囮という名のパートナー
ぽりぽり、と隣から聞こえる咀嚼音で折紙は目覚めた。いつの間にかチェノワのバケットハットが日除け代わりに顔に掛けられていた。
「おはようございます。眠れましたか?」
チェノワは横目に折紙を見た後、そのまま運転に集中する。口には白いスティックを咥えていた。
やけに硬いシートと効きの悪いサスペンションのせいで寝心地は最悪だったが、それでも多少の眠気は解消した。折紙は帽子を胸元に下ろしてから横になったまま少し伸びをして、それから軽く首を動かす。最後にゆっくり呼吸を整え、「質問、いくつかしていい?」と尋ねた。
「なんでしょう?」
「その一。その食べてるの、何?」
「あ、これですか。大根のお漬物です。それに入ってるので食べていいですよ」
チェノワはアームレスト下のタッパーを指した。大根以外の野菜スティックも入っている。
「その二。その耳、引っ張ってもいい?」
「事故っちゃうので駄目ですよ」
「触るのは?」
「同じです」
チェノワは、白黒の髪に紛れるように寝かせていた兎の様な長耳をぴょんと立てた。
右耳が
「……なんでオッドイヤーなんだよ」
「昼夜問わず目立つから、だそうですよ」
チェノワは笑い、「いつから気づいてました?」と返した。
「てっきり気づいてないのかなと不安だったんですけど」
「編纂室出た時には」
「それを聞いて安心しました」
人間廃絶条約が撤廃され、戦争が事実上終結した後も人類は大きな問題に直面していた。
労働者不足である。
人口が一気に減ったことにより食糧問題解決かと思いきや、生産者も運搬者も失われた事で事態はより悪化していたのだ。それだけでなく文化文明を維持出来る人口も割ってしまったため、人口増加は急務であった。
そこで注目されたのが、かつてエナリバイヴ社が製造していた言動含め人間と全く見分けの付かない人造人間、ナレ。
本来セクサロイドやミルグラム実験もかくやという倫理度外視の実験を目的とした人造人間で、彼の悪法も元を正せばこれが遠因とは言え原因に違い無かったのだが、侃々諤々、背に腹は代えられぬと各国で採用される運びとなった。
その際、同社代表が『戦争終結って言っても対処療法だし根本的な解決にはまだ時間が必要だよね。それならナレをデコイに仕立ててもっと時間稼ごうよ。本物の人間と違って死んでも問題ないし、目立つ見た目にすればいいだけだから簡単だね』と提案し、人造人間に遠目でもそれと分かる特徴を与えた(その特徴の殆どが代表の遊び心による選択なのはあまり知られていない)。
本来ナレは製造上の都合により思想染色に対して非常に弱く特定の業種を任せることは困難である。
そのため、記録回収班に所属する烏羽チェノワの存在は例外中の例外だった。
「今人生で一番がっかりしてる」
「私がナレだってことが、ですか?」
「それはどうでもいい」
折紙は心底不満そうに返す。
「人参食えよ。なんだようさ耳が大根って」
「いいじゃないですか美味しいんですから。よく漬かってますよ」
そこまで勧められて、折紙はようやくタッパーを開けてスティックを丸々一本口に入れた。よく漬かってると言うだけあって目が冴えるくらい酸っぱい。
「私、新型のプロトタイプなんですよ」
誰に聞かれるでもなく、チェノワは言った。
「あ、降りようとしないでください大丈夫です。今から説明しますから。ほら危ないですよ、シートベルトはちゃんと締めて」
「……聞いて駄目だと思ったら本当に降りるからな」
「降りてどこへ行くんですか。
折紙はチェノワの帽子を目深に被り、タッパーからもう一本大根を拾うとそのまま口に咥えた。口を挟む気はない、というポーズらしい。チェノワは特に気にする様子もなく、一方的に話を進める。
「もうお気付きと思いますが、思想染色に強い抵抗力を持つ――特化型なのが
「理由は三種類あります。まず元から思想がそちら側というパターン。これなら変わりようがありません。次に彼の大罪人と同レベル――これは語弊がありますがしかし実際そうとしか言えないんですけど、慈悲深いパターン。最初のパターンと似ていますが、こちらは攻撃性を発露しません。
「ただし、これらは受け難いというより受けてもそれに気付けない、むしろ
「厳密に影響を受け難いのは三番目。他人に情け容赦無く他人に興味関心が薄い、そもそもの感受性が低い人。
「早い話が人でなしです」
元より私は人ではありませんが、と笑えない冗談で締めた。
折紙は大根を咀嚼し飲み込んだ後、「……そもそもさ」と口を開いた。
「エナリバイヴってAIとかロボットも作ってたろ。それで回収するのは駄目なのか? 人でなしならそっちの方が適性あるだろ」
「メインは遺伝子工学や再生医療ですけど、仰る通りそちらにも精通しています」
チェノワは嬉しそうに続ける。
「そちらを選ばないのは単純にコストの問題です。私達なら自然治癒しますけどロボットは損耗すればその都度パーツ交換しなきゃですから。大量生産もできませんし」
「はん。つまりアタシらはロボット以下の価値ってことかい」
「そんなことはありませんよ。譲夜さんは適性を認められてますから、ロボットなんかよりも価値は上です」
「……適性ね。そんで、
「後者から説明すると、
ふふふと、チェノワは笑う。
「数世紀前ですね。創始者が烏羽家のある女性に興味を持ちまして、そこから一族の面白そうな話題を定期的に収集するようになりました。その頃からその特性には気づいていたそうです」
「創始者は筋金入りの変態だな」
「そうですね。そして前者ですが、
「――その烏羽はどこから来たんだ? 耳と違って見た目関係ないだろ」
「おや、まだ気付きませんか?」
その言葉に折紙はただ鼻を鳴らす。
漬物のおかげで答えを出せる程度には頭は冴えていた。
「人でなし、遺伝子工学、烏羽。新型人造人間その正体は――」
マジックの種明かしをする子どもの様にたっぷりと間を込めて、チェノワは答えた。
「烏羽家とある女性のクローン人間、それが私です!」
「……さいですか」
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