今夜、星を食べにいこうね

ヲトブソラ

今夜、星を食べにいこうね

 〝後輩さん〟と二人だけの飲み会になって何年経ったのだろう。始まりは十年前だ。バイト先のイベントに飲み会が隔月であった。初めて参加した六年後には、参加者が二人になってしまったが、さらに三年が経った今秋も参加者は二人だけだ。


「後輩さんよ。テキパキ動きたまへ」

「先輩くんは手伝わないんですか?」

「現場監督だからね。しっかり見ていないといけない」

「なるほど?その手に持っている缶の中身は?」

「ビールだ」


 後輩さんの目を細め、眉を上げて呆れる顔が好きだ。荷物が多くても忘れ物をしないよう焦らず、準備をする性格が好きだ。頭の中で順序を組み立てて荷造りをする真剣な顔も好きだ。何より、この量の準備を現場監督にさせてみろ。後輩さんはシュラフ無しで、摂氏零度を切るテントで寝ることになるぞ。

 今月のイベントは飲み会ではなく、湖畔にあるキャンプ場に行こうという約束の、まさにその準備をしている………いや、後輩さんにしてもらっている訳だ。


 後輩さんはアルバイトで入った職場の先輩だった。でも、同じ大学の後輩であったから〝先輩〟と呼びなと揶揄ったら、本当にそう呼び始めた。その律儀さが面白く、今度は大学では先輩だけど、バイト先では後輩なのだから間を取って〝先輩さん〟という敬称をつけて呼べと言うと、また律儀にそう呼ぶものだから、それが呼び名として定着してしまった。


「朝早いんですから、先にお風呂に入ってください」

「現場責任者がいない間に、きみに何かあったら……ッ!」

「はいはい。じゃあ、監督は職務中に飲酒しているのだから『監督責任ナントカ』で、お縄ですね。はい、囚人はお風呂へ収監」

「何だい、つれないな。きみと一緒じゃなきゃ入らん!きみとは、共犯がいい!」


 全く、いい歳して何を言っているんだか。酔ったふりをして口走ったにしても、もう少し格好の良い誘いかたがあるだろう。


「はい、終わった。行きますよ」

「どこに?」

「お風呂でしょ?収監されたいんじゃないんですか?」

「あー……まあ、そう言ったか。言ったよな?言っちゃったよね?」

「往生際というか、あなたが誘ったんでしょ。囚人は起立」

「あ。きみ、看守なんだ。あくまでも共犯者じゃないんだ」


 どこまで揶揄っても動じない奴。昔からその安心感と、あしらわれる時の呆れ顔が好きで揶揄っていたのだけど、ここまで動じない奴だと確信に至ったのは、いつだったか。


 季節はだんだんと冬に向かい進み、空気が冷えている時間が長くなっていく。お風呂もだが、寝るときのベッドも二人同じだ。つまり、きみは〝悪い看守〟だな。うん。いつも、きみの少し高い体温が身体を温めくれるから、安心もわけてもらっている。目の前にある、きみの〝安心〟の癖を見ながら、眠りに落ちるのが好きだ。両手を軽く握って、顔のあたりに置いていないと眠れないらしい。それが癖になったのは、いつからか分からないらしい、これもよく分からないそうだが、横向きで少し丸まっていないと眠れないらしい。少しと表現したのは丸まっていた癖に、そのうち大の字になり蹴られるからだ。


「子ども……かよ」


 或いは、子犬だな、いつもそう思う。


 閉じたカーテンの隙間から、やわらかい光が差し込んでいたから、きみが月と一緒に食べられそうな気がして、息が重なるまで近づき、軽く握られている手にくちびるをよせて、きみのシャツを握っていた。何せ、きみはとても甘美な味がする看守だから、誰かが食べてしまうかもしれない。もしかすると、月の監獄から高待遇でスカウトがくるかもしれない。それは嫌だな、などと妄想していると眠りに落ちていた。


 キャンプ道具一式をレンタカーに載せて走り出すこと二時間強。高速道路を降り、まばらに色付いた山を正面に走っていた。車中、流れる音楽は後輩さんが大好きなUKロックの詰め合わせだ。


「英語、わからん」

「でも、先輩くんっぽい曲ですけどね」

「なるほど?激しさの中にある重厚なサウンドが、だな。分かるよ、分かる。魂が」

「まあ、そうですね。大体、そんな感じです」

「まさか、正解するとはなー」


 どの辺りが〝先輩くんっぽい〟のか詳しく聞いてみたい気もするが、褒められているとは限らないことを留意し、金輪際、聞かないことにした。〝この酔っぱらいが〟とか〝最近、体重が増えましたね〟とか、そういう言葉が飛んできそうで怖いのだ。ああ、そういえば、何年か前に休肝日を設けてくださいと言われたな。身体に悪いから、お酒を控えてください、軽い運動もしましょう、腰が曲がっても話がしていたいです、その為には身体を大切に。それらに反骨精神を発揮しているから、この曲たちっぽいのか。それと、こうも言われたな、


