第7話 焼肉じゅ~じゅ~亭

 サガリの実家である焼肉屋は、公園から徒歩数分の距離だった。


 繁華街ではなく、住宅街にあるのが意外だ。芸能人が出す店って、もっとギラギラした感じかと思っていた。

 数台分の駐車スペースを構えた店は、ファミリー向けの雰囲気がただよっている。建物も普通の住宅を改装しているようで、住宅街によくなじんでいた。

 店舗部分は一階だけらしく、看板の上には、普通の住宅サイズの窓が並んでいる。三階建ての住居の一階を店舗スペースにしているんだろう。


「『じゅ~じゅ~亭』……」


 視線を二階部分の窓から看板へとおろして、読み上げた。

 つるつるした赤い板に、黒い字で店名が書かれていた。薄くなるたびに塗り重ねられたらしく、フォントの縁ががたがたに歪んでいた。


「違う。よく見てみ? 『町屋ウィキ一番の明明白白めいめいはくはくうまい店 じゅ~じゅ~亭』だよ。上に書いてあるだろ、薄くなってるけど」


「へ? うわ、ホントだ。明明白白めいめいはくはくもギャグかなにか?」


「いや、親父のギャグは『曖昧さ、回避!』一本だよ。それしか知られてないってだけで持ちギャグ300個あるとは言ってたけど。明明白白は、曖昧の反対だからだってさ。うまさが曖昧だったら困るからって」


 なるほど。

 説明されたら分かるけど説明されないと分からないな。店名としてどうなんだろう、と偉そうなことを考えてしまう。


「……それにしても上の部分の字薄すぎない? 全然塗り直してないね」


 看板を見上げたまま言うと、隣でサガリが「うーん」と喉の奥を鳴らすみたいにして唸った。


「看板の塗り直しも親父が自分でやるんだけどさ、いつからかなー、塗らなくなったんだよ。上の芸名のとこ」


「ああー、なんか、聞きにくいねそれは。聞きにくいやつだ」


「ま、実際聞いてみたら、めんどくさくなったとかそんな理由かもしんないけどな! じゃ、入るぞ」


「あ、え、あ」


 正直なところ店の前まで来たところで、急に緊張し始めていたわけで。

 どうでもいい会話で、入店までの時間を引きのばして心の準備をしていた途中なんだけど。サガリはそんなこと関係なく、さっさと店の正面のガラスドアを開けてしまった。

 まあサガリにとっては自分の家だもんな。


 ドアを開けたときに『準備中』と書かれた札がカランと鳴る。即座に、「帰ったら、挨拶!」という男の人の声が店内からびりびりっと響いてきた。


「挨拶は人間の基本! って何度も言ってんだろうが!」


 威勢のいい声量に押し戻されそうになる。

 さすが元芸人、腹から声が出ている。ていうか、そうか。ごちそうになるということは、何だか屈折してそうな親父さんと顔を合わせるってことでもあるのか。


 友達付き合いというものにうとすぎる僕は、ここにきて初めてそれに思い至った。

 気まずい。帰りたい。帰っていいかな。

 そう思って入口で留まっていると、サガリが親父さんに応酬する声が聞こえてくる。


「うるっさいなー。今日トモダチ来てんだけど」


「どうせチャラついた奴らだろ! 食うなら金払えって言っとけよ!」


 ……帰ろうかな。歓迎されてないっぽいし、店にはいい匂いが染みついていて、肉を食べたい気持ちは高まってる。けどあの親父さんは怖い。

 そう踵を返しかけたときだ。


「ちげーって、大樹たいじゅはチャラついてなんかないし、俺に勉強教えてくれんだよ! な、サガリ!」


 と声を掛けられてしまったものだから、退路を断たれてしまった。


「は、初めまして。サガリ君のと、友達の牛頭 大樹ごず たいじゅと言います。お邪魔します」


 仕方ない。

 挨拶をして店内に足を踏み入れた。


 床のぬるつきでまず滑りそうになる。焼肉屋の床ってこんな油っぽいのか。僕のうちは外食をほとんどしない家だから、不思議だ。


 カウンターの奥のサガリの親父さんと目が合う。

 サガリの親父さんは、サガリに似て細身の長身に、涼し気な目元をしていた。

 スーツの方が似合いそうで、イメージとは大分違う。焼肉屋の親父さん、元一発屋芸人、それにさっきの怒鳴り声。それらが全部似合わない顔だった。


 その親父さんが、僕の挙動をじいっと見ている。ぬるぬるの床にバランスを崩しかけたのも見られているだろう。失礼に取られなかっただろうか。

 手にずっと肉切り包丁を持っているから怖いんですが……。


 ふと気配を感じて隣を見ると、いつの間にか傍によってきていたサガリが腕を組んで誇らしげにしている。とんでもない親父さんに会わせてくれたな、と視線で文句を伝えようかと思ったときだ。

 

「牛頭……大樹君か。大樹君、好きなテレビ番組とか、アイドルとか、芸人とかいるのか?」


 急な質問を投げられた。

 何を測られているのかは分からないが、何かしらは測られている。元一発屋芸人だというから、お笑いのセンスとかに厳しいのだろうか。これ何? 面接? 肉を食べるための?


