炸裂の前夜

憑弥山イタク

炸裂の前夜

 食べたいものを食べる。酷く当たり前のことのように思えるが、鼠の死骸さえ喰う今になってみれば、当たり前という言葉の尊さが分かる。とは言え所詮は今更ながら。もっと早くに理解して、もっと賢く生きるべきだった。さすれば、生焼けの鼠でさえも、もう少し美味しく食べられたかもしれない。

 少し前に、戦友の遺品を漁っていた時の事である。戦友は文学が好きで、風呂敷包みにした蔵書を後生大事に持ち歩いていた。死するその時まで、自分は文学好きでありたいと、そう言っていたのをよく覚えている。

 件の戦友だが、"炸裂の前夜"に、蔵書を全て基地へ置いていった。死する時まで文学好きであるが、自分を殺す炎に本を巻き込みたくない。蔵書は全て、炎に触れない者が所持してくれ。そう言い残して、戦友は旅立ってしまった。

 そんな彼の蔵書は、私にはとても難しく、ものの数ページを読んだ程度で頭痛を起こした。しかしたった1作、少しばかり私の興味を引き付けた小説に、こんな一文があった。

 "恥の多い生涯を送って来ました"……と。

 作品自体は序盤までしか読まなかった。故に作品内で生きる彼が、本当に自虐する程に恥じる生涯を送っていたのかは知らない。とは言え、己を恥の多い生涯と歩んだ者として扱うその姿勢に、私は不覚にも共感してしまった。

 否、私は私自身の生涯を、恥じるべきものとは考えていない。ただ敢えて言えば、極めて愚かだった。

 率先して戦地へ向かう友人達を横目に、私は病を装い床に伏せた。数多くの愚かな過ちを経た私だが、その最たるものが、あの日の仮病であった。

 幼少からの友人も、基地で出来た友人も、皆が皆、私を置いて先に旅立っていく。全ては御国の為だと、私に敬礼をしては、決まって旅立つ。

 いつも旅立つ背中を見送るだけで、私は、誰にも背中を見せなかった。

 そんな私だが、遂に明日、旅立つ。

 今日が、人生最後の夜である。

 戦闘機を用いた敵艦隊への攻撃。操縦桿を握り、私は明日、空を舞う。燃料は多めに積んである。しかし、帰投することは前提としていない。嘗ての戦争でも使われた手法だが、私は、可能な限り敵を攻撃した後、限界地点で敵に突進。所謂特攻隊である。

 文学好きの戦友も、この特攻で命を落とした。精悍な顔に誇らしげな微笑みを浮かべていたが、その目は酷く曇っていた。御国の為とは言え、死ぬ事を前提とした作戦など、正気の沙汰とは思えない。

 炸裂。我々は特攻の作戦名をそう呼んでいる。下手な隠語を用いるよりも、単純で覚えやすいのだろう。

 炸裂の前夜。死ぬ事が半ば確定した我々には、最期の贅沢として、焼き鮭の詰められた握り飯が支給される。日頃から質素な食生活をしている我々にとって、握り飯とは何とも贅沢なのだ。が、死ぬ前日に食べたところで、握り飯に味など感じない。腥い死骸の方が、まだ幾分か食べている感覚がある。

 食事を終えれば、後は明日に備えて眠るだけ。その予定だが、今日は眠るつもりはない。残り僅かな人生を、睡眠で潰す訳にはいかないのだ。

 起床予定時刻まで7時間。私は戦友の遺品に再び手をつけ、読み切れるはずもない文学作品のページを開いた。

 時は1950年。いつ終わるかも分からぬ戦争の中で、私は独り、人生最後の頭痛に浸った。

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炸裂の前夜 憑弥山イタク @Itaku_Tsukimiyama

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