 せんぱいくん、すきです。


「何ですか、先輩くん?何か言いました?」

「いや?少しお酒を控えて、ダイエットをするかなって」

「どうしたんですか?急に」

「いいから前を見て運転したまへ、後輩さん」


 ずっと染み付いている〝先輩くん〟と呼ばれることと、〝後輩さん〟と呼ぶこと。その呼び方が二人には、しっくりと来ているのだから不思議だ。


「先輩後輩の期間が長すぎたのかもなー」

「さっきから会話が繋がってませんけど、まさか飲んでます?」

「さすがに飲んでないって!」


 全くもって信用されていないのか、そこまで危なっかしく見えるのか。どっちなのか、両方なのか。これを確かめるのも怖い。


 湖に近い町のスーパーで食材を買い、お酒は…………手に取らないと気が済まない、この酔いどれに少し気分が落ち込む。今日くらい良いじゃないですか、と、甘やかしてくれるやさしさが、心に深く刺さった。キャンプ場に着くとハッチバックを開けて荷物を降ろし、湖畔にテントを張り、我が前線基地が設置される。


「今夜、夢のバスに揺られている〜♪」

「先輩くん。よくその歌を口ずさんでますね」

「んー、うん。でも、タイトルは知らない」

「さすが、先輩くん」

「どういう意味だい?それは」


 ラジオから流れてきたこの曲を聴いた時に、ふっと腑に落ちたことがあった。だから、一度か二度聴いただけで歌詞を覚えた。とくにこの曲を買おうとか、アーティストが誰だとかは興味の外にあったから、詳しく知る前にとんとラジオから流れなくなってしまった。


「きみはさー、洋楽ばかり聴くよね。それはどうして?」

「さあ?」

「いや、自分のことだろう?」

「うーん」


「忘れちゃいましたね」


 何だよ、それ。………と言えない自分が情けない。飲み会の後、駅まで送ってくれる間によく後輩さんが口ずさんでいた曲。その歌詞を聴いて、その曲が好きなのか、その歌詞と同じ心境なのかなんて、ずっと、もやもやしていた。今も後輩さんと〝隣にいてもいなくても〟分からないことがある。


「飲み会の帰り道に、口ずさんでいたのって何ていう曲?」

「覚えて………ませんケド?いつの帰り道ですか?」

「だよね。飲み会の記憶ってないよね」

「それは、ただの飲み過ぎでは?」

「否定はしない」


 今のは嘘だ。きみとの事は、全部覚えているよ。きみがやさしかったこと、決して放ったらかしにして帰らなかったこと、情けなくも毎回吐くのに介抱してくれたこと、月が綺麗ですねと言ってくれたこと。全部、覚えている。きみが口ずさんでいた曲のタイトルだって、実は知っている。素直にあの頃から変わらず、きみは素敵だよと伝えられればいいのに、歳を取るごとに言葉が不器用になっていく。嘘が上手になっていく。自分に嘘を吐くことも多くなる。


 キャンプチェアを並べて、きらきらと光る湖を眺めながら、いつものように他愛のない話をしたり、潰れてしまったバイト先の〝きわどい〟想い出話に膝を叩いて笑ったり、最近、すっかり〝ザ・おぢさん〟になったらしい、元イケイケ・元店長に会ったという衝撃の事実を聞かされたり、その証拠にと〝二人並んで撮った写真〟に嫉妬したり、テキパキと夕飯の支度をするきみの横顔を見たりと、つまり、出会ってから、ずっと、きみから目が離せないでいる。


「さて。本日のメインイベントだ」

「じゃあ、ランタン消しますよ」


 灯りを消す前に伝えなければと思ったけれど、それも自分に吐く嘘に阻まれ叶わず、光を失った。だんだんと目が慣れて現れる湖の向こうにある黒い稜線。満天に広がる星が稜線を跨ぎ、水面にも映り、大気圏外に放り出された錯覚に陥らせた。だから、急にみぞおちの辺りが、ぎゅうっとなり、隣にいる手を探す。すぐに繋がれる手は、きみもまた探していたからなのか。


「恐らく、こうなると思っていたので」

「さすが後輩さん。気が効くじゃないか」


「先輩くんのことは、大体知ってます。あと……」

「あと?」

「手を繋ぎたかった」


 きみが、どんどん素直になっていく。歳を重ねると、飲み会を開いていくと、一緒に過ごしていくと、嘘が上手くなっていくと泣いたのは、一体どこのどいつだよ。


「きみは星が食べられると知っているかい?」

「は?星?食べる?……先輩くん、飲み過ぎですよ」

「確かにシラフではないが、人を大酒飲みみたいに言わないでくれたまへ」

「……吐くまで飲むじゃないですか」

「否定はしない」


 いつもの通りの調子で会話をしながら、星に手を伸ばす。やはり、美味しいものを収穫するのには、それなりの難しさがあり、簡単に手に入らないのが世の常。


「美味しいって……何味なんですか」

「甘い甘い蜜のように甘い」

「つまり蜜の味では?」

「あー………ちょっと違うんだな」


 実は月が輝いて見えるのも、星がまぶしてあるからだ。新月から少しずつ星のかけらを探しに行き、集めた良質な星をまぶしていく。地球からは見えない月の向こう側まで、しっかり味付けが出来ると満月の出来上がり。これがまた甘くて、もちもちで美味しい。


