見世物の代償
俺の手は固く握りしめられたまま。あの檻の中で感じた絶望の記憶がまだ鮮明に脳裏をよぎる。それなのに、ダンテはまるで何事もなかったかのような笑みを浮かべている。そうだ、命を賭けたのは俺とバスティアンであって、ダンテではない。あの檻の中で、俺はすべてを失う寸前だった。横目でバスティアンを見やる。彼は黙ったまま、何を考えているのかわからない。
たとえダンテが逃走を助けてくれたとしても、元をたどればあいつがすべての原因だ。脅しと強制で、こんな泥沼に引きずり込まれたんだ。俺の胸には怒りがせり上がり、呼吸が荒くなる。胸の奥が熱く疼く。この想いを制御できない。「じゃあ、つまりこういうことか? ダンテにとっては、ただの出来事に過ぎないのか」口から出た声は、自分でも驚くほど冷めきっている。ダンテはそのまま微笑みを消し、じっと俺を見据える。まるで世界から音が消え、部屋には俺とダンテだけがいるみたいだ。
抑えられない憎しみがこみ上げる。「お前が助けようが関係ないだろ。そもそも俺たちをこんな目に遭わせたのはお前じゃないか。俺たちを、くだらないゲームの駒みたいに扱ってさ」立ち上がり、全身に力がみなぎるのを感じる。「警察が来なきゃ、あの檻で死んでたのは確実に俺だろうが」ダンテは何も言わず、前傾姿勢で俺を見据える。彼の微笑みは消え、その瞳には得体の知れない闇が垣間見える。「落ち着けよ、坊や」声は冷たく、硬い。
その瞬間、バスティアンの手が俺の肩を押さえ、なだめようとしてくる。だが、その手は逆効果だ。怒りと裏切られた思いが混じって、さらに苛立ちが燃え上がる。「お前まで奴の味方か? 何なんだよ!」怒りに染まった視線を向ける。まるでバスティアンがダンテ側にいるかのように感じてしまう。
バスティアンが何か言おうとしたところで、ドアがバタンと乱暴に開き、ゼレクが姿を現す。彼の手は腰のあたりに置かれ、いつでも武器を抜ける構え。「何か問題か、ボス?」と低い声で問う。ダンテはゆっくりと手を上げ、「いや、ゼレク。ここは大丈夫だ。お前は下がってていい」と言う。ダンテの目は俺から離さないまま。ゼレクは一瞬迷うように見えたが、最終的に黙って扉の外へと戻っていき、重苦しい沈黙が戻る。
部屋のランプがダンテの顔に影を落とす。その影が一瞬、獣のように見えて身震いする。ダンテは低い声で静かに言う。「落ち着け、ガキ」口調にはわずかな苛立ちが混ざっている。「むきになるな。お前の命は最初から危険じゃなかったんだ。試合が長引けば審判が止める手筈だった。命までは取られやしない」
怒りが再燃する。「『死の闘い』って言ってたじゃないか!」思わず叫び、拳が自然と固くなる。ダンテは嘲笑じみた笑いを漏らす。「ショーって言葉、知ってるか? ビギナーが全力を出せるように煽るための演出ってだけさ。まあ、お前がそのまんま信じるとは思わなかったけどな。だいたい本当に殺し合いなら、レフェリーなんて邪魔にしかならないだろう? 最初から全部計画通りだったんだよ」
論理だけ聞けば筋は通っているかもしれない。でもそれが正しいとは限らない。ダンテは狡猾な男だ。その黒い瞳には何かが潜んでいる。バスティアンがまた優しい声で「レアン、落ち着いて」と言う。彼の瞳には不安がにじんでいる。どこか戸惑っている。俺の中の疑念は消えないが、彼の声には微かな静けさがあり、少しだけ苛立ちを抑える。
深く息を吐いて、ソファに再び身体を沈ませる。ダンテが俺の名をはっきりと言い、「レアンドルス」その響きに心臓がドキリとする。「俺がお前に嘘をつく理由がどこにある? この世界じゃ、信頼ほど貴重なものはないんだよ」その言葉の一つひとつが鋭く突き刺さる。何か寒気を覚える。彼は言葉と言葉の間を計り、俺の心を探っているかのようだ。
ダンテは続ける。「今日あったこと、俺は許さない。仲間の誰かが警察にリークした。それは俺への裏切りだ。裏切りは絶対に許せない。せっかくの今夜が台無しだ」言葉が冷たく鋭く、怒りをはらんでいる。彼は静かに立ち上がり、背後にあるステンドグラスの柔らかな色の光に包まれる。「俺は仲間を大事にしてきた。その代わりに俺は同じだけの忠誠を求める。それが俺の“やり方”さ」
