第3話 動く二宮金次郎⑥
「二宮金次郎だ! 動いてる!」
日向葵が叫んだ。それにより、麦太郎たちも近づいてくる者の正体に気づく。
「走って!」
日向葵に言われ、麦太郎も百合香も走り出す。
最初は緩慢だった二宮金次郎の動きが、徐々に速くなってきた。
「もしかして、喧嘩するのがトリガーなのかと思ったら、やっぱりだった!」
走りながら日向葵が少し得意げに言う。それを聞いて、麦太郎は合点がいく。
「あれ、ガチの喧嘩じゃなかったのか……」
「そうです。『ショートコント・女子の喧嘩』です」
ニヤリを笑う日向葵を見て、麦太郎は驚くやら何やらで何も言えなかった。あれが本気の喧嘩でなかったとしても、打ち合わせなしでやってのけたのが恐ろしい。
だが、それよりも恐ろしいものがすぐそばまで迫ってきていた。
「日向葵、これから、どうすんの?」
息も絶え絶えになりながら百合香が問う。彼女は見た目の印象通り、走ることはあまり得意ではないらしい。というより、全力疾走でそこまでの距離を走れないのが普通だ。麦太郎もすっかり息切れしている。
「ノープラン! 何で、追いかけて、くるんだろ……」
日向葵の返答に嘘だろと叫びたくなったが、そんな余裕はなかった。呼吸もままならないのに、喋れるわけがない。
どうにか裏門が見えるところまで戻ってきた。あとはフェンスを上り切れば逃げられはするが、今回やってきた目的がまだ果たせていない。
「先輩っ、先にフェンス上って!」
「え?」
何を考えたのか、日向葵が叫んだ。そして、なぜか走るのをやめた。
不思議なことに、日向葵が走るのをやめると、二宮金次郎も動きを止めた。だが、ただの像に戻っているわけではなく、何かあればまた動き出しそうな雰囲気のままである。
「たぶん、二宮金次郎は私たちに危害を加えたり捕まえたりするのが目的じゃありません。先輩の小学生の頃の話を聞いて思ったんですけど、そんな気があれば足を怪我した人は逃げ切れなかったはずですよね?」
「あ……」
自分だけフェンスを上っていいものかためらう麦太郎に、日向葵は言った。彼女の指摘に、今まで自分が見落としていたことに気がつく。
「先輩、とりあえず安全を確保して語ってください」
「……わかった」
日向葵の作戦はわからないが、何か考えているのは理解できたため、麦太郎はフェンスを上る。
それから、語り始めた。
「──とある小学校には、二宮金次郎像がある。その像には噂があった。それは、夜中にひとりでに動き出すというものだ」
「わっ! 動くは動くんだ」
麦太郎が語り始めると、二宮金次郎はまた日向葵たちと距離を詰めようとした。どうやら、捕まえたり危害を加えたりする気はないのかもしれないが、動きを止めるつもりもないらしい。
日向葵は走り出し、二宮金次郎像と距離が開くと止まり、また動くと走り出すを繰り返していた。
それを見て何か法則性を見い出せないかと思ったが、やはり何もわからない。
だが、日向葵に焦った様子はないから、彼女に任せてみるしかないのだろう。
「その噂を聞きつけて、真相を確かめるために高校生たちが夜の学校に忍び込んだんだ。当然正門は閉まっているため、わざわざ裏門まで回り込み、フェンスを乗り越えて学校に侵入した。コの字型の校舎の中央に位置する中庭に、二宮金次郎像はある。彼らは二宮金次郎像の前までやってきたが、何も起こらなかった。そのせいで、口論に発展してしまった」
二宮金次郎はターゲットを完全に日向葵に絞ったらしく、ずっと追いかけっこを続けさせられていた。
百合香もフェンスのそばまで来てそれを見守っている。だが、日向葵がまだ安全圏にいないからなのか、落ち着かない様子で周囲を気にしていた。もしかしたら、夜の学校というシチュエーションに怯えているのかもしれない。
(いくら阿部さんが体力あるとしてと、ああやってずっと走ってるわけにはいかないよな。それに、武田さんのこの怖がりようも気になる……)
麦太郎は、早く結末に向けて語らなければと気が急いていた。
そのとき、日向葵が動きを止め、二宮金次郎像に向き直った。
「校長先生、ごめんなさい!」