「ところがひとつ問題がある」

「ロケットがないから食べたことがない、とか言わないでくださいね」






「そうやって、おふざけを冷静に返す、きみも好物だよ」


 これが自分流の伝え方なのかもしれないな、と、分かった気がした。きみはいつも劇的な瞬間に立ち会わせるように〝好き〟と言って驚かせる。きみより嘘が上手くなってしまった今、おふざけでも言葉を紡いで編んだマフラーのなかに、暖かさを込めれば、少しは上手く言えるみたいだ。


「でもね。今夜は違うよ」

「違うとは?ロケットを手に入れたんですか?」

「いいや。地上にいながらにして収穫できる方法を思い付いたんだ」


 呆れた表情が見られると思ったのだが、きみは目を大きく開いて、その瞳の中にたくさんの星を写すから、それを食べてもいいかななんて思ってしまう。うんと夜空に伸ばしていた手をだらりと降ろし、深くキャンプチェアに沈む。どうして、きみは〝あなたのことが好きです〟なんて素直に、真っ直ぐに言えるのだろう。


「それで星はどうやって収穫するんですか?」


 話しているうちに、稜線から顔を出した月が水面に一筋の道を作っていた。


「これが実用化されれば、星が流通して食卓に並ぶよね。では、お見せしよう!」


 繋いでいた手を離し、街の中では考えられない冷たい空気を割いて、畔へと歩いていく。肌で感じられないくらいの風で揺れる水面。冷たい水に両手を入れて掬い「こうやれば、星が掴まえられると発見したのだ!」なんて戯けようとした時、後ろから「それ以上は行ったらだめだ!」と強く抱きしめられた。


「それ以上行ったらだめだ。めぐ」

「いや、いくらなんでもザブザブとは入るまで酔ってないよ。たぶん」

「ちがう。そんなのは分かっているけど、だめ」


 久しぶりに呼ばれる名前と強く抱きしめる腕の力と、熱い体温と、少し震えている真剣な声。両手の中に掬った水の中には星なんかなくて、ただ月のかけらが、きらきらと跳ねていた。手を包むように握られ、湖に落ちていく月の雫。


「『ムーン・リバー』っていう曲を知ってますか?」

「えっと。あー…………『ティファニーで朝食を』の?」

「うん」


「じゃあ『月の道』は?」

「いや。誰の曲?」

「こっちは伝説です」

「知らない」


 それから手を拭かれ、もう一度、その少し高い体温で暖められ、星を月が持っていってしまった夜空を見ていた。彼が淹れるコーヒーの雫と同じように、ぽつぽつと夜空から降ってくるような声は、月は死の世界を意味する話があったり、月に行く方法には水面に写った月光の道を渡っていく話があるのだと言って「はい、召し上がれ」とコーヒーの入ったカップを渡される。


「何となく『ムーン・リバー』の歌詞と先輩くんの後ろ姿も重なって」

「えいご…………わからん。覚えていない」

「帰り道に車で聞きましょう」

「聴いても、わからん可能性アリ」


 こういう時にわたしの恥ずかしがり屋が才能を発揮する。彼が何を言いたいのか、それくらい分かっているくせに「ごめん」とすら素直に言えない。心配させたね、大丈夫だよ、いつも二人で、約束するから、ほら〝ゆびきりげんまん〟をしよう。こんなことすら言えないわたしをきみは、


「ようやく手を繋ぐことが出来るようになったから、離したくないから、一人でいかないでお願い、大好きだから」


 わたしはきみとは違って、二人で過ごしていく数だけ嘘が上手くなっていくけど、たまに嘘じゃない甘え方もする。


「名前」

「名前?名前がなに?」

「もう一度、呼んでくれたら一緒にいるか考えてあげよう」

「何ですか、それ」


 恥ずかしがり屋の才能に、ついには二人で馬鹿笑いをした。やはり互いに伝えられず、時間が経てば、経つほど素直になれなくなって、何となく気恥ずかしさや怖さが勝っていく。でも、きみは言うんだろう。なかなか紐が解けてくれない、わたしのこころの内側代わりに、今日も「好き」だと言って、手を取るのだろう。紐は蝶々結びが出来なくても、右と左が寄り添っているだけで仲良しなんだ。


「じゃあ、名前を呼ぶから絶対に約束を守ってくださいね」

「任せとけ。約束だけは破ったことがない!」


「めぐ………山田めぐ、さん」


 ほら、きみも肩に力が入って耳を赤く、恥ずかしさに負けているよ。わたしたちはなんて歪で、可笑しくて、素敵で、愛おしい二人なんだろう。


「これから二人で星の食べ方を探しましょう」

「そうだね。一緒に探した方が効率いいだろうし。そのうち月も二人で食べに行こう」


 月の向こう側へも行ってみようよ。


 二年前から左手の指に輝いている一番大きな星を、空に浮かぶ星と月に見せつけてやるように、夜空にピースをする。


「わたしたちも負けず、甘くて甘くて、むせるくらい甘いだろ?」


おわり

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