第24話 聖なる王剣(3)
「始まったみたいね」
王都ラプナールを流れる運河の畔に佇む小さな茶店。夜の河水に反射して揺らめく王宮の炎を見やって、美しい緑色の
「どうする気なの? トゥリエル。このままロギエル教徒のゾフカール人たちにこの国が乗っ取られるのを、ナピシムの守護神としてまさか見過ごすつもりじゃないでしょ」
厨房の奥からハーブ茶を運んできた腰の曲がった翁に、彼女は小言のようにその意向を訊ねる。ナピシム人たちが信じる神の名で呼ばれた翁は、慣れた手つきで茶碗を差し出すと困ったように苦笑いを見せた。
「その名前で呼ぶのはよしてって言ったはずだよ。アルミサエル。今は他にお客さんもいないけど、どこで誰が聞いてるか分からないからね。それに僕だって何も考えてない訳じゃないさ」
老いた外見に似合わず幼い子供のような喋り方で、トゥリエルはけらけらと笑う。食卓の上に置かれた茶を飲んでよく味わいながら、アルミサエルと呼ばれた少女は不作法に足を組んでまた炎上している王宮の方へ目をやった。
「私もその呼び方は好きじゃないって言ったでしょ。もう私は天使じゃない。人間として生きることに決めたの」
「人間がその若い美貌を四百年も保ってるなんて、どう考えても異常だよ。天使でなければ化け物だね」
意地悪のつもりで言ったトゥリエルだったが、意外にもアルミサエルはそれが気に入ったように上機嫌で口元を歪める。
「化け物でも妖魔でも、天使と呼ばれるよりはマシだわ。とにかくあのドロドロした天界の争乱から私は足を洗ったの」
「そうは言うけどねえ。嫌でもまた巻き込まれるんじゃないかな。ロギエルが自分を崇めない者の存在を決して許さないのは、奴と戦ってきた君ならよく知ってるだろう?」
今からおよそ四百年前、聖地エスティムを中心に繰り広げられた聖戦と呼ばれる熾烈な大戦争。遠く離れたこのナピシムにも伝説が残っているその血みどろの激闘の記憶を思い起こしながら、アルミサエルはまた冷たいハーブ茶をすすって愉快そうに笑った。
「ええ。あの時はとっても楽しかったわよ。あの方のお陰でね」
反乱軍が市内の制圧を始めたのか、騒々しい兵馬の音声が街路から響いてくる。もっとゆっくりしたかったのに、と溜息をつきながら、出された茶を飲み干したアルミサエルは椅子から立ち上がった。
「どこへ行くんだい? アルミサエル」
「だから、その名はやめてってば」
彼女が振り向いた刹那、太刀を持ったサムライの一人が荒々しく茶店の中へ乗り込んできた。不快げに睨みつけたアルミサエルに、その兵士は高圧的な態度で通告する。
「今よりこのナピシムは我らサムライの支配する国となった。祝い品として、金目の物は頂いていくぞ」
「ふざけんなっての!」
「ぐわっ!」
アルミサエルが蹴りを見舞うと、略奪に来たそのサムライは凄まじい脚力で吹っ飛ばされ、店の壁に叩きつけられて昏倒する。アルミサエルは振り上げた片足をゆっくりと下ろすと、急に昔を思い出してうっとりしたような目をしながらトゥリエルに言った。
「今の私はダーリヤ・アリージュ。ラシード様が呼んで下さってた、この名前が気に入ってるの」
アレクシオス帝暦一五九六年・盛夏。ゾフカール帝国の支援を受けた有力貴族チェンロップと瑞那人傭兵部隊の反乱でナピシム王国は滅亡し、王都ラプナールは占領された。後に大南方戦争としてこの世界に語り継がれることになる、ナピシム史上空前の大戦の始まりである――
【後書き】
これにて第一章は終了となります。ここまでお読み下さった読者の皆様、ありがとうございました。
今回登場したダーリヤ・アリージュは同じレオサーガシリーズの『ラシード伝 ~聖戦の獅子王~』に登場しているキャラで、更新の順番の都合上、彼女の正体の先行ネタバレという形になっております。以前の伊佐屋菊丸の台詞にあった聖地云々の話も、そちらを読んでいただくと意味が分かってくるかも知れません。
第二章以降も全力で書いていく所存ですので、応援や感想など頂けますととても嬉しいです!
魔王統譚レオサーガ・サムライ伝 ~微笑みの国の武士道~ 鳳洋 @o-torihiroshi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。魔王統譚レオサーガ・サムライ伝 ~微笑みの国の武士道~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます