第3話 動く二宮金次郎⑤
日向葵の不穏な呟きに、百合香がバシッと腕を叩いた。
「やめて。今からここに侵入しなきゃいけないのは確実なんだから、そういうこと言わないの!」
「ごめんごめん。……ここでうだうだ言ってても仕方ないから、さっさと入っちゃおうか」
友達が怖がっているのがわかったからか、日向葵はヘラッと笑って歩き出した。正門から入るのはやめたようだ。
「公立小だからか、カメラとかそういうのはない。でも、正門から入るより裏門からのほうが中庭には近いんだ」
「ですよね。先輩が小学生のときも、逃げるときは裏門に向かったっていうからそうかなと思って」
聞いていないようで人の話をちゃんと聞いているのだなと思って、麦太郎はひそかに感心した。
だが、それよりも日向葵が何かに警戒している様子なのが気になる。
「何か、気になることある?」
「いや……人がいないものなんだなって。土曜だから? それとも働き方改革?」
「土曜だから、かなぁ。教員たちの負担を減らそうっていう意識の高まりがあるから、遅くまで残ってないのかもな。ましてや土日なんて授業自体がないわけだし」
「スポ少の子たちもいない……好都合ですけど」
日向葵が疑問に思っているのがこの静けさに対してだとわかって、麦太郎はほっとしていた。
何となく、彼女はかなり感覚が鋭いと思っている。動物的な勘とでもいうのか。だから、そんな彼女がもし自分たちは気づいていない何かに気づいていたら怖いと思っていたのだ。
だが、どうやらそういうわけではないらしい。
「今は児童の数も減って、スポ少はほかの小学校の子たちも合同で、公園のグラウンドでやるようになったらしい。だから、土日の学校に用がある人間も減ったんだろうな」
「なるほど」
話しながら裏門に到着して、日向葵はためらいなくフェンスをよじ登っていく。
昼間は開放されている観音開きのフェンスの扉の中央は鎖でぐるぐる巻かれ、それを南京錠で施錠してある。
だからなのか、日向葵は扉の部分をのぼって敷地内に侵入したあと、「こっちのほうが揺れにくいかも」と、扉ではない部分に百合香を誘導していた。麦太郎もそれに続く。
気配がしないだけでなく本当に誰もいないようで、そこからは何にも阻まれることなく中庭に向かうことができた。
コの字型の校舎に囲まれた中庭に、昔と変わらず二宮金次郎はいた。
「到着したわけですが……動きませんね」
しばらく警戒するように黙って二宮金次郎を見つめていた日向葵だったが、やがて困惑したように呟いた。
「先輩、当時何をやっていたら動き出したとか、そういうきっかけはありましたか?」
「気づいたときにはすぐそばまで来られてたからな……強いて言えば、口論の声がうるさかった、とか?」
当時のことを整理しようと何度も思い出そうとしてみたのだが、これまでしっかりと思い出せたことはなかった。何せ小学生の頃、恐怖に支配されていたときの話だ。
「それだけ? 誰か勢い余って金次郎の頭をしばいたとかは?」
「そんなこと、するわけないだろ」
「ですよねー。んー……」
ヒントがないとわかり、日向葵は困ったように腕組みしていた。
だが、やがて何かをひらめいたのか、百合香に耳打ちする。
すると、なぜだか突然、百合香が怒り出した。
「なんで私がそんなことしなくちゃいけないわけ? 大体日向葵、いつだって人任せなのよ!」
日向葵が何か無理難題を吹っかけたのか。百合香は烈火の如く怒っていた。普段のクールな彼女からは想像もできない怒り方だ。
そんなふうに怒られたら日向葵は怯むかと思ったが、友人の怒りにこちらも思うところがあったらしい。
「そんな言い方しなくたっていいじゃん! どっちかがやるってなったら、百合香のほうが適任かなって思っただけだし」
どうやら日向葵は、百合香に何かをするよう指示したようだ。それを断られ、怒り返している。何を頼んだのかわからないが、人に何かを頼む態度ではない。
「そういう言い方、ずるくない?あくまでもこちらを持ち上げておいて、『百合香のほうが得意だから』とか『百合香ならうまくできるから』とかさ、押しつけるための口実じゃん」
「そういう言い方はよくないよ! この役目をやりたくてもできない人がいるんだよ? そういうこと考えたことある?」
「いやいやいや……それ、面倒なことを他人に強いるときに使われる言い方じゃん。誰もやりたがらない係とか委員とかを先生が指名して、指名された子が嫌がったら『やりたくてもやれない人がいるってことを考えましょう』とか言うやつ。じゃあやりたがってる人にやらせろよって話でしょ」
本当に、一体何を言ったらこんなにキレさせるのか。美少女の本気で怒る姿は迫力があって、怖い。
日向葵も退けばいいのに、彼女は彼女で真っ向から自分の意見を押し通すつもりらしい。
彼女たちと関わるようになって、はたで見ていて本当に仲がいいのだろうなと思っていただけに、麦太郎は女子二人の喧嘩にショックを受けていた。
だが、自分が今回の件に巻き込んだことで二人の仲がこじれるのはあってはならないと、意を決して止めに入る。
「なんで喧嘩してんの? やめなよ! 突然すぎるだろ」
なんと言って止めたものかと悩んで、ひとまず声をかけてみた。
すると、バチバチにお互いに火花を散らしていたはずの二人の視線が、麦太郎に注がれる。
「先輩のそういう姿勢、よくないと思います! 傍観者というか、『ま、俺は関係ないんだけど』みたいな」
「そうですよ。当事者意識ってものが足りないんじゃないですか?」
「え、ちょ、待って……」
二人は目配せすると、今度は麦太郎に掴みかかってくる。後輩女子二人の怒りは、なぜか麦太郎に向けられることになったらしい。
「なんだよ、いつもスカした顔しやがって!」
「美少女にも動じません、みたいな顔がムカつく」
「なんだ、この重め前髪は! 米津玄師のつもりか!」
「レモン!」
「パプリカ!」
肩を揺さぶられ、よくわからない罵り言葉をぶつけられ、麦太郎は混乱していた。
だが、しばらくどうしたらいいかわからぬまま後輩二人に詰められていると、視界の端に動くものをとらえた。
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