「え、あ、ええと……」

 

 言葉につまって思わずサガリを見る。なのに奴は、ニヤニヤしながら頷くだけ。なんだその、自信持っていけ! 的な動きは。僕のコーチか何かか?

 結局、僕は正直に答えることにした。


「すいません、テレビ見ないし、普段誰とも喋らないんで分からないです」と。


 サガリの頷きがさらに大きくなったのが気に食わなかったが、少なくとも失敗ではなかったらしい。それは、親父さんの表情からも分かった。

 

「ああ、そうだな、大樹君は勉強が出来るそうだから、そうだよな。テレビなんか見ないか! おいサガリ! ボーっとしてないで二階のリビングに案内しろ! あとで適当に飯持ってってやるから!」


 親父さんの言葉に、サガリはひゅーぅと口笛を鳴らす。

「返事しろ!」とキレられてもどこ吹く風だ。


「じゃ、行こうぜ大樹。自習だ自習」

 

 肩を組んで引っ張られるまま、奥の階段へと歩を進める。

 親父さんが立っているカウンターの前を通るときに、ダメ押しで「お邪魔します」と頭を下げると、親父さんは真面目くさった顔で頷いてくれた。

 




「やったなあ、さっすが大樹じゃん! 親父に気に入られてたぞ。そんな気はしたけど」


「そんな気はしたって何?」


「親父さあ、バラエティやら芸人やらの話になると、アツくなっちゃって議論になんの。だから何も見てない大樹とはぶつかりようが無い。むしろ見どころがある。毒されてない。俺色に染まるかも。くらいは思ってるね」


「そんなことある?」


「あるある。そのうち生の『曖昧さ回避』見せてもらんじゃね?」


「それは遠慮したいな。……で、肉に釣られて来たわけだけど、肉が出てくるまでは何したらいいわけ? ほんとに勉強でも教える? 君バカそうだよね」


 リビングの椅子に勝手に腰掛けようとすると、「あ、待て待て」と声が掛かる。


「ブレザー、土ついてるだろ。俺もだけど、軽くベランダではたいてくるから、貸して」


 とサガリは見た目に合わないマメさを見せてきた。

 

「なるほど。挨拶の口上は取りつくろえるけど、常識は無い。友達がいないとこうなるのか」


「別にそんな真面目に反省するもんでもないって。俺んち商売やってて忙しいし、母さん今別居中だからさ。俺にママみが出ちゃってるだけ」


「ママみって……」


「だめだぞ、バブりたい気持ちは分かるが俺は友達にバブらせる趣味はないからな」

 

「ずっと意味わかんないよ」


 なんだか疲れた、と思いながらサガリにジャケットを渡す。

 そういえば靴下に穴空いてなかったか? とか、臭いのでは? とか気になって足裏をさり気なく確認する。


「あ、悪ぃ。スリッパ出してなかった。普段うちにスリッパ履くやつ居ないから忘れるんだよな」


「いやいい、いい。自分の靴下に自信が無くなってただけだから」


「はは! どうでもいいよそんなの。俺らの靴下なんて全部同レベで腐ってるでしょ。ヘドロだよヘドロ」


 そう言いながら、サガリは僕のジャケットと自分のジャケットを持ってベランダへつながる大きな窓を開ける。

 外はすでに日が傾き始めていて、そんな中でパンパンと音をたててジャケットを叩く音が聞こえる。ワイシャツ姿のサガリの大きな背中が見えて、こんなたくましいやつにバブみ? とかいうものを覚えてたまるかと思うと、少し可笑しくなってくる。


 家族より先に着席していいのかわからず突っ立っていると、ふいにサガリが振り向いた。

 目が合って、「何笑ってんの?」と声をかけられる。どうやら頬がゆるんでいたらしいと気づき、僕は恥ずかしくてうつむいたんだ。


 そのときだった。


「いらっしゃい。おにいなにしてんの、お客さん立ってんじゃん」


 大きなおぼんを両手に持った小学生くらいの女の子が、リビングのところに立っていた。

 サガリを『おにい』と呼ぶからには、妹なのだろう。

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明日、僕らの恋心を埋めに行く。 髙 文緒 @tkfmio_ikura

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