第4話 牛の瞳は優しいな
ついに俺たちがタウルス高原へ戻る日がやってきた。ケイトとカイトは、ヴァインバードの屋敷と別れるのが名残惜しいようだった。
「ねえお父様、またお屋敷に来る?」
「いつ来てもいいからね。また来よう」
こうして俺たちはたくさんの土産を抱えて、ノヴァ・アウレアから出発する列車に乗り込んだ。ルーク兄さんの家族と俺たち家族は、同じ列車でエルムウッドまで行くことになっていた。すっかりいとこ同士仲良くなった子供たちは、今度は互いの家に行くことを勝手に約束している。親としては、仲良くなったのは嬉しいけれど簡単に果たせそうにない約束はしてほしくない。なかなか複雑な心境だ。
「それにしても、本当にエルムウッドに紡績工場を作るなんて。聞いていないですよ」
アレックス兄さんから内々の話は聞いていたが、ルーク兄さんが工場を作ってエルムウッドにやってきたのを知ったのは実際に工場が出来てからだった。「エリクには内緒にしておきたくて」と勿体ぶったことをルーク兄さんは言っていた。でも、兄さんも父さんと同じで、ただ話すのが恥ずかしかったのではと今なら思う。
「元から山脈のお膝元のエルムウッドは気候が比較的安定していて、海から吹いてくる風が繊維工業には向いているんだ。実際住んでみると、いい街だよ」
エルムウッドはノヴァ・アウレアとは違って、どこか大らかで牧歌的なところがある。ノヴァ・アウレアではビシッと背筋を正して歩かなければいけないところを、エルムウッドではのんびりした格好で歩いていても文句を言われない、というような感じだろうか。
「これからエルムウッドは商工業が発達する要所になると思うから、手始めに生産が安定しやすい紡績工場ってところかな。それに、もし例の話が実現したら毛織物も取り扱いと思ってる。その時は頼むぞ?」
ああ、やっぱりバッファローの長毛種に関する先行投資か。
「任せてよ。もしよかったら、毛皮のほうも少しずつ任せていいかな。今エルムウッドで懇意にしている毛皮屋があるから、そこにも連絡を入れてみてよ」
俺は列車に乗っている間、ルーク兄さんと毛皮や繊維に関する話で大いに盛り上がった。小さい頃はよく武芸に秀でて、体力だけなら誰にも負けないルーク兄さんだとばかり思っていた。しかし、今では俺でも考えつかないような商売の方法を思いついている。
「毛皮も、ただ売るだけではダメだ。もう少し何か付加価値があるとより売れると思う」
「例えば?」
「そうだな……新種の牛、というだけでは押しが弱い。タウルス高原の風にも負けない、とかどんな極寒にも耐えてみせる、とか……」
「そもそもタウルス高原の知名度が低いですからね……」
そうなのだ。タウルス高原の開拓での悩みどころは「道が険しい」「風が強い」の他に「そもそもアルドリアン領民はタウルス高原を知らない」というところがある。住民集めに難儀したのは、ひとえにタウルス高原の存在が周知されていないからだった。
バッファローがやってきて「新種の牛がいる高原!」という付加価値がついたことでやってきた人たちはいたけれど、そういう人は大抵牛マニアで大勢の住民の獲得には至らなかった。そして新種の牛には興味があっても、道の険しさや風の強さに移住を断念する人もいた。そのせいで住民は増えず、知名度が上がらないというところでぐるぐる回っていた。
「知名度の低さが問題なら、地道に知名度を増やしていくしかない。そこで登場するのが、大量生産する商品だ。ヴァインバードの名前をつけた商品をたくさん売れば、嫌でもヴァインバードの名前を覚える。そして綿製品と毛皮を紐付ければ、飛ぶように売れるさ」
「そんなにうまく行くかなあ……?」
うーん。なんか兄さんに乗せられているようにも感じるけど、それが商売の基本なんだろうな。俺は商売人ではないから、もし長毛種をどうにか売り出すことになったらその時は兄さんにお願いしよう。きっとうまくやってくれるさ。
***
俺たちは長旅を終え、ようやくタウルス高原へ帰ってきた。久しぶりに見る高原はなんだか大きく感じる。俺は留守を預かってくれたランドさんに挨拶をして、マリィと子供たちが落ち着いたのを見てから真っ先に長毛種用の牛舎へ向かった。
「ただいま、モルーカ!」
モルーカはのんびり草を食べていた。しかし、俺を見るとモルーカはいつでも優しい目をしてくれる。
「モルーカ、俺は久しぶりに家に帰ってきたよ。故郷の家だ。懐かしくて、とっても気持ちが良かった。母さんにもお別れをちゃんと言えた。父さんや兄さんたちとも話がちゃんと出来た。なあモルーカ、話が出来るってありがたいことだよな?」
モルーカは首を傾げる。
「もしお前と話が出来たら、一体どんな話をするんだろうな。俺はお前のことをもう一人の娘くらい大切に思っているけれど、お前は俺のことが好きかい?」
モルーカはふん、と鼻を鳴らす。
「そうか、俺もお前のこと大好きだぞ」
そして俺はモルーカにノヴァ・アウレアでの話を聞かせた。すると、やっぱりルディがやってきた。こいつはいつも俺とモルーカの話を聞いているんだ。
「モルーカもエリクがいなくて寂しい、って言っていたぞ」
「やっぱりそうか! 今日から毎日来るから寂しくないぞ、モルーカ!」
モルーカにいっぱい頬ずりしてから、俺はルディに向き直った。
「……大変だったな、お袋さん」
「ああ。でも覚悟の上で出かけていったから、少しすっきりしたよ」
そう強がってはみたけど、やっぱり母親の死というのは辛い。ノヴァ・アウレアにいる間や移動の道中は家族のことを考えるのに忙しくて、母さんのことを考えている暇があまりなかった。俺の様子を見て、気を利かせたのかルディはすぐにその場を離れた。
俺はモルーカの前で少しだけ泣いた。これから母さんも高原の風になって、俺の側にいてくれるんだろうか。あの「可愛いエリク!」が聞けないのは寂しいけれど、いつでも俺は風が吹くたびに母さんを感じることが出来る。俺はそう、思うことにした。
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異世界、友達、時々バッファロー 秋犬 @Anoni
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