黄金の森のスペシャリテ
青造花
- la spécialité du chef -
菫とブルーベリーのソース
01.
丁寧に櫛が通され、つやつや輝く桃色の毛並み。
摘んだばかりの
清らかさを象徴する純白のベールに包まれた長い
「おきれいです、ルネさま」
けれど主役であるはずのルネの表情は晴れない。
その理由を、紬希はよく知っていた。
「……きっと素敵な一日にしましょう。わたしたち
「ありがとう。心強いです」
紬希はルネを励ますように力強く頷いて、室内を仕切る
「お待たせいたしました、リオネルさま」
ひらいた
ぎゅっと、ルネのちいさな両手がドレスを握る。
◇◆
ウエディング専門の隠れ家レストラン、
紬希が養父から継いだこの店は、エラドレ公国の中心に位置する森のなか、道標のように降りそそぐ木漏れ日をたどった先の湖畔に建っていた。
従業員は
「
「ガラス張りの窓から湖が見えて素敵ね。それに、草木と花のいい香り」
太陽が中天にのぼった頃。
それもそのはず。種族を違える者が同じ卓を囲んで食事する機会など、めったにない。
(異種婚を祝福する式場なんて……うちだけだし)
ここエラドレ公国は、
喩えるなら
狼族、兎族、猫族、犬族、狐族、羊族、鳥族――人の世に馴染めずひっそり暮らしていた人ならざる者たちが、
だが、獣人同士でも種族という隔たりはある。
いまでこそ共生を
なかでもとりわけ、ルネが狼族に嫁ぐのをよしとしなかったのが――
「どんなレストランでも同じこと。そもそも私は、あの子の結婚を許していないのに」
ルネの母、ネリーだった。
アフタヌーンドレスで正装しているが、娘と同じ桃色の毛があからさまに逆立っている。紬希が引いた椅子に座りながらも、ネリーの表情は晴れの日を祝うものではなかった。
「……許さないわ。絶対に……」
ぎこちない空気のなか、新郎新婦を迎えて披露宴がはじまった。
複数人のスタッフで
会場から望めるオープンキッチンに行くと、厨房と繋がるバーカウンターに最初の品が出てくるところだった。
「まずは
紬希が
新郎リオネルの兄――レオンが無造作にピックをつまんだ。牙でばりばりとパイを噛み、鼻を鳴らす。
「食った気がしねえ。やっぱり肉じゃないとな」
「……品のない。料理の味を楽しむという知性を、持ちあわせていないのかしら」
「ああ?」
嫌味を口にしたのはネリーだった。
レオンが身を乗り出し、鋭い牙を見せて凄む。
「言葉には気をつけろ。弟と違って俺は短気でな。あんたをうっかり喰っちまうかもしれねえ」
「いやだわ、なんて野蛮なの。これだから狼族は」
「やめてくれ。兄さん」
「お母さんも! せっかくの披露宴なのにどうしてそんな嫌なことを言うの……!?」
披露宴は、来賓の人数にあわせて円卓を設置する
それが裏目に出たのか、時間が経つほどに剣呑な雰囲気になっている。
紬希はちらと腕時計に目を落とした。
(そう簡単にはいかないか……)
披露宴は分単位で予定が決まっている。
提供するコース料理も乾杯酒、
緻密なスケジュールを確認しながら進行するのがスタッフの仕事。済んだ食器はすみやかに下げ、卓上のうつくしさを保ちつつ一品一品味わってもらえるよう気を配らなくてはならないが……食事の進みが悪いせいで皿が溜まってきていた。
「紬希。予想以上に空気が重いわ」
そう耳打ちしてきたのは猫族の獣人、ラヴィ。
清潔な白の長袖シャツに黒のネクタイ、ベスト、腰から膝下までのソムリエエプロン――紬希と同じ
「どうするのよこれ……。いまにも取っ組みあいが起きそうじゃない」
「大丈夫。もうすぐ
「ええ……」
バーカウンターに並べられたデザートグラスを
「お口直しの、菫のソルベでございます」
「あ……」
ルネが息を呑んだ。
宝石のようにきらめくあざやかな紫のソルベは、菫のシロップと
スプーンを入れればシャリッとかろやかな音が、舌にのせればなめらかな口溶けを楽しめる。爽やかな甘さと心地よい余韻を残す菫の香りに、ソルベをひとくち食べたルネの瞳がうるんだ。
「わたしたちは、
ほろ、ほろ、と。花びらを伝う朝露めいた、涙の珠をこぼしながら彼女は震える声を振り絞る。
「一生を捧げる覚悟で嫁ぎました。心から大切だと思える存在にめぐり逢えたんです――愛したひとと添い遂げたい。愛してくれたひとたちに祝福してほしい。わたしの願いは、それだけで……」
一度あふれたらとまらない。
ルネの涙が次々こぼれてガラスの器に落ち、来賓たちは初めてばつが悪そうな表情をした。しかし、ネリーもレオンも謝罪を口にしない。いまさら引くに引けなくなってしまったのだろう。
紬希が困り顔のラヴィと目を交わしたそのとき、スタッフ全員がつける
「狼族に九皿、兎族に七皿。
オープンキッチンのなか、獣人用の
彼こそがこの店の
最も信頼する相棒の声を受け、紬希はパンプスの先をバーカウンターに向けた。
黄金の森のスペシャリテ 青造花 @_inkblue
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