消えない灰

kou

消えない灰

 小学生の白鳥しらとり聖奈せいなは自宅の鏡を見て愕然とした。額にある十字の跡を見つめながら、彼女は言いようのない不安に駆られた。

「何これ……。ただの灰のハズなのに……」

 石鹸で顔を洗うものの、それでも額に残る跡は消える事はなかった。

 学校を休みたいと母親に相談するものの、そのうち消えると言って取り合ってもらえなかった。

 聖奈は前髪を額にかけて誤魔化すことにしたが、通学路や廊下ですれ違う人の視線の動きから隠しきれていないことは確かだった。

 教室に入った途端、周囲から視線が集まる。最初は気にする事の無かった白鳥だったが、徐々に視線が奇異なものであることに気付く。

 聖奈は物静かな女の子だ。

 教室の一番後ろに自分の席を持って、誰とも関わらず、いつも本を読んでいるイメージがある。

 一人でいることが多く、あまり友人も多い方ではない。

 ただ、たまにぽつりと会話に参加することもあるのだが、どうにも人付き合いが苦手な様子があった。

 いつもと変わらない日々だったハズだが、その日はクラスでざわつきがあった。なぜなら聖奈の額にある十字の跡が密かに話題になっていたからだ。

「タトゥーみたいだな」

 心無い男子の一言は聖奈を傷つけた。

 普段目立たないように過ごしていた聖奈にとって、それは苦痛だった。

 昼休み、聖奈は図書室に逃げ込んだ。

 すると、同じクラスの男子・佐京光希がそっと近づいてきた。

「白鳥さん。それどうしたの?」

 突然話しかけられて聖奈は驚いた。

 彼は誰にでも優しく接するが、どこか冷めた瞳で聖奈を見ている気がした。それでもクラスメイトということもあり無視するわけにもいかない。

 聖奈は少し戸惑った後、事情を話した。

 聖奈の家はカトリック教徒の家系で、毎年「灰の水曜日」には教会で灰で額に十字を受けるのが習わしだった。


【灰の水曜日】

 カトリック教会、プロテスタント教会で定められている風習。

 復活祭の日から6週間半前の水曜日に行われる。この日、教会では枝を燃やした灰で額に十字を描く。

 「灰を受ける」とは、自分が弱い存在であり、神様の助けを必要としている、悔い改めているということを表す。


 聖奈は教会を出た後、額の十字を拭ったのだが、なぜか灰の跡がなぜか消えなかったのだ。

 光希は考え込んた後、こう言った。

「もしかして、神様が何か伝えたいのかも。その灰は、白鳥さんにとって大切なものを考える為の印かもしれないよ」

 聖奈はその言葉を受けてハッとした。確かに彼女の心は、自分の存在に対して不安で一杯だった。

 自分はここにいて良い存在なのか?

 誰かを助けてあげられるのか?

 家族に迷惑をかけているのではないか?

 そんな事を考え、その日から、聖奈は少しずつ周囲の意識に目を向け始めた。

 クラスメイトが部活で悩んでいるのに気付き、さりげなく声をかけた。テスト勉強で困っている友人には自分のノートを貸した。

 やがて聖奈の額の跡を見ては最初は冷やかしだったクラスメイトたちも、やがて彼女を受け入れ、良き友人になっていった。

 聖奈は自分が変わったことで、周囲の人間関係が変わり、自分自身も成長し始めたことに喜びを感じた。

 それから1週間後の朝、聖奈は鏡を見て驚いた。額の灰の跡が、まるで初めからなかったかのように消えていたのだ。

「消えた……」

 しかし不思議と喪失感はなく、むしろ前向きな気持ちになれた。

 その事をクラスメイトに話すと皆は驚いたが、光希だけは静かに微笑んでいた。

 ある日のこと。

 聖奈は光希と二人きりで会話する機会があった。

「うん、やっと分かった気がする。あの灰は、私に気づいてほしかったんだと思うの。自分が誰かの為にできることを」

 その日、聖奈の中には新しい自分がいた。

 弱いさを抱えたままでいい――それが、彼女の強さになったことを感じ取っていた。

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