黄金の森のスペシャリテ

青造花

- la spécialité du chef -

菫とブルーベリーのソース

01.


 花嫁控室ブライズルームで支度を整えた今日の主役が、化粧台ドレッサーの鏡に映る自分を見つめていた。

 丁寧に櫛が通され、つやつや輝く桃色の

 摘んだばかりのすみれをあしらった花冠ティアラ

 清らかさを象徴する純白のベールに包まれた長い垂れ耳ロップイヤーは、かすかに震えている。


「おきれいです、ルネさま」


 紬希つむぎは獣人・兎族の娘――ルネの肩に手を添えてほほえんだ。今日のレストランウエディングのために打ち合わせを重ねてきて三ヶ月、会場スタッフと新婦という関係ながら、ふたりは友人に近い間柄になっていた。どちらも二十五歳、同い年の花盛り。うつくしく着飾ったルネの可憐な花嫁姿に、紬希の胸はいっぱいになる。

 けれど主役であるはずのルネの表情は晴れない。

 その理由を、紬希はよく知っていた。


「……きっと素敵な一日にしましょう。わたしたち披露宴バンケットスタッフも全力を尽くして、これからご来館される親族の皆さまをおもてなしいたします」

「ありがとう。心強いです」


 紬希はルネを励ますように力強く頷いて、室内を仕切るカーテンに手をかける。


「お待たせいたしました、リオネルさま」


 ひらいたカーテンの向こう、広々とした部屋に置かれた大きな長椅子に、ルネと同じ獣人――けれど彼女とは異種族の、狼族の青年が腰かけていた。灰色の毛に森を思わせる深緑のタキシード。肉食獣らしい、しなやかな筋肉のついた大柄な花婿だ。

 ぎゅっと、ルネのちいさな両手がドレスを握る。



           ◇◆



 ウエディング専門の隠れ家レストラン、S’allierサリエ

 紬希が養父から継いだこの店は、エラドレ公国の中心に位置する森のなか、道標のように降りそそぐ木漏れ日をたどった先の湖畔に建っていた。

 従業員は披露宴バンケットスタッフという接客員と、料理人コックあわせて約六十名。店の所有者オーナーでもある紬希は前者の責任者として働いている。


灯蜜果メルティラの森に、こんな店が……」

「ガラス張りの窓から湖が見えて素敵ね。それに、草木と花のいい香り」


 太陽が中天にのぼった頃。

 食具シルバー磨きや装花、テーブルセッティングを終えた披露宴バンケットスタッフは総出で迎賓を開始した。リオネルとルネの親族、狼族と兎族の来賓ゲストが次々とS’allierサリエへやってくる。彼らは吹き抜けの開放的な空間、木のぬくもりあふれる店内に感嘆の息をこぼし――ともに招かれた、異種族の存在をちらちらと窺った。

 それもそのはず。種族を違える者が同じ卓を囲んで食事する機会など、めったにない。


(異種婚を祝福する式場なんて……うちだけだし)


 ここエラドレ公国は、灯蜜果メルティラと呼ばれるひとつの果実からはじまった。

 喩えるなら黄金こがねの林檎。つややかな皮から季節を問わず熟す瑞々しい果肉、滴る蜜まですべてが光り輝く奇跡の果実だ。ほのかな霊力を秘める灯蜜果メルティラはひとくち食べれば活力が湧き、傷も癒える。そんな果実が豊富に実るこの森につどって、いつしか棲家としたのが獣人だった。

 狼族、兎族、猫族、犬族、狐族、羊族、鳥族――人の世に馴染めずひっそり暮らしていた人ならざる者たちが、灯蜜果メルティラの森を囲むようにしてそれぞれ街を築き、やがて一帯を統治する存在が現れたことで国家として成り立ち繁栄した。

 だが、獣人同士でも種族という隔たりはある。

 いまでこそ共生をうたう国だが、過去に異種族間で勃発した争いは数知れず。現在もいさかいは日々どこかで起きていて、結婚は同種族で為されるのが常。今回のレストランウエディングに招かれた狼族、兎族の来賓に困惑や疑心が見えるのも無理はない。

 なかでもとりわけ、ルネが狼族に嫁ぐのをよしとしなかったのが――


「どんなレストランでも同じこと。そもそも私は、あの子の結婚を許していないのに」


 ルネの母、ネリーだった。

 アフタヌーンドレスで正装しているが、娘と同じ桃色の毛があからさまに逆立っている。紬希が引いた椅子に座りながらも、ネリーの表情は晴れの日を祝うものではなかった。


「……許さないわ。絶対に……」


 ぎこちない空気のなか、新郎新婦を迎えて披露宴がはじまった。

 複数人のスタッフで乾杯酒スパークリングワインをそそいで回るも、グラスを打ちあわせる音が鳴る気配は一向にない。見かねた紬希は早速、料理を運ぶことにする。

 会場から望めるオープンキッチンに行くと、厨房と繋がるバーカウンターに最初の品が出てくるところだった。料理人コックが出来たての料理を並べ、披露宴バンケットスタッフがそれを受け取り提供するのだ。


