第3話 「聖、全部が今更だよ」

 実家に帰った『紗希』からショートメッセージが届いた。彼女が部屋で寝ていた日から一ヶ月が経った頃だった。

 ショートメッセージは電話番号を知っていれば送ることができる。『紗希』は聖の電話番号を覚えていたらしい。

 メッセージを開くと長文だった。

 聖は片岡潤之助に早めの昼休みをもらってオフィスを出た。

 人がいるところでメッセージを読む気が起きず、いつも朝に行く河川敷に足を向けた。

 スマートフォンを開く。視線の端で水面が光に反射してキラキラと光ってきた。


「こんにちは。深水紗希です。

 本を借りて実家に帰った方の紗希です。

 

 どうしても伝えたいことがあってメッセージしました。ちなみに、このメッセージを打っているスマートフォンは義理の兄のものです。

 なので、このメッセージの文面はこちらのスマートフォンでは削除します。

 この時に聖の方も消えてしまうのか私には分からないけど、このメッセージを聖が読まなかったなら、それはそういう運命だと思います。

 だから、返信はしないでください。お願いします。


 私はこの世界にいちゃいけない存在なんだと思います。

 なんて言っちゃうとぎょっとしますよね。けど、あの部屋で聖に見つけてもらった時、私の中にあった感情は突き詰めれば『私はここにいちゃいけない』だったんです。

 だから、もう一人の私が帰ってきた時点で実家へ帰ろうと決めました。


 ただ、実家に帰っても『私はここにいちゃいけない』感情は薄れてくれませんでした。私が抱えるものは世界に対するものだったみたいです。

 多分、私は私は別の世界から来たんです。

 だから、体なのか魂なのか分からない何かがずっと元いた世界に戻りなさいって訴えかけて来るんです。


 考えてみれば、この世界と私がいた世界は異なっていました。

 この世界の深水紗希の記憶を私はインストールしているからか、聖とのご飯の予定は頭にありました。けど、当の私自身は聖とご飯の約束をした実感がありません。

 そもそも私が知っている聖は今こうしてメールを打っている貴方のような形はしていませんでした。髪色がピンクなのは一緒なんですけどね。


 だから、私は元の世界に戻る方法を探します。あの日、私が現れちゃった日、聖は私にプロポーズするつもりでしたよね?

 邪魔をしてしまって、ごめんなさい。


 私が保証します。絶対に成功します。頑張ってください。

 借りた本は実家に置いておきます。深水家に来た時に持って帰ってください。」


 ●


「ねぇ、聖。別れよっか」

「どうして?」

「理由は分かるでしょ」


 紗希が二人になって三ヶ月が経っていた。聖が染めていたピンクの髪色も生え際の黒が大半を占めていた。

 もう一人の『紗希』からのショートメッセージが届いたあとも、聖は紗希にプロポーズしようとしなかったし、準備もしなかった。


「僕は別れたくないよ」

「でも、私は別れたいの」

「この先も一緒にいられる方法はないのかな?」

「難しいと思う。時間は元には戻らないから」

「そっか」

「部屋は私が出ていくね。業者には頼んであるから明日には荷物全部出せると思う」

 紗希はもう決めたようだった。

「ねぇ紗希」

「なに?」

「もう一人の『紗希』は、今どうしているんだろう」

 紗希が黙った。非難するような視線を聖に向ける。

「知らないよ」

「僕と紗希が別れる理由は彼女だろ」

 短い沈黙のあと「違うよ」と紗希は言った。「あの子は関係ない。私にとっての理由は聖だよ」


「そっか」

 と、つぶやいた時、無性にたばこを吸いたくなった。片岡潤之助の言う愚かものになりたかった。「不思議なことが起こった時、それが事故か事件を見極める必要があるって職場の人が言ってたんだ」

「なに?」

「事故はいくつかの偶然の積み重ねで起きて、事件は誰かの意思によって起きるってその人は言っていたんだよ」

「だからなに?」

「もう一人の『紗希』の登場は事故だったのか事件だったのか。僕はそのことについてずっと考えている」

「ずっと考え続ければいいよ」

 紗希は私には関係がないとでも言わんばかりの態度だった。

 おそらく紗希は聖がそのような考えに足を取られていることが耐えられなかったのだ。聖はそれが分かっていながら、それを振り切ることができなかった。


「紗希は怖いって言ったよね。もう一人自分が増えることは怖いって」

「言ったよ。だからなに?」

「僕と紗希が別れる理由に、もう一人の『紗希』は関係ないとも言ったね」

「ねぇ、だからなに?」

「関係はあるはずなんだよ。普通じゃないことが僕たちの前で起こったんだから。それはどうしたって受け止めなくちゃいけない」

「聖はなにを言いたいの?」

「紗希はもう一人の『紗希』をちゃんと受け止めた? 無視してなかったことにしようとしてない?」

「聖はただ、もう一人増えた私が不思議で、特別なように見えるから気になっているだけでしょ? 蛇より、その抜け殻の方を有難がってる。どうして、私を見てくれないの? 私が何人になったって、眼の前にいる私を見てよ。私のことだけを考えてよ。聖、私はね。私が何人増えても、この、今の私を愛してほしいの。それはダメなこと?」


