カ12の標的

大隅 スミヲ

第1話

 春の風が心地よかった。

 授業で聞こえてくる教師の声は、まるで岩場で歌う人魚の歌声であり、わたしのことを睡眠へと引きずり込もうとする。

 しかし、不思議なもので終業のチャイムが鳴ると同時にわたしの睡魔はどこかへと消え去ってしまい、俄然やる気が出てくる。そう、昼休みの時間だ。

 昼休みは、基本的に図書館で過ごす。いや、友だちがいないとかそういうのじゃないから。ちょっと、哀れみの目でこっちを見ないで。わたしはただ、昼休みは静かに過ごしたいだけなの。

 母親が作ってくれた弁当を素早く胃袋の中に収めると、誰にも気づかれないくらいのスピードで図書室へと向かった。

 図書室の扉を開けたわたしは、司書の先生に黙礼をして、いつものように本棚の前に立つ。並んでいる本は、月に一冊だけ生徒からのリクエストで新しく増やすことができるのだが、わたしの要望は一度も通ったことはなかった。

 並んでいる本の中から一冊を手に取り、巻末についている読書カードへと目を落とす。これは本を借りた人の名前や日付が書き込まれているカードであり、本の管理をするのに使っているものだった。

 読書カードには最近の日付と借りた人の名前、そして『カ12』という謎の文字が書かれていた。

 わたしはそれを確認すると図書カードを本に戻して、次の本棚へと移動する。

 カ12。それは本棚の通称だった。はカドカワの。12は右端から十二冊目を示す暗号だった。そう、これはわたしに向けられた暗号なのだ。

 カドカワの本棚の右から十二冊目の本を手に取ったわたしはパラパラとページをめくり、その途中でしおり代わりに挟まれていた一枚の写真を見つけて、そっと写真をブレザーのポケットの中へと落とし込んだ。

 しばらく本棚を回ったあと、いつものように同じ本を手にとって、いつもと同じ席に座って本を読む。それでわたしの昼休みは終わっていく。

 図書室から戻ると、わたしの席で数人の女子が集まって何かを話し込んでいた。

 わたしが教室に戻ってきたことに気づくと、その女子たちはモーセの十戒の如く二手に割れる。

「ごめん、ごめん」

 そう言いながら、わたしの席を開放して彼女たちは自分の席へと戻っていくのだ。


 放課後になり、ひとりの少女がわたしの席へと尋ねてきた。

 彼女の名は黄泉ヨミ。隣のクラスの生徒だ。

「依頼、来たんだって?」

「来てた。黄泉ヨミに道具の手配を頼みたい」

「ちょっと、その呼び方やめてよ。私はヨミじゃなくて、ホァン・チュエン。もしくは、コウ・イズミだから」

「いいじゃない。ヨミで。可愛いよ」

 わたしは黄泉にそう告げると、道具の手配をお願いした。

 黄泉は少し不満そうだったけれども、道具の手配はきちんとしてくれるはずだ。彼女は仕事ができる人なのだ。

「じゃあ、吹奏楽部に置いておくから」

「わかった」

 準備は整った。あとは、実行に移すだけだ。


 その日は、三年生が卒業アルバムの撮影をするために校庭へ集まっていた。

 集まっているのは、三年生だけではなく、学園長やPTA会長などの姿もある。目撃者は多いほうが良い。わたしはそんなことを考えながら、校庭の様子を見守っていた。

 風は無かった。風の計算をしなくてもいいというだけで、十分に有利な状況が作り出されていた。

 授業中、わたしはトイレに行くと言って教室を抜け出した。

 廊下を素早く走り抜け、音楽室の隣りにある音楽準備室でトロンボーンの脇に置かれたケースを手に取ると、そのまま階段を駆け上がった。

 屋上の鍵は開いていた。いや、正確に言えば黄泉が開けておいてくれたのだ。

 やはり風は無かった。

 楽器ケースの中からスコープと筒状の金属をいくつか取り出して、素早く組み立てる。組み立ては目を瞑ってもできるくらいなので、簡単に手早くすることができた。

 スコープを覗き込む。

 ターゲットとなるのは、学園長だ。

 あの、いやらしい笑顔。

 学園長は飲み会の席で、とある女教師にセクハラまがいの発言を繰り返していた。

 その女教師は、先月依願退職をして学園を去っている。

 この学園では学園長が絶対的な存在なのだ。

『私の恨みを晴らしてほしい』

 依頼を伝える手紙にはそう書かれていた。

 できるだけ大勢がいる場所で、大勢の記憶に残るように。

 わたしはそう思い、今日を決行日とした。

 スコープから見えるのは、学園長の豊かな頭髪と生え際の一切ない額だった。

 その額に照準を合わせる。

 額の十字架。

 それが見えたと同時に、わたしはトリガーを引いた。

「きゃー」

 生徒の悲鳴が聞こえた。

 それと同時にどよめきと笑い声が聞こえてくる。

 わたしの放った弾は、見事に学園長の高級かつらを上空へと跳ね上げていた。

 ホップアップ。それは弾を押し上げる浮力を利用して、より遠くへと弾を飛ばす方法だった。

 だから、狙いは額で良かった。

 見事に宙を舞った学園長のかつらは卒業アルバムの写真として使われることはなかったが、生徒たちの間で長年にわたって語り継がれる伝説となったのだった。

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