「まずは一口料理アミューズを。灯蜜果メルティラのパイでございます」


 紬希がトレンチで運んだのは、ショットグラスに入ったひとくちパイ。シナモンと檸檬香る灯蜜果メルティラ砂糖煮コンポートを閉じこめて、金のピックを刺した一品である。

 新郎リオネルの兄――レオンが無造作にピックをつまんだ。牙でばりばりとパイを噛み、鼻を鳴らす。


「食った気がしねえ。やっぱり肉じゃないとな」

「……品のない。料理の味を楽しむという知性を、持ちあわせていないのかしら」

「ああ?」


 嫌味を口にしたのはネリーだった。

 レオンが身を乗り出し、鋭い牙を見せて凄む。


「言葉には気をつけろ。弟と違って俺は短気でな。あんたをうっかり喰っちまうかもしれねえ」

「いやだわ、なんて野蛮なの。これだから狼族は」

「やめてくれ。兄さん」

「お母さんも! せっかくの披露宴なのにどうしてそんな嫌なことを言うの……!?」


 披露宴は、来賓の人数にあわせて円卓を設置する正餐せいさん形式が一般的だが――今回は親族式。二十人に満たない少人数のため、角卓を繋げてひとつの長い卓を作り、新郎新婦を中心に狼族と兎族で分かれて座ってもらうかたちを取ったのだが。

 それが裏目に出たのか、時間が経つほどに剣呑な雰囲気になっている。灯蜜果メルティラのパイ、狼族と兎族で食材を変えた前菜オードブル、スープと提供を進めるものの、ついには手をつけてもらえなくなってしまう。

 紬希はちらと腕時計に目を落とした。


(そう簡単にはいかないか……)


 披露宴は分単位で予定が決まっている。

 提供するコース料理も乾杯酒、一口料理アミューズ前菜オードブル、スープ、口直し、主菜メインディッシュデセールデザートや食後の紅茶に至るまで、あらかじめ時間配分が設けられている。

 緻密なスケジュールを確認しながら進行するのがスタッフの仕事。済んだ食器はすみやかに下げ、卓上のうつくしさを保ちつつ一品一品味わってもらえるよう気を配らなくてはならないが……食事の進みが悪いせいで皿が溜まってきていた。


「紬希。予想以上に空気が重いわ」


 そう耳打ちしてきたのは猫族の獣人、ラヴィ。

 清潔な白の長袖シャツに黒のネクタイ、ベスト、腰から膝下までのソムリエエプロン――紬希と同じ披露宴バンケットスタッフの制服をまとった彼女は、三毛柄の顔に不安をにじませて会場を見守る。


「どうするのよこれ……。いまにも取っ組みあいが起きそうじゃない」

「大丈夫。もうすぐ主菜メインが出るから――とにかく、いまは定刻通りに提供サーブしよう。ラヴィ」

「ええ……」


 バーカウンターに並べられたデザートグラスをトレンチにのせ、ラヴィは狼族の席へ、紬希は兎族の席へ。ソルベスプーンが添えられたグラスを置いていく。


「お口直しの、菫のソルベでございます」

「あ……」


 ルネが息を呑んだ。

 宝石のようにきらめくあざやかな紫のソルベは、菫のシロップと蒸留酒リキュールを混ぜて凍らせた一品。

 スプーンを入れればシャリッとかろやかな音が、舌にのせればなめらかな口溶けを楽しめる。爽やかな甘さと心地よい余韻を残す菫の香りに、ソルベをひとくち食べたルネの瞳がうるんだ。


「わたしたちは、狼族の街ヴィオル兎族の街シェリエの境界に咲き誇る菫の花畑で出会いました。二年前の春……薬のもとになる菫の葉を摘みに出かけ、そこで狼族の男に襲われたわたしを、リオネルが助けてくれて」


 ほろ、ほろ、と。花びらを伝う朝露めいた、涙の珠をこぼしながら彼女は震える声を振り絞る。


「一生を捧げる覚悟で嫁ぎました。心から大切だと思える存在にめぐり逢えたんです――愛したひとと添い遂げたい。愛してくれたひとたちに祝福してほしい。わたしの願いは、それだけで……」


 一度あふれたらとまらない。

 ルネの涙が次々こぼれてガラスの器に落ち、来賓たちは初めてばつが悪そうな表情をした。しかし、ネリーもレオンも謝罪を口にしない。いまさら引くに引けなくなってしまったのだろう。

 紬希が困り顔のラヴィと目を交わしたそのとき、スタッフ全員がつける通話機インカムに青年の声が入った。


「狼族に九皿、兎族に七皿。主菜メイン出すぞ」


 オープンキッチンのなか、獣人用の通話機インカムを耳にはめた真っ黒な狼族の青年が紬希へ目配せする。

 彼こそがこの店の料理長シェフ

 最も信頼する相棒の声を受け、紬希はパンプスの先をバーカウンターに向けた。


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