5.従軍カメラマン
ファンジャ江を防衛していた教国軍第一〇三師団は、港の陣地を放棄し退却していた。
従軍記者用トラックの荷台に乗るヨヌサは、地平線の彼方まで広がる田畑を見つめていた。
ヨヌサは教国の大手新聞社『セイント新聞』に務める記者だ。新聞社からサゴ市防衛戦の取材を依頼され、写真班の仲間とともに戦場へ向かい、教国兵たちの活躍を写真に収めていた。開戦を期に国民の帝国に対する敵愾心を煽り、戦意高揚を促す報道の需要が高まった今、記者たちは戦争の取材に追われていた。
太陽の輝きが増し、一気に気温が上昇して汗が噴き出てくる。ヨヌサはタオルで顔の汗を拭い、後ろに連なるトラックを見た。
(ひでぇもんだ)
各トラックに負傷兵がぎっしり敷き詰められている。生臭い血臭が風に乗り漂ってきて吐きそうだった。防衛戦で大損害を被った師団は、壊滅状態に陥っていた。退却し後方部隊に合流しても恐らく使い物にならないだろう。
ヨヌサは負傷兵たちから目を逸らし、紐で綴じた四百字詰め原稿用紙に万年筆で文を綴る。
『帝国兵であり聖教徒のティエンシー君(仮名)は、我が軍民虐殺の最中に投降した教国兵三十名を救助し、軍に帰還させた』
(キャプチャの書き出しはこれでいいか、うん)
ティエンシーとは教国語で『天使』という意味だ。仮名にしたのは、万が一帝国の情報機関が雑誌を入手してラルヴァ君の名前を知り、彼を逮捕させないためである。
隣に座る従軍記者仲間のフォン・ソルがヨヌサに訊いてきた。
「なぁヨヌサ、ラルヴァ君の写真を雑誌に載せてどうするつもりだ」
「戦場で軍民を助けるという人道精神を示したラルヴァ君は、和平ムードを広げるための宣伝道具として使えそうだ」
「和平ムード? とぼけるなよ、帝国に対する増悪で教国民が怒り狂っとるこの時に?」
「教皇陛下は世間とは反対に平和活動を行っておられる」
聖教教会の頂点に立つ歴代の教皇は、平和のための奉仕活動をしていた。特に十年前の司教選挙で選ばれた現教皇「聖ハインリヒ・パウロ・セインティウス」は、歴代の誰よりも平和への貢献が飛び抜けて高かった。とある国で戦争が起きれば飛行艇で向かい、和平交渉に介入する。戦争で教国に逃げてきた難民を快く受け入れ、多額の献金を使って難民キャンプや医療機関を設置する。
戦争が始まった今、教皇は増悪に燃える世間とは反対に国盟に和平交渉を促していた。
教皇は世界を代表する平和主義者であり、聖教徒であるヨヌサは彼を崇めていた。
「俺もあの方のために、和平ムードを広げる手伝いをしたいのさ」
「敵が人助けをした、なんていう記事がこのご時世に共感を得られるとは思えんが」
「ラルヴァ君は敵である前に、神に仕える聖教徒だぞフォン」
「企画、ボツにされそうだがなぁ」
フォンはため息をつく。ヨヌサは人差し指と中指を立てて言った。
「写真とペン、この二つで世論を変える奇跡の力を俺らは持っているんだ。昔、戦争で怪我をした孤児の写真が大手新聞社の雑誌に乗って注目を集め、たくさんの難民救助基金が集められたことがあったろ? ラルヴァ君の写真もきっと何かしら世間に良い影響を与えるはずだ」
ヨヌサは風に流れて漂ってくる負傷兵たちの血臭に顔をしかめた。このまま戦い続ければ無駄な血が流れ続けるだけだ。
「戦争が長引けば、教国は負ける。生まれたてほやほやの弱っちいこの国に、ほとんど勝ち目はないからな」
現在の教国はたった三十年前に設立された赤ん坊のような国である。今の教国と教国軍を創ったのはロンジエ・シャオという一人の偉大なる教国人だ。ロンジエは現在、君主であった教皇に代わり教国政府党を設立して国を統べ、教国軍の元帥も務めている。
