしちゃうね……。


 レルナディア様が私を見て、勝ち誇ったようににんまりとした。

 伯爵もこびへつらうような笑顔で、リディオ様に語りかける。


「この通り、魔法で娘の姿に変身させていたのです。これで、おわかりいただけたでしょう? その女は偽物。こちらにいるのが本物のレルナディアです」


 沈黙が落ちた。

 リディオ様の視線が私に突き刺さる。

 怖くて、顔を上げられなかった。


 ――レルナディア様と私を見比べたら、誰だって彼女の方が美しいと言うだろう。


 リディオ様も……妻にするなら、美しい女性の方がいいに決まっている。

 私なんて……選ばれるわけがない。


 心臓がずきずきと痛んだ。


 すると、リディオ様は静かに言った。


「……そうか。つまり、お前たちは――」


 底冷えするほどの声だった。伯爵がびくりと身を固くする。


「式の日に娘が体調を崩し、従者を“代わり”に立たせた。そして、そのまま何日も放置し、説明の義務も放棄し――俺が不在の間に、従者と本物をこっそりと入れ替えようとした。そういうことだな?」

「いえ、その、決して悪意があったわけでは……っ!」

「悪意があったかどうかは、この際、どうでもいい」


 リディオ様の声が低く落ち、空気が凍りついた。


「俺がこれまで一緒に暮らし、夜会に出席したのは彼女だ。そこにいる、話をしたこともない女ではない。レナが俺にとっての本物の“妻”だ」


 リディオ様は私の肩をぐっと抱き寄せた。

 その掌の温かさに、胸が苦しくなった。


 嘘……。私は信じられない思いで、顔を上げる。

 一方、レルナディア様は愕然としていた。


「な、何言ってるの!? リディオ様、あなたが結婚したのはこの私よ!!」

「だが、式の当日にも、この屋敷にも、君は一度も姿を現さなかった。俺の隣にずっといたのは彼女だ」


 伯爵がさっと顔色を青くする。


「しかし、その女は単なる使用人……! それも不気味な術を使う、魔女なのですよ!?」

「使用人だろうが、魔女だろうが、関係ない。彼女が俺の妻だ。彼女以外、俺は考えられない」

「で、ですが、正式な婚姻書には……!」

「ああ、そうだな。婚姻書には、伯爵家並び、伯爵令嬢である君の名が記されている。だが、それには契約不履行があった。こちらに無断で、別人を身代わりに立てるなど……。この婚姻は無効なものであったとして、後日、正式な異議を申し立てる」


 リディオ様はそう言い切って、私を抱き寄せる。


「俺は彼女と結婚する」


 伯爵は顔面蒼白になった。

 その横でレルナディア様が「どうして!? 何で何で何で!!!!」と癇癪を起こしていた。リディオ様もベティも彼女を見て、冷ややかな眼差しとなる。


 ベティが納得したようにため息を吐いた。


「……旦那様。『本物のレルナディア様』の悪い噂は、すべて本当のことだったようですね」

「そのようだな。おい、その者たちを屋敷から追い出せ」


 使用人たちが駆け寄ってきて、2人を拘束する。外につまみだされている間も、レルナディア様はずっと喚き散らしていた。



 ◇



 ――それから、数カ月後。


 リディオ様と私は、正式に夫婦となった。

 私の身分は平民なのに……。リディオ様がいろいろと動いてくれたおかげで、公爵家の承認も王家の認可も下りた。


 結婚式は静かに、けれど屋敷の皆に祝福されて、温かな雰囲気で行われた。


 一方、レルナディア様と伯爵家は、すっかり噂の的になっている。婚姻詐称と契約違反の罪に問われ、降爵処分を受けた。公爵家から多額の慰謝料も要求されて、大変なことになっているみたいだ。


 今も私は、公爵家の屋敷で穏やかに暮らしている。

 朝はベティが淹れてくれるお茶を飲み、リディオ様と一緒に庭を歩く。ブルースが私のためにと、新しく花壇も作ってくれた。


「レナ」


 振り向くと、リディオ様が立っていた。

 彼が私を呼ぶ声は、いつでも優しいから……少しくすぐったい。


「そろそろ昼食にしようか。ベティが今日は君の好物をそろえるのだと、張り切っていたぞ」

「はい」


 彼が差し出した手を、私はおずおずと握った。

 爽やかな風が中庭を通り過ぎる。


 私たちは並んで歩く。


 ずっと、聞けなかった言葉が喉に引っかかっていた。

 けれど今なら――勇気を出せる気がした。


「……リディオ様」

「うん?」

「本当に……私で、よかったんですか?」


 彼は少しだけ目を瞬いた。


「どうしてそんなことを聞くんだ」

「だって……私、令嬢でもなければ、魔女だし……レルナディア様みたいに可愛くもない。あなたの隣に立つのが、いまだに少し怖いんです」


 言葉にしてしまうと、胸が痛くなった。

 リディオ様は静かに私の頬に手を伸ばした。


「レナ」


 名前を呼ぶ声が、優しく響く。

 そのまま、彼の指が私の頬を撫でた。

 温かくて、心が震える。


「俺は、君だからよかったんだ。それに『可愛くない』なんて、そんな風に思いこむのはやめてほしい。君の笑顔は明るくて、可愛い。ずっと見ていたいと思った。あの日、本物のレルナディアと君が並んだ時も、すぐに見分けがついた。レルナディアの姿だから可愛いと思ったんじゃない。君の心が素直に表れた笑顔……それに俺は惹かれたんだ」


 胸がいっぱいになって、言葉が出ない。

 私は泣きそうになりながら笑った。


「リディオ様の隣にいられて、私……幸せです……っ」

「俺もだ」


 そう言って、彼は私を抱き寄せた。

 顔が近付いて、私は目をつぶる。

 唇が触れた。


 優しくて、温かい。

 長い間、『私なんて……』と思っていた暗い心がほどけていく。

 

「……リディオ様。大好きです」

「俺も君のことが好きだ」


 彼がほほ笑んで、もう一度、キスをした。

 その温もりに私は胸を震わせていた。


 ああ、やっと――この世界に、私の居場所ができたんだ。


 これからは、誰かの代わりじゃなくて、『レナ』として生きていくことができる。本当の私のことを見てくれる人たちがいる。


 それが何よりも幸せだった。




 終わり

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