突然の謝罪に、麦太郎は戸惑った。だが、すぐに彼女の意図を察する。
「その二宮金次郎像は、かつてこの学校で校長を務めた人物が寄贈したものだった。引退後、末期癌に侵された元校長は、かつて自分が校長を務めた学校に二宮金次郎像を贈ることに決めたのだ。……それは、死後も子どもたちを見守るために」
麦太郎がそう語ると、日向葵は両腕で大きく○を作ってみせた。彼女の意図を組めたとわかってほっとする。
「校長先生、夜中に学校に忍び込んでごめんなさい。喧嘩してご心配おかけしました。仲直りをしてもう帰るので、先生は持ち場に戻ってください」
「高校生がそう言って深々と頭を下げると、二宮金次郎像に通じたのか、その場で動かなくなった」
ひとまず二宮金次郎像を動かないようにしなければいけないと、語ってみた。すると、うまくいって動きを止めたから、その隙に日向葵はフェンスを上る。
口だけでなく、日向葵が本当に学校から立ち去る姿勢を見せたからか、向きを変えて二宮金次郎像は再び動き出した。きっと中庭に戻るのだろう。
「高校生たちの謝罪を受け入れ、二宮金次郎像は安心したようにもとの場所へと帰っていった」
麦太郎は、「これにて、おしまい」といつものフレーズを口にしようとして、考えた。
あの二宮金次郎像の由来について調べた際、もしかしたら悪いものではないのではと考えたのだ。
それに、現状まるまる良いものでなかったとしても、語ることで定義し、良い存在に変えることができるのではないか、と。
日向葵の行動によって、それは確信に変わっていた。
「亡き校長の思いがこもった二宮金次郎像は、これからも学校と子どもたちを見守り続ける──これにて、おしまい」
怪異じまいの決まり文句で締めくくると、場の空気が変わるのがわかった。
日向葵が安堵の息をつくのが聞こえた。
「よかった……無事に怪異じまい、できましたね。先輩も、小学生の頃の恐怖を克服したみたいでよかった」
一番大変な役を担ったのに、それを感じさせない笑顔でカラリと言われた。麦太郎は、その言葉にしみじみと感じ入る。
「怖いと思うだけじゃ語れないことがあるって学んだよ……ずっと引っかかってて、あの像の出自についても調べて、ただの恐怖の対象にしちゃいけなかったんじゃないかって思ってたんだ」
小学生のとき、結局うまくできなかったとはいえ、麦太郎はただ怪異を語ることで封じようとした。
だが、調べることで亡き校長の思いを想像して、ただ封じるだけでよかったのかという疑問が生まれていた。
「学校を守護する存在にしちゃうとか、いいじゃないですか。納得性があれば語りが怪異に影響を及ぼせるって、いいことだと思います」
「ああ、そうだな」
まさに自分が今回の件で感じていたことを言語化され、麦太郎はしみじみ日向葵のすごさを感じていた。
彼女と一緒ならば、これからの怪異じまいもうまくいく気がしてくる。
「……ねぇ、都賀先輩。この小学校って、二宮金次郎のほかにも怪談があるんですか? 七不思議的なやつとか」
無事にすんでその余韻に浸っていると、ふいに百合香が尋ねてきた。その不安そうな様子に、麦太郎も日向葵も首を傾げる。
「いや、特になかったはずだけど」
「どうしたの百合香?」
日向葵に聞かれ、百合香は少しためらう顔をした。だが、少し迷ってから口を開いた。
「……何回か、人影みたいなの見た。だから、動き出す人体模型とか、学校の怪談にあるあるのやつがほかにもいるのかなと思ってたんだけど……」
彼女が落ち着かないふうだったのはそれだったのかと、今ここでようやく理解できた。同時に、気づかぬうちに自分たちに危機が迫っていたのかもしれないと思い、背筋がゾクッとした。
「知らん知らん」
「てかそれ、普通に変質者かもじゃん? こわっ。早く帰ろ!」
何が何だかわからないが、それを確かめようとは思わない。調べるにしても、また後日のことだ。
慌てて学校から離れ、麦太郎は二人を駅に送り届けたのだった。
奇々廻怪〜怪談師・都賀麦太郎の怪異じまい〜 猫屋ちゃき @neko_chaki
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