一九〇〇年代、教皇がまだ君主であった頃の教国は、小国を植民地化して肥える周辺大国に侵略されていた。勝手に侵入してきて負けさせ、停戦協定を結ぶ際に領土をたくさん寄越せと要求し、そこに鉄道だの外国人租界だのを築いていく。更に各大国は、教国中に割拠する軍閥に金をばら撒き町や村を襲撃させるなどもしていた。
教国軍の前身であった教皇軍は各大国と軍閥、内と外の二つの勢力に阻まれ、苦戦を強いられていた。戦えば戦うほど莫大な軍備を消耗し、元帥の教皇から重税を強いられる平民、農民の生活は破綻するばかり。貧しい農村では餓死者が増える一方であった。
飢え死んでいく民を救いたいと願った者たちが民兵や義勇兵を募って革命軍を結成し、外国軍と軍閥との戦いに励んだ。
修羅の戦乱時代に突如現れた寵児が、ロンジエ・シャオだった。シャオの出版した手記によれば、彼は農民出身で重税による飢えに苦しむ幼少期を過ごした。小等学校で高い成績を修めて中等学校に入り、政治学や社会学の勉学に励み、この国を変えたいと望み始める。その学校で国家革命を望む革命軍に所属する学友と出会い、国のために戦う意志を固める。卒業後は軍官学校に進み、軍人として戦場で戦い続ける。
戦いに勝って各軍閥を吸収し強化されていく革命軍は教皇軍と共に、次々と外国軍、敵対軍閥を討伐していった。ロンジエは十年以上の長い戦場生活で高い戦績を修めて出世し続け、四十代にして将官に登り詰めた。
ロンジエは革命軍を指揮して、一九一〇年には外国軍、多くの軍閥を壊滅させた。侵略していた各大国を追い出し、停戦後には憲法が作られて、立憲君主制国家の新生教国が建国される。
教皇は教皇庁で世界中の聖教徒を束ね、ロンジエは教国民党を結成し政治と軍事の両方を務めることになった。教皇軍と革命軍は編成され、現在の『教国軍』が誕生した。
今の教国が創られたのは、たった二十年前の出来事なのだ。それゆえ政治も軍事もまだまだ未熟だった。
教国軍は全国各地に『戦区』という管轄区間を設け師団本部を配置したが、軍閥がまだ残っている多くの封建的地域は、戦区に取り入れることができずにいた。また革命軍が元々義勇軍や民兵の集まりだったので軍法、軍需、戦略、戦術の整備も不十分であり、教国軍の軍規、練度は酷いものだった。
そんな状態で強国との大戦に踏み切ってしまった。
何が天下のロンジエ将軍だ、クソ食らえとヨヌサは心の中で吐き捨てる。
このままでは教皇軍の時のように軍備がかさ張り、再び市民らは重税で窮困に陥って暴動が起きるだろう。今は軍民共同戦線というスローガンで国民の一体化と戦意高揚を煽っているが、それは時間が経てばきっと弱まっていく。市民を巻き込まなければ成り立たない弱軍が民衆の支持を失えば、あっという間に教国軍は崩壊してしまう。
教国党内でも崩壊の兆しが見えていた。報道仲間が入手した情報によれば、開戦を期に反ロンジエ派が次々と増えて親帝に鞍替えし、帝国の占領地の傀儡政府に務める者が続出中だという。ロンジエが勝ち目のない大戦争へ踏み切ってしまったがために、党員の信頼はガタ落ちし離党が相次いでしまった。
国盟会による和平交渉も、両国が中々条件を呑めず延滞している。帝国の同盟国も飛び火を嫌がってか仲介には非協力的である。そうしているうちに帝国と教国の市民は無駄な犠牲を強いられる。
教国はまさに多勢に無勢だ。残る最後の手段は、国際世論を味方に付けるである。それが実現すればボイコットなど経済制裁が発生し、帝国を世界から孤立させることができるだろう。だがあくまで希望的観測でしかない。
(それでもだ。一縷の希望を掴むのだ)
神の国は来たれり 喉飴かりん @zetubousan
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