第31話 花を愛でる者、童心に帰る者
騎士団長ギルバート・ハインケルは沈痛な面持ちで部下からの報告を受け取っていた。
騎士の一人、グラブス・トートマンの消息が不明。
そして直前まで一緒にいた騎士三人の発狂。
現在は神術にて沈静化こそしているが、またいつ気狂いを起こすか、予断を許さないという暗い報告だった。
神術師による検診では、神術の影響や、魔力による悪影響は見受けられないとのこと。
かの闘神との一件で発生した強いストレスと仲間の消失に心が耐え切れず発狂してしまったのではないかとの診断だった。
───女───手───声───異教徒異教徒異教徒───。
そんな要領の得ない譫言の中、何とかグラブスに関する証言を得ることが出来た。
この者たちの証言によると、一人で用を足しに行ったっきり戻ってくることは無かったとのこと。
このまま戻ってくることがなければ、魔物の大群に呑まれた哨戒班の騎士を含めて、これで二人目の殉職者となる。
「はぁ……胃が痛い」
しかもグラブス本人の素行は良いと呼べるようなものではなかったが、腕前だけなら将来有望な騎士の一人だった。
その高いプライドと選民思想をどうにか躾ける事が出来れば、きっと、騎士団にとって重要な人物になれるだけの素養が彼にはあった。
単純な戦力としての損失と、上手く事が運んだ際の彼が齎すであろう国への利益の機会損失を考慮すれば、少し頭の痛くなるような報告であった。
だがこれも仕方がないと、ギルバートは自分を納得させた。
この使者団としての行動中、彼の言動には目に余る場面が多く見受けられた。
特に相手を下と見るや否や、横柄な態度に出、相手を見下すような発言を繰り返している事に対し、騎士だけでなく、兵士たちからも苦情が相次いでいた。
彼には期待していたが、その生まれ持った人格に矯正の余地があったかどうかなど、今となっては正直、首を傾げたくなるような気持ちだった。
だからギルバートの胸はあまり痛まなかった。
本音を言うと、フェルマに対して積極的に剣を向けていたと報告を受け取ってからは、グラブスを庇うような気持ちの一切が失せていた。
国益とかどうでもいいほどに。
「嬢ちゃんがあの都市に亡命してくれて正直ほっとするな」
今のソルガロンにシィルレピスの信徒を受け入れる度量の深さはまるでない。
彼女はシィルレピスを主として仰いでいる事を周りには知られないように必死に隠していたようだったが、彼女の背景を知っている人間にとっては筒抜けだった。
それでも健気に祈りを続ける彼女の身を案じ、密告のような真似を誰もしなかった。
「あそこなら、嬢ちゃんものびのびと生きていけるだろうな」
彼女が騎士団の雑用の仕事を請け負うようになったのは彼女がまだ幼い頃だ。
その頃から面識のある騎士団の古株たちは、皆、彼女を娘のように可愛がっていた。
故にその苦しみも理解しているつもりだった。
だからウィーズベルが乱心した際には一部の騎士と兵たちがウィーズベルに対し強く抗議する姿勢すら見せていた。
結局はその直後の怒涛の展開でその雲行きはあやふやになったのだが。
闘神による亜竜の討伐劇を全員が拝んだ後、玉座の間にいた侍女とは別の侍女が使者団の下に現れ、フェルマに関する事の顛末を聞かされた。
一抹の寂しさはあったものの、それでも彼女を心配するもの皆が、胸を撫でおろしたことをギルバートは知っていた。
「グラブスは子爵家の三男だったな。遺族年金は高くつくが、まぁそれもいいか」
とんでもない旅だった。
ろくでもないことの連続だった。
それでも最後に訪れた一つの幸福にギルバートは微笑んだのだった。
◆
「お前、いつまでぼーっとしてんだよ」
そう仲間に声を掛けられたのはソウキと共に哨戒任務に就いた兵士のヒルだった。
「あの兄ちゃん、只者じゃねぇとは思っていたんだがよ……まさか神様だったなんてな……」