 ダメじゃない。

 けど、「もう一人増えた『紗希』も紗希なんだよ。紗希の一部なんだよ。僕はそれを無視したくなかった。紗希を愛することは増えた『紗希』も愛することなんじゃないかって思ったんだよ」

 言葉にして、その通りだと聖は思う。聖は『紗希』が現れてから、空気のように感じていた違和感の正体。そして、この結論に至るために、紗希ともっとちゃんと向き合うべきだったんだと気づいた。

 紗希が『紗希』と向き合わないようにしていたように、聖も目の前の紗希と向き合わないようにしていた。

「聖、全部が今更だよ」


 言葉はでなかった。

 ただ、その通りだと思った。


 ●


 片岡潤之助の伝手を辿って『紗希』の行方を探してもらった。

 あの日、なかなか開かない鍵を回して入った家で眠っていた『紗希』は亡くなっていた。

 深水の本家の裏にある山の中で首を吊って死んでいるのが発見された。第一発見者は深水耕太郎と言う紗希から見て義理の兄にあたる人物だった。


 彼いわく、夜に物音がすると気になって朝方に山へ行くと『紗希』が首を吊っていた。ひどく寒い日なのに薄着で、裸足だった。周辺を探してみたが靴は見つからず、警察の調べによって裸足で山を登って自ら首を吊ったと結論付けられた。

「もう一人の『紗希』はいたってことで良いんですよね?」

「死体が見つかっているからな。聖くんの妄想ではなさそうだな」

 片岡潤之助がたばこを咥える。


「どうして彼女は死んでしまったのでしょうか」

「自殺をする理由は、その本人にしか分からないからな」

 ただ、と片岡潤之助は声のトーンを落とす「以前にも深水紗希は死んでいる。彼女が十二歳の時だ」

 理解が追いつかない聖を置いて、片岡潤之助は続ける。

「十二歳の時は海に身をなげた。この時も遺書はあった」

「紗希は今年二十四歳になりました」

「そうだな。十二年周期で彼女は分裂――というか脱皮のように増えて、片方が自殺をするのかもしれないな」

「けど、前回も同じようなことがあったなら、紗希は覚えているんじゃないですか? だったら――」

 聖に話をしなかったことや彼女の態度には違和感が残る。


「本人も周囲も忘れていたのかもな」

「こんな不思議なこと、そう安々と忘れられますか?」

「その通りなんだが。『紗希』が残した遺書を見るとな」

 言って片岡潤之助は車椅子の横についているカバンから二枚のコピー用紙を取り出す。聖はそれを受け取って中身を確認する。


『わたしのことはわすれてください』


『ご迷惑をおかけしましたが、私のことは忘れてください』


 最初の方は鉛筆で書かれていて子供の字だと分かる。二枚目はボールペンで走り書きだった。

「忘れてくださいって遺書にあったら、みんな忘れてしまうんですか?」

「不思議なことだからな。そこに理屈はない。拠り所のない事実は煙みたいに霧散しても仕方がないさ」

「僕は忘れませんよ」

「忘れないでいて、どうするんだよ? 聖くん、もう君は一人だ。深水紗希は確かに不思議な力を持っていた。けれど、それが起きるのは十二年後だ。それもどんな力が働いているかも分からず、片方は自殺する。聖くん、君は若い。拠り所のないものに貴重な時間を使うことはない」

 聖は片岡潤之助に反論しようと思ったが、言葉は形にならずに消えて僅かなうめき声を出すのが精一杯だった。


「聖くん。それでも深水家に関わるのなら君は真の愚か者だよ」


 ●


 ブランコが揺れていた。

 直前まで子供が乗っていたのだろう。周囲を見渡してみたが、子供の姿は見つけられなかった。公園にはブランコの他に滑り台とベンチがあるだけだった。

 聖は蛇を探していた。青い鳥を食べて体を青く変色させた蛇。


 本当にそんな蛇がいると聖は信じている訳ではなかったし、いたところで聖の現状は何も変わらない。ただ、青い蛇の抜け殻はあった。その事実にすがりつくように抜け殻の主を探した。

 公園を三周歩いて、カエル一匹見つけられず帰路につく。

 家の前にたどり着き、鍵穴に鍵を挿し込む。紗希と一緒に住んでいた頃は何度回しても解錠できなかった鍵が最近はすんなりと開く。


 今日も差し込んだ鍵は何の引っ掛かりもなく解錠される。

 そこには誰の意思も感じない。

 この時点で分かる。部屋には誰もいない。それは当然で、当たり前のことだ。

 けれど、なかなか解錠できなかった時の、紗希と共に生活していた頃の記憶が聖の足を掬う。


 一人ぼっちと分かっている部屋に足を踏み入れられず、聖は動けない。愚か者にも賢者にもなれない。

 何者でもない聖が立ち尽くしている。

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僕は蛇の抜け殻に触れられなかった。 郷倉四季 @satokura05

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