バスティアンの体がこわばり、ソファの肘掛けを強く掴んでいるのがわかる。声が震えながらも言う。「…俺たちは何も関係ない。僕らはただの――」彼の言葉は心許ないが、何とか絞り出しているのだろう。「わかってる」と、ダンテは急に柔らかい表情を取り戻す。先ほどの冷徹さが嘘のような微笑を浮かべる。「お前たちを疑うわけないだろ? そんなの馬鹿げてる。バスティアン、レアン、警察に密告などするはずない」
言葉こそやさしいが、その裏に潜む鋭さを感じずにはいられない。「電話の通報は詳細でタイミングもピッタリだったそうだ」とダンテは続ける。「ゼレクがずっとバスティアンを見張っていたし、レアンはリングの上。クレイデンがレアンの所持品を確認したら携帯なんてなかった。だから疑う余地はないよ」
息が詰まるような沈黙が場を包む。バスティアンの表情からはまだ不安が消えていない。僕も胸に残る猜疑心を拭えずにいる。ダンテが微笑を薄め、視線を鋭くする。「ただし、言っておく。裏切り者が見つかれば、そいつには相応の罰が下る。もし知ってることがあるなら、今言っておくんだ。後から後悔しないようにな」
この威圧に耐えられず、声を荒げてしまう。「何も知らない! それと俺たちはここを出る。お前の言葉が本当なら、もう用済みだろ?」気づけば立ち上がり、バスティアンも後ろで同じように立ち上がる。二人で出口へ向かおうとした瞬間、ダンテの冷たく鋭い声が空間を切り裂く。「その決断、よく考えた方がいいぞ」
止まらざるを得ない。すべての空気が一瞬にして凍ったかのようだ。鼓動が高鳴り、こめかみが痛むほどの緊張感。もしダンテが本気で止めるなら逃げ場などない。俺たちは酷く傷つき、今や立ち向かう力も微々たるもの。こんな場所で再度彼を敵に回したくない。
「なぜ急いで行く? 俺、約束は守る男なんだぜ?」と彼はにこりと笑う。まるで蜘蛛が獲物を見下ろしているように。ゾッとする。「あんたの約束なんて当てにできるか」 そう喉元まで出かかるが、状況を考え飲み込む。冷汗が背を伝う。
「ショーは見事だった。ちゃんと礼はしたい」ダンテは机の前に寄り、引き出しを開ける。そこから取り出したのは二束の紙幣。片方には「ペレアVII勝者」もう片方には「ペレアX敗者」と書かれている。まるでタグがついた景品のように。それをこちらに差し出す。
予想もしなかった札束の重み。こんな大金、見たことがない。頭が混乱する。戸惑いと嫌悪、それでも金への興味が少し湧く自分が情けない。ダンテはわざとらしいほど自然な声で言う。「さあ、若きグラディエーターよ。これはお前の分だ」 太い札束を示し、「これはあの初戦での勝利の賞金」と言いながら手渡す。
手が震える。まだ言葉を出せないうちに、もう一束を俺の方に突き出す。「そしてこっちは、負けた試合の分。ちゃんとあるんだよ」 思わず口が開く。「負けた試合の分って…なぜ俺に?」と呟く。ダンテはさも当たり前のように頷く。「ああ。お前、10分以上リングで頑張っただろ? それだけでも見応えがあった。もし勝ってたら大金持ちだったんだぜ。倍率100対1だったしな。ま、相手はクリアンだったんだから仕方ないさ」
札束に目を落とし、予想もつかない金額に目眩がする。ざっと見1,000エスタリオ近いか。ひと月どころか何か月分の生活費になる? 頭の中でいろいろな思いが駆け巡るが、その一方で、この金が何を意味するかも痛感する。これはつまり、“ダンテと彼の世界”からの報酬。見返りは何だ? そう考えると不安が募る。
ダンテは静かに口を開く。「ここからは自由だよ。好きに行けばいい。ただ、一つだけ提案がある。… いや、“提案”というより“オファー”かな」声が低く、囁くようだ。視線が鋭く、心を射抜いてくる。「あの試合はいわば面接みたいなものだった。おかげで、お前の才能がよくわかった。そう、俺の期待以上のものを見せてくれたよ。残念だけど、まだ仲間と相談はしてない。でも… エリタスに入る気はあるか?」
第三次世界大戦で荒廃した国の孤児院で育ち、禁断の愛と友人を見つけた。暗い運命を変えられるのか? [詳細版] レアンドルス @Leandrus
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