遠くを見たまま答えるヒルに、仲間が可哀想な者を見るような目を向けて来た。
「そういやお前は一緒の任務に就いたんだったか。そこでいろいろ語ったらしいな。……無礼な言葉遣いだったってのも他の奴から聞いたぜ」
ソウキの背中をバシバシ叩きながら気安く語っていた事を周りの兵たちは、その場にいた他の仲間から聞かされたおり、帰路の半ばでその話は一瞬で兵たちの間で広まっていた。
「……え?あ、あぁ」
「えらく気のない返事だな。お前、あの闘神に不敬を働いたんだぜ。お前もどうにかなっちまうかもしれねぇぞ」
そしてソウキに剣を向けた者の末路もまた、あっという間に広まり、闘神による祟りだと、神罰だと恐れられていた。
「あの兄ちゃんがそんなことするとは思えねぇんだがな」
少しの間だったとはいえ、あの青年がそんな陰湿な真似をするだろうかと、ヒルには疑問だった。
あの時の印象だけでも、そんな小さなこと気にも留めないような飄々とした余裕を感じられていたし、闘神としての性格を見せつけられてからは、余計にそんなまどろっこしいことをするようなたまじゃないと、ヒルの中には確信があった。
闘神を兄ちゃん呼びするヒルに、まだ現実を受け入れ切れていないのかと、仲間の兵が少し呆れたが、心ここにあらずのヒルの顔を見て、それを追及する口を止めた。
なにを考えているのやら。
不安でも畏れでもない表情のヒルを理解できず、仲間がその場を離れようとした時、ヒルがぼそりと言葉を口にした。
「なぁ、聖域都市にも冒険者組合ってあるのか?」
「あ?なんだいきなり……まぁ、あそこにも冒険者組合はあるって話だが、大陸に広く存在している奴とは別の組織らしいぞ。聖域都市の独立した組合だな。だから───」
「よし。俺、軍やめるわ」
「───は!?」
いきなりの宣言に仲間が素っ頓狂な声を上げた。
ヒルがソウキとの短い会話の際に思い出した感情を強く掴む。
この世界にも神がいた。
おとぎ話の中だけじゃない。
お偉い教徒の説教の中だけじゃない。
現実にも神がいた。
そしてその神は古神という謎の単語も口にした。
気になる。
世界の謎の一端に触れたかのような興奮がヒルに訪れたのだ。
そして神と亜竜との壮絶な戦い。
見たこともない異国情緒溢れる聖域都市。
この長い旅でヒルは世界が広いことをまざまざと見せつけられたのだ。
世界が多くの謎を宝のように隠していることを知ったのだ。
壮年に差し掛かった男の中に少年だった頃のあの日の感覚が去来した。
「子どもは既に成人だ。別にお国に対して強い忠誠心があるわけでもねぇ」
「お前、なんだよ急に……」
「俺、冒険者になるわ」
家族の説得は必要だ。
それでもあの家内なら許してくれるような気がする。
「……」
固まったように視線をヒルに固定して、呆気に取られる仲間の目が面白い。
「魔物と戦うだけの冒険者じゃねぇ。世界のあらゆる国を、秘境を、謎を踏破するような冒険者に、俺はなる」
強い意志の籠った言葉だった。
「いきなりなにを言い出すかと思えばよ……お前の夢だったな、それ」
呆れたようにそう口にした仲間の表情は、どこか暖かい。
「あぁ」
「幼馴染として一つ言っておく」
仲間───同郷の馴染が真剣な顔つきでヒルの胸を拳で叩いた。
「パネラを泣かした許さねぇ。そん時は俺が奪いに行くからよ」
「お前……流石に諦めていい人見つけろよ……」
「うっせぇ!村一番の美女をいつの間にか孕ませやがって!お前はどんだけの男の脳を破壊したか自覚しろ!!」
「もう20年近く昔の話だろ……」
ヒルは昔を思いだし、たじたじと頬を掻いた。
「泣かさねぇように頑張るよ」
気の重い一団の中、ヒルの足取りだけは軽かった。
それは剣も鎧も身に着けていなかったあの頃のように。
少年のようにわくわくとした男がそこにはいた。
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