誰かの日常という名の世界

「そういやどこ向かってんだ?」

「当初は仙台に行く予定でしたよ」

「日帰りで?」

「まさか。一カ月は滞在するつもりでしたよ。そこで仕事ついでに『エンゼル様』を探す予定でした」

「過去形だらけだな」

「ええ、まさか譲夜さんが手ぶらで出勤されてるとは夢にも思いませんでしたから。紙一枚読み切れないなんてびっくり仰天! でした」

「昨日の今日でバカンス長期出張の準備なんざできねえよアタシは」

「本来なら一月以上前には告知されてるはずなんですが」

「そしたらここにはいなかったんだがな」

「でしょうね。社長さんのファインプレーです」

「そしたらどこに?」

「適当なゴーストタウンです。関東でも担当が振られてない地域がありますから、そこで新人研修です」

「そんな地域があるのにわざわざ東北に?」

「エナリバイヴ側の所用もありますから」

「天下の国家公務員様が副業か?」

「公私混同と言ってください。実家の所用なんですから」


 折紙らを乗せたバンは農村を抜け、広い国道へ出た。そのまま道なりに走りながらチェノワは周囲を見渡す。枯れた街路樹と生え散らかした雑草が町に寂しさを彩る。シャッターの降りた店もドアが割れたままの店も今となってはありふれた日常だ。

 適当な一軒家に当たりを付け、その駐車場に慣れた様子で駐車した。


「今回はこの家で作業しましょう。あ、帽子は返してください」

「その耳隠したらデコイにならねえだろ」

「天下の国家公務員様の仕事が優先です」


 とか、そんな話をしながら二人は準備を進めていく。折紙が荷台から道具を降ろし、チェノワが鍵を開けて玄関を開け放つ。何年も澱みカビの肥えた空気が溢れ出た。

 チェノワは折紙の元へ戻り、出された道具に目をやる。


「私服に臭いが付くのは気になりますか?」

「いや? どうせ今日はどうでもいいやつだし」

「そうですか。それじゃ今日の装備はゴム手と長靴、ゴーグルとマスクですね」

「おいおい、回収するのは紙とか本だけだろ?」

「何年も放置された家に入るんですから必要です。あとこれは気休めにしかなりませんが、 汚染除けの眼鏡もありますよ」

「んー……いや、いい」

「わかりました。中へ入ったら私語は厳禁で私についてきてください」


 装備を整え二人は家の中へ入る。

 中の空気は玄関で嗅いだ臭いよりもずっと重くマスク越しにも鼻を突く。喋ろうにも呼吸が難しい。埃立つ廊下をチェノワは迷うことなく進み、折紙はそれを追う。

 臭いが色濃くなる階段を上り、子供部屋の前でチェノワは止まった。

 

「覚悟してくださいね」


 念を押してチェノワはそのドアを開け、カビの臭いの中に強烈な腐臭が混じる中へ進む。折紙は臭いに耐えてなんとか中へ。


 そこにあったのは白骨化した子供の遺体だった。

 蛆が沸き蠅が集り、ぐずぐずになった肉汁がベッドから零れ落ち、カーペットごと床を腐らせている。どれだけ覚悟しても生理的で本能的な嫌悪感は拭えない。

 それでも、最低限の礼儀と、二人はどちらからという事もなく手を合わせ、目を閉じた。

 二人は人でなしでこそあっても、無礼者ではなかった。


 そこから二人は打ち合わせの通り、目についた紙を回収していく。

 、紙の一切を一緒くたに段ボールに詰め込んだ。

 

 段ボールをバンに詰め込み終えた頃には日が落ち月が頭を出していた。

 二人は一息ついた後、装備を荷台に仕舞いバンに乗り込んだ。全身にあの家の臭いが染みついて当面取れそうもないが、今更それを言ったところで仕方がなく、窓を全開にして走らせることが今の出来る限りだった。


「お疲れ様でした。今日はこのまま直帰です」

「そりゃ助かる。さすがに疲れたわ」


 折紙は座席を倒そうとして、ああ、と声を漏らした。


「そうだ。アタシ、ムカついてたんだ」

「ん? 何にですか?」

「資料の価値が無くてもって言われたこと」


 資料としての価値が無くても汚染されている可能性はありますから。

 チェノワはそう言っていた。


「頑張って作った料理を『汚染の可能性を減らすため』って名目で滅茶苦茶にしてから雑に写真撮ってそれも加工してなんとか出せるようにしたのに、いざ出したら今度は『毒をまき散らすな』ってクレームが来て……ってのが今までだったからな。それを目の前で言われてるようでムカついたんだ」

「別に譲夜さんに向けて言ったつもりはないですけどね」

「今日回収した奴はどうなるんだ?」

「貯まったら分別班に渡しますよ」

「その後」

「分別班が価値が有るもの無いものに仕分けします。無いと判断されたら焼却処分です。私達にそれを判断する権利はありません」

「……そ」

「マニュアルなので説明しますが」


 とチェノワは前置きをして言う。


「資料的な価値はその時代の風習を表すもの全般ですから、例えばその時代にどんな格好をしていたのかとかどんな道具を使用していたのかとか、そういうものは価値が有ると判断されます。無いのは本当に走り書きみたいなものですね」

「……あっそ」


 涼しく心地よい風が車の中を抜けていく。

 あの家は、あの子供はこれからどうなるのか。そんな由無し事を折紙は考えていた。


「ところで、譲夜さんのアパートは駐車場空いてましたよね?」

「ああ――」

 

 そのせいで何も考えずに返事をしてしまい――すぐさま後悔した。


「いや、空いてないな。全部埋まってる。今日からアパートが工事なんだ。ちょうどトラックが突っ込んでたんだよ。いやあ間が悪い」

「それは嘘ですね。譲夜さんのことはすべて調べてあります」

「ふざけろ国家権力!」

「今日は譲夜さんの家でお泊りですね。臭い落としたいですし」

「ふざけんな!」

「夜逃げされないために仕方ありません」

「しないしない絶対しないから!」

「長期出張の準備もしないといけませんから。冷蔵庫を空にするのもお手伝いしますよ」

「そんな気遣いはいらねえ」

「旦那さんへご挨拶も兼ねて何か買っていきましょうか?」

「…………」

「これでも最低限人としての礼儀は弁えてるつもりですよ。人でなしですが」

「……弁えてるなら頼むから来ないでくれ」

「そう仰らずに。女二人、親戚しんせき付き合いということで」

「クローンの親戚なんていてたまるか」

「遠い親戚です」

「認めん」


 折紙はチェノワから帽子を奪い取り、座席を倒してそれを目深に被った。

 これ以上の会話は不毛だと、折紙自身理解していた。

 それが血筋なのだと、認めたくはなかったけれど。

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紙を集めるだけの簡単なお仕事です(退職率99.7%) ナインバード亜郎 @9bird

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