春の嵯峨野トロッコ列車

 冬が終わり、春が芽吹いた。


 ノスタルジックな嵯峨野トロッコ列車は、あったかい風と共にがたんごとん走っていく。


 四号車の前から三列目、C席とD席。


 濃い茶色の髪をした臣くんと私は飴色の椅子に並んで座り、春の眺望と保津川の清流を静かに眺めていた。


 今日は想太さんの特別な配慮で、嵯峨野トロッコ列車の試運転に乗せてもらっている。


 試運転のため、他のお客さんは誰もおらず、私と臣くんの二人きり。


 春生まれの臣くんが誕生日祝いに試運転に乗せて欲しいと、想太さんにお願いしたのだ。想太さんは近い未来、息子になる臣くんを祝いたくて奮闘したそうだ。


「臣くんはおねだりが上手やわ」

「おねだりは最近覚えたんだけどね」

「そうなん?」


 臣くんは誤魔化すように窓の外に目をやった。


 臣くんが帰って来てがらりと変わったことは、美月さんと想太さんの関係だけ。二人にもようやく春が訪れて、臣くんは父親が二人になると朗らかに笑った。


 二人が結ばれたこと以外はいつもの早さで、がたんごとん線路を行くよう着実に進んでいる。


 私は朝から霧のテラスを走り、稽古をして午後二時に休憩処へ向かう。


 変わらない毎日は何にも代えがたい。だが、今日だけ特別に違うところがある。


「志乃ちゃんその服、似合ってるね」

「……それもう百回は聞いたわ」


 臣くんの誕生日祝いにと二人でトロッコ列車に乗りに来た。臣くんたっての希望で、私は袴を脱いでスフレパンケーキみたいなクリーム色のワンピースを着ている。


 臣くんに贈られたもので、着て来て欲しいと言われたら断れなかった。臣くんの笑顔のおねだりには誰も抗えない。


 臣くんの笑みを真正面から受けると、私は耳がじんわり熱くなる。


「まだ臣くんの顔に慣れんわ」

「俺はそれを百回は聞いたんだけど?」


 臣くんは目を細めて綺麗に笑った。彼の顔は目鼻立ちが整いながらも優しさが滲み出す。


 目は深く澄んでいて均整があり、印象的。彼は美月さんによく似た顔立ちをしているのだ。男前に決まっている。


 臣くんの素顔に慣れるにはまだ時間が必要だ。


 淡い風に私のスカートがふわりとなびくと共に、車窓から桜の花びらが訪問した。


 列車内に数枚の花びらが舞う。列車は線路に沿う桜並木の傍らを進み、必ず花を咲かせる自然の麗しさに目が潤んだ。


 桜の明美さ魅せられた涙を飲みこもうと努力していると、隣に座った臣くんが私の顔をひょいと覗き込む。


「志乃ちゃん、まだトンネルじゃないのにもう泣いてるの?」


 臣くんは服の袖で私の顔をがしがしと拭いて涙をかき消す。


「だってまだ、夢みたいやから……」


 私は何度でも臣くんがいることを確かめたくて、夜に突然、休憩処を訪ねたりしてしまう。臣くんは大らかに笑うだけで、私を受け入れ続けてくれる。


 『キリヤとして過ごした時間は、パンケーキ修行に出ていたことにする』と臣くんは美月さんに告げた。美月さんは泣き崩れて、ありがとうと、ごめんねを言い続けた。


 美月さんも私と同じように夜に突然、休憩処に会いに来たりするらしい。


 おとさんも有希さんも、もちろん休憩処の常連さんもみんなが臣くんの帰還を祝福した。私はこんなに嬉しいことばかりで、また「落差」が起こるのではないかと不安になってしまう。


 列車は満開の桜並木のトンネルに差し掛かった。桜風が列車内で舞い踊り、柔らかに私のスカートを揺らす。


 視線に呼ばれて振り返ると、大人になった臣くんの瞳には甘い色が宿っていた。


「志乃ちゃん、十年前の……返事をもらってもいい?」


 私は臣くんの十年が詰まった想いに涙がこみ上げた。


『志乃ちゃん、大好きだよ!俺の彼女になって!』


 一筋の春嵐が私たちの間をすり抜け、ずっと伝えられなくて後悔し続けていた言葉がやっと、彼に届く。私は涙と共に、想いを告げた。


「私……臣くんの彼女になりたい。大好きや、臣くん」


 臣くんが私の返事を噛みしめてにっと笑う。彼が私に向かって掌を差し出し、私はその手をぎゅっと握った。想太さんのアナウンスが響く。


「五百メートルの朝日トンネルを参ります。大変暗くなりますが、ら……春爛漫をお楽しみください」


 想太さんの心遣いにあっと顔を見合わせた私たちは、桜よりも華やかに笑い合った。


 私は臣くんと手を繋いで。

 暗いトンネルを、ついに走り抜けた。




 〈了〉









────────

長いお話にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。とてもとても、楽しかったです。


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霧の都 化け暮らしの休憩処~幼馴染の神隠し味パンケーキ~ ミラ @miraimikiki

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